たのしい教育が流行化しないように着実に伸ばしていく/たのしい教育の見方・考え方〈板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表/元日本科学史学会会長)から学んだこと〉

 たのしい教育はいろいろな先生たちの熱意に支えられています、その熱意は〈たのしさ〉が支えています。苦しいけれど歯をくいしばるという活動は短期間は続くでしょう、けれど何年も何十年も続くことはありません。
 たのしい教育が沖縄で組織的な活動をはじめたのは1984年、私いっきゅうが教師になった年です。
〈たのしさがこれからの教育のカギを握る〉と考えて、サークルをつくり活動をはじめたのは伊良波正志(元伊豆味小中学校教頭)先生です。

  以来、沖縄で40年近く続き、たのしい教育研究所で飛躍しましたから、足腰の強靭さは間違いないと思ってくださって結構です。

「流行させずに着実な一歩をすすめる」という方針ですすんでいますから、おかげさまでまだまだ活動の余地がのこされています。

 有料版〈たのしい教育メールマガジン〉の読者の方から「流行化させてはいけない」という発想は、どこから出てきたのかという質問が来たので、古い資料を探してみました。

 メルマガに載せる文章の一部をを、公式サイトの皆さんにお届けします。

[文責]きゆな 文意が伝わりやすくなる様に手を入れてあります ex) 「ダルトンプラン」⇨「ドルトンプラン」など

板倉聖宣

 明治以後、日本の教育運動は流行現象をくり返してきました。
〈開発主義教授法〉がおこったあとにはヘルバルトの〈五段階教授法〉がおき、〈動的教授法〉とか〈生徒実験法〉、〈発見学習法〉〈創造主義教育〉〈ドルトンプラン〉〈労作主義〉〈生活単元学習法〉〈系統学習法〉〈プログラム学習〉などなど、流行の対象となった教授法、学習法は少なくありません。
 それらの多くは突如として大流行したかと思うと数年にしてあきられ、十数年ののちにはもう忘れられた存在になっていったのです。
 流行は普及のためには効果的ですが、同時にそれは精神よりも形式を重んじさせることになります。そしてそれは質をゆがめて、はじめのねらいをめちゃくちゃにしています。
仮説実験授業を提唱した当初から、私たちはそのような流行化の危険をいつも警戒してきました。

仮説社「仮説実験授業のABC」より

 その後も教育界では様々な方式が流行化しました、有名だという大学の先生を招いた公的な研修もたくさん受けてきました。

 「評価法」が流行して、授業しながら〈こどもたちの発言の回数〉や〈ノートの取り方〉〈グループでリーダー的な役割を果たしているか〉〈活動は積極的か、テーマに沿ったものか〉という様ないくつもの項目を、机間巡視しながら一人ひとりチェクしていくという方法が流行したことがありました。
その方法で組み立てた授業研究会もあり、「これこそこれからの教育の姿である」「評価無くして指導なし」ということを強調する研修にもたくさん参加しなくてはいけませんでした。

 クラス全員、授業のたんびに評価していくのですよ。

 私は無理だとすぐに気づきましたが、頑張った先生たちがほとんどでした。

 さて、今、そういう方式は残っているでしょうか?

 教育に限らず、本当に大切なものは、丁寧に丁寧に伝えていく中で、次第に広がっていくてのです。
 私が長年学んで来た琉球空手は1800年代に始まり、200年くらいかけて国際的なものになりました。

 たのしい教育も丁寧に〈力あるたのしい先生たち〉を育てていきたいと思っています。

 みなさんの支えが、その確かな一歩に繋がります。応援よろしくお願いいたします。

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たのしい授業を学ぶ先生たちの姿ー授業は単なる技法ではない

 たのしい教育を学びにくる先生たちがいます、たくさんの先生たちが学校で生き生きと授業をしてくれています。

 時々「たのしい教育の技法を学ぶ」と勘違いする先生たちがいるのですけど、そういう方たちはやはりうまくなるまでに時間がかかります。

 例えば空手は〈敵を最短時間で倒す〉ことが基本であるように、たのしい授業は「こどもが大好きで、その子どもたちの知的好奇心を高めたのしく賢くなってもらう」ことが基本です。
 その基本が木の幹の様に立っていないと、いろいろな技法が多方面に枝葉を広げていって、表面的で、こども達の心を動かさず、こども達も授業している先生自身もたのしいと感じない授業になってしまうのです。

 もちろん幹だけしっかりしていても、たとえば〈魅力的な詩の授業をどう構成するか〉〈たのしい図形の授業の導入は〉といった手立てが思い浮かばずに、動きがとれなくなっていくこともあります。

 なので基本的な〈幹・見方・考え方〉と〈具体的に方法〉はセットです。

 さてこれは八月にスタートしたスーパーバイズの最終回の様子です。

 みんなとても授業がうまくなりました。

 自信をもって生き生きと授業する姿は「この先生は本当にこども達が好きなんだな」と思わせるものでした。

 自らがたのしく伸びていく、そして子ども達が「この先生のクラスでよかった」と感じてくれる、そういう先生たちを学校現場にどんどん送り出したいと思います。
 みなさんの応援が大きな支えです。

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離島の教育を元気にすることは、本島の教育を元気にすること

