Google広告




ここまで。

軽石はいつまで浮いているのか? 西村寿雄先生とのやりとりから実験へ

「石は何からできている?(岩崎書店)」の西村寿雄先生と昨年末から「軽石」についてのやりとりが続いています。たの研の場合「やりとり」というのは〈予想・実験〉がかなりの割合をしめます。

 いろいろな石を見てきた西村先生は「軽石とはいえ数日程度で沈むものがあるから、沖縄に漂着したものもそうやるのではないか」と話していたので、お互い予想を出し合って実験しています、私の予想は〈たいていの軽石は数ヶ月とか一年程度で沈むことはない〉!

 西村先生の実験結果はすぐに出せるのですけど、私の予想はなかなか時間がかかかります。

 これがその実験中の動画です。

 

40日くらい経ちました。

年が明けると、また西村先生から連絡が入りました、要約するとかんな感じです。

「きゆなさん、軽石を小さく砕いたらすぐに沈むのではないかと思うんだけど、どうだろう。前に送ってもらったものは周りに人たちにわけちゃって、自分のものを砕くのはもったいなく・・・」

「西村先生、実は軽石クラフトを教材化しようといろいろ試しているんですけど、その時にすでにその実験やってみたんです」

「お、それはいい、どんな感じでしたか?」

「写真送りますね!」

 さてみなさんは、小さな軽石(砂粒~米粒くらい)を水にいれたらどうなったと思いますか?

 予想して、次回の写真をたのしみにしていてください!

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

見える現実から出発せず予想・仮説から出発するのが原子論つまり科学/たのしい教育メールマガジンから

 第3たの研のホワイトボードの上の方にこういう言葉が掲げられています。

算数も理科も社会も国語も医学も宇宙も人生も
あらゆることを「原子論」で考えることが基本中の基本!

 それはたのしい教育研究所の基本スタンスで、大切な時に立ち返る大切な原理です。
 目には見えなくてもそこに物質が存在すること、そしてそれには重さがあること、それを元に予想を立てて確かめることが原子論、つまり本物の科学です。
 宗教は〈信じること〉から始まりますから科学とは全く異なります。
 たのしい教育は宗教ではなく科学です。
 仮説実験という科学に基づいて考えていくのが〈原子論〉です、そして原子論を考える基本にして生きているのが〈原子論者〉です。
 1986年に師の板倉聖宣がこう語っています、「歴史の見方考え方講座」第一回目の内容からです。

板倉
「原子論的な」という時には2つの意味があります。
 1つは「原子論」というのは唯物論の元祖で〈ものの根源が原子にある〉という考え方です。
もう1つは〈目に見えない原子というものを見るにはどうしたらいいか〉という時に仮説を立てるということです。仮説を立ててはじめて見ることができるからです。
「実証主義」という言葉があります。
 歴史学者が「実証主義」という時には、だいたいほめ言葉で使います、しかし自然科学では悪口に使います。
〈実証主義というのはものに従って判断する〉ことです。ということは〈事実に基づいて判断する〉ということです。
「自分の考えだけで考えるような観念論的なものと比べれば遥かにいい」という考えがあると思います、実際に証拠があってそれを基に判断するというわけですからね。
 すると実証主義者からは原子論は目のカタキになります、原子というのは目に見えないですから。
 実証主義者から見ると〈神と原子とは同格〉です。神は目に見えないし、原子も目に見えないのですから。
 つまり〈原子が存在する〉と仮定して話をするのは実証主義ではないのです。
 1870~80年ぐらいまで実証主義者にとって原子というのは存在しないものでした。「原子がある」と考えるのは非科学的なことでした。
 今となってみれば明らかに原子はある。
 仮説実験的な認識方法を基にすると原子は存在しているわけです。実証主義者というのは〈実際に見えるか見えないか〉を重んじるだけで、仮説実験的な認識方法を重んじないのです。

