これは蚊の赤ちゃんなのかな?〈蚊の寿命について〉/楽しい学習・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 春の講座に向けて〈出会いや別れに思い出に残る授業プログラム〉を作っています、たの研の先生たちもとても興味をもってくれているので、どんどんブラッシュアップしていくと思います。その中の重要な実験用にと〈スズメバチ〉探して野山を歩いていました、良い子のみなさんは真似しないでください。

 寒さ厳しい日だからか、あるいはミツバチと違ってスズメバチはもともととても少ない生き物だからなのか、見つけることはできませんでした。

 さて車で移動しつつ乗り降りしている時フロントガラスにとても小さい透明の生き物がついているのを発見しました、これです。手元にピントを合わせるために指を近づけたのですけど、とても小さいことがわかってちょうどよかったです。

 見た感じ〈蚊〉だろうと思います、でも透明なのはどうしてだろう、蚊の幼虫、ボウフラから脱皮したばかりの蚊なのかもしれません?

 これが蚊の一生、ライフサイクルです、〈卵〉〈幼虫:ぼうふら〉〈さなぎ:オニボウフラ〉の時は水中(水たまりや池など)で過ごし、蚊の姿になってはじめて水辺から飛び立ちます。

※Adult :大人・成虫 Pupa:さなぎ Larva :幼虫 Eggs:卵

 蚊になりたてという意味で〈蚊の赤ちゃん〉とタイトルに書いたのですけど、本来的には蚊の赤ちゃんはボウフラといった方がよいかもしれません。

 蚊の寿命が気になって調べてみました、みなさんも予想してみてください。

問題

蚊の寿命はどのくらいあるでしょう、蚊の姿になった成虫の寿命で予想してみてください。

 ア.2~3日

 イ.半月くらい

 ウ.1~2ヶ月くらい

 エ.半年くらい

 オ.その他

 

どうしてそう思いましたか?

⬇︎

予想してからね

⬇︎

予想してからね

⬇︎

 

殺虫剤のメーカーが蚊の寿命について書いています。https://jp.sharp/kuusei/trivia/

蚊は卵から成虫になるまで20日間ぐらいを要します。

成虫で1~2ヶ月ぐらいの寿命があるんですが、秋の終わりに生まれたアカイエカはそのまま越冬をして、6ヶ月ぐらい生きる場合もあります。洞穴や、排水や川が流れる土管の水に浸からない上半分の壁面で、ジッとして越冬するんですよ。

 暖かくなったころの蚊は〈卵からサナギまで20日くらい〉〈成虫で1~2ヶ月くらい〉です。みなさんの予想より長かったですか、短かったですか、それとも。

 結果的に蚊ではなかったにしても、沖縄の昆虫たちの一年の活動はよその県の昆虫たちよりとても早くスタートをきっているといってよいでしょう。

 蚊やハチなど〈刺す系〉の生き物たちのプランもたのしい環境学習の一つとして教材化しようと考えているところです。

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〈不自由〉が広げる自由/寺田の寅さんが伝えてくれたことをもとにして/大切なことは自由・不自由より「たのしく学ぶ」こと/楽しい学習・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上・古を訪ね新しきを知る

 私が寺田の寅さんと呼ぶ「寺田寅彦」の文章は読めば読むたびに新しいことを発見して教えられることがたくさん出てきます、今日はその話。

 板倉先生が仮説実験授業を創出した当時の「自由と束縛」の話を読んで腑に落ちたことの一つが「束縛があってこそ自由に考えることができる」という話でした。作文でも〈自由に書いてください〉と言われると何をどう書いてよいか困る子どたちがたくさんでる、〈最近、家族に喜ばれたこと〉という制限を加えると書ける子ども達が増えてくるという話。