 これは〈たのしい教育研究所〉が離島の先生たちの勉強会に呼ばれて実施した講座の写真です。

 たの研のメンバーで、沖縄県にあるたくさんの離島で授業や講演などを実施してきました。
 そういうつながりもあって、ある時、離島に住んでいる先生から相談がありました。電話越しの言葉から、メンタル的にけっこう落ち込んでいる時期だ感じられました。

 離島にいる先生たちの大変さというのは、たくさんあるでしょう。

 離島には転勤で赴任する先生たちも多いので、そこで生まれ育った人たちと違って、慣れない生活環境というのも影響するでしょう。

 釣り好きやアウトドア派にはたのしめる環境でも、そういう人ばかり転勤していくわけではありません。
 教育方法などについてリアルな刺激をうけるチャンスも物理的に減ってしまいます。 「校長先生は〈地域の魅力ある素材を活用して〉とよくいうけれど、その元気が出てこないんです」と話していました。

 実はそういう悩みも〈子ども達がたのしく笑顔でとたのしむ日々〉が増えていくと、なくなってしまうことがあります。逆に、釣り好きの先生も、子ども達と反目してしまうと、釣りをたのしむどころではなくなってしまいます。

 離島の先生たちが元気になっていく、そういう活動は、離島だけでなくたくさんの先生が元気になっていくことだと思います。
 突破するのは〈たのしさ〉です。

 早くコロナが収束して、たくさんのたのしい機会が増えていく日々を作っていきたいと思っています。

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たのしい教育の発想法〈仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣の歴史の見方・考え方〉歴史を勉強すると、発想が豊かになる

 最新のメルマガに〈仮説実験授業の生みの親〉である 板倉聖宣の発想法を乗せたところ、いくつもお便りをいただきました。 そういえば今年の沖縄県の教員試験の問題にもまた〈板倉聖宣〉が取り上げられていたそうです。何年か越しに取り上げてくれていますから教育行政の中にも注目している人がいるのでしょう、嬉しいことです。

 これは〈たの研〉に掲げられているポスターです、左がたのしい教育研究所を強く応援してくれた師の板倉聖宣です。

 今回は、数回前のメルマガに載せた「板倉聖宣の歴史の見方・考え方」の一部を紹介しましょう。です。出典は1991に開催された板倉発想の会で「組織について考える」というテーマで語った中の一節です。前後を切り取っているので流れが掴みにくいかもしれませんが、メルマガの章をそのまま載せるわけにもいきません、ご了承ください。

 ※

いっきゅう
「記録」という方法は人類が飛躍するきっかけとなった最も重要な〈発明〉です。こうやって師の板倉聖宣が亡くなって後も、しみじみとその発想に浸り、新たな考えに成熟させていけるからです。
 この記録も読者の皆さんの新たな発想や、やる気を生むきっかになることを期しています。

板倉聖宣
 明治のはじめに「東京数学会社」というのがありました。
 何をする会社だと思いますか?
 今でいえば「東京数学学会」のことです。
 そのころは学会(ソサイェティ)という言葉がなかったから、会社といっていました。
 だからこの学会には会長ではなく社長がいました。社長さんがなにか交通事故などで会議に遅れますと、いつまでたっても始まらないということがありましたが、この東京数学会社ができたのは、明治10(1877)年、文明開化の気持ちが新鮮なときでしたから、「社長さんがいないと会が始まらないなんて不合理だ」「社長さんなんて辞めちまえ」と民主化運動が起こりました。社長(会長)制辞任ということで、委員長制にしたんです。
 またこの東京数学会社は、西洋の学会のマネをしたりして、社則なんかもある、おもしろいんです。
「天下国家に向かって、学会を開放し、質問があれば即座に答える」「天下のすべての意見を集めて、これに応えるものとする」という社則が入っているんです。
 世の中が違えば、ずいぶんおもしろい会則があるなあと思います。
 いまの学会の会則にそんなものがあるのかなあ・・・
 この東京数学会社は、のちに発展して、東京数物(数学・物理学)学会となり、それから日本数物学会となり、敗戦後は日本数学学会・日本物理学会・日本天文学会の3つに分かれました。
 私は発想法で重要なことだと思いながらまだ〈発想法かるた〉に入れてないのですけど「歴史を勉強すると発想が豊かになる」というのがあります。
 私が歴史を勉強する理由は、私自身が科学史専門ということもあるのですけど何をはじめるにしても私は歴史を勉強します。

 はじめに歴史を勉強すると何がいいかというと、今と違う時代がわかるんです。とくに今と違ううんと古いときを調べます、そうすると、すごく自由になる。
「ああ、昔はこんなことをやったのか」
「昔はこんな考え方があったのか」にんな考え方もおもしろいなあ」となる。

「歴史を勉強すると今とは違う考え方がたくさん出てくるし、その中には拾えるものもあるかもしれない」という感じがするんです。

 5年前の歴史や10年前の歴史とかはだいたいおもしろくないんですよ。

 少し前の歴史ではなくて、時代が違う歴史を調べると、ずいぶん違います。

 同じことを調べるんでも、時代の違う敗戦直後を調べるとか…

 民主主義というものが日本ですごく高らかにうたわれたころの民主主義の時代、明治のはじめ、大正デモクラシーの時代、あるいは戦争中の天皇制が華やかだったころの時代、そういう時代のことを見ると「今とは違った考え方がある」ということを知ることができます。

ここまで

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