自由研究:ドラゴンフルーツ(サボテン)の芽はゴツゴツしているの?②

 その①を未読の方はいくつか戻ってそれを読んでからこの記事に来ることをおすすめします、〈予想をもって問いかけること〉がたのしく賢くなるために決定的に重要だからです。

 さて発芽実験をはじめたドラゴンフルーツのタネのその後の様子をお届けしましょう。

 これが前回載せたタネたちの様子です、ゴマ粒くらいの大きさです。

 
二日くらいで発芽(発根)を始めたタネが出てきました。

 一週間くらいすると、半分以上が根と芽を出しています。
 その姿の華奢(きゃしゃ)なこと・・・
 かいわれ大根の芽よりヒョロッとして見えます。

 あの、ドラゴンフルーツも、芽はこんなに細く弱々しい状態なんですね、何だか弱みをにぎった感じがします。

 みなさんの予想はどうだったでしょう。

 予想すれば、それがはずれていても確実に賢くなります。
 当たった人も外れた人も、このあとどうなっていくか、たのしみにしていてください。

 もしみなさんがドラゴンフルーツを食べる機会があったら、タネをスプーンで10粒くらいとっておいて、実験してみてください。

 高い確率で発芽すると思います。

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〈歴史は暗く書きたいと思えば暗く書ける、明るく書きたいと思ったら明るく書ける〉板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)の発想法

 発想法について読みたいです、というリクエストが届きました。自由研究をテーマにすることが多かったので、今回は〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章でとりあげた板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)先生の歴史の見方から少し紹介しましょう。歴史の見方考え方についての話です、その考え方は普通の暮らしの何気ない変化の中でも役立つものだと思います。

 出典は仮説実験授業の大会で入手した資料からで、1994.6大阪たのしい授業塾で語った内容の一部です。        

文責 喜友名一(いっきゅう)

板倉
 世の中というのは不思議なものです。いま関西国際空港が問題になっていて、それがもうすぐできます。ある時期までは「空港ができればいいなぁ」という夢がある。それがある時期になると、「空港ができると公害が起こってマイナスばかりだ」という話になって「関西国際空港できるのには反対だ」とか「反対することが良識なんだ」と思ったりする。
 でも出来てしまったら「便利だな、乗ろうか」とか「東京へ行くのなら新幹線で行くより飛行機の方安くていいよ」という話になって、それまで反対していた人たちが便利さを謳歌したりする、なかなか複雑です。
 江戸時代の人たちは自分の物は自分の家で作っていたんです。綿花を自分のところで栽培している農家は自分のところでとれるからいいのですが、栽培していない農家の人たちは綿花を買わなくてはいけません。
 実際には、ほとんど現金収入がありませんから変えません。
 どうするかというと、行商人が来て
「綿花を買いませんか」
「お金がないから買えないよ」
「じゃあ2着分置いていくので2着分糸を紡いでください。今度来たときにその1着分を私にくだされば1着分を差し上げます」
となる。
 つまり1着分を紡いだ労力で1着分の綿花を買うわけです、そしてこれを織る。そうやって現金収入がなくてもいいようになっていたわけです。
 これも悪いように見る人は「木綿資本が農村にまで手をのばして人民を支配した」というようなことを言える。
 けれどそうではない見方もできる。
〈時代の進歩〉というものは全部〈呪う〉ことに決めていたり、逆に〈歓迎する〉ことに決めていたりする人がいます。
 しかし早い頃に〈社会の科学〉を学んだ人は両面のことをちゃんと考えていたと思います。
 そういう流れの中で、たとえば「いろいろな機械が発明されることはとてもいいことなんだ。しかしそれがしばしば社会に不平等や不幸を生み出す。だから不幸を生み出さないように科学や技術の進歩に手心を加え、社会的規制を加えるのも必要だ」という考え方だったりするんです。
 