 寺田の寅さんはその何十年も前〈ラジオ雑感〉という題して「最近、とても便利なラジオという機械がでてきたけれど…」という流れでにこういう話を書き残してくれています。

 聞きたいと思う音楽放送がたまにあると、その時刻にちょうど来客があって聞かれないような場合がかなりに多い。

 来客がない時はまた何かに紛れて時刻をやり過ごし、結局聞かれない場合もかなりに多い。

 もしも、これが、どこかへ演奏会を聴きに行くのだと、来客は断れるし、仕事は繰合せて、そうして定刻前には何度も時計を見るであろう。

 しかしこれがラジオであるために、こういうことになるのである。

 つまりあまりに事柄が軽便すぎて(※便利になりすぎて)事柄の重大さがなくなるのであろう。

 パチリと一つスウィッチを入れさえすれば、日比谷公会堂の演奏、歌舞伎座の演技が聞かれるからである。昔の山の手の住民が浅草の芝居を見に行くために前夜から徹夜で支度して夜のうちに出かけて行った話と比較してみるとあまりにも大きな時代の推移である。

 しかしそういう昔の人の感じた面白さと、今のラジオを聞く人の面白さとの比較はどうなるかそれは分からない。
 同じようなことは外にもある。教育でも機関が不完全で不便な時代に存外真剣な勉強家が多くて、あまりに軽便に勉強の出来る時代にはまた存外その割に怠け者が多いようなものである。キリシタンを禁じた時代の宗教の熱心さと、信仰の自由を許されて後の信徒の熱心さとの比較でもそうである。自由を許したとて、信徒の数にしても決してそう驚くほど多くはならないのである。

ラジオ雑感1933から

 「便利になれば便利になるほど、その世界に浸る、没頭する人たちが出てくるかとおもうけれど、案外そうでもないものだ」という話は、本がデジタル化されたら便利になってどんどん読書人口が増えていくかと思ったらそうでもなかったという現状にも繋がっているのでしょうか。

 英語の参考書や教材がどんどん増えれば英語に堪能な人たちがどんどん増えていくかというと、福沢諭吉や夏目漱石など不自由な中で努力した人たちの中に熱心に英語学習に取り組む人たちがたくさんいたということなのかもしれません。

 つまり「昔は不便だったけれど、それがよかった」という話です。

 著名人に多い様に感じるのは、このあたりで思考停止してしまう人たちがほとんどだということです。政治家の中にもかつての日本の教育はすばらしかったと主張する人たちもこういうところに力を置いて主張しているのでしょう。

 ここからが大切なところです。

 ではインターネットがなくなればもっと熱心に調べ物をしたり学んだりする人たちが増えていくのか?
 そんなことはない。

 便利な状況というのは広くいろいろな人たちに知識を広げるために大切なこと、で知識が一部の人たちのものではなく一般の人たちに開かれていることは社会全体が発展していく時に決定的に重要なのです。

 膨大な法律の中からピンポイントで、今の自分の状況に関わる法律を探し出すことができる、判例を調べたり法律家の見解を知ることができる。

 机の中に残っていた病院からの処方薬を〈胃薬〉なのか〈抗生剤〉なのかネットで調べることができます、間違って使う危険も捨てる無駄も減ります。

 寺田の寅さんの中には「たのしく学ぶ」という発想がなかったので、それ以上考えをすすめることはなかったのでしょう。
 調べたり読んだり学んだり鑑賞したりetc. 便利な状況が増えていけばよいのではなく、基本になるのは「たのしく学ぶことができる人たちが増えていくこと」だからです。

 それによって、かつては個人の味を削る様な努力が必要とされていたものについても、たとえば徹夜続きで学んだり、借金をして学んだりすることなく、いろいろな人たちが学べる様になります、かつての人たちの努力の分を、さらに深い学びに持っていくこともできる。
 そうすれば社会は停滞せずに発展していけるでしょう。

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自然の中を歩くことが楽しい-自然の中でもいろいろなことに頭や感覚が動かされるー楽しい学習・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 東京などに行くこともたまにあって、その時には雑踏の中からでも〈人々の思考や要望、悩み、好み・流行、先端の文化etc.〉、人間が生み出す様々なものを能動的に受動的に感じとります。

