セネカの思想とたのしい教育の発想①

 セネカという人の「人生の短さについて」という本があります。これまで購入した大半の本は撤去してしまったのだけど、学生時代に読んだこの小さな本は手放しませんでした。

 セネカは今から2000年前の哲学者で、あの暴君ネロの幼少の頃の家庭教師をしていました。

 タイトルから「人生は短すぎる」と書いていると思っていた私は、彼がこの本の中で語った

われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しついやしているのである。

人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている

 という言葉がとても新鮮でした。

 学生の頃、教師になるか医者になるか弁護士になるかと考えているうちに教育の道を選び、今私の人生のほぼ全ては〈たのしい教育〉を広めることに費やしています。

 実にたのしい選択をしたと、あの頃に戻ってハグしてあげたい気がするほどです。

 〈たの研〉の活動の一つ〈こども未来キャラバン〉では、お父さんと子どもとが顔を寄せ合ってスイスイちゃんをたのしんでいる姿も見ることができました。この日もどんどん子どもたちがやってきて30人近くがたのしい教育で笑顔と賢さを広めていきました。こうやってたのしさが次々広がっていく姿は、長い時の流れを感じるかの様です。

 たのしい教育をすすめていると人生の短さではなく人生の豊かさを感じます。
 たくさんの人たちが興味関心をもってくれることを期待しています、可能な方は、このサイトを大切な人に「ここ毎日アップされていて、おすすめですよ」と伝えてくださいね。
 そしてもっと興味を持ってくださった方は講座 ※12月はカウンセリング系〈心を澄ます技法〉、1月はたのしい教育cafe、2月は〈別れも出会いもたのしい教育〉 を受講してみてください。
 たのしい教育の通信指導「たのしい教育メールマガジン(月千円/年まとめで購読)」もとてもおすすめです。

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PEALカウンセリング「選択に迷ったとき」

やるかやらないか迷ったら「やる」を選ぶという人がいます。

やらないで後悔するより、やって後悔した方がよいのだといいます。

かっこいい言葉なので、それがよいと考える人も多いかもしれません。

けれど落ち着いて考えると、そう簡単にはいかないこともわかると思います。

食べるか食べないか迷ったら「食べる」を選ぶとしたら、どれだけ体重が増えることでしょう。

買うか買わないか迷ったら「買う」を選ぶことにするとしたら、どれだけお金が必要でしょう。

伝えるか伝えないか迷ったら「伝える」というなら、どれだけ自分の心の奥をさらし続けることになるでしょう。

朝、このまま眠るか、そうしないか迷ったら、このまま眠り続けることを選んだら、その仕事はすぐに解雇されてしまうことになるでしょう。

そうです、選択に迷ったら「そうする」を選ぶというのは暴論です。

ではどうするか?

そういう時にはPEALカウンセリングが有効です。

自分の〈本当の目標〉を明らかにして、その目標を達成するにあたっての困難は何か整理する。その上で選択肢を出して実行する(実験する)、そうやっていろいろなことが見えてくるようになります。

 必要を感じている方は気軽にお声がけください、たの研にはPEALカウンセリングの実践家が複数いて連携していろいろな方達の相談に当たっています。

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将来〈不登校〉〈ひきこもり〉〈暴力的な子〉にしないために大人ができること

