ピュリファイ(Purify)/心を澄ます技法〈瞑想という名前を使わない瞑想〉/野田俊作先生から学んだ技法に

以前書いた

野田俊作先生から学んだ〈瞑想〉のトレーニングコースの準備中

 についての問い合わせや希望のたよりがいくつも届いています。

 やっと準備が整い〈たの研〉冬の講座として12月26日(日曜日)に実施することになりました。

 メルマガに書いた文章からピックアップして紹介します。

 私いっきゅうのカウンセリングのスタートは亡き野田俊作先生から教えていただいた「アドラー心理学カウンセリング」です。
 それまで大学や教員研修の中で数々学んできたロジャーズ派の非指示的カウンセリングやフロイトの精神分析をベースにした子ども理解などには全く満足できず、伊良波さんに紹介された本を頼りに著者の野田先生にコンタクトを取り大阪に何度も足を運びました。
 幸い沖縄には私と同じ様にアドラー心理学を学んでいたSさんがいて〈アドラー心理学に基づいた親子関係ワークショップ〉を主催してくれていて、大阪で沖縄でという様に学ぶ時間と密度が増えていきました。
 その結果として完成したのが「PEALカウンセリング」です。
 今はPEALカウンセラーも出てきて独自にカウンセリングしてくれる様になりました。
 瞑想には本来、宗教もスピリチャルも関係ない
 これまで殆ど書いてこなかったのですけど、大阪ではカウンセリングと並行して野田俊作先生から瞑想のトレーニングを何度も受けてきました。
 野田先生に「きゆなさん、本気でカウンセリングがうまくなりたければ瞑想のコースも並行してとるといいよ。自分の生き方だけでなく、クライエントさんに落ち着いてもらうレッスンとしても大切な技法になるから」と言われたことと、私が長く武道を続けていたことがきっかけです。
 武道では修行の前と後、目を閉じて自分の心と向き合う時間を必ずとります。瞑想はそれとの整合性が高いのです。
 カウンセラーは試験に合格して免状をいただきました。瞑想には免状はありません、けれど野田先生と二人で食事と杯を交わしながらから直接「瞑想のコースを開催する時の注意」ということで具体的に話をしてもらったことがあります。瞑想についても目をかけていただいたのでしょう。

 ところが、巷では〈瞑想〉に宗教やスピリチャル的なものをくっつけて伝える人たちが殆どです。霊的なものなど信じない原子論者の私は、それがイヤで、これまでほとんど瞑想について周りの人たちに伝えたことがありません。さわりを呼吸法として合格SVで軽く伝えているくらいです。
 また〈たのしさ〉を突破口にして「予想・実験」によっていろいろな課題や困難を解決していく〈たの研〉には瞑想の必要性はあまり多くないと思っているからです。

 

瞑想の有用性
 とはいえこれだけ複雑に絡み合った社会や多様多彩で濃さの異なる価値観を持ち合わせたたくさんの人間同士が付き合っていく中で、瞑想的なものが必要ないかというとさにあらず、大切なものだと思えます。
 私自身も大切な判断をする時には瞑想的に心をしずめる時間をとります。
 カウンセラーの弟子もできましたから、その人たちにも野田先生が私に残してくれたものを伝えなくてはと考える様になりました。
瞑想という言葉を使わない瞑想
 そうやって考えているうちに〈瞑想〉という言葉をつかわず、その時の心の状態を表現する〈心を清ます〉という言葉を使えば良いというアイディアが湧きました。
清んだ状態・澄んだ状態を英語で〈Pure〉といいます、その動詞が〈Purify〉です。しばらくは「Purify=心を澄ます技法」として伝えていこうと思います。
 ただしそれは武道と同じで、いくら文章を読んでも身につきません。野田先生から学んだそのままを実技として伝えていく必要があります。
 この章で書けるのはそもそもピュリファイ(Purify)の技術でどうして憂鬱な状況や大きな決断を前にして冷静さを欠いている時、落ち着きを取り戻せるのか、ということです。

 

瞑想は本来スピリチャルも宗教も関係ない

 瞑想的な話になりますから、なにやら怪しい話に見えてくるかもしれません、しかし原子論者の私が科学的実験的に思考をすすめてきたものです、安心して読み進めていけば、そこには宗教などは一切関係ないことに気づくでしょう。敬愛するノア・ハラリがこういう趣旨のことを語っています。
「宗教が瞑想を使うから瞑想は宗教的と一体だと思う人がいるかもしれないが、宗教は本によって考えを広めるから本は宗教と一体だという人はいないでしょう。瞑想は宗教と一体ではないのです」

ここまでにしておきましょう。

 Purifyはたのしい瞑想技法です、興味のある方はお問い合わせください。
 私いっきゅうのスーパーバイズ一回分の費用で3時間半の実技コースを受講できます。

『Purify/心を澄ます技法-憂鬱な時、不安な時、大切な決心の時-

指導:いっきゅう先生(喜友名 一 )

日時:2021年12月26日(日)09:00~12:30

場所:たのしい教育研究 第3ラボ
 ※プログラム構成によっては少し広いところに移す可能性もあります
参加費:10,000円(会員は8000円)
 少ない人数で実視します、想定人数に達し次第〆切ますが、何か特別な事情がある場合には、その旨お知らせください。

