たのしい春の講座〈出会いも別れもたのしい教育〉の開催が決まりました➡︎ 2023年2月18日(土)!/教育の問題を解決するのは何か?

 年が明けて〈たの研〉の活動も活発になってきました。
 すでにお伝えした様にカウンセリング系の〈Purify2〉を1月に開催し、2月は恒例の〈出会いも別れもたのしい教育〉を開催します。

 別れの春に子ども達と思い出に残る授業をする、出会いの春も子ども達が「先生に受け持ってもらえてよかった」と感じてくれる、そういう授業ができたら、別れの時も出会いの時もいい思い出に彩られます。それは子どもたちと先生の関係だけでなく、保護者との関係もよくなるきっかけになるでしょう。
  ※Purify2は予定人数に達しました

 近々、事務局から案内が届き次第、こちらにも広報させていただきます。

 さてこれは、日頃からたのしい教育を実践してきた先生たちが集まって、こういう授業はどうだろう、こういうものづくりはどうだろうというアイディアを寄せ合っているアイディアミーティングの様子です。

 これはその中で私いっきゅうが構想している授業書のスタートのところをみんなにみてもらっているところです。

 一人ひとり測定したり、外に出てのワークも含むので一時間の流れとしてまとめられるのか、少し流れを整理してから決めることになるのですけど、いずれにしてもこれまで子ども達がたのしんでくれた内容はたくさんあります。

 〈たの研〉が実施する授業は「こども達が笑顔になって〈もっとこういう授業をしたい〉」と感じてくれるという実験結果がハッキリしているものばかりです。

 参加希望の方は、期日を空けていていただけると嬉しいです。

 教師がたりない、不登校のこども達が増える、いわゆる問題行動と呼ばれるものも増えている、クラスでじっとできずに特別支援のクラスに行くことになる子ども達も増えているetc.

 そういう問題は、沖縄なら沖縄の子ども達の「達成度得点」が上がっていけば解決するのでしょうか?
 たとえば〈達成度得点が全国一位〉になったらそういった問題は解決するのでしょうか?

 そうではないことはたくさんの人たちが気づいているでしょう。
 それでも教育界全体がなかなか変われないのはどうしてなのか?

 そういう原因論的なものを云々するより、本質的な解決である(子ども達が笑顔になって自ら勉強にのめり込んでいく様な教育〉の普及をはかる、それができる力ある先生たちを増やしていく、それがたのしい教育研究所の考え方です。

 達成度得点が上がって、全国トップレベルになると、県外の有名大学に入る子ども達も増えていくでしょう。そういう人材が一定数出てきて中央官庁にも沖縄県出身者が入っていく、それは政治的にも経済的にもメリットがあることかもしれません。

 では〈たのしい教育〉をすすめていくとどうなるのか?

 たくさんの子ども達の目が輝き、可能性が伸びていく。
 今まで学校を休んでいた子どもたちも「どうも学校にいくとたのしい勉強を教えてもらえそうだ。家にこもってゲームするのもいいけど勉強もたのしそうだ」という様にして、不登校のこども達の数も次第に減っていくでしょう。
 そうやって広く全体としての教育を押し上げる突破口になるのが〈たのしい教育〉です。
 そうやって子ども達の興味関心を高めるのはよいけれど、有名大学に入る子どもたちが減っていいのか? という人もいるかもしれません。

 いいえ、たのしい教育で子ども達の学力は確実に伸びていきます。
 以前、〈たの研〉で学んだ子ども達のほとんどが東大ほか、県外の大学に進学していった話を書きました。そういう様にして、知的な楽しさや可能性を求めて有名大学に入る子ども達も増えていくでしょう。すると今より中央官庁・省庁に進む人たちも増えるでしょう。

 たのしい教育をしたいと考えていても、それだけではたのしい教育はできません。講座などで、具体的に体感して、その方法を学ぶことが近道です。
 〈たの研〉の講座は、はじめての人たちが明日にでも真似て授業できる様にプログラムしています。
 ぜひご参加ください。

 新年なので少し大風呂敷を広げた話をしてみました。

 賛同してくれるみなさんが増えていくことで、〈たのしい教育〉で自分たちの周りのこども達の笑顔と賢さを高めてくれる先生たちが増えていくことは間違いありません。
 地道な取り組みですけど「このサイトいいよ、読んでね」と周りの人たちに広めてくれることを期待しています。
 可能な方はメルマガを購読し、それを自分たちの周りで実践してください、自分の力で笑顔と賢さを増やしていく取り組みになります。

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たのしいPurify実技 1月21日(土)に開催します

 以前から要望が届いていたたのしいPurify(ビュリファイ)の実技トレーニングを開催します。Purifyはカウンセリング系の講座で、自分自身で心を落ち着ける方法を身につけるプログラムです。
 今回はパニック症などにも活用できる内容を含めます。興味のある方はお申し込みください。

たのしいPurify実技
自分の心をおちつける技法・相手をおちつかせる技法

PEALカウンセリングを学びたい方だけでなく日常の生活で活かしたい方も受講できます!

