どうして水の力だとわかるのか/たのしい理科

 数回前の〈どうしてこれが水の力だと判断していいのでしょう?〉という記事に何人かの方たちから「そういえばそうだ」という新鮮な驚きのたよりが届いています。

 少したどると・・・

 この崖崩れが、ユンボでけずったり、人間がスコップで掘ったり、大きな動物がこういう穴をあけたりしたのではなく、雨の力、水の力でこうなったと判断してよいのか、という問題です。

 大雨の後こうなったからというかもしれませんけど、ずっと見ていたわけではないので、いや〈工事で崩したのではないか〉と強引に考えてみるのもありですね。その予想をどうやって否定できるのでしょう。

 下まで続いているからでしょうか?

 人間がやったらこんなに下まで土は流れていかないとか?

 そうでしょうか、何人かで時間をかければ、できないことではないでしょう。

 雨の水が土を崩していく時には一定の通り道を作り出して流れていくからです。引力に従って、その土地の高いところから低いところに、より低いルートを探して流れていくのです。わずか1mであっても低いところから高いところに土を持ち上げていくことはありません。

 それから2枚目の写真を見てください。

 流していった先の方であればあるほど細かい土になっていて、上の方は大きな塊の石たちがたくさんありますね。

 急勾配のところは大きな石もどんどん上からしたへと運びます、しかし流れがなだらかになると、大きな石を動かす力は弱まって、水に溶け込んだ小さな粒を前に流していくのがやっとになります。

 それも水が運んだ大きな証拠の一つです。

 理科の教科書で機械的に覚えてしまうと、今回の様に「ではどうしてユンボでないと言えるのでしょうか?」という問いに答えきれない人も多くなります。それで、前の記事への反響がいろいろ届いたのだと思います。

 みなさんの周りの子どもたちにも、こういう話をしてあげてくださいね。

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ミヒャエル・エンデ「モモ」 その深さとたのしい教育との関わり

 夭折した文学者 中島敦の作品に〈名人伝〉という秀作があります。

当代1の弓の名人になりたくて修行を積んでいった若者が、それを追求し完遂した後、弓そのものさえ、それが何なのかわからなくなったという話。

 その結末に驚いてしまいました。

 2/11の記事でモモをお勧めした日、何十年かぶりに読み、驚きました。

 私の中に染み入っていたものの見方考え方の重要な一つが、エンデからもらったものだったことを発見したからです。

 身体は摂取した食べ物から作られるのは間違いないのに、どの食べ物から腕の筋肉ができたかわからない様に、エンデの思想が私の中に自然に入り込んでいるのでしょう。

 たとえば「〈これとそれはどっちが儲かるか〉という様なことは重視しない」という価値観など、たのしい教育研究所の運営に強く影響していることは間違いありません。

 私やたの研の価値観は別にしても、エンデの「モモ」は、効率や利益を主に生きている人(いやものしかするとほとんどの人たちがそうなのかもしれません)、そういう人たちや社会に警笛を鳴らし、人間の豊かな暮らしを失わない様に提唱した重要な本です。

 人と人とがのんびり会話を交わしつつ、お互い補い合いながらたのしく過ごしていく。そして自分の能力をフルに稼働して周りの人たちの笑顔に結びつくものに懸ける。ミヒャエル・エンデは「モモ」を通してそういう価値観を世界のいろいろなところで広げてくれた大切な人物です。

 65歳というまだまだこれからという時に命を閉じました。エンデさんの誕生日は11月12日です、本屋さん図書館でエンデ展を開いてくれるといいなぁ。

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沖縄の軽石はもう無くなったのですか? という便りに答えて

 時々「沖縄の海岸に漂着した軽石はもう無くなったのですか?」という便りが届きます。

みなさんはどう思いますか?

たの研に来る先生たちに質問してみたら、なかなか海岸でそれを確かめるゆとりがないからでしょう、いろいろな意見が出ました。
マスコミももうそれで視聴率が上がることはないと判断したのでしょう、テレビなどで取り上げられることはなくなった様ですから、一般の人たちの感覚からも消えてしまった様な感じがします。

最近の〈たの研環境ボランティア活動〉の時に撮った写真がこれです-2022-2-8(火)
第一研究所から近い恩納村の海(西海岸)です。

 この周りの様子はどうなっているか?

 こうです。

 もっと広く見渡すと、撤去された軽石の様子も見えるかというと・・・

 さにあらず、ずーっと向こうまで軽石の帯が続いています。

 それでも、二、三ヶ月前より少なくなったのか??

 これはこのサイトに載せた11月の頃の同じ場所の写真です。

 全体像を探せないのですけど、二、三ヶ月前より増えてはいても、減っていることはありません。

 あの頃は、こんな厚みのある帯はなかったから。

 観光で訪れる人が多い場所は撤去がすすんでいるかもしれません。けれどアリの様な地道な撤去ボランティアが必要な場所はたくさんあると思います。
 コロナがそろそろ落ち着きそうです、人数を増やしてたのしい環境ボランティア活動を企画して、その後〈さしみ放浪記〉に流れ込みたいと思います。

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たのしい科学/水の力・雨の力

 ある日、車を走らせているとこういう場面を目にしました、崖崩がけくずれです。幸い陽が照って乾いていますから、片付けられる前に写真を撮ることにしました。子どもは真似まねしないでくださいね。

 

 車を停めて上の方をみるとしっかりえぐられているあとがみえます。

 

 それがこうやって下の方まで崩れてきたのです。

 では、誰が・何が削ったのでしょう?

 クマとかパワーのある動物ならできそうかな?
 ユンボなどの機械では?
 人間だって、やろうとおもえばこういう感じで崩せるでしょうか?

 理科でも〈水の力で土地の形が変わっていくこと〉を学ぶので「雨が降ったから」と答える人がほとんどでしょう。

 でも私は子どもの頃から不思議でした、人間がやろうと思えばできるのにどうして〈雨〉なの?

 雨が降り続けた後にこうなっているから?

 確かにそれは力強い理由です。

 では〈その時、カミナリがおちたらこうなる〉ということは成り立たないのでしょうか?

 こういうところをゆっくり考えていくことは大切です。

 みなさんも自分で、どうしてこれは〈雨の力、水の力〉だと言い切って良いのか考えてみませんか。

 その決定的けっていてき証拠しょうこは何でしょう?

 自分で考えるよりも答えを教えて、と思う人は、かなりもったいないことをしていると思います。

 人間は予想を立てることによって賢くなっていくからです、そしてそれはとてもたのしいことだからです。

 

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