自由研究をたのしくすすめる決定的要素とその具体例

 夏休みになり自由研究の相談も増えてきました。〈自由研究〉をすすめようという人たちは、たのしい教育研究所のサイトに出ている自由研究に関わる記事を読んでみることをすすめます。かるく300以上出ています。

 前回の記事の様に、理論・りくつ的な記事もあるのですけど、難しくないと思ったら、それもとばさずに読んでみてください。「大人が読んで、こどもに伝える」ということでもよいと思います。インターネット上にあるばくだいな記事の中で、たのしい教育研究所(RIDE)の記事はとてもことなっていることがわかるでしょう。単なるノウハウとしてしょうかいしているのではなく、本質的なたのしさを伝えようとしているからです。

まず一つ目の話

 学校の課題(宿題)として自由研究をする場合には「どうすれば賞がもらえるか」「独創的な研究はどうすすめればよいか」と考えている人は、すこし立ち止まった方がよいと思います。

 私いっきゅうも自由研究の審査員をしたことがあるのですけど、エントリーされたものはほぼ間違いなく、すでにあるものたちをベースにしています。

 ごくまれに「久志の海岸の釣れるポイントさがし」というオリジナルあふれる自由研究もあって、釣り雑誌でも出てこない様ないろいろな場所に足を運んでまとめた自由研究もあるのですけど、そういうものはほぼありません。そういう自由研究は普通の審査員からは支持されませんけど、本人のたのしさ度や問題意識がはるかに高いので、その子の将来への大きな一歩に確実につながります。

 自由研究は〈科学〉のたのしさとすばらしさを味わってもらうことを目標にしたい。それを味わったこどもたちは、その後の人生に確実に役立ちます。ほうびをもらうためではありません。

 私は本が好きなので、これまで一流と呼ばれる人たちのこどもの頃の話もたくさん読んできました。その中には〈こどもの頃であった本〉に強く影響をうけた話や〈星をみて、その向こうはどうなっているのか〉に強い興味を受けたという様な話はたくさん出てくるのですけど、夏休みの自由研究で賞をもらったという様な話は目にしたことがありません。

 すばらしい研究でその時代をリードしたアインシュタインやニュートンもいう様に、私たちは先人たちのすばらしい研究の肩の上にのって研究をすすめているのです。たとえばこのサイトで自分が興味関心を受けたものをみつけ自由研究していく、そして〈予想を立てて確かめる/実験する〉ことの凄さを自由研究をすすめる中で体感できるなら、それはすばらしい経験になるでしょう。

 二つ目の話

 どういう研究をすすめるにしても〈あなたの予想〉が決定的に重要だということを忘れないでください。それはこのサイトの中にたくさん書いてきましたから、サイトの「検索」窓で〈予想〉というキーワードで検索してみてください。

 ここでは、以前の書いた「進化の話」で自由研究をまとめたいという方の相談にのった時の具体例を紹介して終わろうと思います。
A3用紙6枚をはりつけて大きな紙にして、こういうスタイルでまとめてはどうかという提案に、とても喜んでいただくことができました。

 

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自由研究のその前にー何が正しいかを追求するのは人間の本性(ほんせい)/真理を追求するたのしさ/板倉聖宣(日本科学史学会前会長)に聞けなかったこと

 夏休みになり自由研究がテーマになることも増えてきました。このサイトにも自由研究のヒントがいっぱいつまっています。「いっきゅう先生の書いていることをテーマにしました」というお礼が届くこともあります。この夏も自由研究の具体例を紹介していきたいのですけど、その前に〈なぜ自由研究するのか〉という話をしておきたくなりました。

 自由研究というとたいていは〈科学〉がテーマです。
 では科学とは何か?