心を落ち着けること!
 心を澄ませてものごとに向かうことで自分の実力を発揮できます。落ち着かない状況でものごとに取組むと、うまくいかないこともたくさん出てきます。Purifyではいろいろな状況の中で心を澄ませていく具体的な方法をトレーニングします。気持ちよくすごせる場所にいかなくても、自分の場所で実施できるプログラムです。自分で体感できるようになったら相談に来た相手が冷静さを失いつつある時や、パニック症で困っている人に対しても使える様になるでしょう。※クラス全体を落ち着かせる、特に困っているわけではない人をこちらから強制的に落ち着かせるという様なプログラムではありません PEALカウンセラーを目指している人にとっても、すでにPEALカウンセラーとして活動している人にも重要な内容になでしょう。 実技中心の少数トレーニングです、興味のある方は早めにお申し込みください。

日時:2023年01月21日(土)09:00~12:45 ※少し延長の可能性あり

会場:たのしい教育第3研究所(沖縄市登川マクドナルド奥向かい)

講師:いっきゅう先生〈PEALカウンセリング指導者〉

対象:たのしい教育・PEALカウンセリングに興味関心のある方人数:実技中心のため数名で実施します参加費(資料込)一般 9,000円 RIDE会員7500円

服装・持ち物:動きやすい服、タオル、飲み物、マスク

 ※情報保護のため〈録画・撮影・録音〉などはできません

お問合せ 090-1081-7842 (平日 18:00まで)

★申込みは右QRコードから  うまくいかない場合はメールや電話(上記) でも可能です ⇨ office@tanoken.com 

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怒り・憎しみについて考えてみよう-PEALカウンセリング・楽しいカウンセリング入門-ミステリーの名著〈ブラックサマーの殺人〉から

 誰でも怒ったことがあると思います、それが軽いものであった場合には少し時間をおけば過ぎていくものでしょう。けれど大きく深いものであった場合〈憎しみ〉にまで発展していくことになります。すると日々の生活にも影響してくることになります。

 最近読んだミステリーの中に心に刻んでおきたい言葉に出逢いました、メルマガに書こうかと思っていたのですけど、その〈発想法の章〉は仮説実験授業を創造した板倉聖宣先生の話が続いているのでお蔵入りにならないうちにここで軽く紹介させてください。

〈憎しみ〉についていのチェロキー・インディアンの寓話で、最近手にしたM・W・クレイブン著
「ブラックサマーの殺人」の中に出てくるエピソードです。

 クレイブンの前作〈ストーンサークルの殺人〉が抜群に面白く、そこで活躍した刑事ワシントン・ポーと若き女性分析官ブラッドショーが登場するので迷わず手にしました、実に面白かった。
 ただし私の様に映画を含めて数々の作品に触れてきた人にも〈ハード〉に感じる内容です、そういうものも大丈夫だという人は、まず一作目の〈ストーンサークルの殺人〉から手に取るとよいと思います。
〈ハードな内容は遠慮したい〉という方は前回触れた「ザリガニの鳴くところ」をお勧めします、名作です。

 閑話休題
「ブラックサマーの殺人」の中にこういう回想シーンが出てきます。
 老いたチェロキーインディアンが、誰かへの憎しみをたぎらせながら訪れた孫にこう語ります。

「ひとつ話をしてやろう。
 
わたしもひどい仕打ちをしてきた相手に憎しみを感じたことはある。

 しかし、憎しみは心を疲弊させるだけで、自分を傷つけてきた相手にとっては痛くもかゆくもない。

 いうなれば毒をあおりながら、敵の死を願うようなものだ。

 わたしは何度もその感情に立ち向かってきた。

 自分のなかに二匹のオオカミがいて、わたしの魂を支配しようと争っているとでもいおうか。
 一匹は善良で害をあたえるようなまねはしない。
 まわりの連中と折り合いをつけながら暮らし、なんでもないことに腹を立てるまねはしない」

 

「もう一匹のオオカミはどうなの、じいちゃん?」

 

「うむ。
もう一匹は悪いオオカミだ。
 
そいつはいつも怒りに燃えている。

 ほんのささいなことでも感情を爆発させてしまうんだ。
 怒りと憎しみがあまりに激しく、まともにものが考えられない。

 しかも、その怒りは無意味だ。
なにひとつ変えることができないのだからね」

 

 少年は祖父の目をのぞきこんだ。
「どっちのオオカミが強いの、じいちゃん?」

 

 老人はほほえんだ。
「わたしが餌をあたえたほうだよ」

 

