敬愛する カヌーイスト〈野田知佑〉生を閉じる

 私の愛読する雑誌Be−PALでカヌー旅を連載していた頃から大好きだった野田知佑さんが他界した、2022年3月27日に生を閉じ、広く告知されたのは私が年度まとめの〆切に追われて夜中まで数字とにらめっこしていた30日のこと・・・

 これは在りし日の野田知佑とカヌー犬ガクの姿。

 84歳だったんだな。

 野田知佑さんのことはこのサイトにも以前、とりあげたことがあります。
 先月の〈たのしい教育メールマガジン〉の「発送法の章」にはさらに詳しく書きました、書き抜いてみましょう。

  =================
  たのしい教育の発想法
    反論の技法
     いっきゅう2022.02.08
  ================


 

いっきゅう
 公式サイトに野田知佑が語った「力のない奴に限って横文字を使いたがる」という話の評判がよく、いくつか便りをいただきました。その一つから、私の記憶していたその話の出展は「文芸春秋社刊 本日順風(廃刊)」だとわかりました、ありがとうございます。
 読者からの質問に野田知佑が答えるという形式でまとめられた本です。さっそく読み直して、久しぶりに野田節の爽快な感覚を味わっています。
 その中から一つ反論の例として取り上げさせてください。
 野田知佑はカヌーで自然を味わうことを生きがいとしていて、環境保護についてもハッキリ物言いする人物です、ダム建設反対運動には積極的に関わっています。
 それに対してある読者からこういう批判が届きました。

—--—
果たし状
 野田知佑に物申す。
 どうしてなんでもかんでもダムに反対するのだ。
 俺はダム作って飯を食っている、妻子を養っている。
 文句あるなら一対一で勝負するから俺をねじ伏せてみろ。
 宮城県岡本直義28歳建設業
—--—

 

いっきゅう
 さてみなさんならどう答えるでしょう。
 ダム建設に賛成か反対かによって違うとは思うのですけど、建設反対の野田知佑はどう答えたか?
 反論の仕方の流れという視点でごらんいただこうと思います。
 ところで〈たの研〉は「批判ではなく提案をする組織」だからなのか、これまで批判らしい批判を受けたことがありません。
 とはいえいわれのない批判が来た時、ケンカは避けるとしても、しっかり物申さなくてはいけない場合もあるでしょう。そういう時に冷静に整えて相手に伝えていくことになるでしょう。
 対して野田さんは血の気が多く、相手がケンカモードで来ていると察して、後半には荒い言葉づかいになっています。それはまぁ野田さん一流の物書き技法だと思って、真似はしないようにするとよいでしょう。

 

—-

野田知佑
 現在、日本国中で建設中のダム、または建設を計画しているダムは500ある。そのうち本当に必要なダムがいくつあるのか?
 建設庁や県の土木課はいつもの例でもっともらしい理由を挙げるだろう。
曰く
1.洪水防止
2.農地への灌漑用水を得るため
3.発電のため
4.飲料水を得るため
——
 と、まずダム建設としてあげられている理由を列記しています。その後一つ一つについて反論していきます。

—-

 

野田知佑
 まず1について。
 現在、日本の洪水の恐れのある川でダムを持たない川はない。ダムを作るべき川にはすでにみなダムを作ってしまっている。少なくとも現在建設中および将来作られるダムに関して言えば、その建設目的は治水とは別のものだ。例えば建設庁か県庁か市町村役場と土建業界と建設族の政治家との癒着、土建業者のための仕事を作るためのダムだ。治水のためなら50年で埋まってしまうダムより、山に木を植える方がより効果がある。
2の農業用水についていえば、たいていそこの農業は後継者がいない、減反している。つまり農業用水を使う見込みのないところである。
3,4、電力会社のパンフレットにはそう書いていないが、現在わが国では電力は余っているのだ。ごくわずかの地区を除いて水も余っている。
 ちょっと図書館に行って行政側ではなく民間の学識者の書いた本を読んでいただきたい。水不足、電力不足の話は作り物だ、ウソなのである。なぜそうするのかといえば、ダムや原子炉などの巨大なものを作りたいからだ。
 日本には現在、適正数の約三倍の土建業者があるといわれる。普通なら食っていけないはずの土建業者が食っていけるのは、工事をつくることによって利益を得る政治家、官僚が多いからだ。
 そのことは金丸信の事件によって明らかになった。

 

