PEAL敎育カウンセラー養成講座を開催します(資格認定)/たのしいカウンセリング

 やがてくる秋の始まりの10月、PEAL教育カウンセラー養成講座を開催する準備をすすめています。〈理論+実技〉の本格的な資格認定講座で、講座後の試験に合格することで「PEAL教育カウンセラー」を名乗り活動することができます。

 不思議ではありませんか?
 教師は全員が〈カウンセリング講習〉を受けています。
 いろいろな流派のカウンセリングを学んでいる人たちもいます。
 それなのに学校現場で「カウンセリングできます」と言える教師はほとんどいないのはなぜでしょう。

 教師のせいでしょうか?

 いいえそんなことはありません。

 実際私は学生時代、そして教師時代にもたくさんのカウンセリング研修を受けてきました。

 そこでは、カウンセリングマインドが重要だ、共感が大切だ、傾聴が大切だ、閉じた質問より開いた質問を使わなくてはいけない、自己開示が重要だ、非指示的なカウンセリングが重要だ etc.  たくさんのことを学びました。

 そういうことを学んでも、学校現場で、いじめられている子どものカウンセリングや、いじめている側のカウンセリングをどの様にすすめてよいかわからない自分に驚きました。

 私は中学の頃から武道を学んできたので〈力がついているのか、それは形だけか〉を見極めるスタイルははっきりしています。
 いくら時間を重ねても、弱かったら、つまりカウンセリングの力がついていないなら、別な修行を積まなくては強くならない。

 その後、大阪にいるアドラー心理学の泰斗〈野田俊作先生〉の元に行き、実践的なカウンセリングを一から学びはじめました。野田先生も可愛がってくださり、学び、自分でカウンセリングできる様になりました。

 自分でカウンセリングできる様になって発見しました。

 アドラー心理学を含めて、私の知る数々のカウンセリング流派のその技は「それが重要だ」ということは伝えても〈実際のカウンセリングの流れの中で体系化されていない〉のです。カウンセリグを学び始めた人は、深い森の中でクライエントと一緒に迷ってしまうことにもなってしまいます。

 どうしてか?

 クライエントが解決したい問題・課題がそれこそ多様だからです。
 それを束ねて流れをシステム化することは、並大抵の努力では不可能です。
 だから空手の数々の〈型〉の様に、それらの技を固有の闘いの中でこうきたらこうさばく、という技法を伝える。
 試合で勝っていくのは、その技を高め、独自の〈試合感覚〉を発達させた人たちです。

 カウンセリングがうまくなっていく人たちは、いろいろな実践場面で、カウンセリングの技法を独自の感覚を元にして組合わせていった人たちです。私はおそらく武道的な感覚を元にしていたので、アドラーカウンセリングもうまくなっていったのだと思います。

 けれどまた、そういうことを続けていては、はじめに書いた様に「わたしはカウンセリングできます」という先生たちが増えていくことはないでしょう。

 PEALカウンセリングは私の知る限り初めて〈カウンセリングの流れを体系化・システム化〉したカウンセリングです。※他にあるという方は教えてください、ぜひ学び直したいと思います

 どうしてその多様な問題のカウンセリングの流れをシステム化できたか?

 それは野田先生が私に授けてくれたアドラー心理学カウンセリングがとても実践的なカウンセリングであったということに加えて、板倉聖宣先生から〈科学の問題解決の構造〉を学んできたからです。
 他の人がやっても再現可能なものが科学です、ふりこの長さが同じであれば、行って戻るまでの時間つまり〈周期〉はガリレオがやっても小学生がやっても同じです。
 そういう再現可能なものをカウンセリングで構造化したものがPEALカウンセリングです、そしてPEALカウンセリングを〈教育場面〉に特化してプログラムしたのが〈PEAL教育カウンセリング〉です。

 それを学べば、どうして技法を学んできてもなかなかカウンセリングが成功しなかったのかがわかるでしょう。

 これまではごく身近の限られた人たち向けに実技特訓をしてきましたが、機が熟し、また野田俊作先生・板倉聖宣先生の恩に報いるためにも広く募集することにしました。

 「これなら自分もカウンセリングすることができる」そう感じ、たのしくカウンセリングをすすめられるPEAL教育カウンセリングを学んでみませんか。
 実技にウェイトをおいたコースで、講座後の試験に合格すると〈PEAL教育カウンセラー〉を名乗り活動することができます。

 PEALカウンセリング指導者の私いっきゅうが責任をもって指導する贅沢なコースです。
 クライエントが「またこの人のカウンセリングを受けたい」と思える様なカウンセラーを育てていきたいと思います。資格認定のとても濃い内容であるために受講費用もそれなりにかかりますが、興味のある方は早めにお問合せください。

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教師にとって予想変更はとても大切/板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)「あきらめる」そして〈新しい方法〉へ/たのしい教育メールマガジン購読のすすめ