 師の板倉聖宣も野田俊作もそういう中で人々の中で知恵と思考を磨いてきたのですから、人類が発展することにとって大切な場所なのでしょう。

 Googleの検索窓に「東京の面積」と打つと〈2,194 km²〉と表示され、「沖縄の面積」と打つと〈2,281 km²〉と表示されます。あまり知られていないのですけど沖縄と東京の面積はほとんど同じなのです。ちなみに私の大好きな山がたくさんある長野県の面積は〈13,560 km²〉です、かなり違うことがわかりますね。

 同じように「東京の人口」と打つと〈1396万 (2021年)〉、「沖縄の人口」と打つと〈145.7万 (2020年2月2日)〉と表示されます、沖縄に暮らす人たちは東京の1/10くらいです。

 必然的に、東京のように〈人間〉由来のものごとはとても減ります。それは直線的な増減ではなく指数カーブ的な増減だと思うので、単純に1/10ということではなく、1/100とか1/1000かもしれません…

 人間がたくさん集まる東京型のところにも、住んでいる人の少ない沖縄型のところにもよいところがあって、沖縄型の場所にもよいところがあります。人間が少ないと、雑踏の中での自然ではなく、周りに誰もいない場所で自然に触れ合うことはとても簡単です。

 〈たの研〉から歩ける場所でも静かに桜をたのしめる場所があって、10分くらい車を走らせると知っている人は少ないだろうと思える自然も味わえます。これは先日山歩きした時に、立ち止まり見とれた桜の木です、周りには野菜畑があって、きっと畑をやっている人が植えたものでしょう。小雨が落ちていたのですけど、きれいな花でした。

 もう少しあるいたら、これまで見たことがない真っ赤な木の実をみつけました、みなさんは見たことがありますか?

 どうにも気になって草をかき分けて近づいてみました、あとで調べてみると〈ベニノキ〉という植物でした。

 沖縄型の場所では植物園や科学館などに行かなくても「こんなの見たことない」という自然に巡り合うチャンスがあります。
 そして、そういう自然を通して頭脳や感覚が揺さぶられることもたくさんあります。

 寒い時に味わえる自然もたくさんあります、みなさんもぜひ車をとめて近くの自然の中を歩いてみませんか。

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「私たちの背中をみて子ども達は何を学ぶか」ー最新メルマガから〈楽しい学習・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上〉、ブックレビュー:城山三郎「素直な戦士たち」

「私たちの背中をみて子ども達は何を学ぶか」をテーマに最新メルマガの〈授業の章〉を綴りました、今回はその部分から少し取り出して紹介しましょう。

 親や先生のいう通りそのまま従う子ども達を育てること、作家城山三郎が問いかけた著書のタイトルを借りれば〈素直な戦士たち〉を育てるのではなく、チャレンジングな子ども達が育っていくことが必要だという話。そして子ども達が何か新しいことに挑戦しようとした時、親は教師はどういう様に接していったらよいのか、それが前回のテーマでした。

 今回は、子ども達の眼に映る私たちの後ろ姿について考えてみたいと思います。

 

大人たちの挑戦
 今の社会を実質的に動かしているのは子ども達ではありません、私たち大人です。私たちのが会社や学校で組織の一員として働き、政治家を選び、ほとんどの税金を出してこの社会を支えているのです。
 その私たち大人が〈昨日と同じ今日〉〈去年までと同じ今年〉〈数年前・数十年前と同じこれから〉を生きていくとしたら、日本のこの停滞はそのまま続くことでしょう。
 そういう私たちの後ろ姿を見ていくこどもたちはどういうことを学んでいくでしょう。

 引用は以上

※城山三郎の「素直な戦士たち」は名作です、本の表紙は初めの頃とかなり違ってしまい、大気な違和感を感じます。購入したら表紙は裏返してから読むとよいと思います

 

 大人はいろいろなものごとに縛られていますから、自由気ままにチャレンジとはいきません。けれどそういう中でも自分のオリジナリティーを発揮して、子どもたちの笑顔と元気の向きに、これまでと違う挑戦をしてみる、そういうチャレンジ精神は残しておきたいと思う今日この頃です。

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