「たのしい教育」に興味を持ってくれている方達の数の変化② ☆

前回「たのしい教育」に興味を持ってくれている方の数がどんどん増えて来ている事をかきました。
うちのサイトの閲覧者の伸びのグラフを載せましたが、実はもう一つ、気になっている数字があります。
webサイトの「検索キーワード順位」です。
嬉しい事に「たのしい 教育」という2つのキーワードで検索するとトップに来ます。
「楽しい 教育」でもトップです。
スクリーンショット 2014-08-25 0.14.45しかし、単に「たのしい」というキーワードで検索すると、どうなるのでしょうか?
この検索キーはあまりにも範囲が多すぎます。
けれど「たのしい」というフィルターの中で「教育」というジャンルがどの順位に位置しているのかを、あえてこのキーで拾ってみたいのです。

Googleで「たのしい」と検索をかけると約300万件ヒットします。
その中には
・「たのしい一年生」という講談社の雑誌のサイト
・「たのしいUNIX」というパソコン用OSのサイト
・「たのしいRuby-第4版-高橋-征義」という書籍の紹介サイト…Amazon
・「たのしい川辺」という有名な児童文学
・「たのしい家」…介護付き老人ホーム
などなど、多岐にわたるジャンルのサイトが並びます。

※御存知の方も多いかもしれませんが、この並び方は、いつも利用する人物の興味関心度合いで違ってきます。つまり、おなじ「たのしい」で検索しても、これを読んでくれている皆さんの検索ではいくらか違う様な並びになるのです。といっても、全く隅々まで違うことはありません。幾らか違ってくるという事で理解してください

さて、このように「検索」をかけた時に、なるべくトップに位置する様な仕組みをつくることを「SEO」と呼びます…企業にとってその位置はかなり重要で、その検索ヒットの位置をあげる仕事を請け負う企業もたくさんあります。
月100万という額を聞いた事もあります。

さて、さっきあげた「たのしい」でヒットする300万件の中で、上位にくるサイトは、「講談社」であったり「アマゾン」であったり、「福祉関連の企業」であったりで、おそらくエキスパートがついていてSEOに、かなりの力を入れているサイトです。

ではわが「たのしい教育研究所」はどうか?
・サイト構築約1年
・とても小さな組織
・東京でも大阪でもニューヨークでもなく、沖縄という都会から離れた場所で地味に活動
・webの専門家が管理しているわけでもなければ、web担当者がいるわけでもない
というサイトです。

皆さん、予想してみませんか?

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もんだい
「たのしい」というキーワードで検索すると全部で300万件ヒットします。その中で「たのしい教育研究所」は何番目あたりに並ぶでしょうか?

予想
ア.半分より下(150万件より下)
イ.半分くらい(150万件目前後)
ウ.50万〜100万件目
エ.1000〜1万件目
オ.その他
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実験編
さっき書いた様に、個人の検索のクセで並びが違う事がありますから「検索エンジン順位チェックツール」というサイトでチェックしてみました。

 ⇩この上から3番目のキーワードの数字を見て下さい

スクリーンショット 2014-08-25 20.32.18なんと2014年8月24日現在
Googleで33位
Yahooで32位です。

変動があるので他のサービスで検索すると、もっと高い数字を出してくれたところもありました。(皆さんも検索窓に「たのしい」と打って、うちのサイトが何番目にくるか確認してみませんか)

いずれにしても単に「たのしい」というキーワードだけで35位 以内に入ってしまっている事にとても驚いています。これを読んでくれている琉太郎さんもそうでしょう。

たのしく取り組んでいる結果がこういう処でも見えてきて嬉しい日々です。

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たのしい教育研究所の公式サイト 訪問者16000人突破 ☆

琉太郎です。
RIDEロゴしっかり版0609a
この公式サイトが出来て1年になります。
先ほど、訪問者の数が16000人を突破しました。
心からお礼を申し上げます。

たのしい教育研究所の活動を広く紹介するために設立したサイトですが、予想していた以上の勢いです。

いっきゅうハカセを中心とした研究所のメンバーの活動が多岐にわたっていることにお気づきでしょうか。

かつて、私もいっきゅうハカセと月に一度は喫茶店やレストランに集まって、
授業のことや今後の展望について何時間も語りあっていました。

それも今では、年に数回程度しか話すことができないほど忙しく全県を飛び回るようになりました。
文字通り、たのしい科学の授業をどんどん展開しています。

時々、参加者の感想文が掲載されていますが、その文面から、参加者の喜びや興奮が伝わってきます。
一人でも多くの方が授業を受けられることを願っています。

授業を受けた本人にしか、その授業のすばらしさは、わからないと思います。
これからも、そういう機会を多く企画していきたいと思います。
応援をお願い致します。

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書簡:琉太郎「理想を掲げて妥協する」とは−『新哲学入門』より−

