楽しさの進化論ーダーウィン研究-楽しい学習・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 前に書いた様に、ダーウィンさんの『種の起源』を子ども達が感動してくれる様に翻訳したいという思いはずっとあって、私の仕事のかなりの部分を削いでそれに当てて良いのかどうか真剣に考えているところです。

wikipediaに感謝を込めて ダーウィンの肖像画を引用

 ところでダーウィンさんというと『種の起源』が有名ですけど、他にもいくつか重要な本を著していて『人及び動物の表情について/The Expression of the Emotions in Man and Animals』という著書の中で〈表情や心の面の進化〉についても語っています、たのしい教育研究所が主張する「たのしさが決定的に重要」という発想とも関係するものがあるので、今日はその話を書かせてください。

 ダーウィンさんはその本の中で、人間や動物が表情を作るときに使用する筋肉や神経系を調べ、表情が社会的コミュニケーションにおいてどのような役割を果たしているのかを調査し、表情が感情や社会的状況を伝えるための重要な手段であることを示した上で「〈表情や感情〉も進化の過程で発展してきたこと」を指摘しています。

 私たちの身体の〈形状〉や〈形質〉だけでなく、〈感情〉や〈感覚〉といったものもそれらも〈自然淘汰〉〈自然選択〉の過程で発展してきたのだろうと考えてよいということです。

 どうして私たちに〈笑い〉という表情や感情があるのか、どうして私たちに〈怒り〉という表情や感情があるのか、それらの表情はある時、突然身につけものではなく進化の過程で獲得したということです。

朝日デジタルに感謝を込めて引用 https://book.asahi.com/jinbun/article/14346441

 そのことは「人間は猿と同じ仲間から進化してきた」という話より、賛成してくれる人たちが多い様に思うのですけど、どうでしょうか。

 私たちの中にある「たのしい・楽しい」という感情・感覚も同じ様に、人間の長い歴史の中で大切に育て進化してきたものの一つです。

 論理的にうまく説明できないけれど、どうもこういうことをしているとたのしいというものたちです。

〈恐ろしいものを避け、たのしいものに向かう〉私たちはそういう様に進化してきました。
〈たのしい教育研究所〉が追求しているのは、他の人たちの苦しさの上になりたちたのしさではありません、周りの人たちにも笑顔が広がっていく〈たのしさ〉です。

 こどもたちが「もっと学びたい」と感じてくれる授業、それはたのしいに違いありません。先生たちが「教師になって本当によかった」と感じてくれる教育、それもたのしいことに違いありません。

 たくさんの方たちがそれに賛同し、たのしい教育研究所を応援してくれることを期待しています。
 応援してくださる方は、その一歩として「このサイトいいよ!」と周りの人たちに送ってくださると嬉しいです!

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思わず笑ってしまう言葉たち/笑いについて考える たのしい発想法入門

 以前、うるま市に〈レクセンター〉という公共施設がありました。そこで仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣先生や実践的なアドラー心理学を日本に広めた野田俊作先生を招いてよく講座を開催していたのですけど、入り口にこういう立て看板がありました(記憶図)。

 それを見た野田先生がポツリと「犬は文字、読めないんだけどなぁ・・・」とつぶやき、それに吹き出してしまったことがありました。

 以前、空港でこの張り紙を見たときも笑ってしまいました、「本気か!」

 インターネットを利用しているとこういったチェックボックスが出てくる様になったのはいつからだろう・・・

 人間である私がサイト管理者に「私はロボットじゃありませんので許可してください」といってたのんでいるわけです、実際にそう会話している場面を想像すると笑ってしまいます、他の人はおかしさを感じないのかなぁ…

笑いの定義

 お笑いの人だったか学者だったか忘れたけれど、テレビで
「結局〈笑い〉というは、誰かを下に見る、バカにする時に出てくるものですよね」と真剣に語っているのを聞いて
「一部の笑いを全体に当てはめて定義するなんて困ったことだ」
と思ったのだけど、周りの出演者たちはうなずきながら「たしかに!」と共感していて、さらに困ったことだと感じたことがあります。

 たとえばここに出した三つの笑いはどれも、誰かを下に見ているわけでも、バカにしているわけでもありません。

 好きな落語家だった〈桂 枝雀:かつら しじゃく〉は
「笑いの根底には〈緊張と緩和〉があって、緊張の中でそれが緩和された時にフッと笑いが出るんです」
と語っていました。

 枝雀の落語は好きだったけど、彼の定義も笑いの一部でしかないでしょう、上にあげた三つは、どれも緊張状態がゆるんだ時の笑いではありません。

笑いは感情の一つ

〈笑い〉というのも感情の一つです。

 感情というのは、頭でああだこうだと考えて生み出すのもあるかもしれないけれど、ほとんどは無意識的にパッと出てくるものです。

 そういう感情を定義するというのはとても難しいことです。

 たとえば〈好き嫌い〉を定義しようとしても大変だろうと思うのだけど、どうだでしょう。
 ためしに好きな食べ物について〈自分はこういう食べ物が好きなんです〉という様に一言で説明できるかどうか考えてみてください。
 できますか?

 ・自分は甘いものが好きだ⇨辛いものは?
 ・自分は高い食べ物が好きだ⇨高ければよいの?
 ・自分は肉系が好きだ⇨アイスクリームは?

