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自由研究のその前にー何が正しいかを追求するのは人間の本性(ほんせい)/真理を追求するたのしさ/板倉聖宣(日本科学史学会前会長)に聞けなかったこと

 夏休みになり自由研究がテーマになることも増えてきました。このサイトにも自由研究のヒントがいっぱいつまっています。「いっきゅう先生の書いていることをテーマにしました」というお礼が届くこともあります。この夏も自由研究の具体例を紹介していきたいのですけど、その前に〈なぜ自由研究するのか〉という話をしておきたくなりました。

 自由研究というとたいていは〈科学〉がテーマです。
 では科学とは何か?

 師の板倉聖宣は「仮説を立てて実験し真理を追求するのが科学である」と何度も語ってくれました、それほどに人々の「科学とは何か」という認識が不確かなものだったからです。

 板倉先生は仮説実験授業研究会の代表をつとめただけでなく、日本科学史学会の会長もするほど科学史の分野では名の通った人でしたから、科学とは何かということとあわせて、〈人間が科学を手にする前〉にどういう認識の流れがあったのかについては、けないままでした。板倉先生がもういないことが、とても残念です。
 これまで教えてもらったことを元に〈なぜ自由研究する〉のかについて考えてみたいと思います。

 原始時代と呼ばれた頃、わたしたち人間は知能の高まりにともなって、自分たちの理解を超えたことが起こると、〈神〉の物語りを作り出して、全てをそのせいにしてきました。

〈雷は天の神が怒っている〉〈竜巻は神が地上のものを欲しがって吸い取ろうとしている〉というように・・・
 死んだら天使や悪魔が連れていくというのもそのたぐいです。

 人間たちにとって不思議なこと、理解を超えたことはとてもたくさんあったらので、それらを説明するためには、怒りの神や優しい神、男の神だけでなく女の神、戦いの神や癒しの神など、たくさんの神を作り出していきました。ギリシャ神話ではじめ、いろいろな国にたくさんの神々の話が残っているのは、そのせいです。日本でも〈八百万/やおよろず〉の神という様に、ものすごい数になります。

 それが一つの地域の中で語られている時には〈納得いく説明〉として信じる人たちもいたのですけど、交通の発達に伴って離れたところに住む人たちとも交流していくことになりました、船で遥か遠いところに住む人たちと触れ合うこともありました。

 違うところに住んでいる人たちは、自分たちが信じていた神たちと違う神の話をしていることに驚くことになります。「おや、嵐は〈陸の神◯◯〉が起こしているはずなのに、ここに住む人たちは〈森の神◯◯〉が起こしていると信じている・・・いったいどっちが正しいんだ?」
 もっと離れたところに住む人たちは〈海の神◯◯〉が起こしているという・・・


「この世界はこれこれだ」と信じていたことが、いろいろなところで考えが違う・・・いったい何が正しいのだ?

 自然にそういう疑問は大きくなっていき、どっちの神が正しいのかハッキリさせようと考える人たちも出てきました。
 そして〈神〉という説明にはどれも証拠などなく、誰かの作り出した物語りであることもわかってきました。現在では、科学の研究がすすむにしたがって、もう〈神〉という想像物を持ち出さなくても、嵐もカミナリも自然の現象として説明できる様になりました。私たち人間は神が作り出したのではなく単細胞生物から進化していく過程でできてきたこともハッキリしています。

 自然の中の食べ物を探す時にも同じ様なことが起こります。

 同じ様なキノコに見えていても、こっちは食べることができて、こっちは食べることができないどころか死んでしまう。
 安全な食べ物と危険な食べ物について、正しく見分ける力が必要になってきます。

 山に分け入る時にも、右のけもの道を行くとキケンで左の険しい道は安全であるという違いもわかってきました。

 実はそういう過程が〈自由研究〉なのです。

「私たち人間は〈何が正しいのか〉を追求していく動物だ」ということもできるでしょう。

 板倉聖宣は「仮説を立てて実験し真理を追求するのが科学である」と語りました。

 どうして仮説を立てて真理を追求しなくてはならないのか?

 追求しなくてはならないのではなく、何が正しいのかという真理を追求することが私たちの本性(ほんせい)だからです、本能だといってもよいでしょう。
 知的好奇心と名付けられたその本能は、実にたのしくてやめられないものです。

 今後も科学を追求していくこと、つまり自由研究することを私たちはやめないでしょう。

 ただしその科学の追求は一部の人たちのためではなく、広い地域のすべての人たちの幸せ・笑顔と結びつくことが大切です。この話はまた項をあらためて書くことにしましょう。

 自由研究の話もこれからいろいろ書いていこうと思います。その前に、こういう話も大切なことだと考えています。

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