たのしい教育を深く学び強く応援するメールマガジン(有料)大好評、一年間購読してみませんか/学校、家庭、地域で笑顔と賢さを広げることができます

 たのしい教育を深く学び強く応援するメールマガジンがあります。おかげさまで大好評です。学校、家庭、地域で笑顔と賢さを広げることができるたのしい教育を学ぶことができます。またたのしい教育の普及を強く応援することができ、講座やカウンセリング・文章ドクター等の受講割引、教材購入時の割引等の特典もあります。

 内容は①たのしい教育の今日この頃 ②学校や家庭で実践することができるたのしい教育の方法(教材の紹介) ③ものの見方・考え方としての〈理論・哲学〉 ④自分のたのしみを広げる〈映画の章〉など 毎週充実した内容をお届けしています。


 以前〈発想法・哲学〉の章にとりあげた内容の1/4くらいを抜粋してみます。

板倉聖宣の講演から

〈楽しい授業〉というのは、もともときれいごとじゃなかったんです。
 「楽しい授業なんてできっとない」と思われたから、それを〈きれいごとだ〉と思う人もいなかった。
 そこで私は〈楽しい授業〉というスローガンを掲げたんです。
 ところが今になって〈きれいごとだ〉と思う人がでてきたんですね。いろいろな雑誌の記事などを読むと、タイトルに〈楽しい〉と掲げただけで満足しているようなものが出てきたからです。

 私どもの雑誌も特集なんかを組むと困るんです。
 表題が『たのしい授業』というんですから〈楽しい算数の授業〉とか〈楽しい国語の授業〉とか、みんな楽しいがついちゃう。そこらじゅう〈楽しい〉が洪水になったから、〈いかにして「楽しい」という表題にしないか〉ということには苦労するんです。
 こちらとしては「あたりまえじゃあないか」と思うんだけど、やっぱり、「算数の授業なんか楽しくならないに決まっているんじゃあないか。何とかは楽しくないに決まっているじゃあないか」と思う人がいるから、やっぱり〈楽しい〉とつけたい。 〈これは楽しくなりますよ〉と。それでも、〈表題が『たのしい授業』だからもういいじゃあないか〉というふうにまた思うんだけれども、やっぱりそういう名前を付けたいなあという気がしたりするんです。

 それくらい、楽しい授業なんてそう簡単にできるもんじゃないのです。
 そうだけれども、〈できっこない〉という人が現われれば、「いや、私達は少なくともごの授業はできますよ」というふうに言うことができるでしょう。そういう具体的な教材で言えるくらいになりました。 つづく

 購読は有料(月1000円、年まとめ12000円)。お預かりした大切な費用は全て〈たのしい教育〉の普及に全力で利用させて頂きます。
 問い合わせ・注文⇒こちら 
 ※タイトルには〈メルマガ注文〉あるいは〈メルマガ質問〉としてお書きください

① たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

② たのしい教育をより深く学び、より強く応援するための〈たのしい教育メールマガジン〉を一年間購読してみませんか。カウンセリングや講座、文章ドクター等の割引、教材購入の割引等の特典もあります

たのしい植物入門 ゴボウ/子ども達も先生達も興味をもってくれたお話

 ゴボウという植物には以前から興味関心を持っています。先日、研究所に学びに来ている先生たちにゴボウの話をしたところ、「喜友名先生から聞いたゴボウの話が頭から離れません」という感想が届きました。
 ここにも少し書いてみようと思います。

 ゴボウを普通に食べる国民は日本人くらいだといわれていて、「日本人は〈木の根っこ〉すら食べている」と考える外国人もいます。そしてゴボウを食材として利用している日本人に、海外の人たちは驚くのが普通の反応の様です。

 たしかにゴボウだけ見れば〈木の根っこ〉に見えないことはありません。

木の根っこ ゴボウ

 

 先ほど書いた「ゴボウは木の根っこだ、と考える人たちがいる」ということについて、太平洋戦争後の軍事裁判に、こういう話が残っています。

 国会の参議院法務委員会で法務省の局長斉藤三郎の答弁です。

 俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。これに対して「できるだけいい食物を与えたい」というのでごぼうを買つて来て食わした。その当時 ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつ た。

 そのごぼうを食わしたところが、それが「乾パン代りに木の根を食わして虐待した」というので、五年の刑を受けたという、こういう例もある。

wikipedia

  日本軍が食事として出したゴボウが〈拷問や虐待〉に当たるとして、それに関わった人が刑罰を受けたというのです。

 そのゴボウ。
 地面から上の部分、茎や葉はどうなっているでしょう?
 外国人が誤解しているごとく、この写真の様な樹木に近いのでしょうか。

%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%84%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%85%a5%e9%96%80

 それとも一見、普通の野菜に見えるのでしょうか?
 普通の野菜みたいだとしたら、ピーマンタイプでしょうか、それとも葉やさいタイプでしょうか。

ピーマン

「ピーマン 栽培」の画像検索結果
葉やさい
まず、予想を立ててみましょう。

⬇︎

3

⬇︎

⬇︎

⬇︎

実は上に出した「葉やさい」の写真がゴボウです。
下の写真は土の下の部分と上の部分のゴボウの姿です。
葉やさいタイプですね。
それにしてはずいぶんどっしりした根ですね。
でもニンジンだって茎や葉に対してしっかりした根です。
品種改良の結果なのでしょう。

%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%97%e3%81%84%e6%a4%8d%e7%89%a9%e5%85%a5%e9%96%802

 高校入試や教員採用試験の理科で「ひげ根」「主根・側根」を問う定番の問題があります。
 ゴボウは「主根と側根」タイプです。
 食べるゴボウの部分が主根です。
 その周りについている細かい根が「側根」です。
 すると、ゴボウは「双子葉植物」だということになるのですけど、その話はチャンスがあればいずれまた。

問題を続けましょう。

ゴボウには花が咲くのでしょうか?