 恋愛中の人物に「なぜ相手を好きになったのですか」という質問に明確に答えるのも難しいでしょう。
〈背が高いから〉〈目がキリリとしているから〉〈収入が安定しているから〉〈健康だから〉etc. いろいろあげていっても、ではそれに適合する他の人でもよかったのかとなると、かなり怪しい。
「双子なんだからどっちでもいいでしょう」なんていったら人権問題です。
 結局〈好きだから好き〉としか答えられない状態になる気がするのだけどどうでしょう。

感情とは

 感情というものは、理論的に考えをすすめて出てくるものもほんのわずかにあるとはいえ、そのほとんどは、人類の長い歴史の中で蓄積されてきたものたちを刻みつけた〈DNA〉という莫大な量のデータ蓄積があって、さらにその人が人生の中で蓄積していくたくさんの〈知識や経験〉、そこから生まれてくる〈想い〉や〈理想〉などもどんどん重なって、とてつもない量のデータベースからフッと生み出されていくものです。そのとてつもない量のデータベースを元にしたものを「無意識」と名付けることもあります。

 笑いも感情の一つです。
 懐かしい友人と会った時になぜか笑いが込み上げてきたりetc. 説明できない笑いは数え切れないくらいあって、それもその人固有のそういう無意識のシステムの中から生まれてくるものでしょう。

 いろいろなところで授業していると、たくさんの笑いが生まれます。いろいろな人たちの心の奥をゆさぶった証でしょう。
 するとそれを見た私にも笑いが生まれてきます。

 先に紹介した〈他人を見下す笑い〉というものが、ものの数に入らないくらい、そういう気持ちよい笑いを増やしていきたいと思う今日この頃です。

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たのしい教育の発想法〈板倉聖宣〉の発想を丁寧にたどる/楽しい学習・楽しい発想法・楽しい教材・楽しい学力向上

 今週の〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章で紹介する内容をいろいろにつくろっています。先週はアドラー心理学の師匠〈野田俊作〉先生が著書で語った内容を紹介しました。

野田

 ときどき私の家へ宗教の勧誘が来ます。
「神様に関心はありますか?」と。
 その人たちの顔を見るとたいてい不幸そうな顔をしている。
 ・・・

 という言葉から始まる内容です。大阪人の野田先生は特有のノリがある刺激的な表現も多用するのですけど、その根幹はシンプルです。

 野田先生の言葉にリンクさせて、もう一人の師〈板倉聖宣〉先生の「願うことで真実には至らない」という話にしようかと考えはじめています。

 板倉先生は東京の下町出身で、語り口は野田先生とかなり違うのですけど、同じ様に言葉の根幹にあるものはシンプルです。
 それを私たちが納得できるように丁寧に言葉を重ねてくれます。

 始まりのところを少し紹介しましょう。

板倉

〈科学の大衆化〉というのは、それを望む人がやると科学の大衆化 ができるとは限らない。

「大衆化を望めば大衆化する」というのであれば非常に簡単な話です。

 「人間性豊かな人間になろう」、そう望んで教育すればそうなるということなら簡単なことです。

 自然科学は「そうではない」ということを教えている。

 このサイトでは始まりの部分を少し紹介しただけなので、野田先生の言葉と板倉先生の言葉がリンクする様には思えないかもしれません。

 祈りや願い、救いという部分で両者が結びついていきます。

 願いや祈りが叶ったり、平和になったり、自分が犯した罪を許してもらえるというのが宗教だとすると、たくさんの人たちが宗教を信じているロシアやウクライナで最も悲惨な戦争が続いているのはどうしてだろう。

 宗教と科学が対立するのではなく、〈宗教が人々の心をおちつけ、科学的に確かめられたものに従って淡々とすすめていくプロセスとして二つが結びついていく〉としたらどんなによいだろう。

 そういうことを考えています。

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長く続くことはよいこととは限らない- 板倉聖宣1994年 月刊たのしい授業〈続刊のことば〉から

 応援してくださる皆さんのおかげで、たのしい教育研究所(RIDE)は10年目を迎えています。〈たの研〉を強く応援して下さった板倉聖宣先生が創刊した『月刊たのしい授業』が11年目を迎えた時「長くなるとマンネリになり、創造性が失われるおそれがある」と語ったことがありました。
 今回はその言葉を紹介させていただきます。〈たの研〉の代表として強く意識しておきたいと考えています。

 板倉聖宣

 本誌『たのしい授業」は1983年3月に創刊されました。そこで本誌もこの4月には創刊以来11年目を迎えることになります。

 ふつう何事も「長く続くことはいいことだ」と思われているようです。しかし私は必ずしもそうは思いません。

 伝統が長くなると、とかくマンネリになり、創造性が失われる恐れがあります。ときには古い伝統を投げ打つ覚悟をしないと、新しい試みに挑戦することができにくくなる恐れもあります。

〈たのしい授業〉という言葉がごくごく当たり前になれば、本誌の役割の大半は失われたことになるかもしれません。そうなれば私たちはその時代の新しい要求に即した新しい雑誌を出したほうがいいのかも知れません。

 そんなわけで本誌は創刊以来、毎年新学期を迎えるたびごとに、本誌の発行を継続するか否かについて決意を新たにして、継続するなら継続の意志を鮮明にして、古くさくなった伝統を捨てても新しい課題に取り組む覚悟を語るようにしてきました。

 それも本誌の一つの伝統とも言えるわけですが、古い伝統を見直す伝統は引き継いでいきたいと思っています。

 月刊たのしい授業1994年4月号 続刊の言葉から抜粋

 ちょうど〈たの研〉もこれまでの伝統を見直し、新しい取り組みをすすめようという話になっています。
「古い伝統を見直す伝統」という言葉を胸に刻んですすめていきたいと思います。

 読者の皆さんのご意見・ご感想も大きな応援の一つです、気軽に送っていただけたら幸いです。

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