板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)「創造より模倣の方が難しい」/たのしい教育の発想法

 久しぶりに〈たのしい教育メールマガジン〉から抜粋して紹介します、板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)が語った「模倣と創造」についての発想法を「創造より模倣が難しい」と題して保健授業作りセミナー1998.8で語ったものから再編集しました。メルマガで人気の発想法の

板倉聖宣

「日本人は創造性がない」などといわれます。
 それを聞くと普通の人は

「そうだよな、模倣性ばかりだよな」

と思ったりしますが、実は日本人は全体として模倣性がないのです。
 もちろん〈歴史的に模倣性があった人たちがいた〉というのは事実です。
 たとえば聖徳太子の時代「中国の文化を徹底的にマネよう」と思った人たちと、それに反対する人たちとの間でいろいろな争いがあったことは有名なことです。
 江戸時代末から明治時代にかけては「西洋の文化を全面的に学ぼう」という人たちがいて、それに強い抵抗があったのもよく知られた事実です。
 そうした抵抗に負けず全面的に模倣を進めたことは日本人が成し得たのは、最も創造的な仕事でもあります。
 しかしそれらは日本の歴史の中で特異なことだったのです。
 日本人は今でも創造性がないのは〈徹底した模倣性〉がないからだと私は思っています。

 私は四十年近く、板倉聖宣の発想法や仮説実験授業を真似尽くすほど真似るという勢いで学んで来ました。そういう中でオリジナルの教材もたくさん作ることができました。「真似尽くす」という勢いがあったからここまでこれたと思います。真似尽くすより、自分のオリジナルを出していくことの方が楽だということも、これだけ真似してきたからこそしみじみ感じることができます。

 仮説実験授業より長く学んできた琉球空手も〈先人の技を真似してきた伝統の塊〉だといえるでしょう、それもそろそろ看板を掲げなくてはいけない時期に来ています。真似し尽くして自分の形となりはじめる、今年はそれを意識した年になりそうです。

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自由研究中〈クチナシの花〉

 以前〈クチナシ〉の名前の由来について納得できないことを書いたけれど、この頃は山歩きをしているとクチナシの話をたくさん目にします。

 琉球の古い言葉で〈カジマヤー/風車〉と呼ばれ、飛行機のプロペラのような幾何学的な美と構造的なたくましさと感じさせてくれる花です。


 最近「沖縄で一番、花がたくさん咲くクチナシではないか」と思える木に出会い、しばらく眺めていました、巨大な木ではなく普通のサイズの桜の木くらいの大きさなのに、一本の木に軽く1000を超えるくらいの花が咲いています。

 白い花と黄色い花とがあります、はじめは白い花で次第に黄色く色づいていきます。

 以前〈一重咲きであっても花びらが5~7枚というバリエーションがある〉ことを書いたのですけど、次の写真でも5枚と6枚のそれぞれの端があることがわかると想います、面白いですよね。

 ところでクチナシの実は食べ物の着色に使ったりする安全な染料になります、染料の研究はたの研の仲間と続けていたので、クチナシはその意味でも興味深い植物です。

 これはWEB上の植物図鑑に載っているクチナシの実です、感謝して掲載させていただきます。

http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-kuchinasi.htm

 ところが、沖縄で私が出会うクチナシの花たちをしげしげと眺めても、こういう実がほとんど見えないのです、不思議なほどです。

 見つけたら撮ろうと思って探しても見つかりません。

 時期があるのだろうとタイミングをずらして観察しているのですけど、真っ黒になってついている実をほんの数粒見つけたことはあっても、枝に成るオレンジに輝く実はみつかません。少しオレンジ色に見える実も中はカラカラでタネが一粒あるだけで、染料に使える状態ではありません。

 これはどうしたことなのでしょう・・・

 謎は自由研究として引き継がれています。ご存知の方がいたらぜひ教えてくださいね。たのしいことがどんどん増えていく、たのしい教育の日々です。

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たのしい教育授業ブック〈ガリレオの科学をたのしもう〉科学・自由研究

 初夏の講座に向けて、以前から構想していた〈たのしいガリレオの科学〉の作成に入っています。〈ガリレオの科学〉というといろいろな実験道具を使っためんどうなものをイメージする人がいるかもしれません、さにあらず。
 いろいろなところで伝えている様に〈本格的な科学は実にシンプル〉です。
 私のたのしい授業ブックとお年玉袋に入るくらいの実験道具があれば可能なものとして組み上げようと思っています。

 ずっと頭の中ではまとまっていたのですけど、執筆し始めると、自分自身で「ガリレオって学生の頃にこういうことをやっていたのか」とますます興味が深まっていきます。

 1時間でおさまる様な長さにするために、これからいろいろな先生たちに試してもらう必要があるのですけど、ラフ原稿は出来上がりました。20シートくらいあります。

 低学年のこども達、欲をいえば幼稚園のこども達にもたのしんでもらいたいので、ことばのわかりやすさは、これからさらに手を入れていく必要があります。

 わたしが作成した授業ブックを別な先生が講座で授業してくれることになっています。これはそのシミュレーション会の様子です。

 糸とおもりであえて簡単に作った〈ふりこ〉を教室のいろいろな角度から見てもらえるのか。

 ゆらし方のタイミングはどうかなど、たくさんの先生たちが意見アイディアを出してくれています。

 初夏のたのしい講座は5/28(土)を予定して動き始めました。興味あるみなさんは、ぜひご参加ください。募集はまだ始まっていませんが、はっきりしたらこのサイトでも広報します。
 あわせて、他の授業の様子もネタバレにならない程度にこれから紹介したいと思います、ご期待ください。

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〈さにあらず〉という言葉/間違いを明るく笑う

 前回に記事に「さにあらず」と書いて思い出したことがあります。

「左にあらず」という表現はへんではないか?
 日本語表記は本来上から下へだったわけだから‼︎

 とすると欧米から来た言葉かな?

 それにしては日本語にしか思えない、しかも古くからある日本語。

 みなさんはどう思いますか?

 何のことはない、私の表記の間違いで〈然に在らず〉が正しいのです。

 〈完全だ〉という意味で「完壁かんぺき」と書いて間違ったこともあります。
 何がどう違うのかわかりますか?

完璧
が正しいのです。

 こういう間違いというのが〈恥〉ではなく、「へぇ~、そうなんだ、おもしろいね」という様な気軽なものとして伝わっていくとよいですね。「これくらいも知らないの?」というのは非教育的なものに思えます。

 そういえば以前長野の山で聞いた〈アルプス一万尺〉の話。
 そういう歌があるのはご存知でしょうか?

「♪ アルプス一万尺 子ヤギの上で アルペン踊りを サァ踊りましょ、ランラランランラランラン」と思っていたという・・・
 死ぬよね、ヤギが。

 正しくは〈小槍の上で〉なのだけど、そもそも〈小槍〉そのものが何だかわからないから、子ヤギに聞こえてしまうこともあるのでしょう。

 〈小槍〉を正しく認識しても、こんなところでアルペン踊りを踊ってランラランランもないけどね。今度は踊っている人間の命が消える・・・


「学校は間違うところである」と言いながら、間違ったら恥をかかされるとか不利益を被るというのはおかしいものだと思います。

 たのしい間違いシリーズを授業で取り上げて「自分の間違い何のその!」という子どもたちを育てたいものです。

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