私が影響を受けた板倉先生の文章「学習意欲は先駆者意識、エリート意識により大きく左右される」

私が影響を受けた板倉さんの文章を紹介します。

もともと学習意欲というものは先駆者意識、エリート意識によって大きく左右されざるを得ないのです。ですから、「学習意欲というものは、その事柄についての教育が普及し、学習の物質的条件がととのえばととのうほど(必然的に)低下する」という法則性によって支配されているのです。(私はこの法則を「学習意欲に関する法則」「先駆者効果」「エリート効果」などと名づけています。
この法則は大学の教育学などの時間に講義すべきことでしょう)そのことを忘れて、ただやたらに昔のエリート教育の内容を大衆化しようとしても、それは学習意欲をおとろえさせ、授業を無気力なものにさせ、ついには生徒の犯行をよびおこすものにもなってしまうのです。
「たのしい授業の思想」20ぺ『たのしい授業の思想』所収(仮説社)

 

板倉さんは、「学習意欲は教育が普及すればするほど低下する」といいますが、
これまでそういうことを聞いたことがありませんでした。
大学の教育学でもこういう事は言ってくれませんでした。
(いつも講義のときには、居眠りをしていたので自信がありませんが・・)

「もともと学習意欲というものは先駆者意識、エリート意識によって
大きく左右される」とありますが、戦前や戦後、
進学率が低かった頃、子どもたちは、
勉強して高校大学と進学するにつれ両親の学歴よりも高くなっていきますね。

そういうところでエリート意識がでて子どもたちの学習意欲が高まったのでしょうか。
少し先駆者意識ということについて考えてみたいと思います。

私が仮説実験授業に巡り会った頃、まわりでこの授業を実践している人は、
ほとんどいませんでした。

ですから授業について質問もできないので、何度も本を読んで、
なるべく忠実に仮説実験授業の運営方法に従って
仮説実験授業を実践したところ、
子どもたちの評価は、たのしくて、わかる、
というものがほとんどでした。

初任者の私にも科学の授業がたのしく実践できたのです。
一人一人の感想を読んでいると、この授業をやってよかったと
評価できるものでした。

何よりも一つの授業書を終わることで私自身が学ぶことが多くて、
授業をするのがたのしみになっていたのですね。

そうなると誰かとこの授業について語り合いたくなります。
他の人にも良い実践はすすめたくなりますからね。
必然的に仲間を求めてサークルを作ることになりました。

先駆者意識というものが強く働いていたんだなー、
と今になって分析しているところです。
もし、周りが、みんな仮説実験授業を実施していたら、
サークル活動もすることはなかったでしょう。
その後の人生も又、大きく変わったものになっていたと思います。
(琉太郎:記)
たのしい授業の思想

[問題]様々な危機によって地球はどうなっているの?

カウンセラー協会の実践講座の骨子ができたので、今度は沖縄県の事業で、アジア各国から沖縄に集まってくる高校生向けの授業の準備を本格的にはじめています…英語なので普通の授業より時間がかかります。
カレンダーをよく見ると、カウンセラー協会での講座より、こっちの方が早かったな
(・_・;

今回いただいたテーマは「エネルギー問題」

授業づくりを始めると、どんどん大風呂敷になっていき、人類を取り巻く問題全体について触れる予定で構成し始めています。

その中でとりあげる予定の問題を一つ、みなさんも考えてみませんか。
事前に問題を出すというのは今までやったことがありませんが、いろいろな国から集ってくる高校生達が、このサイトを見て予習するという事はないだろうと思うので、忙しくなる前に載せておくことにします。

問題:地球を取り巻く問題はたくさんあります。「病気」「飢餓」「環境の悪化」…特に小さな子ども程その影響がすぐに出ます。
では二十年前と比べて、世界の乳幼児死亡率はどのように変化してきたでしょうか?

予想 ( )内も選んでください
ア(少し・とても)良くなってきた
イ(やや・とても)悪くなってきた
ウ ほぼ横ばい

どうしてそう予想しましたか?

