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反省や謝罪も〈祈りや願い〉と同じで大切な出発点。つまりゴールではない-たのしい教育の発想法-PEALカウンセリングとたのしい教育

 前々回の〈願いや祈りは大切な出発点〉という話はいろいろな人たちの共感を生んだようです、私は原子論者(仮説実験論者・本質的な科学者)なので宗教などはいっさい持たないのですけど、そういう方たちからも好意的な意見が届いています。

 実はその話は〈たのしい教育メールマガジン〉に書き綴っている内容の走りで、学校の生徒指導の場面や家庭でも普通に行われている〈反省〉や〈謝罪〉、自分の中の深い〈懺悔:ざんげ〉の話につながります。

 PEALカウンセリングでも取り扱うのですけど、親や教師は、子どもが反省したり謝ったりすると、それで安心してしまい、解決したと考えるようです。

 そうでしょうか?

 過ち失敗、たとえば友だちが大切にしているペンを無くしたとき、謝罪は解決になっているのでしょうか。

 学校の生徒指導でも〈反省文を書かかせること、それを被害者側に読ませること〉で指導の終了になることがあります。

 

 そうやって成長していくと、大人になってもそれが解決だ、そうすれば許されると考える様にもなります。
 実際、授業中、子どもがケガをして救急車で運ばれ、その後校長室で状況を聞いている時、担任の先生はただ泣き続けるだけだった、という話を聞いたことがあります。
 泣き続けても子どものケガの治癒にはつながりません。

 子どもでもできることはあります。

 それを一緒に考えてあげる、できることを学んでもらう、それが子どもの成長につながると思います。

 反省や謝罪は、大切な出発点でゴールではありません。
 そこからどうするか、どう動くか、それは人生の大切なテーマでしょう。
 そういう教育もPEALカウンセリングのテーマです。
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