たのしい授業「沖縄のさくら編」

教師をしていた頃、子ども達と、よく散歩をしていました。
季節の変わり目は、特にその頻度が多くなりました。

わたしの授業では「予想をもって問いかける・確かめる」が基本中の基本でしたから、散歩の前にはいろいろなことを子どもたちに予想してもらいました。

理科を担当していた頃のことです。
一月の寒い日。

「校庭に咲いている花はあるのかな?」

と予想して散歩に出ることにしました。

そのついでの気持ちで

「桜はいつごろ咲き始めるのかな?」

と問いかけると、5〜6人の子が

「四月!」

と答えたのです。

少し驚きましたが、「シメタ」です。

続けて

「じゃあ、学校の桜の花が何月何日に花開くか、予想を立てよう!」

と提案して「一番桜大会」を開催することにしました。

大きな紙に一月から四月まで日付を入れて、その日に咲くと思ったところに「○年○組 ○○○○」と名前を入れてもらうのです。ドンピシャ当たった人には、わたしの手作り教材をプレゼントすることにしました。
校庭の桜といってもいろいろあるので、体育館の前にあって、たくさんの子ども達が登校時や体育の時に目にする桜を基準木にしました。

さっそくみんなで散歩にいって桜を観察しましたが、桜はまだ「芽」ばかりで、花開いている姿は見えません。

桜の芽

3年生から6年生の理科の時間に書いてもらった予測リストは、一月から四月まで分布するドットマップのような感じになりました。廊下にはってあったので、先生達も参加して、大賑わいです。

それから、子ども達の桜観察が本格的になりました。

「先生〜、予想した日に咲いてない」という数々の子ども達がくる日々が続いたあと、確か一月二七日の朝。

「せんせーい、桜が開いたぁ〜」

と、職員室にいた私のところに連絡に来た子がいました。

さっそく休み時間に校内放送。

みなさん、○○小学校の桜が花開きました。
体育館の前の桜の木をよーく見てくださいね!

桜の木の前でたくさんの子ども達や先生達が観察していたシーンを今でも覚えています。

その後、何年も「一番桜大会」を続けました。もちろん、「校庭の桜が咲き始めるのは四月だ」と予想する子ども達はいなくなりました。

うれしいことに、ある先生が、今も続けてくれているようです。

「予想を立てて確かめる」それは「たのしい教育・楽しい授業」に欠かせません!

 

たのしい授業・たのしい教育に全力投球
「たのしい教育研究所」です

LEAPカウンセリング入門(後段)「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

LEAPカウンセリング入門「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

前段の「科学的とはどういうことか」の続きです。

まず、カウンセリングに科学的な手法が必要なのか?

ということをお話ししたかったので、長々と書かせていただきました。

わたしがLEAPカウンセリングを開発する際に重視したのが「科学的でありうるか」ということでした。

科学的だということは、「予想・仮説⇨実験・確かめ」を経てすすむので、それが一回だけの現象に終わらず、周りの人たちも再現できるのです。

もちろん悩みや課題は人それぞれ違っていますから、同じようにすすむカウンセリングというものは考えられません。それは、海の波がまったく同じ動きで、同じ形で押し寄せることはないに等しい、ということと似ています。
しかし、大きく眺めれば、その波の形は似ています。

しかもそのカウンセリング手法がうまくすすむのか、どこかで混乱してストップしてしまうのか、についての実験結果はしっかり出せるのです。

LEAPカウンセリングの流れそのものが、実は「予想・仮説⇨実験・確かめ」そのものとなっているのですが、それはいずれ「入門講座」などで実技研修を受けていただけたらと思っています。

さて、タイトルの

「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

という話に進みたいと思います。

長い教師生活と、その半分ほどはカウンセラーとして、いろいろな問題や課題と向き合ってきましたが、「自分に起こった問題を、周りの誰かのせいにしてしまう」ことでこじれてしまう状況に数え切れないほど関わってきました。