 最近のSV(スーパーヴィジョン)の中から少し紹介します、詳しくは有料メルマガに綴りたいと思います。いつもの様に個人が特定できない様に脚色しています。

 あるお母さんから

 中学一年の息子が担任の先生とぶつかって不登校となり、学年のほとんど休んでしまっている。

 それを見ている小学校中学年の下の子が「お兄ちゃんはいいなぁ、自分も休みたいのに」と声にすることがある。将来的に下の子も不登校にならないか心配です。

という相談がありました。

 そういう時にスーパーバイズすることについて軽く書かせていただきます。

 私が教師をしていた頃から立てていた仮説があります。

 それは経験を追うごとに確かに思えてきました。

 そしてカウンセリング・SVの数が増えていく中、臨床的にも確かだとかんがえる様になりました。

 私が大学などの研究者なら、それをまとめて本にしたいところです。

 シンプルな仮説です。

きゆなの〈不登校仮説〉

 自分の不満や不快なこと、自分で解決できそうにないことを〈言葉で伝える〉ことができる子は、不登校や暴力行為、ひきこもりなどに陥る可能性がとても少なくなる

 もちろん〈不登校〉や〈ひきこもり〉をする子がいけないということでは全くありませんし、この不登校仮説にある様に〈とても少なくなる〉という「相対的」な仮説です。

 ほとんどの子ども達が、なんとなく不登校になるわけではなく、突然不登校になるわけでもありません、もちろん脈絡なく人をなぐることもありません。
 その子なりの限界を超えるあたりまで我慢して、そのリミッター(限界範囲)を超えた時にたとえば〈不登校〉という方法をとったり、〈ひきこもり〉を選んだり、ある子は〈暴力〉という方法で訴えたりするわけです。

 どちらに共通するものが「非言語的手段である」ということです。

 がまんできないくらいがまんくするのではなく、「自分では解決できそうにない」という困難や課題を、近くにいる大人に〈ことば〉によって相談できると、不登校やひきこもり、暴力ではない方法をとることができることも多いのです。

 相談というのは大人にとっても難しいことです。子どもが勝手に相談してくるまで待つのではなく、小さな頃から「少しくらいの困難は自分で解決できるといいね。でも、これは難しいなと思ったら遠慮しないで相談してね」という様に、あるいは週一回、二週に一回くらいのファミリーミーティングなどで「何か困って自分では解決が難しいことありませんか」という様に、みんなで出し合っていると、それを見ている子ども達も「あ~なるほど、こういうことは相談していいんだ。こういう感じで気軽に相談していいんだ」と感じてくれるでしょう。

 他にもいろいろな工夫で、行為や表情による訴えではなく言葉による訴えが起こりやすい状況をつくることがとても大切だと思います。

 似た様な事例で不安を抱えている方はSVをご要望ください。

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夢SVについて(その2)

「夢を叶えるスーパーヴィジョン」への問い合わせがさっそく届いています、もう少し詳しく書かせていただきます。

「どういう相談が可能か?」・・・自分の夢を叶える、そしてそれが反社会的、破壊的なものでなければ大抵はスーパーヴィジョンが可能です。

これまでたくさんのSVを実施してきました。

教育関係を除いて相談しにきた方たちがどういう夢を叶えてきたのか、記憶する順に歴してみます。中には有名な賞などを手にした方達もいるので特定できない様にそういう大きなものは省いておきました。

 a.希望の会社に就職したい

 b.試験に合格したい

 c.◯◯(スポーツ)でレギュラーになりたい

 d.試験を受けずに希望の大学に入学したい

 e.子どもとの関係をよくしたい

 f.会社を起こしたい

 g.今の仕事を辞めてもっとのんびりした仕事に就きたい

 h.◯◯賞をとりたい

 i.家族関係をよくしたい

 j.カウンセラーになりたい

 k.売れるものを開発したい

 l.聴衆が集中してくれるプレゼンテーションをしたい

 m.大学で教えたい

 n.◯◯の応募の狭き門を通過したい

 etc.

不思議に思う方がいるかもしれません。

 私いっきゅうは、大学で教えたことがないのに、大学で教えたいという人の夢を叶えることができるのか?

 私はずっと授業をしたかったので管理職試験は一切受けたことがありません、けれど私の管理職SVを受講した方達の合格率は100%です。

 武道の経験はありますが、球技で一流のプレイヤーたちと肩を並べることなどできません、それでも私のSVで球技系の力をめざましく伸ばしていった方達がいます。

 経験したこと以外対象にすることはできないというなら、カウンセラーはウツの経験も自殺したいと思ったことも、結婚や離婚も全て経験していないといけなくなりますね、そういうことはありません。

 人が夢を叶える姿を見ていくことは嬉しいことです。
 笑顔を見ることができるからです。
 その活動は、たのしい教育を広げることと同じです。

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