いっきゅう

「憎しみは心を疲弊させるだけで、自分を傷つけてきた相手にとっては痛くもかゆくもない。
いうなれば毒をあおりながら、敵の死を願うようなものだ」という部分は重い言葉です。
 願いというのはこちらの一方的なもので、願いそのものに何かを動かす力はありません。たとえばクリスマスプレゼントに〈土佐の剣鉈:けんなた〉が欲しいといくら強く願っていても、自分の心の中にあるだけではそれが枕元にくることはないでしょう。アウトドアに詳しい人でも〈ナイフ〉の種類に詳しいわけではありません、こういうナイフがあること自体知らない人が多いのですから。周りの人に伝えてもプレゼントしてもらえる可能性が少ないと思います。

 

 私の小学校の頃「みなさん、願いは必ず叶います」と本気で語っていた先生がいて、こども心にも「もしそれが本当なら戦争なんて起こらないし、ギャンブルで借金地獄に陥る人はいないでしょう」と考えたものでした。

 叶わない願いを続けながら自分自身は〈毒〉を飲み続ける…
 相手ではなく自分の寿命を縮めていることになるのです。
 実際〈怒り〉などの感情は循環器系によくない影響を与えます、血圧も高くなるでしょう、睡眠時間も減っていくでしょう、実質的にも毒といえば毒です。

 怒り・憎しみにとらわれている時
「それは自分の心を疲弊させるだけで、自分を傷つけてきた相手にとっては痛くもかゆくもない」と気づくことはきっと難しいかもしれません、カウンセリング的なアプローチが必要になる場合も多いと思います。


 PEALカウンセリングではそもそもその怒りは解決していく必要があるものかを整理して、必要があるという場合は〈怒り〉などの感情を利用せず問題解決していく選択肢を一緒に考えながらすすめていくことになります。

 ただしカウンセリングを受けないまでも、ここで書いたおじいちゃんと孫の話を心にとめておくことで、新しい変化も生まれてくるとおもいます。一人の人間として心にとめておきたい言葉だと思うのですけど、どうでしょうか。

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「われわれは皆どこかおかしい」〈イタリアのことわざ〉という発想

 次号の〈たのしい教育メールマガジン〉の「映画の章Plus」に〈自閉症スペクトラム〉について触れるので久しぶりにアメリカ精神医学会が作成している〈DSM〉という精神疾患の診断基準・診断分類マニュアルの中身を具体的に確認しています。

 みなさんは精神疾患、たとえば〈うつ病〉とか〈適応障害〉といった病名はいくつくらいあると思いますか?
  予想してみてください。

予想

ア.10くらい

イ.50~70

ウ.100~120

エ.200~220

オ.250~

どうしてそう予想しましたか?

 

まだ、調べ始めなのでこれからというところなのですけど、ある論文の中にこういう文章を目にしました。

「19世紀半ばにおこなわれた精神病患者に対する最初の調査には6つの疾患しか載っていなかった。現在では200近くある」(Frances,2013,p.53)
だが Frances は診断名の数を低
くみつもりすぎていて,Ghaemi(2007)による と DSM-III-R(American Psychiatric Asso-ciation, 1987)では292,DSM-IVでは297の診断名がある。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscap/57/1/57_205/_pdf/-char/ja

DSMはバージョンが新しくなるほどにどんどん新しい病名が加わっていますから、DSM5では300以上の精神疾患が分類されていることでしょう。

 症状の訴え方によっては〈片付けないと気持ちが落ち着かない人〉も精神疾患となり、〈かんしゃくをおこしやすい人〉も病名がつけられてしまうことになります。

 こういう様に精神的なものにどんどん病名をつけていって何がどうなるのか?

 一番大きなことは〈薬を処方できる〉ことです。

 ところで、学校でも行動スタイルにしろ成績にしろ、その学年の普通のこども達の状態から大幅に外れてしまう子どもは特別支援クラス対象になってしまうことがあります。

 どんどん〈特別な集団〉を作っていく、「平均からかなりはずれているので指導が難しい」という人たちを別のクラスに分けていく流れもDSMでどんどん精神疾患名が増えていくことととても似ています。

 イタリアに「われわれは全てどこかおかしい」という諺があります、そういう集団が社会なのだということです。
 〈私は全て平均値〉なんていう人はいません。
 みんなどこか平均値から大いにずれているところがあるでしょう。

 もちろん私いっきゅうにもたくさんあります、学校で「子ども達の方が自分よりはるかに上だ」と感じたことはたくさんあります。

 病気を増やし平均よりこれくらい低いという人たちをどんどん分類していく状況の中で「みんなヘンなところがあるんだよ、そういうどこかおかしいところが作用しあって、社会全体はよりよい方向にすすんでいくのだし、より優しい社会になっていくんだよ」と考える人たちが増えていくことも大切だと思うのですけど、どうでしょうか。

 もちろん、この人には特別な手立てが必要だしそれでどんどん伸びていくということもありますから、一方の面からではなくその両方の面から考えをすすめていける人たちが必要なのだと思います。

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