 仮説実験授業研究会初代代表〈板倉聖宣〉先生は、たのしい教育研究所を強く応援してくださった一人でした。その発想に、私は教師になったはじめの頃から強く影響を受けました、「これこそ未来の教育だ」と。

wikipediaより82歳の頃の板倉聖宣

 板倉先生の発想の方法を、メルマガの重要な章の一つとして毎回紹介しています。そのメルマガもすでに500号を超えました。


 今回は6年前にとりあげた内容を少し取り出して紹介しましょう。
 メルマガの発想法の章では、その頃に大きなテーマとなっている事象、たとえば頃な感染症や統一教会などの霊感商法についての見方考え方をとりあげたり、質問が多かったものについてとりあげたり、カウンセリングやスーパーバイズなどで紹介した内容などを取り上げています。

 今回の内容はカウンセリングに来て「自分の教育方法を見直す」つまり〈予想変更〉することができた先生に語った内容のエッセンスです。

 この発想でこども達と折り合いをつけ、柔らかく優しく対応できる様になったその先生は、今も元気に学校で活躍しています。

 とりあげた内容は1986年5月28日東大阪の先生方の集まりで語った内容で、仮説実験授業研究会の大会で入手した資料を私が大切にコピーして残していたものです。文意を伝わりやすくするために、私いっきゅうが校正しています。

板倉聖宣

 たのしい授業というものは「やろう!」と思ってできるものではありませんし、「やれ!」と脅したりおだてたりしても、できるものではありません。
 たのしい授業をするためには、それを実現する処方箋、具体的な手立てが必要です。

 こちらに来る前に、ある先生の記録を読ませてもらいました。
 その先生のクラスの一人の子が〈笛が吹けない〉というのです。
 「あの子が笛を吹けるようになったらうれしいだろう」と思って、なんとか笛が吹けるようにしてやろうと一生懸命それこそ〈毎日教えた〉というのです。

 ところが1ヶ月がんばってもついにその子に増えを吹かせることができなかった。

「笛が吹けない子どもを吹けるようにさせよう」というのは〈美しい志〉です。

 でも「今日も吹けない」「今日も吹けない」となったとき〈あきらめるほうが美しいのか、あきらめないほうが美しいのか〉これはなかなか難しいのです。

「理想をもってまっしぐら」というのは、外から見ると美しいことです。
 教えている人は、自分が理想だと思っています。

 でも、教わるほうは悲惨です。
「吹けないに決まっているじゃないか」と思っているのに、毎日毎日ありがた迷惑なことに熱く教えてくれる人がいる。
「あの先生から早く離れたい」と思っているのに、先生は情熱をもっているから始末におえないのです。

 

 板倉聖宣は徹底的に子ども中心主義で考え語る人でした。

 これだけ読むともしかすると「できない子には無理しない」というようにも伝わるかもしれません。

 しかし私はこういう話をベースに「予想変更」して新しい方法、新しい目標に向かうのが重要だとだと伝えるようにしています。

 私いっきゅうの教師のはじめは〈体育〉で、その研究授業をたくさん見せてもらいました。

 私の敬愛するT先生が、鉄棒運動の研究授業の後、授業者の先生に「大柄な男の子が、ずっと逆上がりの練習を一人でしていた子がいました。いつからああいう感じでやっているのですか?」と質問し
「今回が◯回目です」と答えていました、はっきりとした数の記憶はないのですけど、2回目とか3回目だと答えたのは間違いありません。

 それを聞いたA先生は
「我々がこういう授業をしていていいのでしょうか。私はとても疑問です」
というはっきり語っていました。

 終わってから「きゆなくん、あの授業は一体なんなんだ。逆上がりのできない人間はずっと逆上がりばかりやらされなくてはならないのか」と、怒りが収まらないまま話していました。

 板倉先生と同じことをA先生も語っていたのです。

 私たちは教育のプロです。

 こどもたちの自尊心を育てるのであって、傷つけていく仕事をしているのではありません。

 自分の授業のやり方が正しいと思うのも一つの予想です。

 その中でこども達が傷ついているとしたら〈予想変更〉して新しい方法、あたらしい目標に向かって行くのが教師の仕事だと思います。

 保護者の皆さんも、今回の記事が、我が子にどういう教育をしているのか、見直すチャンスになれば幸いです。

 こういう発想法に救われたという人たちがたくさんいます。
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コロナとカウンセリング/たのしいカウンセリング入門

 ひさしぶにカウンセリングのことを書きましょう。

 直接対面式のカウンセリングしかやらないカウンセラーは、その違いの大きさをあまり知らないと思うのだけど、私は対面式もオンラインも両方引き受けるので、その差が大きいことを何度も体感しています。

 皆さんは直接対面式のカウンセリングとオンラインでの、つまりお互いがパソコンやタブレットなどの画面を通して対面しているカウンセリングのどちらが、よりうまくすすむと思いますか?