も のごとにはたくさんの要素が絡みますから、その一部をとって、周りのどれそれのせいにする、ということは可能です。しかしそういう思考パターンを続けてい ると、「私は被害者で悪いのは全部周りの人・状況」という大きな迷路に入ってしまいます。そういう中で「自分はまったく悪くない」と主張してしまうことに もなるのです。

逆に「どういう状況があったにせよ、その行動を選択したのは自分自身だ」ということを基本にしておくと、解決のいろいろな手立てが見つかってきます。自分の行動を変えるのは、周りの状況や周りの人を変えるより何百万倍も簡単なのです。

私は時々、たのしい教育研究所に学びにくる先生たちに「天気まで自分のせいにする必要はないけれど、沖縄の子ども達の学力が低いのは自分のせいかもしれない、と考えてみることも大切だと思う」と話すことがあります。

目の前の自分のクラスの子ども達でなく、沖縄全体のことまで自分のせいなのか?
そう不思議に思う人たちも多いのでしょうけど、思考実験としては十分考えるに足るテーマだと思います。

自分の育てる子どもがたのしく賢くなる。そして、目の前の子ども達だけでなく、ひろくいろいろな子ども達をたのしく賢くできる。それはとてもたのしい活動となります。

沖縄県全体のことまで考えることはないにしても、せめて自分が選択した行動は全て自分の責任で選んだものだ、と考える。

そして「その選択した行動の結果おこったことは、全て自分で責任をとる」という形で暮らしていけたら、その人はきっと、どんどんたくましく成長していくことでしょう。

「だれだれが、そう言ったから自分はそれを選んだのだ」とか「こういう状態だから、しかたなかったのだ」とは言わず、そういう中で、その行動を選び取ったのは自分だ、ということです。

LEAPカウンセリングのはじめの段階では、そのところをとても丁寧に扱います。

自分の責任として受け入れる人は、いろいろなアイディアを出して、解決のための行動に進む事ができます。そうやって、人間としてたくましく賢く成長していくのです。そうすれば、次に起こる問題に対しても、冷静に行動ができる様になると思います。

少し長くなりました。

 

たのしい研究所は、いろいろな方達の悩みとも
真剣につきあっていきます。

LEAPカウンセリング入門 前段「科学的とはどういうことか」

LEAPカウンセリングについての質問がいくつか届いています。ちょうどカウンセリング系について書きたいと思っていたので、その質問に答える形で書き進めてみたいと思います。

テーマは

「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」

その前編として「科学的とは」ということにして書かせてください。

LEAP(リープ)カウンセリングは私が開発したカウンセリング体系です。

その源になった体系が二つあります。アルフレッド・アドラーが開発したカウンセリングの体系「インディビジュア

ル・サイコロジー(日本ではアドラー心理学と呼ぶ人も多い)」と、科学教育の体系である「仮説実験授業」です。

アルフレッド・アドラーのカウンセリングと仮説実験授業とを猪突的に学んでいた頃は、わたしの中で別々の体系だったのですが、教師を辞めてフリーとなり「NPO法人 たのしい教育研究所」を立ち上げて後、二つが融合して整理できるようになりました。
そうやって生まれたのがLEAPカウンセリングです。

アドラー心理学と呼ばれているものには、本当にたくさんの流派が存在します。その中には〈スピリチャル(霊)的〉なことを重視したり、科学的にはかなり怪しいと思える様なことを主張している書籍や資料もいろいろあります。

仮説実験授業は純然たる科学の授業体系ですから、作り出した授業が科学の内容だというだけでなく、「仮説実験授業」の組み立て方や発展そのものも、みごとに科学的です。

では科学的とは何か?

