たのしい環境教育〈植物の双子?〉ギンネム・ギンゴウカン

 私いっきゅうの日常は〆切に追われる日々で、それは教師を早期退職して〈たのしい教育研究所〉を設立してから十年くらい続いています。

 そんな中で、たのしく元気にいられるのはほとんど〈自分が意義を感じていること〉だけをやっているからです、「たのしい学力向上」もその一つです。

 そういう〆切いっぱいの日常でも、数日に一度は外に出て自然の中を歩く時間は欠かしません。

 梅雨の日々の沖縄でも時々晴れることがあります。

 陽の光を植物の葉越しに眺めるのは気持ちがいいものです、おすすめですよ。

 ギンネムのタネが陽の光を受けてレントゲン写真の様に中が見えていました。
 ギンネム(ギンゴウカン)はマメ科で〈ネムノキ〉に近い仲間です。このタネの中を見ていて「おや」と脚を止めました。

 みなさんの中にも何か気になった人がいると思います。

 マメ科のタネは〈さや〉の中の一つ一つの部屋に一粒ずつ育ちます。

 真ん中よりやや下側に2つのタネが一つの部屋により添っています、まるで双子みたいです。このさやだけでも10以上のタネが見えるので、実は双子どころではありませんけどね。

 こういうことは、時々起こることなのでしょうか?

 ネットで探しても答えはなかなか見つかりません。これから意識して自由研究していこうと思います。

 野山を歩いて心動かされないことはほとんどありません。外を歩いても〈かけ算九九〉はうまくならないと思います。しかし机の上で学ぶこととは別なタイプの大切な学力が身につきます。

 家族で一緒に歩きに行くのもよいですね、教室で学べない大切な教育になるはずです。はじめから野山ではなく広い公園を歩くとよいですよ。何か発見したら〈たの研〉にも教えてくださいね。たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!

 

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中谷宇吉郎の言葉を読む/たのしい教育の発想法「科学は永遠に進化していくべきもの」

 学生の頃、中谷宇吉郎の「科学の方法」を購入して〈積ん読〉していた。※部屋に積んであるだけ

 その後、板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表/国立教育研究所室長)先生の「科学と方法」という本に感動して、タイトルの似た中谷宇吉郎の本を手にしました、積ん読が役に立つこともあります。分かりやすく書かれた名著でした。

 ところで最近、〈iPS細胞〉研究をとりあげて「科学万能の様に考えてはいけない、中谷宇吉郎もこう言っている」と、その本の中の文章を引用している記事を目にしました。

中谷宇吉郎 科学の方法

「火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないというところに、科学の偉大さと、その限界とがある」

「なるほど確かに、こういう目の前で起こる現象すらまだハッキリさせることができないんだっちた」と心動かされた言葉です。

 さてその記事は〈科学には限界があるのだから、生命の領域まで科学で突き進むのは疑問である〉ということでの引用なのだけど、こういう言葉の切り取りは誤謬(ごびゅう)を誘導する手法の一つにもなります。※「誤謬:論証の過程に潜むあやまり」、板倉先生の「科学と方法」の言葉をあえて利用しました

 中谷宇吉郎は〈解ける問題 解けない問題〉をテーマに語っていて、前段でこう語っています。

 紙はあるだいたい一定の速度で、もちろん普通の石や木片などを落とす時よりは非常に遅い速度ではあるが、とにかく下に落ちてくる。

 そしてある程度は散らばるが、そう遠いところまでは行かない。 もちろん風のない場合の話であるが、 1メートル四方の間には必ず落ちる。

 何遍もくり返してやってみると、真中に近いところへ落ちる場合が多く、 遠くへ行くものは少ない。 そういうことだけならば、 すぐ分かるのである。

 しかし一枚の紙について、それがひらひらと舞いながら落ちていく落ち方となると、これは非常に困難な問題である。

 いわんやテレビ塔のてっぺんから、 一枚の紙を落とした場合、 それがどこへ飛んでいくかという問題になると、これは現在の科学がいくら進歩しても解けない問題であると言った方が早道である。

 いくら進歩してもと言うのは少し言い過ぎかもしれないが、少なくとも火星へ行ける日が来ても、テレビ塔から落とした紙の行方を予言することができないことは確かである。

 ※下線はいっきゅう

 つまり「〈いずれ人類は火星に行ける日がくるだろう〉ということ、そして少なくともその頃の科学の研究の段階では、まだ〈テレビ塔から落とした紙の行方〉を特定することはできないだろう」と語っているのです。それはつまり〈いずれはそれも解決できる様になるだろう〉とも読めることになります。

『火星に行く頃』というとつまり今の時代です、ロボットならすでに送っていて、NASAもイーロン・マスクも〈人間を火星に送る〉と語っています。
 そして確かに、テレビ塔のてっぺんから落とした一枚の紙が何処に落ちるのかという問題を解くことはできません。

「科学にはまだまだ解けない問題がある」それは当然です、「研究してあることを解決できたら、そこにまた未知の領域が広がっていくのが科学だ」と言ってもよいでしょう。

 しかしいずれは空気の流れの力学を量子コンピュータで読み解き「今の状態で落とせば、この半径4mの円の中に落ちてくる確率は◯◯%」という様に予測することができる様になるでしょう。そして次第にその精度が上がっていくことになるはずです。

 中谷宇吉郎は、この本の最後を感動的な言葉で終えています。

 今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして科学に新分野を拓いてきたのである。

 科学は、自然と人間との協同作品であるならば、これは永久に変化しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。

 同じ本を、前段で引用した記事の様に〈科学の可能性の否定〉にも使える。人間に知恵があるから、そういう様に導けるわけです。

 そしてそういうことに惑わされない力も、自らの興味関心つまり〈たのしさ〉で学んでいく人たちには身についていくでしょう。

 教育の未来、学力向上の未来も〈たのしい教育〉で切り開いていきたいと考えています。

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たのしい〈動物生態学〉 昔話を読み解く/浦島太郎が助けたカメはオスかメスか?

 数年前メンバーで西表島を訪ね、〈たの研〉を応援してくれているYさんの船でいろいろ案内してもらったことがあります。その時にウミガメが予想していたより何十倍も速く泳ぐことに驚きました。

 その話をしていた時、友人が「亀といえば・・・」となぞなぞを出してくれました。

浦島太郎が助けたカメはオスかメスか?

というのです、みなさんはどう思いますか?
まず予想してみてください。

 

 オスでもメスでも成り立つお話なので、ぜんぜん気にしたことがなかったのですけど、答えを聞いて私も納得しました。

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予想してからね

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予想してからね

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お話〈ウミガメのオスは一生、水の中で過ごす〉

 海岸で卵がかえると海亀/ウミガメたちは海に向かってはっていき、そこで一生過ごします。

 ただし〈メス〉のカメだけは産卵のために陸に上がって来ます。

 つまり、浦島太郎が助けたカメは〈メスのカメ〉だというのが答えです。

 なるほど!

 すると浦島太郎がカメを助けたのは、海亀の産卵時期の研究から考えると5~8月だといえるわけですね。

 動物の生態はいろいろな研究がすすんでいますから、その視点で昔話を読んでいくと、新しい発見ができるかもしれません。何か見つけたら、〈たの研〉にも教えてくださいね。

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