いっきゅうさん

琉球新報での記事を読みました。
ガリレオの生き方を通して、沖縄の未来を語る内容に強く納得している自分がいました。
できるだけ多くの沖縄の人に読んでもらえたらな、と思いました。
いっきゅうさんの書簡で紹介している板倉さんの
「理想を掲げて妥協する」も、私も学んでいます。

私はこれまで、板倉さんに学んで、数々妥協してきたような気がします。
でも、沖縄に仮説実験授業を実践する先生を増やしたい、
という大切な夢は継続中です。
これまで行動してきことを簡単に紹介しますね。

〇サークル活動をおこなう
〇仮説実験授業に関する講座をおこない、理解者を広げる
〇職場においては、一番の基本は、授業ができるということ
それを最優先にする。そのために妥協できることはする
〇人間関係でぶつからない
〇学び続ける
でしょうか

「理想を掲げて妥協する」と言う言葉は、とても実用的な言葉だと思います。
教育や政治経済、生き方にまで応用が利くと思いますので、
板倉聖宣さんの文章を読者の皆さんプレゼントしたいと思います。

「理想を掲げて妥協する」といのは「妥協せざるを得ない事情が
支配するところで妥協する」ということであって、「理想を捨てる、
忘れる」ということではありません。

自分の理想にばかりにこだわっていると摩擦が
大きくなりすぎるときは妥協し、
「妥協しなくてすむような条件下では、日頃の自分の考え、
理想をどしどし実現する」ということなのです。

多くの人々はそういう考え方ができないように思われてなりません。
では、どうして多くの人々は、「スキあらば理想を実現する」
というしぶとい生き方ができないのでしょうか。

それはどうも、多くの人々は妥協することが大嫌いでありすぎる
からのようです。
つまり、「どうしても妥協せざるを得ない状況下に置かれると、
妥協を嫌うあまり、それあまでの自分の理想を下ろしてしまう」
ということになるのでしょう。

妥協というのは理想を掲げるからこそ問題になることで、
理想を捨てれば「一切の妥協を排除する」ことも可能になるわけです。
したがって、理想を心にいだいた以上、
その実現までは妥協を重ねるのが当然です。

妥協をそんなに嫌うより、むしろ「いつも自分の理想が実現するときをうかがい、
スキあらばそれを実現していく」という覚悟が大切だと思うのです。
私のいう「理想を掲げて妥協する」という言葉、生き方の真意は、
そういうところにあるわけです。

私はこれまで、多くの人々にこの言葉を伝えて、
多くの若者たちが妥協を毛嫌いすることなしに理想を
持ち続けて生きることができるようになったことをよろこんでいます
板倉聖宣著『新哲学入門』(仮説社)

 (琉太郎:記)
新哲学入門―楽しく生きるための考え方 (ものの見方考え方シリーズ 1)

たのしい教育とは-書簡 琉太郎様「エリート効果の危うさについて」

りゅうたろうさんがこのサイトに書いてくださった内容を丁寧に読ませていただきました。
板倉聖宣の発想法と哲学を追いかけている私にとって刺激ある文章でした。

ところで私は、りゅうたろうさんが今回取り上げた「エリート効果」の危うさを感じている一人です。
「エリート効果」という確かにあるのでしょう。
「あの山に一番先に上りたい」という様な先駆者意識というものを大事にしている人達はたくさんいると思います。
けれど、たのしい教育活動の広がりは、そういうモノを拠り所にしてはいけないのではないか、そういう事を考えているのです。

その事を話したくて書簡として書かせていただく事にしました。

たのしい教育活動の始まりが例えば、周りの人達がやっていなかった事による「エリート効果」であったにせよ、たまたま知人がやっていて、その付き合いとして始まったにせよ、それはどういうきっかけもありだと思うのです。きっかけはいろいろあってよい。
ちなみに私は「たまたま」の組みです。

ある人が「たのしい教育活動」を続けていこうと決断する時、周りがやっていないという事による「エリート効果」で広がっていくのではなく、たのしい教育を試した事による、実験結果としての「子ども達の笑顔」であったり「自分のわくわく感」であったり、「保護者の方達からよせられるファンレター」であったり、そういう「自分の本質的な喜び」として継続していくことを目指したい。

もしかすると、あの文章の続きで、板倉聖宣はそういう趣旨の事を語っていたのではないだろうか?
語っていなかったにしても、「語りたかった」のではないだろうか、そんな事を考えています。

エリート効果というのは「周りの人達から一目置かれる」という、周りの評価を気にした行動です。
そしてりゅうたろうさんが引用していた様に、それが広まると必然的に意欲が低くなってしまうものです。

私たちが大切にしている「たのしい教育活動」が広がっていく時に、そういうものを拠り所にしていてはあぶないのではないか。
そういうものではなくて、
「これをやると自分がたのしくてたまらないんだよね〜」
という様な、個人として湧き出て来るものを大切にしていく、という事が私の活動の指針です。

さっきは、板倉聖宣はそういう事を語りたかったのではないか、と書きましたが、実はりゅうたろうさんも、そういう事を考えていたのではないか、そう予想しているところです。
いっきゅう筆
たのしい授業の思想