ミステリー小説は大好きなのでかなりの数の作品を読んできました。映画のミステリージャンルや犯罪系の作品も、おそらく普通の人たちの何十倍も見ていると思います。
そういう作品の中で〈無罪〉と〈無実〉という言葉が混同されて使われていることがずっと気になっていました。
以前から司法試験を受けたいという夢もあるので、法律用語は学んできているので、それもからんで気になっているのかもしれません、でも単に言葉の感覚として、その使われ方に違和感があるのかもしれません。
最近たまたま見たテレビの中でも完全に間違って使っているのだなと思えたので、少し書かせてください。
みなさんは〈無罪〉と〈無実〉はどう違うと思いますか?
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まず予想してからね
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まず予想してからね
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まず予想してからね
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〈無罪〉
無罪というのは法律用語です、〈罪ではない〉〈罪に問えない〉ということです。
英語でいうと〈not tuilty/ナット・ギルティ〉、「何かやったかどうかわからないが、何かやっていたにしても法的な罪とはいえない」という意味も含んだ言葉です。
たとえば相手の命を奪った場合でも正当防衛で無罪/ナット・ギルティとなる場合があるわけです。
〈無実〉
無実は〈法律用語〉ではありません、〈そういう事実そのものがない〉〈罪に問われる様なことは犯していない〉ということです。英語でいうと「innocence/イノセンス」、それには〈純真である〉というイメージも含まれています。
たまたま見たテレビで「そもそも彼はそういう犯罪など犯してなかったのだ、つまり完全に無罪なのだ」というセリフがありました。
その時は「無実なのだ」と書いて欲しい。
逆に刑事裁判に関わる場面で「いろいろな状況からそれは仕方のないことで、それは罪に問えない」と主張する時「彼は無実です」ということもあります。
でもその時は「彼は無罪です」と書いて欲しい。
そういうシーンは何度か目にしてきました、映画などでは翻訳の力不足なのだなと思うことも多々あります。
民事裁判で多額の損害賠償の判決を受けた会社役員が「私は無罪です!」と語っていました。
民事訴訟は〈犯罪性のありなし〉を扱うものではありません、トラブルを解決するための裁判です。
賠償金支払いの判決が出てもそれは〈犯罪を犯した〉と認定するものではありません、賠償金が課された人が犯罪者だということはないのです。
あえてここで「私は無罪です!」と語ったのは不当な判決だといいたかったのかもしれません。でも、あえて刑事・民事の違いがはっきりしない人たちを混乱させて自分の正当性をイメージづけようとしたのかもしれません。
「そんな細かいことはどうでもよい」と感じる人たちもいると思います。
けれど、こういう細かいことが気になってくると、自分の発する言葉を丁寧に考えていくことができる様にもなっていくと思います。
もちろん自分の認識もシャープになっていくでしょう。
「人は言葉でできている」というのは比喩的な表現で、もちろん物理的には間違いです、タンパク質や金属類などいろいろな原子分子でできているからです。
けれど人格としての人は、言葉でできているといってもかなり正しいと思っています。もちろん音声としての言葉だけでなく、書く言葉、ボディーランゲージとしての言葉もすべて含んだ上で。
その意味でも、ことばはたのしく大切に学んでいけるとよいなと思う今日この頃です。
ということで、以前から気になっていたことを呟いてみました、ご意見ご感想があれば遠慮なくおしらせください。
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