みなさんはこの疑問に何と答えるでしょう?
「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したといいます。いろいろ話を聞くと〈創造性〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのですから〈たのしさだけ〉を主張してはいけないのではないか」
たのしさだけでなく、耐え忍んで、がんばって勉強することも大切である、というわけです。
「楽しさだけを強調してはいけない」という意見にどう答えますか?
このことを正面から否定できる人はほとんどいない気がいます。
どうでしょう、みなさんならどう答えるでしょう、少し考えてみませんか。
あなたの考え⬇︎
※
板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表・日本科学史学会 元会長)が「板倉式発想法講座1994.05.06」でこういう話をしてくれています。
要旨の部分を書き抜きましょう。
板倉
4月22日(1994)に国立教育研究所で「授業はたのしいだけでいいか」というテーマで所内講演会がありました。
私が想像した以上に、たのしい授業に対する批判は出ませんでしたが、普通ではあまり聞かない質問や意見が2~3ありました。
その一つが「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したではないか。いろいろ話を聞くと〈創造牲〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのだから、たのしさだけを主張してはいけないのではないか」という意見でした。
これまで学校の先生に「たのしい授業」の話をすると、不思議なことにこういった議論は全然出なかったんですね。
こういった意見は「やっぱり耐え忍ぶ能力が必要なんだ」ということなんでしょう。でもこの意見には簡単に答えられるんです。
エジソンは〈楽しいから汗をかいた〉んです。
イヤだからやったんじゃないです、自分の霊感が閃いて成功するに決まってると思ったから汗をかいたんです。
成功しないだろうと思いながら耐え忍んでがんばったんじゃないんです。私が仮説実験授業を始めるときに掲げた大きなスローガンは〈先生方ををできるだけ楽にさせて成果をあげる〉ということでした。
〈先生方の労働時間を滅らして、できるだ楽に授業ができるようにしてあげよう〉と考えたのです。ところが仮説実験授業を始めたとたんに勤勉になってしまいました。
それでわたしは「勤勉になったら勤勉であってもいいんですよ。何も勤勉にならないのが大事なのではなく、勤勉になりたくなってしまったら勤勉になればいいんです。勤勉さを恥じらう必要はありません」という文章を書いたことがありました。普通は勤勉にやったって成果があがらないということがわかってるから、いや成果があがったという感じがしないからやらないんです。
ところが勤勉な人はみんな成果が見えてしまう、成果が見えちゃうと勤勉にならざるを得ない。勤勉になるためには〈たのしさ〉がなかったらむりなんです。
たのしくなって勤勉になる、そして成果が見える。
イヤな気持ちでがんばったってできません。
いや、そもそもがんばれないんです。
勤勉というものは努力するものではなくて、結果が見えるから努力をしたくなってしまうものなのです。その点、日本の教育は明治以来ずっとまちがっていました。
「たのしいからやるのだ。結果が見えるからするのだ」ということがわからないで「努力しなさい、努力することが最も大切なんだ」と言い続けてきたんです。
今日の記事はどうだったでしょう、ご意見ご感想をお待ちしています。
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