いっきゅう

 ここで終わるわけではありません、さらに伝えたいことに進みます。


野田知佑
 さて投稿の件に移る。
 ボクは全てのダムに反対しているのではない。作られてしかるべきダムもあったのだろう、過去には。
 しかしここ二十年間に作られたダムで本当に必要なものがあるなら、ボクはぜひ知りたい、教えてもらいたいくらいだ。
 住民や市民の声がどれだけダム計画、ダム建設の時に吸い上げられ反映されているか。全てお上の一方的な決定によるものではないか。
 先進国の例をみると住民数百人、数千人の反対でダム計画は潰されている。
 日本のダム建設のゆき先を見て日本は民主国家ではない、ひどい土建屋独裁国家だと思っている人は多い。
 ダム建設で食っているのなら、マンガばかり読んでいないで少しは日本のダム問題について勉強しなさい、それから文句を言え。
——
 

私としてはここからが爽快でした。

 


野田知佑
 もう一つ、この種の問題とキミが妻子を養っている話はぜんぜん関係がない。
 自分の仕事の話に妻子を持ち込むのは卑怯である、公私混同してはいけない。
 山賊が「オレは人を殺してメシを食っている、それで妻子を養っている」言って自分の仕事を正当化しようとしたら、キミなら何というかね。

 

いっきゅう
 批判を正面から受け立つことは疲れるので軽く受け流すことが楽に生きるコツでしょう。私は武道家なので正面から受けて立つことも苦手ではないのですけど、そういうことは避ける様にしています。
 勝敗に関わらず負の荷物が増えていくからです。
 批判に受けて立つ立たないは別にして、受けて立つと〈負けるに決まっている〉というのは残念なことです。特に自分が大切にしているものへの批判を跳ね返す力は持っておく必要があるでしょう。
 その意味でも、批判に対して受けて立つ人の論理組み立てを見ていくことは悪くないと思うのですけど、どうでしょうか。

 

 

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

たのしい読書のすすめ「父さんの小さかったとき(福音館書店)」危険な遊びとたのしい遊び

 仕事と仕事の合間にソファーに横になって絵本を開くことがあります、気に入りの一冊が塩野米松さんの「父さんの小さかったとき」(福音館書店)です。松岡達英さんのイラストが幼いときに見た絵の様にノスタルジック、郷愁を感じさせてのめり込んでしまいます。

 松岡さんが描いた本は同じく福音館書店の「冒険図鑑」があって、それもノスタルジー満載です、それはまた別な話の時に・・・

 これは私の世代のその父親たちのこどもの頃の様子が描かれているのですけど、中には私の世代のときにも続いていたものたちがあります。

 懐かしくみていた、ある遊びは今はまったく見なくなったものでした。
 今のこどもたちがやると先生や親にカンカンに怒られるだろう。

 ひとつは「けり馬」、たのしかったなぁ・・・
 蹴られない様に、その子の背中に飛び乗る遊びです。

 きれいな後ろ蹴りが入ってふっとばされることもあるし、その蹴りの緩急をよんで飛び乗ったり、蹴りの角度を見切ってその上をゆく高さまで飛んで背中に乗ったり・・・

エキサイティング!

 その後、いつの間にか禁止されてなくなっていったのだけど、それで遊んでいたおかげなのか、空手の時などケリが飛んで来ると嬉しくなる、懐に入ってタイミングよくパンチを入れるチャンスが増えるから。

「馬とび」もとてもたのしかった。
 二組に別れて相手の背中に全員が飛び乗ってじゃんけんして勝った組が飛び乗る側。私のときには馬の集団が上下左右に身体を揺らすもOKだったので、全員が飛び乗るまでに先に乗った子がふり落とされることもたびたび。

「こんなたのしい遊びをなくしてどうする」というような話をしたいわけではありません。

 考えたいのは、危険な遊びはダメだと切りはらわないで、こども達にある程度そういう経験もさせてあげたいということです。

 病院に行くことにならないようにセーフティーなものに工夫して、それでもドキドキするような遊びを経験です。
 こども達はその中からとてもたくさんのことをたのしく学んでいくでしょう。

 例えばふかふかマットを準備した安全ボルダリングとか

 

 ふかふかな土や芝生のところでの木登りとか・・・

 ジェットコースターやバンジージャンプにみるように、エキサイティングなものはとてもたのしめるのですから、大人の知恵と工夫で、こども達にいろいろ体験させてあげたいものです。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

沖縄の教育とたのしい教育-全国平均からさらにどう伸ばすか!

沖縄のこども達の学力得点が低いと言われていたのは過去のことでしょうか? 少なくとも文科省が毎年実施する〈全国学力・学習状況調査〉の結果では、そういってよいでしょう。最新(2121)の結果によると小学校は47都道府県の中で21位です。

https://diamond.jp/articles/-/282452?page=2

以前書いた様に、この結果は県教育委員会と校長先生と現場の先生たち、そして何よりこども達の努力の結果といって間違いありません。

 ところで、学力とは何か?