いっきゅう
 立場による一方的な見方ではなく、両方あるいは三方からの見方をしてみる。そして、より多くの人たちの笑顔につながるところにすすんでいく、それが歴史の発展だと思います。
 ピンポインで見れば〈悪〉であっても巨視的にみると〈善〉であることはたくさんあります、またその逆も。
 この板倉先生の話で小川未明の〈とうげの茶屋〉という物語を思い出しました。
 付録としてつけておきます。
 ちょうど夏休み期間です、自分の休みではなくても教材研究などの時間は多くなったと思います。ぜひ、読んでみてください。
青空文庫に感謝して引用させていただきます

とうげの茶屋
小川未明

https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51624_63351.html

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たのしい社会の授業:社会科で〈戦い〉を取り上げる時の視点

 このサイトにも書いたかはっきりと記憶にないのですけど、だいぶ前に見た〈ノルマントン号事件〉を扱った社会の研究授業が心から離れません。ノルマントン号事件は、明治時代に起きた人種差別を伴う外交問題に発展していきました。

wikipedia

ノルマントン号事件(ノルマントンごうじけん、英語: Normanton Incident)とは、1886年明治19年)10月24日イギリス船籍の貨物船、マダムソン・ベル汽船会社所有のノルマントン号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマントン」)が、紀州沖で座礁沈没した事から始まった紛争事件である。日本人乗客を見殺しにした疑いで船長の責任が問われたものの不問となり、船長らによる人種差別的行為と不平等条約による領事裁判権に対する国民的反発が沸き起こった。

 授業では教師が教科書を開きながら「溺れて死んでいった日本人たちがたくさん出た」と説明し、それにこどもがツッコミを入れて、先生を含めてクラス中が大笑いしていました。

 どこをどう切り取ると、これだけの惨劇を笑えるのだろう・・・

 人の命、平和や安全というのは、とても大切なテーマだと思うのだけど。

 さて先日、たのしい授業スーパーバイズで社会の「戦国時代」をとりあげました。長篠の合戦の様子が教科書に載っています。

wikipedia

 鉄砲隊にヤリなどで突撃していく有名な戦いです。

 多くの先生たちが、その図絵に注目して、こども達から気づいたことを発表してもらっていました。

 その方がこども達が乗ってくると考えたそうです。

 ただし、ノルマントン号で私が見たように「鉄砲に対してヤリなんてバカじゃないの、アハハ」というような流れを作る可能性もあります。

 そういう授業に陥らないためにも「授業全体の見通し」をもっておくことが重要です。

「今日は戦国時代を取り上げて、それが次第におさまって戦いのない時代に入っていく歴史の流れに入っていきます。私たちが〈平和〉な時代を作っていくためにも、大切に学んでいきましょう」

 という見通しの中で、こどもたちと戦国時代という過程を学んでもらうことは可能です。

 実は指導要領の流れもそうなっているのです。

〈平和な世の中をつくる〉というたゆまない努力の連続が人間の歴史であり、たとえば憲法もそういう構造の中で出来上がったものです。

「たのしい教育は面白おかしい教育ではありません」という言葉を何度も発してきました。こども達の興味関心を高める、そのためにも〈授業全体に対するものの見方・考え方、哲学〉が重要であるということをたくさんの先生たちに伝えていきたいと思います。
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教師にとって予想変更はとても大切/板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)「あきらめる」そして〈新しい方法〉へ/たのしい教育メールマガジン購読のすすめ

 仮説実験授業研究会初代代表〈板倉聖宣〉先生は、たのしい教育研究所を強く応援してくださった一人でした。その発想に、私は教師になったはじめの頃から強く影響を受けました、「これこそ未来の教育だ」と。

wikipediaより82歳の頃の板倉聖宣

 板倉先生の発想の方法を、メルマガの重要な章の一つとして毎回紹介しています。そのメルマガもすでに500号を超えました。


 今回は6年前にとりあげた内容を少し取り出して紹介しましょう。
 メルマガの発想法の章では、その頃に大きなテーマとなっている事象、たとえば頃な感染症や統一教会などの霊感商法についての見方考え方をとりあげたり、質問が多かったものについてとりあげたり、カウンセリングやスーパーバイズなどで紹介した内容などを取り上げています。

