原子論で自由に生きる|迷信からの自由

科学的にみる、考える源としての「原子論」の話をいろいろ書いています。
「鬼怒川の堤防決壊」について原子論的にみる、気体と液体・個体の原子・分子量のイメージを元にして考える話は、いろいろな方たちからの評価が高い一つでした。

「あらゆる事を原子論を元に考えてみる」がテーマですから、生き方についても原子論的に見る、考えてみる事ができます。

原子論で考えれば地獄なんてないことに気づきます。
すると「死んで後どうなる」、という事をいちいち心配することがなくなります。
死んで後の生き方を気にして今の幸せを犠牲にするということもなくなります。ビクビクして生きるのではなく、自信をもって元気に生きていくことができます。

実際に、科学的な原子論の魁である「エピクロス」はそう説いて周りまた。そしてそれは古代ギリシャの人たちにどんどん広がっていきました。
当時の宗教的権力者たちは原子論の広がりに脅威に感じて、エピクロスに快楽主義のレッテルをはり、その教えを徹底的に駆逐してしまいます。原子論に関わる膨大な書物も焼かれたほどです。

暗闇が恐ろしいのは魔物や邪悪な霊がいるからではありません。
今の様に光を自由に扱うことができなかった頃は、目の前にガケがあっても、暗闇の中では気づくことができなかったのです。
そして夜行性の野獣たちの動きも見ることができなかったのです。
暗闇はいのちを落とす可能性のある恐ろしい状況だったのです。
それが私達のDNAにも刻まれていて、誰かに教わったからというわけではなく、人は暗闇を恐れるのです。人だけでなく、昼に活動する生き物たちはたいてい暗闇を恐れます。取って食われる可能性があるからです。

原子論的にみれば、暗闇を正しく恐れることができます。
そしてその対策を適確に立てることができます。

占いで「◯月生まれの人の今日のラッキーカラーは◯◯です」という様な話を耳にします。
それはどうでしょう?

原子をもっと詳しく見ていくと、原子核の周りを電子がグルグルまわっています。まるで天体のようです。
その電子の動きを予め知ることができるでしょうか?

できません。

0.0001 秒後にこの位置にあるだろうと予測しようとする試み自体がなりたたなくなる世界です。ここは量子力学という分野を勉強していくとわかるようになります。

そういう原子の膨大な塊であるわたしたち人間の今後の人生について占いがなりたつことはありません。

そのカラーを身につけたことによってラッキーな事が起こる事を予測することなどできません。

ラッキーなことやアンラッキーな事は一日のうちにたくさん起こります。
人によってそれがラッキーなことであったり、何でもなかったり大きな違いもあります。
ラッキーなことが何にも起こらない一日ということは考える事が難しいのです。
たとえば私にさっき起こったことでいえば…
「コーヒーがワイシャツにこぼれたとき、近くにたまたま水があったので、それをティッシュに含ませてサッと拭くことができた」
ということはとてもラッキーなことです。

そういうことは、ラッキーカラーを身につけていたということと関係なく起こるのです。

「あなたは◯◯際で結婚することになっています」という様な占いもあります。
今日の休みにどう過ごすかどうかもハッキリしていないのに、何年後に結婚するとかしないとかがわかるわけはありません。
もちろん占いは、外れた時のためにちゃんと言い訳やトリックが準備されていますから、調べてみるといいと思います。

「原子論」を元にした科学的予測なら成り立ちます。
たとえば「このままの食生活を続けていくと一年立たずに◯◯に異常が出てきますよ」
ということは原子論を元にした科学的予測です。
占いではありません。

科学的に、つまり原子論的に正しく判断して正しく対処することができる、それは生き方を自由にしてくれます。

原子論が生き方に関わる。
正しい事は恐れ対処し、正しくない事は恐れない、そういう自由な生き方の巾が増えていくことは間違いありません。

笑顔を広げるたのしさと賢さ|それが唯一の解決

世の中は一気によくなるという様なことはなく、ゆっくりと良くなっていくのです。

ゆりうごきがあって、そうは見えない時もあります。

しかしそういう中でも知恵者たちがいて、ゆっくりと歩を進めているのです。
ですから、世の中に、周りの人達の笑顔を広げるたのしさと賢さを身につけた人が一人でも増えていくことが決定的に大切です。