「予想・仮説」を立てて「実験する・確かめる」という方法で確立されてきたものが「科学」です。ですから「予想・仮説⇨実験・確かめ」という方法によらないものは全て、科学ではありません。

「偉い人がこう言っているから正しい」「周りのみんながそう言っているから正しい」という様なものは科学ではないのです。

「確かに私の目にはそう見えた」という様な「現象」を主張しているものも科学とは言えません。たとえば「私には確かに宇宙船が見えた」といっても、「たくさんの住民が怪しい飛行物体を見た。動きも形も今まで見たものとは明らかに異なっている。あれは宇宙人の乗り物だ」と主張しても科学的だとは言えないのです。

「だって見えたんだから本当でしょう」と言っても、その主張をもって、それが真実だとは考えないのです。

おかしなことを言っているから科学的ではない、というわけではありません。手法が科学として成り立たせていない、ということです。

たとえば「宇宙人がUFOで地上に降りたところを見た」と言っているのが突拍子もないことだから科学的ではない、ということではありません。

突拍子もない話というのなら、かつて、コペルニクスやガリレオが主張した

「あの動いている様に見える太陽は実は止まっていて、この地球があの太陽の周りをまわっているのだ」

という言葉の方が、よほど突拍子もないことです。

ガリレオたちの言葉を聞いたほぼ全員が

「どうして私が立っているこの地球が、あの太陽の周りをぐるぐる回っているというのか。大地はまったく動いていないではないか」

と思ったことでしょう。

ですから、「そんなのはありえない」ということが、科学的かそうでないかを決める要素ではないのです。

「予想・仮説⇨実験・確かめ」という方法で確立されていくのが科学です。

ガリレオは金星が満ち欠けをしていることを発見して、自分の予想が決定的に正しいということを発見しました。

不幸にもローマ教皇の法廷で裁判にかけられて、その研究を続けるなら死刑だと宣告されるのですが、ガリレオは、表面上それに従い、幽閉された家の中で研究を続けました。「天は自由だ」というガリレオのセリフが本当かどうかはわかりませんが、家から外に出ることができなかったガリレオにとって、空は自由に科学的思考を広げ得る世界だったことでしょう。

カウンセリングも同じです。

こういう理論で成り立っているから正しい、ということは科学的ではないのです。もしも科学的にカウンセリングをすすめるなら「予想・仮説⇨実験・確かめ」の過程をたどるしかありません。

フロイトがエディプス・コンプレックスを主張し、アルフレッド・アドラーは、それに異議を唱えました。
⇨ エディプス・コンプレックス
しかし彼らは二人とも、自分の思考を拠り所にして「それが正しい・正しくない」と主張しているのです。

ですから科学的な主張とは言えません。

エディプス・コンプレックスが人間のたどる一般的な思考過程だとすれば、どういうことが予想されるのか、それをどの様に確かめていけばよいのか、それに知恵を絞って確かめることがなくてはいけないのです。

その結果、エディプス・コンプレックスは誰にでもあるものだ、と主張されるかもしれないし、そんなことはない、という結論になるかもしれない。どちらにしても、カウンセリングがより一歩、真理に近づいたことになります。

巷にあふれたカウンセリングの流派は100ではききません。来世カウンセリングという、私にとってはどこをどう切っても同意することができないカウンセリングから、論理療法という、かなり信頼度の高いものまでたくさんあります。

それらのカウンセリングで「科学」を標榜するものがあるのか?

きっとあるでしょう。

しかし、それが本当に「予想・仮説⇨実験・確かめ」の方法を経ているのかは、はなはだ怪しい。

LEAPカウンセリンクは、カウンセリング手法そのものが、予想・選択肢を準備して、自分でそのことを確かめることによって、一歩ずつ進んでいくという過程です。

ですから、科学的であろうとしていることは間違いありません。

いろいろな臨床例から、もっとシンプルな体系として提示できる様になると思っています。

今回は、その中から「自分の行動は自分の選択。その行動の責任を受け入れることで成長する」ということを書きましょう。

後半をおたのしみに。

カウンセリングも仮説・実験
たのしい教育研究所です

 

 

 

 