 

おはなし
地球上ではいろいろな危機が叫ばれ、その中には、明らかに危機を煽っているようなものもあります…「マヤ文明のカレンダーによると2010年に地球は滅亡する」「ノストラダムスによって滅亡が予言されている」という話もありました。

しかし実際、食料危機、エネルギー危機、環境破壊、大津波、大地震、地球温暖化、ウィルスの感染など、現実問題として地球上では、様々な危機が叫ばれています。
ところで、いろいろな危機に最も早くそして強く影響が出るのが乳幼児だと言ってよいでしょう。
食べものが不足して真っ先に命を落としたり、抵抗力や衛生の問題からも感染症にも弱く、命を落とす事も多いからです。

最近、国連の機関であるユニセフがあるレポートを出しました…
Committing to Child Survival −子ども達の生存に関わる報告書−です。
webで閲覧できます。http://www.unicef.org/media/files/UNICEF_2013_A_Promise_Renewed_Second_Progress_Report_Full_Report.pdf

スクリーンショット 2014-08-03 10.44.55そこには乳幼児(5才未満)の死亡率がグラフで描かれています(11p)。

それを元に、世界各地の乳幼児の死亡率を見て行きましょう。
どう変化してきたのでしょう…皆さんの予想は正しかったでしょうか?

世界 乳幼児死亡率の推移1990-2012サハラ砂漠より南に位置するアフリカで45%減少
アフリカ中西部で39%減少
アフリカ東南部で53%減少
南アジアで54%減少

世界各国の乳幼児死亡率は全体として47%も減少しています。

いろいろな危機が叫ばれ、実際に悲しいことも起こっています。
しかし、もっとも影響を受けるだろうと思われる乳幼児の死亡率の減少にハッキリと表れているように、いろいろな危機に対して、人類は無力ではありません。
いろいろな知恵と力で、その危機に立ち向かっていると言っていいと思うのですが、どうでしょうか。

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たのしい授業で必要不可欠なもの-子ども達に聞くということ②

「これが子ども達のための教育だ」と真剣に考えて教育すれば「子ども達の為になっている」といえるのでしょうか?

「何しろ私は子ども達が喜ぶような内容を真剣に考えて授業を作っています」とい教師が授業すれば、子ども達が喜ぶのでしょうか?

いいえ、そういうことはありません。
思いと結果は独立しているのです。

買った宝くじが当たれといくら願っても祈っても神棚に祭っても、そういう事と結果は独立しているのです。

重い石が軽い石より早くおちるのは当たり前だと思っていても、結果は思いと独立しています…一緒に落ちるのです。

子ども達が笑顔になるような教育がしたい。先生達も元気になるような教育がしたい。子どもが賢く元気になるような授業がしたい、と思って授業しても、はなはだおしけに満ちた苦しい授業になることも多いのです。実際、私も何度も経験済みです。

そう考えるなら、それを試した結果、子ども達全員に評価してもらうしかないのです。そして、その結果を真摯に受け止めて一歩ずつ高みに向かって進むしかないのです。

これはかつて師の板倉聖宣が語った言葉です…私の記憶で綴ります(文責 きゆな)。

「ジョン・デューイというとても有名な人物がいます。彼は何しろ子ども中心主義の教育をした、という事で有名ですね。では彼がやった教育は本当に子ども中心の教育であったのか。私は疑問に思っています。彼は、子どもに聞いてみたのでしょうか? 感想文を書いたり評価してもらったりしたのでしょうか。私の知る限り聞いた事がありません。私くらいかもしれませんけど、本当に彼が子ども中心の教育をやったのかどうか、疑わしいと思っています。例えば彼は実験学校を作ったという事です。それはまだ続いているのでしょうか?…」

