昭和を代表する俳優の一人に岸惠子(恵子)さんがいます。私は〈寅さん〉で知っているくらいなのですけどチャーミングな方です。
※1973年「わたしの寅さん」から
女優として有名なのですけど、筆の腕は確かで、エッセイ「ベラルーシの林檎」、小説「わりなき恋」などの作品があります。
去年、自伝が出ました。「卵を割らなければ、オムレツはたべられない」というサブタイトルが気に入って手に入れておきました。
少しゆとりができたので手にしました。
生まれたその日、庭に咲いた芙蓉(ふよう)の花をみて「この子の名前〈ふよこ〉にしましょう!」といった母親の提案を、父親が「芙蓉なんてはかい、名前はどこにでもある平凡が一番だ」と一蹴して〈けいこ〉となった話からはじまります。
父の決定をうらめしく思う。
パリでも日本でも、字は違っても、わたしの周りは〈けいこ〉だらけでしまつが悪い。
という話から始まる文章の中から岸惠子さんの個性がはっきり見えてくるようです。
少しページをすすめると、こういう文章が出てきます。
もっと小さかった頃の私は、まぶしく光る海を見ながら、この海が終わる時、海水はどこに溢れるのだろうと思った。
海水はどこにもこぼれず、海や陸地は繋がっていて、地球という丸い大きなものに乗っていると知って驚いた。
その地球はもっと大きい、果てしない宇宙というものの中に浮いていると聞かされて不思議な気持ちになった。
「じゃあ、まあるい地球の底にいる人は、逆さまに立っているの?
そらの中に落っこちたりしないの?
人間も海や空の様に果てしないの?」
うっすらとしたこわさが湧いて、私は地球の底で地面にしがみついている女の子の絵を描いた。
果てしがないって、終わりがないっていうこと?
父がどんな説明をしてくれたのかは覚えていない・・・
幼い私の頭はこんぐらがった。
果てしがないというのは不気味なことだと思った。
果てしはあった方がいいんじゃないかと思った。
きっと、この文章のどれかと似た感覚を、たくさんの人が感じてきたのでしょう。
以前、磁石を使って、こどもたちにこういうモデルを作ってみせてあげたことがあります、頭でわかっているこどもたちも「ふしぎだよねぇ~」と感動してくれました。
可能な方は、ぜひ、作って展示してあげてください。
こういう心動かされた感覚が成長していくうちに、遠い昔のこととして忘れ去られていくのです。
ああ、もったいない。
私たち大人にもある〈はじめの頃の感覚・感性〉は、たのしい教育の原点とも重なります。一緒に広報していただけたら幸いです。
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