 今回の内容はカウンセリングに来て「自分の教育方法を見直す」つまり〈予想変更〉することができた先生に語った内容のエッセンスです。

 この発想でこども達と折り合いをつけ、柔らかく優しく対応できる様になったその先生は、今も元気に学校で活躍しています。

 とりあげた内容は1986年5月28日東大阪の先生方の集まりで語った内容で、仮説実験授業研究会の大会で入手した資料を私が大切にコピーして残していたものです。文意を伝わりやすくするために、私いっきゅうが校正しています。

板倉聖宣

 たのしい授業というものは「やろう!」と思ってできるものではありませんし、「やれ!」と脅したりおだてたりしても、できるものではありません。
 たのしい授業をするためには、それを実現する処方箋、具体的な手立てが必要です。

 こちらに来る前に、ある先生の記録を読ませてもらいました。
 その先生のクラスの一人の子が〈笛が吹けない〉というのです。
 「あの子が笛を吹けるようになったらうれしいだろう」と思って、なんとか笛が吹けるようにしてやろうと一生懸命それこそ〈毎日教えた〉というのです。

 ところが1ヶ月がんばってもついにその子に増えを吹かせることができなかった。

「笛が吹けない子どもを吹けるようにさせよう」というのは〈美しい志〉です。

 でも「今日も吹けない」「今日も吹けない」となったとき〈あきらめるほうが美しいのか、あきらめないほうが美しいのか〉これはなかなか難しいのです。

「理想をもってまっしぐら」というのは、外から見ると美しいことです。
 教えている人は、自分が理想だと思っています。

 でも、教わるほうは悲惨です。
「吹けないに決まっているじゃないか」と思っているのに、毎日毎日ありがた迷惑なことに熱く教えてくれる人がいる。
「あの先生から早く離れたい」と思っているのに、先生は情熱をもっているから始末におえないのです。

 

 板倉聖宣は徹底的に子ども中心主義で考え語る人でした。

 これだけ読むともしかすると「できない子には無理しない」というようにも伝わるかもしれません。

 しかし私はこういう話をベースに「予想変更」して新しい方法、新しい目標に向かうのが重要だとだと伝えるようにしています。

 私いっきゅうの教師のはじめは〈体育〉で、その研究授業をたくさん見せてもらいました。

 私の敬愛するT先生が、鉄棒運動の研究授業の後、授業者の先生に「大柄な男の子が、ずっと逆上がりの練習を一人でしていた子がいました。いつからああいう感じでやっているのですか?」と質問し
「今回が◯回目です」と答えていました、はっきりとした数の記憶はないのですけど、2回目とか3回目だと答えたのは間違いありません。

 それを聞いたA先生は
「我々がこういう授業をしていていいのでしょうか。私はとても疑問です」
というはっきり語っていました。

 終わってから「きゆなくん、あの授業は一体なんなんだ。逆上がりのできない人間はずっと逆上がりばかりやらされなくてはならないのか」と、怒りが収まらないまま話していました。

 板倉先生と同じことをA先生も語っていたのです。

 私たちは教育のプロです。

 こどもたちの自尊心を育てるのであって、傷つけていく仕事をしているのではありません。

 自分の授業のやり方が正しいと思うのも一つの予想です。

 その中でこども達が傷ついているとしたら〈予想変更〉して新しい方法、あたらしい目標に向かって行くのが教師の仕事だと思います。

 保護者の皆さんも、今回の記事が、我が子にどういう教育をしているのか、見直すチャンスになれば幸いです。

 こういう発想法に救われたという人たちがたくさんいます。
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