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ここまで。

必要は発明の母ではなく「必要は実験の友!」|アイロン代わりの決定版はこれだ!

 今回は久しぶりに「応援団向けのメールマガジン」に書いた内容からお届けします。
 メールマガジンは「たのしい授業」と「映画」と「発想法・哲学」の三本立てです。
その中の「たのしい授業」の内容を圧縮版にして公開します。

 おたのしみください。

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突然、法事に出かけることとなりワイシャツを探したら、ハンガーから下に落ちてシワシワになっていました。

アイロンを探したのですけどありません。

「しまったな、でも家に戻る時間がつくれないなぁ」
と思いつつ、ある実験がひらめきました。
今回はそのお話を。

予 想 編

アイロンの機能を簡単にいうと「熱くして平たく強く押し付ける」です。
なるほど、研究所でもよく使うアレでいけるのではないかな?

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みなさんは何か思いつきませんか?
みなさんの家にもほぼあるものです。
もちろん、シャツに汚れがついてはいけません。

予想
アイロン代わりに[       ]が利用できるのではないか?

 

 

実 験 編

思いついた人もいると思います。
わたしが今回思いついたものがいくつかあります。
その一つが「フライパン」です。
火で炙ってからシャツに押し付ける。
ただし焦げと熱くなりすぎてシャツがとけちゃう、というのが怖いですね。

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でも大丈夫。
タオルを敷けばいいのです。
なかなかのグッドアイディアです。

ヤカンを沸かして利用すると、中のお湯の重さでいい感じかもしれません。
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わたしの頭には、もっと簡単なものがもう一つ浮かんでいました。
ドライヤーです。

それを含めて三つで実験すれば、どれか一つは アイロン代わりのツールが見つかるはずです。

準備が簡単なものからやってみましょう。

スタッフが、研究所でよく利用するものを実験セットでまとめてくれています。
その中に「ドライヤー」が入っているはず・・・
探すとすぐにみつかりました

わたしの頭にどうしてドライヤーが浮かんだか?

「原子論」です。

鉄板で押し付けるのではなく、空気の原子で布を押し付ける、というイメージです。
しかも、その空気そのものが熱いわけですから、鉄板とあまりかわらないのではないか?

つまりワイシャツにアイロンをあてるのと同じ機能があるのではないか?

みなさんはどう思いますか?

やってみました。

あまりにも簡単にアイロン代わりになったので感動して、写真に撮るのを忘れてしまうほどでした。

時間もあまりなかったので、それを着て研究所をあとにしました。

お話「必要は実験の友!」

「必要は発明の母」という有名なことばがあります。

しかし科学の歴史を見ると、それにはうなづくことはできません。
発明や発見は、周りの人からみると「バカじゃ無いの?」 と思える様な空想から始まって、それを実験し、それが大衆のものとなっていくのです。

ですから、発明というのは必要だからなされた、ということは言えません。

 ただし、今回のわたしの実験の様に
「必要に迫られたら、いつもはやらない挑戦・実験をしてしまう」
ということも事実です。
ですから、
「必要は実験の友」
という方がより正しいのだと思っています。

研究所の格言の一つです。

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立ち止まって眺めるとたのしいことがたくさん

ある高校に用ができ、夕方から出かけていきました。
駐車場に入ると、工事車両がいくつもあります。

ちょうど「クレーン車」で荷を持ち上げるところです。

こういう専門的な仕事を持っている人が好きなのと、メカニック的なものも好きなので、しばらく見とれていました。

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こんなに細いワイヤーと骨格とで、重いものをしっかりと持ち上げてくれています。

大人になった私が見とれるくらいですから、子ども達だけでなく、中学生でも高校生でも見とれると思うのですけど、恥ずかしいからか、なかなか立ち止まって眺めている人はなかなかいませんね。

 

クレーンのフックに車体のボディーを引っ掛けると少しでも持ち上がるのか、という問題があります(^_^)