咲きます。
仮説実験授業研究会が作成した「花と実」という感動的な授業書がありますから、チャンスがあればぜひ授業を受けてくださいね。
たのしい教育Cafeで授業にかけたこともありましたから、またいずれ講座などでとりあげるかもしれません。

では、ゴボウの花ってどんな花でしょう?

 予想してみましょう。
 色は? 形は? 大きさは?

⬇︎

3

⬇︎

⬇︎

⬇︎

アザミに似た花が咲きます。
4cmくらいの花です。
これがゴボウの花です。

ゴボウ

アザミもそうですが、ゴボウも「キク科」の植物。
菊の仲間です。

 栽培は砂地でないと難しいようで、わたしも挑戦してみましたが20cmくらいのゴボウにするのがやっとでした。
 興味がある人は、ぜひ栽培の仕方なども調べて挑戦してみてください。

ということで、 話はまだまだ続きますすが、「ゴボウ」に興味を持ってくれたみなさんは、ぜひ自分でも調べてみませんか。

今回はここまで。

たのしいく賢く「たのしい教育研究所」です。

① たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

② たのしい教育をより深く学び、より強く応援するための〈たのしい教育メールマガジン〉を一年間購読してみませんか。カウンセリングや講座、文章ドクター等の割引、教材購入の割引等の特典もあります

たのしい教育メールマガジン

たのしい教育研究所のメールマガジンも209号になりました。

最新号の記事は
・たのしい教材「体育館でもたのしくサッカー」
・テレビドラマ「64 ロクヨン」
・たのしい教育の発想法「板倉聖宣 ヒトラーを支持した頃のドイツ」から学ぶ
と、たっぷりの内容をお届けしています。

たのしい教育メールマガジン

お読みいただくには、申し込みが必要です。
月額800円で、毎週お届けします。
拠出していただいた費用は、これからの日本をたのしく引っ張っていく人たちを育てるための活動に利用させていただきます。

みなさんの応援を待っています。

毎日元気で活動する
「たのしい教育研究所」です。

「みんなに支持されてこその科学」|今週のメールマガジンから

日本科学史学会の会長で仮説実験授業研究会の代表 板倉聖宣が還暦の講演会で語った言葉を今週のメールマガジンに掲載しました。

今回は、その一部を抜き出してみます。

短い言葉ですけど、私がなんども読み返している文章の一つです。

 私は「科学とはみんなが理解でき、みんなに受け入れられるようなものでなければならないし、またそのような科学でなければ、本当の意味での〈真理〉に到達することはできない」と考えていました。

私はこれまでずっとそういう思いで学問をやってまいりました。

それなら「真理」というものを知るためにはどうしたらいいのでしょうか。

真理は、押し付けでは絶対に成立しません。
押し付ければ押し付けるほど、それは真理ではなくなります。
真理は多数決で決まるものではなく、そして少数決で決まるものでももちろんありません
真理は最終的な「実験」によってのみ決まるのです。

ですから、初期の段階の予想ではなかなか正しいことは分からないけれども、それを実験で確かめることを繰り返す中で、だんだんと正しい予想が立てられるようになるのです。

真理とはそのような過程を経ることによって初めて明らかにされていくものです。

だから、その途中の段階であわてて真理を決め付けるようなことがあってはならないのです。

「分からないことは分からないと認識しつつ、仮説・実験的に勉強し続けることが重要なのだ」
私が主張してきたのはそういうことです。
真理というものはしばしば少数派の人たちが発見することがあるものです。ですから、少数派の人たちに対して寛容な学問的環境でなければ科学の進歩は望めません。
そしてそれは、社会という枠組の中でも全く同じことが言えるのです。

 

 社会的な真理もまた多数決で決まるのではなく、往々にして少数派の人々によって見出されることがあります。ですから、少数派の人々に対して寛容な社会でなければ、いつまでたっても真理は見い出せず、従って新しい時代を切り開くこともできません。
それなら、少数派が大事にされればそれだけでいいかというとそうではありません。
重要なことは、その少数派の人たちが発見した真理だって、やがては多数派の人々の支持を得られるようなものでなければ真理とは言えないということです。
私が「科学はみんなのものである」というのはそういうことです。

出典は仮説実験授業研究会発行
「大衆の御用学者として生きる」からです。
前後の脈絡を整える意味で最小限にきゆなが手を入れました。

  たのしい教育研究所がすすめている科学教育はつまり
「みんなが支持してみれる科学教育」です

 たのしく賢く、たのかしプロジェクト推進中の「たのしい教育研究所」です

メールマガジンの申し込み方法

たのしい教育活動を応援してくださる方達に向けて毎週発行しています。
月額は 800円です。年間購読料 9600円をまめとてお申込みください。
振込は郵便局・銀行などから可能です。
 ゆうちょ銀行「たのしい教育研究所」宛
(1)郵便局から  記号 17050  番号 10385301 この2つでOKです
振り込み後 office⭐︎tanoken.com  ⇦ ⭐︎を@へ まで連絡をください。