 文科省の定義には「知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの」とあります。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/korekara.htm

 文科省が掲げる「生きる力」との関連、そして新学習指導要領の言葉と関連させていうと「学力とは新しい問題や課題に出会った時にそれを突破していける知恵と元気、そして周りの人たちと協力していける力」でしょう。

 その学力は「こどもの内発的なもの」として高まっていくことが大切です。

 内発的なものであろうとなかろうと、得点が上がったのだからいいではないか、と思う人もいるでしょうか?

 大違いです。

 ほうびや罰などの外発的なものの限界はけっこう早くやってきます。
※たくさんの研究が存在するのですけど、古い書籍とはいえ、中公新書の「 知的好奇心 」波多野 誼余夫 (著), 稲垣 佳世子 (著)は名著です

 歴史上、新しい問題や課題を突破して時代を切り開いてきた人物たちの中には、他から与えられたものでがんばったという人はほとんどいません。自分の中にある興味関心や価値によって、眠る時間も惜しいというほどに研究や学問をすすめていった人たちばかりだといってよいからです。
 そういう人たちは地位やお金、褒美や罰でがんばる人たちが突破できるラインをはるかに超えた結果を出してきたのです。
 これからの時代は、もうどこか進んだ国の真似をすれば突破できるという様な状況ではありません。コロナの流行にしろロシア・ウクライナ戦争にしろ、ネット上のセキュリティー問題にしろ、どこかの国の真似をしたら大丈夫だというものではないのです。
 その意味でも外発的な学びから次の学びへすすんでいく人たちがとんどん増えていくことが大切でしょう。

 もちろん子ども達の中には内発的なものとして得点が高まった子もいるでしょう。しかし外発的なものとしてがんばっている子もいます、外発的にもそれらのテスト得点をあげられるからです。

 いろいろ複雑な問題をかかえる沖縄のこども達の中に、自らの興味関心、好奇心でどんどん学んでいくこどもたちか増えていく、それは沖縄の教育にとってとても大切なことだと思います。

 たとえば算数の見方考え方にすごさに魅了されるこども達を育てることで算数の得点が上がる、そういう教育へのシフトです。

 それは難しいことではありません、具体的な手立てはたのしい教育の中にたくさん蓄えられているからです。このサイトにも具体的なことをたくさん書いてきました、興味ある方はぜひご覧ください。たとえば⇨https://tanokyo.com/archives/7984

 その学びを私たちは〈たのしい教育〉と呼んでいます。これからの教育が〈たのしい教育〉にシフトしていくと、沖縄の学力得点の計算に入っていない「登校を拒否しているたくさんの子ども達」の多くも学校に足を向けてくれる様になるでしょう。

 沖縄県教育委員会、校長先生たち、現場の先生たち、そして何よりこどもたちの努力で平均を突破してきた沖縄の教育が、次の段階にすすんでいくためにも、たのしい教育研究所の活動をすすめていきたいと思う今日この頃です。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

たのしい植物入門 ふきのとうのーふきのとうの花を見ると仲間が分かる-

 メールマガジンの読者の方から「ふきのとうが芽吹きました」という便りが届きました、たの研のある沖縄では見ないのですけど、ふきのとうは雪国では春の訪れを告げる愛しい植物だといいます。今朝の太陽で解かされるまで雪が覆っていたそうです。

 最近作った「菜の花から広がる世界」が好評で、それをまとめたお陰で、いろいろな花が気になっています。

 ふきのとうの花ってどういう花なんでしょう?

 ふきのとう自体を見ることのない沖縄なので、ふきのとうがどんな植物なのかという知識はありません、それでも花を見ると〈何の仲間〉で〈どういう特徴があるのか〉が分かりますよ。

 これがふきのとうの花です。小さくて分かりにくいかもしれませんけど〈キク科〉の特徴が見られる花です。

 これもキク科の花です。
 大きさとか広がり方とか違いはあっても全体としては似ています。

 キク科の花は花びらに見えている一枚一枚が〈花〉で、そこにはおしべ・めしべがあって一つ一つにタネができます。

たのしい教育プラン「菜の花から広がる世界」で〈生物の仲間を分けるとき、何に目をつけるとよいのでしょうか?〉と問いかけて
「色でしょうか? 大きさでしょうか?」
「色ではありません。たとえば私たち人間にも、イエロー・ブラウン・ブラック・ホワイトなどいろいろな皮膚の色があります、それでもみんな同じ人間です」というところに感動した先生がいました。

 菜の花から広がる世界は、早めに電子出版したいと考えています。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!