今度、学び方コースの子ども達に出してみようと思います。

みなさんも子ども達にそういうことを語りながら、一度、足を止めて、車を止めて、働く車達を眺めてみませんか。

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たのしい教育が沖縄をより元気にする
たのしい教育研究所

植物のオスメス|散歩で科学

たのしい教育研究所の周りはわたしの散歩コースです。
少しだけ和らいできた日差しをぬって、散歩をしています。
ブーゲンビレアの彩りは不思議な立体感をみせてくれるので、ついつい立ち止まります。

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ゴーヤーもまだまだ元気に実っています。

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ゴーヤーには雄花と雌花があることを知っている方も多いと思います。

赤ちゃんのゴーヤーも私の被写体です。
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花の黄色に目がいくと気づきませんが、よくみると、とても可愛いゴーヤーが花の後ろにかくれています。
それがメスの花で、もう一つオスの花があります。それには赤ちゃんゴーヤーは見えません。

ところで、人間が「植物にもオスメスがあること」に気づいたのはいつ頃のことでしょうか?
そしてそれはどこの国の人だったでしょう?

予想してみてください。

予想1
人間が植物にもオス・メスがあることに気づいたのは
ア.つい最近のこと(50年くらい前)
イ.150年くらい前
ウ.1000年くらい前
エ.1500年くらい前
オ.もっと前

どうしてそう予想しましたか?

予想2
植物にもオス・メスがあることにはじめに気づいたのは
ア.日本人
イ. 中国人
ウ.その他[          ]

 

おはなし

板倉聖宣の「原子論の歴史 上」の50pにこういう文章があります。

彼(アリストテレス)はまず小アジアの沿岸にあるアソスに行きました(48ページの地図を参照のこと)。その地の独裁者はデラトン先生とも親しく、またアリストテレスも個人的に知っていたので、そのつながりを頼りにしたのです。しかし2年後には、その独裁者の地位が危うくなったので、アソスの目の前に浮かぶレスボス島に移りました。その島で彼は、テオフラストス(前370ころ~前285)という面白い男に出会いました。
 テオフラストスは、これまでの哲学者がほとんど研究していなかった植物に興味をもって研究していました。彼は「植動にもオスの木とメスの木に分かれている木があって、メスの木にしか実がならない」ということを発見して「花と実」の研究に道を聞きました。また〈挿し木〉や〈接ぎ木〉を研究して「植物はどの部分も生きているので、どの部分にも芽を出す働きがある」などということを明らかにしました。

 

おそるべし古代ギリシャです。

人類は2300年くらい前、古代ギリシャテオフラストスという人物が、植物のオスメスのことを発見していたのです。

「いや、それ以前にもきっとだれかが発見していたのではないか」と思う人もいるでしょう。

たしかにその可能性はあります。
しかし科学は社会的なものとなってはじめて科学なのです。

誰かがそれを見つけていたにしても、それを誰にも広めず語らず、自分だけの知識として人生を終えていたら、それは「科学」とはいいません。もちろん、それが正しいことなのかどうかを周りの人が確かめることはありませんから、本当にそれが正しいのかどうかということもはっきりしないままであったということも十分予想されます。

さていよいよ今週の土曜日は、たのしい教育体験講座です。
講師の吉田さんは、古代ギリシャの画期的な研究をすすめています。

たのしいものづくりや、私の授業の他に、古代ギリシャ恐るべし、そういう内容をたのしく学ぶことができると思います

沖縄の教育を盛り上げる活動がたのしくてなりません。

たのしい教育研究所は
真剣一本勝負です

 

 

目の前の人たちに感動を伝える それがたのしい教育研究所の活動

前回のケルティク・ウーマンの反響が早くも届いています。

このサイトは教育関係の方だけでなく、アウト・ドア好きの方、本が好きな方などたくさんの人たちが見てくれています。
音楽について書いたのはたしか初めてではないかと思うのですけど、それにもすぐに反響が届くということ、ほんとうにいろいろな方達に興味関心をもっていただいているのだということを実感しています。