 今朝起きてみると太陽が昇っている。昨日もそうだし、一昨日もそうだった…
 毎日毎日見ていると東から出て西に動いている。
 何回見たってそうなのです。
 事実をもとにする、つまり実証主義でいくと天動説が正しいことになります、実際にそう見えるからです。
 ところが実際にはこの地球が回っていた。
 目に見えないものを考える時には、必ず仮説が重要になるんです。
 進化論も目に見えませんね。
 目に見えないものを主張するためには、どうしても仮説がなくてはなりません。
 そうやって確かめていくのが原子論です。

 
 これは〈たのしい教育メールマガジン〉の最新号のほんの一部です。この公式サイトにも、たのしい教育の発想法をとてもたのしみにしてくださっている皆さんがいます。今年も発想法を綴っていきたいと思います、ご期待ください。

 

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

子ども達の支援 全力投球

 全国的にコロナ感染者がまた増えてきました、その中で沖縄はとても多い地域です。休校措置の地域もあり、学校によっては時短しているところもあります。

 たのしい教育研究所が実施している〈出前児童館〉は沖縄市の事業ですから学校の活動と連携することになります、学校が休校になると実施が困難です。

 休校になっても子ども達の支援ができる様にと考えたのが、感染症対策セット(ナチュラル石けん・手の洗い方・マスク)と、家庭でたのしめるたのしい教材を組み合わせて配布する活動です。

 もしかすると明日から、配布活動になるかもしれませんから、これまでの実施と合わせて、家庭でたのしむ教材の配布準備もすすめています。

 どんどん出来上がってきました。

 子ども達もきっと喜んでくれるでしょう。

 

 おたのしみ教材は〈ちゃくちトラ〉、クルクル回転させて落としても4本の足でしっかり着地するトラです。

 いずれここでも紹介したいと思います、おたのしみに。

たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

Purify(ぴゅりふぁい):心を澄ます-〈自分全体〉と向き合う時間/少しの時間でも

 Purify(Purify:ぴゅりふぁい)は今はなき野田俊作先生から学んだ〈瞑想〉の技法を進化させて体系化した、心を澄ます/心の濁(にご)りをはらって自分全体(本当の自分)と向き合う方法です。

 ぴゅりふぁいの個人SVを受けたいという方がいて、その時にさらに体系化がすすんだので、少し書いてみましょう。

 自分全体、本当の自分というのがよくイメージできない人もいるかもしれません、天才〈甲本ヒロト〉が名曲 情熱の薔薇で表現したものと同じです。

答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方

涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

 

 瞑想など知らない、座禅の様な時間をとるのは難しいという人たちも、少しの時間があればPurify(ぴゅりふぁい)できます。

「今ここにいて見て感じて考えている自分こそが自分だ」という人も多いでしょう。

 ぴゅりふぁいをやってみると、それはそろばん勘定・損得勘定・論理的思考のパートを担っている自分の少しの部分だということがわかる様になります。少しの部分とはいえ、その最も研ぎ澄まされたものが〈仮説実験思考〉で、現在の社会をここまで進化させたものですから、あなどれません。それは私の師の板倉聖宣から教えてもらった、切れ味鮮やかなテクノロジーです。

 そういう思考のずっと奥の方には、言葉やそろばん勘定を超えた自分全体があります。
 天才フロイトは〈自我〉と〈無意識〉という様に分けて人間を理解しようとしました、それも人間の不可解な行動を説明する時にとてもよいアイディアだったのですけど、ぴゅりふぁいでいう自分全体は分離しない総体としての自分です。

 ここから先は〈たのしい教育メールマガジン〉レベルの濃さになりそうですから、これくらいにしておきましょう。

 ぴゅりふぁいの理論的な部分をみて難しいことだと感じるかもしれません、しかしその技法はとてもシンプルです。

 瞑想やマインド・フルネスなどに挑戦して、なかなか続かなかったという方達もいると思います。

 一度ぴゅりふぁいを体験してみることをおすすめします。たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!