予想
ア.直接対面式がうまくすすむ
イ.オンラインカウンセリングがうまくすすむ
ウ.どちらも大差ない
エ.時と場合による

どうしてそう思いましたか?

 

 お話「カウンセリングは言葉を媒介にしているだけではない」

 私が師の野田俊作(日本に実践的アドラー心理学を普及させた医者でありカウンセリングの名人)から強く教えられた一つが「相手の表情、身体の動きに合わせてカウンセリングを組み立てていくこと」でした。
「きゆなさんは長年空手をやっているから、そこがうまい」と何度かほめられたことがあって、確かに、同じ様に学びにきている人たちは、相手の発する言葉一つ一つに反応するあまり、その人全体から出てくる感覚をつかみかねていたのを覚えています。

 時どきカウンセリングの説明に

カウンセリングとは、専門知識やスキルを持ったカウンセラーとの対話によって、クライエント(相談者)が抱える悩みや困りごとを解決できるよう導くプロセスです。

という様な説明があるのだけど、言葉を超えたもっと大きな情報、かくされた意図、本人が気づかない目標といったものがあることを、この人たちは学んでいない、知らないのでしょう。実際「◯◯カウンセラー」というのはかなり多くて、〈◯◯カウンセラー資格3ヶ月〉とかいう広告も目にするので、本当に〈言葉のやり取り〉しか学んでこなかった人たちなのかもしれないなぁ。

 では実際のお医者さんのカウンセリングがよいのかというと、そうでもないらしく、「お医者さんはすぐに薬を使う」ところがあって、私のところには「薬の処方を減らしたい」ということで相談にくる人たちもいます。

 やはり口コミで「このカウンセラーはいい」というのを体験者たちが語っていくのが一番なんだろうと思います。とはいえ、自分が困っていた話をどんどん周りの人たちにする人は少ないので、そういう少ない情報をたどっていくということになるのでしょう。

 さて本題、実はここ二、三年は直接対面式より〈オンライン〉が効果的にカウンセリングがすすむことの方が多くなってきました。

 なぜだと思いますか?

 マスクです。

 もちろんマスクを通しても相手の表情は読み取れますし、身体の動きもあるので、私のカウンセリングで路頭に迷うことはないのですけど、それでも顔全体が見えた方がよいのです。

 PEALカウンセリングは、一緒にいろいろな可能性・選択肢をさがしながら、たのしくすすんでいきます。希望する方はお問い合わせください。三回くらいセットで受けることをおすすめしているのですけど、単発でも可能です。
 別流派の方でPEALカウンセリングを学びたいという方は「自分のカウンセリングをスーパーバイズしてほしい」とご要望ください。

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たのしいPEALカウンセリングー「困難は分割せよ」デカルトの言葉から-哲学もたのしむ

 デカルトの哲学については学生時代に学んだ知識くらいなので心もとないところがあるけれど、デカルトが「あらゆる存在を疑い、幻想ではないかと否定することはできるけれど、それを考えている自分自身が今ここにあることはどうあがいても否定できない、だから自分がここに存在していることだけは確かである」という存在論を確立したのは、今でもいいセンスだと思っている。

 けれど彼の〈神の存在証明〉については今も自己矛盾だと思っている、こんな証明。

デカルト

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに、『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『神』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である神を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は神から『神の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、神は存在する

      以上、神の存在証明終わり

 自分の考えの中で組み立てた〈完全なる神〉は存在することになるというのなら〈完全なる悪・悪魔〉を想像したら、それも存在することになるし〈完全なる宇宙〉を想像したら、それも存在することになる。

デカルトB

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『完璧なる悪魔』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である悪魔を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は悪魔から『悪魔の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、悪魔は存在する     

 以上、悪魔の存在証明終わり

 これは「あらゆるものを疑って疑い尽くしていったけれど、この疑っているという変なことをしている私という存在がここにあるというのは疑いようがないな」という帰納的な帰結とは向きが違って、どんどん〈完全なる○○〉が増えていくではないか、センスがないな。

 その後、師の板倉聖宣に出会って「哲学や論理ではなく〈予想・実験〉によってのみ真理に至る」ということを感動的に学んで以来、論理だけで結論に至った様に主張する人たちには「それは一つの予想ですね」という見方をする様になったのだけど、その予想、考え方には〈おもしろい〉というものがいくつもあります。

 PEALカウンセリングを提唱するあたりに〈これはいいセンスだ〉と感じたデカルトの言葉があって、それがタイトルの

困難は分割せよ!

です。

〈なんでこんなに不幸な人生なんだ〉とか〈私は勉強が苦手だ〉とか〈何をやってもうまくいかな〉という様な時に、まずその困難を分割して小さな部分にして考えていこうというのはPEALカウンセリングの基本前提です。

 私たちの脳が漠然と結論付ける〈全体〉を細かく分割して考える、それは解決方法を探す時のルーティーンです、おすすめします。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!