子ども達の為にやったのだと考えるなら、その主体である子ども達に聞く、評価してもらう。しかも、あやふやな文言ではなく、はっきりとした文言で。

私の様に「たのしい教育が大切だ」と考えるなら「たのしかったですか?」と聞くしかないのです。

それは「たのしい教育/たのしい授業」につて必要不可欠なものです。

 うちの研究所では「たのしさ度」「理解度」の二つの5段階尺度で評価してもらい、さらに自由感想を綴ってもらっています。よろしければ真似てご利用ください。

※これはある学校での校内研修での感想です。個人名などは手をいれましたスクリーンショット 2014-06-29 11.52.58全力でたのしい教育の普及ににとりくむ「たのしい教育研究所」です。1日1度のこの「いいね」で一緒に〈たのしい教育〉を広めましょう➡︎いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックするともっと良し!

賢くなるには−科学的な見方・考え方入門…パソコン遠隔操作事件から考える-

普通は有料メルマガに書く様な内容なのですけど,今回は、ここに載せてみようと思います。

RIDEロゴしっかり版0609a1.パソコン遠隔操作ウィルス事件

パソコン遠隔操作ウィルス事件がまた騒がれ始めています。

これまで「片山という人物の逮捕は警察によるでっちあげだ、えん罪だ」と騒がれ続けましたが,最近になって,その人物が自供したというのです。

事件についてよく知らない方もいるかもしれませんので,時系列で簡単にまとめてみます。

① 2012年の夏、大阪市に脅迫メールが届き。その発信メールをたどって三人が逮捕され,彼らの全員だったか一部だったのかは「私がやりました」と犯行を認めます

②その後、そのメールは遠隔操作ウィルスに感染したパソコンを中継しただけで,別の人物がその三人のパソコンから発信したようにみせていたものだと判明します…その時点で警察の行き過ぎた取り調べがかなり問題となりました。だって,犯人でもない人物たちが犯人になって自供までさせられたわれですから

③警察は三人を釈放した後、片山という人物を逮捕します。しばらくすると,またもや警察の誤認逮捕だと騒がれます。いろいろな人達が警察を避難すると共に、続々と支援者が名乗りを上げ,片山が無罪かという様な様相を呈してきます

④ 今年2014年の3月に片山被告は保釈され,ますます警察を避難する声は力をましてきました。その中、片山被告の新たな証拠(携帯)が見つかり,片山被告が,「全て自分がやりました」と全面自供しました。数日前の出来事です

この事件は,科学的な見方や考え方の,とても重要な内容を含んでいると思います。

 

2.ものごとを正しく認識するために

私がウィルス操作がどうだこうだとか,パソコンの仕組みがどうだというのを詳しく知っているから書いてみたい,という事では全くありません。私が知っている事もここにあげた四点くらいです。

そういう事ではなく「ものごとを正しく認識するにはどうすればよいのか」という事,つまりそれは「科学的な見方・考え方とは何か」について,とても重要だと考えているです。

科学的な見方・考え方は、何も,薬や実験器具を目の前にしている時に必要なのではありません。
いや,逆に社会的なものを見る時にこそ,より重要になってくるのだと思うのです。

 それは「予想」と「解釈」という話でもあります。

片山という人物が自供した後、web上で「やっぱりか…あやしいと思っていた」というコメントがたくさん出ています。

ちなみに「やっぱり(スペース)片山」検索すると2014.5.27現在で 3,870,000 件ヒットします。

それらを開くと、「やっぱりそうだった」「あの顔を見た時から怪しいと思っていた」というようなコメントがたくさん出て来ます。

実は私は「片山被告が犯人だろう」という予想を立て,それを近い仲間に語っていました。

「一度誤認逮捕した上に偽の自供まで引き出してしまった警察が,二度も誤認逮捕するとは思えない」という考えを元にしたからです。

たまたま私の予想が当たっただけという事もあるかもしれません。しかし,それは,かつてのオーム真理教事件の時,私がハッキリと間違った予想,つまり「サリン事件の解決をあせった警察が間違って宗教団体を逮捕してしまったのだ」を予想した事が影響していると思います。

