模倣の時代は去った 仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣が語ったこと

 最新号のたのしい教育メールマガジンの反響がいくつも届いています。多いのは、仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣の「たのしい教育の思想」に関するものでした。

 きめられた一本道をつっぱしる教育,それは「できる授業」「わかる授業」だけでもすみます。しかし,自ら道を開くための教育となったら,道を開くたのしみを教える「たのしい授業」以外にはありません。

 板倉聖宣が「月刊 たのしい授業」の創刊号で、そう高らかに宣言したのは1983年、わたしが大学の4年次になった年です。翌年に教師となり、できたばかりのたのしい教育のサークルで、その内容を発表してから、もう何百回と読んできた内容です。メルマガから少し書き取ってみます。

 模倣の時代は去った
 いま私は,「昔のエリート教育の内容はいまの大衆教育の内容にはそぐわない」といいましたが,これは誤解をまねきやすい言葉です。「昔は中学校や高校には頭のいい生徒だけが入ってきたからよかったのだが,いまは素質の悪い学生まで入ってくるからいけないのだ」と考える人が少なくないからです。しかし,「いまでも一部の少数のエリートだけは昔ながらに熱心に勉強しているか」というと,それもそうとはいえないのです。出来のよい生徒もまた先駆者としての意識をもてず,昔のエリートのような学習意欲をもてないでいるのです。
 いまの劣等生のために程度の低い教育内容の準備だてをすることが必要なのではないのです。新しい社会の情況に合わせて根本的に教育内容を改める必要があるのです。
 日本のエリート教育が行きづまったのは,じつは,「日本の学校教育が量的に普及した」ということだけによって生じたわけではありません。これだけの教育の普及があってもなおかつ,日本が後進国で,依然として外国の文化をとり入れつづけることに大きな精力をついやす必要があるのだとしたら,これまでの日本の学校教育はいまのような問題点をかかえなくてすんだかも知れません。前の方に見習うべきたしかな文化があるのなら,学校教育が大衆化しても,その文化をとりいれることに情熱をもやしやすいからです。

「日本の学校教育は後進国型だったので,国をあげて外国を見習うことに情熱をそそいできたのが,今ではいつの問にか多くの面で世界の先進国並となったので目標を見失うことになったのだ」といってもよいと思うのです。
 明治以後の日本は,科学も技術も芸術も思想も民主主義も専制政治もみな外国を模範として,ほとんど全面的にそれをとり入れるために学校教育制度を充実させてきたのです。そしてそれが,敗戦後いちおういきつくところまで行きつき,GNPも世界の先進国並となるところまでに達し,世界一の公害国にまでもなったのです。
 もちろん外国にはまだ私たちの学ぶべきすぐれた文化はたくさん存在します。しかし,「何から何まで模倣すればよい」という時代はすぎさったのです。昔は舶来品といえばいいにきまっていたのが,いまでは一部のものを除いてそうではなくなっています。
 考えてみれば不幸なことではないはずです。
「外国に追いつき追いこせ」というスローガンの「追いつけ」が実現したら,後半の「追いこせ」を実現するように努めればよいわけです。

 自ら新しい道を切りひらく喜びを
 しかし,じつは「追いつけ」から「追いこせ」に頭を転換することは,そう簡単なことではありません。だから問題がおきているわけです。
 かけっこの場合なら,走るコースはきまっていますから,追いついてきたコースをそのまま走りつづければ追いこすことができて,安心して先頭を走ることができます。
 しかし,歴史のかけっこはそう簡単ではないのです。先頭をいく人びとはいばらの道をきり聞く仕事をしなければなりません。
 しかも道をどっちの方向に聞いていったらよいのかわかっていないのです。「いろんな人がそれぞれの思いどおりにいろんな方向に道をひらいていって,だれかが成功したら,また,みんなで手分けして新しい道をさがして切りひらく」という仕事をしなければならないのです。