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セネカの思想とたのしい教育の発想①

 セネカという人の「人生の短さについて」という本があります。これまで購入した大半の本は撤去してしまったのだけど、学生時代に読んだこの小さな本は手放しませんでした。

 セネカは今から2000年前の哲学者で、あの暴君ネロの幼少の頃の家庭教師をしていました。

 タイトルから「人生は短すぎる」と書いていると思っていた私は、彼がこの本の中で語った

われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しついやしているのである。

人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている

 という言葉がとても新鮮でした。

 学生の頃、教師になるか医者になるか弁護士になるかと考えているうちに教育の道を選び、今私の人生のほぼ全ては〈たのしい教育〉を広めることに費やしています。

 実にたのしい選択をしたと、あの頃に戻ってハグしてあげたい気がするほどです。

 〈たの研〉の活動の一つ〈こども未来キャラバン〉では、お父さんと子どもとが顔を寄せ合ってスイスイちゃんをたのしんでいる姿も見ることができました。この日もどんどん子どもたちがやってきて30人近くがたのしい教育で笑顔と賢さを広めていきました。こうやってたのしさが次々広がっていく姿は、長い時の流れを感じるかの様です。

 たのしい教育をすすめていると人生の短さではなく人生の豊かさを感じます。
 たくさんの人たちが興味関心をもってくれることを期待しています、可能な方は、このサイトを大切な人に「ここ毎日アップされていて、おすすめですよ」と伝えてくださいね。
 そしてもっと興味を持ってくださった方は講座 ※12月はカウンセリング系〈心を澄ます技法〉、1月はたのしい教育cafe、2月は〈別れも出会いもたのしい教育〉 を受講してみてください。
 たのしい教育の通信指導「たのしい教育メールマガジン(月千円/年まとめで購読)」もとてもおすすめです。

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PEALカウンセリング「選択に迷ったとき」

やるかやらないか迷ったら「やる」を選ぶという人がいます。

やらないで後悔するより、やって後悔した方がよいのだといいます。

かっこいい言葉なので、それがよいと考える人も多いかもしれません。

けれど落ち着いて考えると、そう簡単にはいかないこともわかると思います。

食べるか食べないか迷ったら「食べる」を選ぶとしたら、どれだけ体重が増えることでしょう。

買うか買わないか迷ったら「買う」を選ぶことにするとしたら、どれだけお金が必要でしょう。

伝えるか伝えないか迷ったら「伝える」というなら、どれだけ自分の心の奥をさらし続けることになるでしょう。

朝、このまま眠るか、そうしないか迷ったら、このまま眠り続けることを選んだら、その仕事はすぐに解雇されてしまうことになるでしょう。

そうです、選択に迷ったら「そうする」を選ぶというのは暴論です。

ではどうするか?

そういう時にはPEALカウンセリングが有効です。

自分の〈本当の目標〉を明らかにして、その目標を達成するにあたっての困難は何か整理する。その上で選択肢を出して実行する(実験する)、そうやっていろいろなことが見えてくるようになります。

 必要を感じている方は気軽にお声がけください、たの研にはPEALカウンセリングの実践家が複数いて連携していろいろな方達の相談に当たっています。

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将来〈不登校〉〈ひきこもり〉〈暴力的な子〉にしないために大人ができること

 最近のSV(スーパーヴィジョン)の中から少し紹介します、詳しくは有料メルマガに綴りたいと思います。いつもの様に個人が特定できない様に脚色しています。

 あるお母さんから

 中学一年の息子が担任の先生とぶつかって不登校となり、学年のほとんど休んでしまっている。

 それを見ている小学校中学年の下の子が「お兄ちゃんはいいなぁ、自分も休みたいのに」と声にすることがある。将来的に下の子も不登校にならないか心配です。

という相談がありました。

 そういう時にスーパーバイズすることについて軽く書かせていただきます。

 私が教師をしていた頃から立てていた仮説があります。

 それは経験を追うごとに確かに思えてきました。

 そしてカウンセリング・SVの数が増えていく中、臨床的にも確かだとかんがえる様になりました。

 私が大学などの研究者なら、それをまとめて本にしたいところです。

 シンプルな仮説です。

きゆなの〈不登校仮説〉

 自分の不満や不快なこと、自分で解決できそうにないことを〈言葉で伝える〉ことができる子は、不登校や暴力行為、ひきこもりなどに陥る可能性がとても少なくなる

 もちろん〈不登校〉や〈ひきこもり〉をする子がいけないということでは全くありませんし、この不登校仮説にある様に〈とても少なくなる〉という「相対的」な仮説です。

 ほとんどの子ども達が、なんとなく不登校になるわけではなく、突然不登校になるわけでもありません、もちろん脈絡なく人をなぐることもありません。
 その子なりの限界を超えるあたりまで我慢して、そのリミッター(限界範囲)を超えた時にたとえば〈不登校〉という方法をとったり、〈ひきこもり〉を選んだり、ある子は〈暴力〉という方法で訴えたりするわけです。

 どちらに共通するものが「非言語的手段である」ということです。

 がまんできないくらいがまんくするのではなく、「自分では解決できそうにない」という困難や課題を、近くにいる大人に〈ことば〉によって相談できると、不登校やひきこもり、暴力ではない方法をとることができることも多いのです。

 相談というのは大人にとっても難しいことです。子どもが勝手に相談してくるまで待つのではなく、小さな頃から「少しくらいの困難は自分で解決できるといいね。でも、これは難しいなと思ったら遠慮しないで相談してね」という様に、あるいは週一回、二週に一回くらいのファミリーミーティングなどで「何か困って自分では解決が難しいことありませんか」という様に、みんなで出し合っていると、それを見ている子ども達も「あ~なるほど、こういうことは相談していいんだ。こういう感じで気軽に相談していいんだ」と感じてくれるでしょう。

 他にもいろいろな工夫で、行為や表情による訴えではなく言葉による訴えが起こりやすい状況をつくることがとても大切だと思います。

 似た様な事例で不安を抱えている方はSVをご要望ください。

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