 師の板倉聖宣は「仮説を立てて実験し真理を追求するのが科学である」と何度も語ってくれました、それほどに人々の「科学とは何か」という認識が不確かなものだったからです。

 板倉先生は仮説実験授業研究会の代表をつとめただけでなく、日本科学史学会の会長もするほど科学史の分野では名の通った人でしたから、科学とは何かということとあわせて、〈人間が科学を手にする前〉にどういう認識の流れがあったのかについては、けないままでした。板倉先生がもういないことが、とても残念です。
 これまで教えてもらったことを元に〈なぜ自由研究する〉のかについて考えてみたいと思います。

 原始時代と呼ばれた頃、わたしたち人間は知能の高まりにともなって、自分たちの理解を超えたことが起こると、〈神〉の物語りを作り出して、全てをそのせいにしてきました。

〈雷は天の神が怒っている〉〈竜巻は神が地上のものを欲しがって吸い取ろうとしている〉というように・・・
 死んだら天使や悪魔が連れていくというのもそのたぐいです。

 人間たちにとって不思議なこと、理解を超えたことはとてもたくさんあったらので、それらを説明するためには、怒りの神や優しい神、男の神だけでなく女の神、戦いの神や癒しの神など、たくさんの神を作り出していきました。ギリシャ神話ではじめ、いろいろな国にたくさんの神々の話が残っているのは、そのせいです。日本でも〈八百万/やおよろず〉の神という様に、ものすごい数になります。

 それが一つの地域の中で語られている時には〈納得いく説明〉として信じる人たちもいたのですけど、交通の発達に伴って離れたところに住む人たちとも交流していくことになりました、船で遥か遠いところに住む人たちと触れ合うこともありました。

 違うところに住んでいる人たちは、自分たちが信じていた神たちと違う神の話をしていることに驚くことになります。「おや、嵐は〈陸の神◯◯〉が起こしているはずなのに、ここに住む人たちは〈森の神◯◯〉が起こしていると信じている・・・いったいどっちが正しいんだ?」
 もっと離れたところに住む人たちは〈海の神◯◯〉が起こしているという・・・


「この世界はこれこれだ」と信じていたことが、いろいろなところで考えが違う・・・いったい何が正しいのだ?

 自然にそういう疑問は大きくなっていき、どっちの神が正しいのかハッキリさせようと考える人たちも出てきました。
 そして〈神〉という説明にはどれも証拠などなく、誰かの作り出した物語りであることもわかってきました。現在では、科学の研究がすすむにしたがって、もう〈神〉という想像物を持ち出さなくても、嵐もカミナリも自然の現象として説明できる様になりました。私たち人間は神が作り出したのではなく単細胞生物から進化していく過程でできてきたこともハッキリしています。

 自然の中の食べ物を探す時にも同じ様なことが起こります。

 同じ様なキノコに見えていても、こっちは食べることができて、こっちは食べることができないどころか死んでしまう。
 安全な食べ物と危険な食べ物について、正しく見分ける力が必要になってきます。

 山に分け入る時にも、右のけもの道を行くとキケンで左の険しい道は安全であるという違いもわかってきました。

 実はそういう過程が〈自由研究〉なのです。

「私たち人間は〈何が正しいのか〉を追求していく動物だ」ということもできるでしょう。

 板倉聖宣は「仮説を立てて実験し真理を追求するのが科学である」と語りました。

 どうして仮説を立てて真理を追求しなくてはならないのか?

 追求しなくてはならないのではなく、何が正しいのかという真理を追求することが私たちの本性(ほんせい)だからです、本能だといってもよいでしょう。
 知的好奇心と名付けられたその本能は、実にたのしくてやめられないものです。

 今後も科学を追求していくこと、つまり自由研究することを私たちはやめないでしょう。

 ただしその科学の追求は一部の人たちのためではなく、広い地域のすべての人たちの幸せ・笑顔と結びつくことが大切です。この話はまた項をあらためて書くことにしましょう。

 自由研究の話もこれからいろいろ書いていこうと思います。その前に、こういう話も大切なことだと考えています。

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風景をたのしむ楽しむ/モノクロの海とトマト色の太陽/センス・オブ・ワンダーはたのしい学力への近道

 とても不思議な色の景色に出逢うことができました。〈モノクロの海〉と〈トマト色の太陽〉です。

 ずっと沈むまでみていました

 斜め上の空にレンズを向けてみましょう。

 夕焼け雲もみえています。

 その日の光の加減でこういう姿を見せてくれるたのですけど、毎日夕陽を見ているわけではないので、本当にいいタイミングでした。

 地球という星に生きていることを、当たり前のように感じているけど、少し車を走らせるとこういう光景をみることができるのは、本当に素晴らしいことだと思います。

 センス・オブ・ワンダー〈驚きを感じる感覚〉を、いろいろな人たちに伝えていきたいと思います。 みなさんも、今日の夕暮れを眺めにいきませんか。

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たのしい教育の発想法〈仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣の歴史の見方・考え方〉歴史を勉強すると、発想が豊かになる