チャレンジャー事故調査に協力したファインマンの言葉|覚悟と勇気

大きな仕事を一つ終わって、明日のプレゼンテーションの準備の前に、大好きなファインマンの本を手にとっています。

「困ります、ファインマンさん」岩波書店。

ファインマン

リチャード・ファインマンは科学の教師としても、研究者としても世界をリードしてきた人物です。

教師としては「ファインマン物理」という世界的名著を世に出し。
研究者としてはノーベル物理学を得ています。そしてその受賞を知らせる夜中の電話に、「眠い!」と言って切ったエピソード。しかも、授賞式に出るより研究をしていたいからと、受賞を断ろうとしたというのも有名な話です。

加えてわたしは彼の文章センスが大好きです。

→リチャード・ファインマン

 この本から、ちょうど彼がチャレンジャー事故の調査委員を引き受けるあたりの文章を書き抜いてみましょう。
私がこれまで何度も読んできた部分です。

 その事故の二、三日あと、N A S A の親玉ウィリアム・グラハムから電話がかかってきた。こともあろうにこの僕に、シャトルのどこが悪かったのかを調査する委員会のメンバーになってくれと言うのだ! 
彼は学生時代キャルテク(カリフォルニア工科大学)で僕の講座を取ったことがあるうえ、卒業後は、僕が毎水曜日の午後講義をやりに行っていた、ヒューズ航空機会社で働いていたのだそうだ。
そう言われでも、例によってこっちは彼が何者だったかさっぱり思い出せなかった。第一その調査がワシントンであるのだと聞いたとたん、僕はまずまっぴらごめんだと思った。

そもそも僕はワシントン近辺や政府機関のあるあたりには絶対近よらない主義なのだ。だから反射的に、こりやかなわん、何とか逃げを打とう、とまず考えたわけだ。
そこで僕は、友だちのアル・ヒップスやディック・デーピスなどに電話で相談してみることにした。
ところが呆れたことに、彼らはみんなして、チャレンジャー号の事故調査は非常に大事だから、ぜひやるべきだと言い出した。
こうなったらもう逃げを打つ最後のチャンスは、家内にうまく話をもっていって、そんな委員会など止めておけと言わせることだ。
「まあ考えてもみろよ」と僕は言った。
「こんなことなら、どこの誰にだってできることだよ。誰かほかの奴にやらせればいいんだ。」
「だめよ。そうはいかないわ」とグウェネスは答えた。
「あなたが引き受けなかったら、12人の委員がみんなで連れ立って、いろいろなところをぞろぞろ調べてまわることになるわ。だけどあなたが行けば、11人は一緒になってあちこちを調べて歩くでしょうけど、12人目のあなたはひとりで飛びまわって、ひとの考えないようないろんなことを調べることになるんでしょ。

まあ何が見つかるかはわからないけど、もし何かあったとしたら、それを見つけ出すのはきっとあなたよ。あなたみたいなやり方のできる人は、ほかにはいないんだ
から。」
悲しいかな謙譲の美徳に欠ける僕は、ついうっかり彼女の言うことを信じてしまった。
しかし問題は、シャトル事故の原因がどこにあったのかをつきとめるだけですむかどうかということだ。

おそらく次には、いったいN A S A の組織がどうかしているんじゃないかと調べることになってくる。

すると今度は「そもそもシャトル計画を続けるべきか、シャトルより使い捨てのロケットの方がいいんじゃないか?」というような疑問が出てくる。そしてその背後には「では我々はこの先どうすればいいのか? 」「わが国の宇宙科学における将来の方針はいかに? 」というようなもっと重大な疑問が控えているのだ。
しょっぱなはシャトル事故の原因調査に始まったこの調査委員会が、はては国家の政策を決めるところまでふくれあがり、ずるずると果てしなく続いていく、という筋書きが、僕の目にありありと映りはじめた。

 

 彼が生きていてくれたら何としてでも沖縄に招きたかったな。

 会えないにしても、こうやって文章で彼の魅力に触れることができることはとても幸せなこと。
「言葉を残す」ということは、何にもまして重要なことだと思えてなりません。

たのしい教育は感動と切り離すことはできません。
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