科学の中にもたくさんの対立がありました。

進化論と創造論の対立

大陸移動説をめぐる対立

天動説と地動説の対立

ガリレオは、この地球が太陽の周りをまわっているという、今では当たり前のことを説明しようとしたために裁判で命を奪われる寸前までいきました。

そういう時、彼は、決定的な対立の道ではなく、これから真理が広く伝わるために隠れて生きる道を選びました。

そういう中で世の中は良くなってきた、という側面があるのです。

昨日も知恵者と会っていろいろな話を聞くことができました。
他にも今週は、カウンセリング、子育てに関する提案、学校の取組について、お母さん達のサポートをしている方とのお話、たのしい教育研究所の今後の提案 などいろいろな中で、たくさんの方たちと会うことができました

そういう中、今日も朝から学び方コースに子ども達が集まってきてくれます。

小さなたのしい教育研究所の足取りですけど、
「周りの人達の笑顔を広げる賢い人達を育てる」
というその活動は決して小さなものだとは思えません。

そして何より、たのしくてなりません。

 

原子論が考え方・学び方の基本中の基本|学び方は力!

前に書いた「鬼怒川決壊を原子論的に見る」という話は、予想以上の反響がありました。
その中でも、科学的・原子論的な見方考え方を小学生にしっかり伝えられるのだという事に興味・関心を持ってくださった方たちがたくさんいた事に、意を強くしています。

たのしい教育研究所に、こういうパネルがはってあります。

あらゆることを「原子論」で考えることが基本中の基本!
-算数も理科も社会も国語も医学も宇宙も人生も-

スクリーンショット 2015-09-14 22.06.00

今回は、「原子論」について書かせて頂きます。

科学的な見方・考え方の重要性をいろいろなところで語っていますが、その科学の中でも最もより処となる見方・考え方が「原子論」です。
「予想を立てて確かめる」ための基本となるのが『原子論』だという事ができます。
つまり、予想を立てる時に「原子論で考えるとどうなるのか?」と問いかけてみることが、とても大切だということです。

「鬼怒川決壊」について書いた様な自然科学的なものだけでなく、数のイメージ・図形のイメージでものごとの本質を探る『算数・数学』でもそうです。

私は、1.2.3という数そのものを「原子」だとみる見方・考え方で授業することがありますが、とても有効な方法です。
いつかプラン化して、いろいろな方たちが利用できるようにしたいと思っています。

たとえば「数の原子」という見方をすると、大きな数も「数の原子/できるだけ小さな数」で表してあげることができます。すると、数のイメージをとてもつかみやすくなります。

 たとえば地球から太陽までの距離はおおよそ 150000000km  です。
 「指数」という表現方法を利用して、できるだけ小さな数の組み合わせてでみると

スクリーンショット 2015-09-15 9.26.14
と表すことができます。
小数点のうしろに「0」が8つ続きます、という表し方です。

地球から月までの距離はおおよそ  380000 km です。
これは
スクリーンショット 2015-09-15 9.43.09

と表すことができます。
距離の違いを0の数や、その前の「1.5」「3.8」の比較でイメージできます。

人間の赤血球は直径が「1mの1万2500分の1」くらいです。
これもできるだけ簡単な数の原子の組み合わせでみてみましょう。

スクリーンショット 2015-09-15 9.29.17
です。

それをさっきの様に「指数」で表現すると

スクリーンショット 2015-09-15 9.29.26

と簡単な数の組み合わせで表現できます。

これは、8の前に0が6つある、ということを表しています。
たとえば白血球の大きさや原子分子の大きさとくらべてどの程度違うのかをイメージするときにとても有効です。
0.000000… という様な0がたくさん続く数字はイメージしにくいので、科学者たちは、こういう表現方法で、とても小さな数やとても大きな数を表すことが多いのです。

 社会でも、原子論的な見方は有効です。

 もともと人間も原子でできているわけですから、社会では、その塊の人間一人を「原子」だと想定してながめる、という見方・考え方です。
これについては、またいつか項をあらためて書かせて頂きます。

 たのしい教育研究所で「原子論的な見方・考え方」をいろいろな方たちに伝えて行きたいとおもっています。

沖縄の教育に全力投球
たのしい教育研究所です

学ぶ力|鬼怒川決壊を科学的にみる① 原子論的な見方・考え方|学び方コース

マスコミから流れる情報から遠い生活をしている私も、今回の鬼怒川決壊は、とてもつらいおもいをしながら見ています。
3.11の大地震の後、居ても立ってもいられず、気仙沼ではまだ炎が収まっていない状況の中、テントを背負って飛んでいった日の事を思い出しています。

