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朗読をたのしむ③ 目を通して味わう文章と耳を通して味わう文章は同じ感動なのか?

 これだけ書き続けていると、自分で考えている奥の方にある言葉にならないものが手を動かすことがあります。このタイトルもそうです、文字になって表れた言葉に「え、どうなの? そのテーマは面白いね!」と自分が驚くわけですから、言葉を操る自分と、言葉にならない奥の方にある自分との二つをたのしんでいます。

 さてこの命題、みなさんはどう思いますか?

 たとえば前回の高村光太郎『山の春』を文章として読むのと、誰かの声で朗読されたもので聴く『山の春』は同じものか?

 少し考えてみてくれませんか。

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 みなさんはどう考えたでしょうか。
 とても興味があります。

 文字に刻まれた「草」も、誰かが語る「草」も草は草です、「嬉しい」は嬉しいであって、悲しいではありません。

「世界一の力持ちが」という言葉は、文章で読んでも耳で聴いても、その人の中でイメージする世界一の力持ちが頭に浮かんできます。

 とすると読むのも聴くのも同じことになるでしょう。

                          以上!

 え、そうでしょうか。

 人間にはいろいろな感覚機関があります。

 花を目で見る、鼻で嗅ぐ、目を閉じてそっと指で感じる…

 同じ花なんだから、全部同じイメージが脳に刻まれるでしょうか?

 感覚の入(はい)り口によって違いがあるでしょう。

 とすると、本で読むのと耳で聴くのとでは異なる感覚が刺激されるのではないかと思うのですけど、どうでしょう。

 わたしの場合、本を手にして目で読む『山の春』と、耳で聴く『山の春』は違うたのしみです。
 どちらも心動かされるのですけど、違う心の脈動があるのです。それを言葉ではっきり綴るにはまだ時間と頭脳の成熟が必要でしょう。

 みなさんも実験してみませんか。

 どちらの感覚から入っても、いいものはいい。
 そしていいものは、いくつかの感覚で二重に三重にたのしむことができる。

 それは素晴らしいことです。

 かつて黒澤明が「映画は総合芸術だ」と語っていました。
 目で見ながら、耳で聴きながら、映画館の中で明るさ暗さを肌感覚で味わいつつ、「ドン!」という大音響を身体全体で感じたりする…

 それも、今回の命題に深くかかわることなのだと思います。

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