そしてそういういろいろな方達から届くメールを、とても大切に読ませていただいています。

今回届いたメールの中で、ある方が、応援の意味を含めて、「You rase me up」について長い文章を書いてくれました。

その方はYou rase me up.は神様のことを歌った歌であるという前提で書いてくれましたが、わたしは原子論者ですからもちろん無神論者です。

ですからYou rase me up.も宗教的な意味では捉えていません。
それはたとえば、死刑を言い渡されてもなお真理を追究する道を選んだガリレオであったり、原子論を広め伝えたエピクロスであったり‥‥
。彼らが私を支えてくれるし励ましてくれる。
まさに Rase me up/あなたが私を支えてくれる のです。

それはまた、過去の人たちだけではなく、一緒にたのしい教育を支えてくれる仲間達であったり、このサイトを読んでくれている方達であったり、ここに書ききれないたくさんの人たちです。

名前も知らない、その方への返事のつもりで今回の文章を綴らせてください。

You rase me up.
で前回はケルティック・ウーマンのバージョンを紹介しましたが、もう一人大好きな人がいます。

Martin Hurkens.です。
素人のオーディション番組で注目された人物です。

日本ではあまり知られていないのではないかと思います。
が、テレビなどを見ないわたしだからそう思っているだけで、実は皆さんは知っている人なのかもしれません。

わたしは彼のこの動画をみるたびに、恥ずかしい話ですけど目頭が熱くなります。

街中でたたずむ彼をみて、何が始まるのだろう、という顔でたたずむ人。
歌う彼の声に、立ち止まって聴く人たち。
一緒に唄う人。
涙を流す人。
帽子にポケットのコインを入れてくれる人。
物憂い目で見つめる人。
体を揺らしながら聞く人。
突然降り出した雪の中で方を寄せて聞く人
ワンちゃんの耳をなでながら聞く人…

わたしがたのしい教育研究所で目指しているのも、これなのだと思うからこそ、何度見ても感動してしまうのでしょう。

興味のある方は下の動画をクリックしてみてください。

 たのしい教育研究所は、このサイトを熱心に読んでくださる、みなさんをはじめとして、いろいろな方達の支えで、予想以上の活動を展開することができました。
 四年前、教師という安定した職を辞して荒野に飛び出した時には、いつかこういう時が来ることを夢見ていた、その夢の日々が今のこの日々です。

 だからこそいつまでも忘れてはいけないと思うのが、「たとえ2人でも3人でもいいから、目の前にいる、その人達に学ぶ感動を与えたい」ということです。

ご覧ください。
Martin Hurkens の周りに人々がいるとはいえ、たかだか40〜50人くらいの人数です。
その人たちの後ろには、立ち止まらず通り過ぎる人たちが殆どです。

そしてマーチンが手にするのは帽子に入るわずかなコインです。

けれど、これを至福の時と言わずして、何を幸せというのでしょう。

 世界の中では小さな日本です。
 その日本の片隅の島である沖縄に「たのしい教育研究所」が生まれました。
 まだまだ知らない人たちが殆どという組織ですけど、この地にたのしい教育研究所が生まれ、学ぶたのしさをゆっくり着実に広めている、それは、もう揺るがない事実です。

 これを幸せと言わずして何をもって幸せというのでしょう。
 お金のためではなく、自分の事を自慢するためでもなく、ただ、「学ぶことの感動」を伝えたい。
 そういうことに全力を尽くせる日々は宝物です。

 そして、今回わたしに応援の便りをくれた方だけでなく、このページを読んでくれる皆さんが、この研究所の大きな支えです。

 心からの感謝を込めて、これからも綴らせていただきます。

たのしい教育研究所がテーマにしているのは
知識や点数ではなく生き方です