 

3.〈はっきりこうだ〉と予想する事の重要さ

オーム事件の時には,私だけでなく、たくさんの人達も同じように考えていた事を覚えてします。著名人もたくさん名乗りを上げて警察を避難していました。
しかし,結果は裁判が明らかにしてくれたように,サリンをまいたのもオーム真理教の信者たち,でした。

つまり私の予想ははっきりと間違っていたのです。

その時に、私は自分の予想の間違いをハッキリと自覚しましたが,まわりの人達の多くは「やっぱりね、怪しいと思っていたよ」という論調が多数を占めました。今回の様に、あの姿形からして怪しい、という様な人々も多かったと覚えています。

賢くなるために決定的に重要な事は、科学の手法に則って「これはこうなのだろう」と,自分の中でハッキリと予想を立てるという事です。

片山という人物が「えん罪だ」と予想したなら、
「はっきりと自分はそう予想している」と認識する事です。
それが間違っていたら,そこで確実に賢くなります。

もちろんその予想が当たっていても賢くなれます。

ところが大抵の人達は、事実が明らかになる前にはっきりと自分はこうだと「予想を立てる」ことをせず、いろいろな物事がハッキリして後に「解釈」してしまいます。
例えばオームの事件の時の多くの人たちの反応の様に、「あ〜、やっぱりね」という形です。

物事がはっきりして後に解釈するのではなく,まず私たちのまわりにあふれる情報や事実を材料として「予想する事から出発する」のです。

そしてその後のカギを握る事実によってそれを確かめる、実験結果を出すのです。

 

4.「予想」から出発するという事

それは,私たちのまわりの事実や情報を無視して考えましょう、ということではありません。私たちのまわりに情報や事実があふれているのは当たり前です。今回の事件で言えば、片山被告が犯人ではないと思われる事実も情報もたくさんあふれています。逆に、片山被告が犯人だと思われる事実もたくさんあるのです。それを無視する事などできません。

私たちは,まわりの事実や情報から独立して全く独自に考える事などできないのですから,「事実を元に考えましょう」というのは,あまり意味のある事だとは言えません。

周りの情報の整理や解釈ではなく,まずそれらの中で自分が拠り所としたい情報や、見方・考え方を元にして「自分はこう考える」という様にハッキリと予想を立てる事が科学的な出発点だということです。

そして実は、それが真実に至る道なのです。

もちろん途中の、予想変更もありです。

まわりにあふれる事実・情報は,自分が立てた予想を確かめるための材料なのです。結果として、たくさん間違った予想を立てる事にもなるでしょう。しかし間違いなく、その過程の中で認識の仕方が研ぎすまされていきます。

逆に,そういう科学的な認識の仕方ではなく,例えば、今回の片山被告の自供という事実や情報から出発して「やはりそうなんだ。そうだと思ったよ」という事を繰り返しているうちは,なかなか自分で正しく物事を判断する事は難しいのです。

だって,出て来る情報を拠り所にしていたのでは,例えば、今後の裁判で片山被告が「実は、あれは酔った勢いで言った言葉で、実はわたしはやっていません」と言ったら、またその情報を元にして判断を変えなくてはいけなくなりますね。そういう事を繰り返していては,なかなか認識は深まらず、正しい答えに至るのは難しいのです。

今回の事件で,そういう事を考えています。

「たのしい教育」とは関係のないような事かもしれません。しかし「人間の認識の仕方」という事では,十分に関わるものだと思って載せてみました。

私は仮説実験授業を提唱した板倉聖宣から,この見方考え方を強く学びました。興味ある方は、ぜひ板倉聖宣の本を手にしていただければと思っています。

私のメルマガには毎回、板倉聖宣の発想法の重要な内容を載せてあります。興味のある方はぜひご購読ください。

参考になれば幸いです。1日1度のこの「いいね」で一緒に〈たのしい教育〉を広めましょう➡︎いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックするともっと良し!