すでに多くの人びとによって広く聞かれた道をまっしぐらに走るのとは勝手がちがうのです。一本道をまっしぐらに走るのなら,そこには序列がつきます。そして先頭の人も迷わずみんなをひきつれて走ることができます。しかし道がなくなったらどうしたらよいのでしょう。自分たちで道を開くのです。銘々各自のいいと思う方向に道を開いていくのです。
 「いばらの道」といい,「ほとんど先が見えない」というと,その道を開く仕事はとても苦しいだけのように思えるかも知れません。しかし,そこには開拓者の喜びがあり,創造のたのしみがあることを見落してはなりません。その道を開く意欲は,創造のたのしみ,開拓者の喜びを知っているものだけがいだきうるのです。
 きめられた一本道をつっぱしる教育,それは「できる授業」「わかる授業」だけでもすみます。しかし,自ら道を開くための教育となったら,道を開くたのしみを教える「たのしい授業」以外にはありません。
 こういうと,「そういうたのしい授業が必要なのは大学か大学院でのエリート教育だけで,小中学校などはいままでどおりのかけっこ教育でいいのではないか」という人がいるかも知れません。しかし,その考えのまちがっていることは,いまの日本の教育界の混乱をみてもわかります。一本道をまっしぐらに走ることになれてきただけの人は,いきなり「ここから自分で道を開け」といわれても,ただとまどうより他ないからです。すでに人の開いてきた道をすすむにも,たのしみながらすすむことができてはじめて,新しい道をみずから切り開く喜びもわいてくるのです。

 実は板倉聖宣が、こういう内容を語ったのは、その時が初めてではありません。仮説実験授業ができてしばらくして、たのしい授業の意義を語り始めていますから、もう50年くらい前にさかのぼることができるのです。

 教育の状況はなかなか大きくは変わりません。
 しかし、その少しずつの変わり方も、たのしい教育研究所にとって、まさに〈新しい道を切り開く活動〉ですから、たのしくてなりません。

 明日の休日は、またたくさんの若い先生達がやってきます。
 未来の教育を切り開くためにも、たのしく力を注いでいきます。

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板倉聖宣の発想「つまらないことを勉強しない人の素晴らしさ」

「たのしい教育メールマガジン」が、今週も好評です。

仮説実験授業研究会代表の板倉聖宣(日本科学史学会会長)が語ったことを「たのしい教育の発想法」の章に掲載しています。

タイトルが「つまらないことを勉強しない人の素晴らしさ」です。

たのしい教育の発想法「板倉聖宣聖宣」

 

今回は、その章を補完する形で私の考えを加えたいと思います。

優等生は、先生や大人達から言われたことを大切にして、何でもがんばって取り組みます。逆に言えば、そうやってがんばっている人たちを優等生と呼ぶのです。

そして「教育者」は、その優等生だった人が多いのです。

ですから、今の教育を強く支えて来た人たちは、優等生だということができます。

「いわゆる〈悪ガキ〉的なタイプだった」という人たちは、先生や大人たちのいうことをそのまま素直に受け入れなかった人たちです。

先生から「これを勉強します」というように言われても「つまらないことは勉強しないよ」と考える人たちです。

では、そういう人たちは教育を支えていないのか?

実は、教育の水準を上げるのは、そういう「つまらないことは勉強しないよ」という子ども達でもあるのです。

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板倉聖宣の発想から「親の義務とは」

仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣は、もともと科学史の専門家で、日本科学史学会の会長を務めています。

「科学がどのようにして生まれ、どのようにして大衆のものとなっていったか」という研究の中から、その流れを定式化して提唱したのが「仮説実験授業」であるといってもよいのです。

この写真は沖縄で開催された冬の全国大会の時の板倉聖宣 です。
わたしの質問に、目の前で熱く語ってくれている様子です。

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板倉聖宣(日本科学史学会会長)の発想法

私が発行しているメールマガジンには「たのしい教育の発想法」の章があって、仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長の板倉聖宣が語った内容を紹介しています。

最新号に載せたのが「あきらめる志」です。

熱意あふれる教師が「これでもか」というような勢いで、いわゆる「できない」と表現されている子ども達にいろいろなことを指導する。
それは良いことなのか?
一生懸命がんばることがよいことなのか?
そして「教育」とは誰のためのものなのか?

それらを的確に語った「たのしい教育」の根幹に触れる迫力ある内容です。
rp_e906fc0cff95ba328495b925a5774a70-250x193.jpg興味のある方はメルマガをご要望ください。

さて、その文章の前書きとして、こう書きました。

 今回も30年ほど前の板倉聖宣のお話からお届けします。わたしが「たのしい教育」にのめりこんだ時期なので、十分に個人的バイアスがかかっている可能性がありますけど、この頃の板倉聖宣はかなりの勢いです。1986年5月28日東大阪の先生方の集まりで語った内容です。

すると、読者の方からすぐにこういうメールが届きました。

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