被害でつらい思いをしている方たちの事を思い、こういう災害を少なくしていくために、科学的に物事を見ていくことのできる人たちが増えていくことは不可欠です。

「学び方コース」でこういうお話をしました。
少しその事を書かせて頂きます。

今回の鬼怒川決壊に関連して、『水の力はすさまじい』という言葉を異口同音に耳にしています。
これはしかし
『水』だから恐ろしい
のではなく
『大量の原子が絶え間なくぶつかってくる』
から恐ろしいのです。

小学校の理科で「三態変化」を学びます。
簡単にいうと、私達の周りの原子は、
温度の状態で「個体」「液体」「気体」の3つの状態に変化する
ということです。

そしてそのイメージを、こう説明している図をよく見ると思いますが、実はこれを見ていると勘違いしてしまいます。
スクリーンショット 2015-09-14 9.00.47 同じ体積なら、そこに存在する原子の数が同じように感じてしまうからです。

実は、「気体」と「液体・個体」では、そこに存在する原子の量が「とてつもなく」違います。

気体はすき間(真空)の中をわずかな原子が飛び回っています。

私が個人的に好きだという事だけでなく、「原子論を教育する時の原点」であると断言してよい絵本があります。
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もしも原子がみえたなら―いたずらはかせのかがくの本
(いたずらはかせのかがくの本 新版)

その中の絵を見てみましょう。

気体はこういうイメージです。
針の先でほんの小さくつついたよりももっと小さな一点を拡大してみましょう。
ずいぶんたくさんのすき間(何もない空っぽ/真空)の中をわずかな空気の原子・分子(原子がくっついた分子の状態)が飛び回っています。

スクリーンショット 2015-09-14 9.18.32

これは0.000001 cmを拡大してイメージした図です。これを見ているメディアによって表示される大きさが異なるので、詳しい方からすると「縮尺的に変だ」と感じる人もいるかもしれません。しかしあえて「こういう目でみたかの様なイメージを持つことができる」ということも「学ぶ力」です。

では、液体はどうでしょうか?
「液体」と「固体」では原子や分子(原子が組み合わさったもの)の量はあまり違いません。どちらも原子・分子同士が隣りどおしくっつき合っているからです。

液体のイメージはこうです。
ほんの一滴の水をさっきの様に拡大してみた図です。

スクリーンショット 2015-09-14 9.18.54

液体から少し離れて自由にとびまわりはじめたものが「気体」です。
気体と液体・個体では、そこに存在する量がとてつもなく違う、ということが伝わるでしょうか。

今回の項は今回の鬼怒川決壊で『水の力はすさまじい』という言葉を耳にするという話からはじまりました。
そこに戻りましょう。

たとえば家・建物にぶつかってくるものが「気体」の『空気』であった場合と「液体」の『水』であった場合には、「それが空気だから、水だから」ということではなく

◎絶え間なくぶつかってくる原子の量がとてつもなく違う
 ⇒ 破壊力が比較にならない程大きい

ということなのです。

たのしい教育研究所は『沖縄』にあります。
沖縄は海が近いので、大量の水が山から流れ込んで来ても、それが比較的早く海に流れてしまいますから、洪水の被害は少なくてすみます。
その沖縄では「台風」はとても大きな災害の一つです。
毎年の様に被害があります。
台風は「気体」のスピードが増加することに伴う災害です。

しかし水は「液体」ですから、もともと持っている破壊力がすごいのです。

防災に関して単純に比較はできないといいつつも、そのものが持つ破壊力ということで考えれば「より怖いのは液体が激突してきた時である」ということです。
そこに存在する原子の量がとてつもなく違う、つまり破壊力が違うのです。

液体がぶつかってくるという事は、原子の量で言えば、固体がぶつかってくる、つまり大きな岩石・土砂などが絶え間なくぶつかってくることとあまり差がないのです。

「津波」はこの液体が、台風並みのスピードで押し寄せてくるわけですから、さらにすさまじい破壊力になります。

小学校で学ぶ三態変化が『原子論』的にいきいきとイメージできる様になれば、ここで書いた内容であっても、小学校低学年の子ども達、いやもしかすると保育園の子ども達でも理解できる様になると思います。

たのしい教育研究所の授業は、そういう本格的なものを、子どもたちだけでなく、いろいろな方達に伝えたいのです。

今回は「学び方コース」で取り上げる内容を書かせて頂きました。
日を改めて、その②として「川の作り」から見た今回の災害について科学的にみていくことにします。

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