 最新のメルマガに〈仮説実験授業の生みの親〉である 板倉聖宣の発想法を乗せたところ、いくつもお便りをいただきました。 そういえば今年の沖縄県の教員試験の問題にもまた〈板倉聖宣〉が取り上げられていたそうです。何年か越しに取り上げてくれていますから教育行政の中にも注目している人がいるのでしょう、嬉しいことです。

 これは〈たの研〉に掲げられているポスターです、左がたのしい教育研究所を強く応援してくれた師の板倉聖宣です。

 今回は、数回前のメルマガに載せた「板倉聖宣の歴史の見方・考え方」の一部を紹介しましょう。です。出典は1991に開催された板倉発想の会で「組織について考える」というテーマで語った中の一節です。前後を切り取っているので流れが掴みにくいかもしれませんが、メルマガの章をそのまま載せるわけにもいきません、ご了承ください。

 ※

いっきゅう
「記録」という方法は人類が飛躍するきっかけとなった最も重要な〈発明〉です。こうやって師の板倉聖宣が亡くなって後も、しみじみとその発想に浸り、新たな考えに成熟させていけるからです。
 この記録も読者の皆さんの新たな発想や、やる気を生むきっかになることを期しています。

板倉聖宣
 明治のはじめに「東京数学会社」というのがありました。
 何をする会社だと思いますか?
 今でいえば「東京数学学会」のことです。
 そのころは学会(ソサイェティ)という言葉がなかったから、会社といっていました。
 だからこの学会には会長ではなく社長がいました。社長さんがなにか交通事故などで会議に遅れますと、いつまでたっても始まらないということがありましたが、この東京数学会社ができたのは、明治10(1877)年、文明開化の気持ちが新鮮なときでしたから、「社長さんがいないと会が始まらないなんて不合理だ」「社長さんなんて辞めちまえ」と民主化運動が起こりました。社長(会長)制辞任ということで、委員長制にしたんです。
 またこの東京数学会社は、西洋の学会のマネをしたりして、社則なんかもある、おもしろいんです。
「天下国家に向かって、学会を開放し、質問があれば即座に答える」「天下のすべての意見を集めて、これに応えるものとする」という社則が入っているんです。
 世の中が違えば、ずいぶんおもしろい会則があるなあと思います。
 いまの学会の会則にそんなものがあるのかなあ・・・
 この東京数学会社は、のちに発展して、東京数物(数学・物理学)学会となり、それから日本数物学会となり、敗戦後は日本数学学会・日本物理学会・日本天文学会の3つに分かれました。
 私は発想法で重要なことだと思いながらまだ〈発想法かるた〉に入れてないのですけど「歴史を勉強すると発想が豊かになる」というのがあります。
 私が歴史を勉強する理由は、私自身が科学史専門ということもあるのですけど何をはじめるにしても私は歴史を勉強します。

 はじめに歴史を勉強すると何がいいかというと、今と違う時代がわかるんです。とくに今と違ううんと古いときを調べます、そうすると、すごく自由になる。
「ああ、昔はこんなことをやったのか」
「昔はこんな考え方があったのか」にんな考え方もおもしろいなあ」となる。

「歴史を勉強すると今とは違う考え方がたくさん出てくるし、その中には拾えるものもあるかもしれない」という感じがするんです。

 5年前の歴史や10年前の歴史とかはだいたいおもしろくないんですよ。

 少し前の歴史ではなくて、時代が違う歴史を調べると、ずいぶん違います。

 同じことを調べるんでも、時代の違う敗戦直後を調べるとか…

 民主主義というものが日本ですごく高らかにうたわれたころの民主主義の時代、明治のはじめ、大正デモクラシーの時代、あるいは戦争中の天皇制が華やかだったころの時代、そういう時代のことを見ると「今とは違った考え方がある」ということを知ることができます。

ここまで

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