月暦・太陰暦〈元日〉あけましておめでとうございます/楽しい学習・楽しい年賀状・楽しい教材・楽しい学力向上

 一つ前の記事の続きです、未読の方は戻ってお読みくだい。太陰暦・太陽暦について整理しています。

 明治6年に日本が太陽暦に変わる前、日本では〈太陰太陽暦〉を利用していました、旧暦とも呼ばれています。
 月の満ち欠け、潮の満ち引き具体などがわかり、季節の変化にも対応できるカレンダーです。
 

 たのしい教育研究所は太陰太陽暦で、関係する皆さんにご挨拶をしています。

  年末の忙しさの中、やっつけ仕事の様に年賀状をおくることにためらいを感じ、失礼に当たらない方たちへは〈旧暦での年賀〉という方法をとったのは、私が教師を退職する前からで、20~30年続いていると思います。

 これが2023年の年賀状の画像部分です、もちろんここでは画像加工してあります。

 文字部分がよくわからないので、一部、加工前に戻してみましょう。


 以前「こんなにたくさんの笑顔があふれる年賀状は他ではみないです」という嬉しいたよりが届いたことがあります。
 今年もそう感じてもらえたら嬉しいです。

 このサイトの読者のみなさんにも、とてもお世話になりました。

 太陰暦(太陰太陽暦)2023年もよろしくお願いいたします。

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月暦・太陰暦〈元日〉あけましておめでとうという前に/楽しい学習・楽しい年賀状・楽しい教材・楽しい学力向上

 たのしい教育研究所では基本的に〈太陰暦:太陰太陽暦〉で新年のごあいさつをしています。今年もスタッフが心をこめて、応援してくださる方たちに年賀状を送ってくれました。

 今年2023年の太陰暦正月は1月22日(日)です。

 このサイトでもみなさんに丁寧にご挨拶したい問い考えています、その前に〈太陰暦と太陽暦〉のお話をさせてください。いずれ〈たのしい教育研究所の授業書〉としてまとめようと考えているものの一つです。

月の動きを元にした暦(太陰暦)

 現在の暦・カレンダーは地球が〈太陽〉を一年かけて一周する動きを中心にして作られています、太陽暦といいます。
 それに対して〈月〉の満ち欠け〈満月から次の満月まで〉の長さを元にしたものが〈太陰暦〉です。

※NASAのサイトより

 今の様に夜の照明がほとんどないかった頃、月の明かりはとても貴重でした。

 満月が近づくと夜でも足元を照らしてくれます。遅くまで外で仕事をすることができるだけでなく、お祭りをすることもできます。

 海の水も満月と新月の頃に〈大潮〉になります。
 遠くまで潮が引き、海岸でいろいろな生き物をとることができます。
 満潮の時には海岸近くまで大きめの魚が寄ってきます。

 そういうことを知るためにも月の満ち欠けを元にしたカレンダーはとても便利でした。

「では太陰暦のままがよいのに」と考える人たちもいるでしょう。

 けれど多くの国々では月の満ち欠けではなく地球が太陽を一周する長さを元にした〈太陽暦〉を採用しています。

 太陰暦では何か困ったことがあったのでしょうか、太陽暦に優れているところがあったのでしょうか。それとも大した理由はなくそうなったのでしょうか。 

 みなさんはどう思いますか。

太陽の動きを元にした暦(太陽暦)

 現在、多くの国々では太陽暦を採用しています。

 地球は太陽をぐるぐる回っています。
 一周してくる長さが一年で、その一年を12に分けてカレンダーを作ったのが〈太陽暦〉です。

 夜の月明かりや大潮・小潮などはわからなくても、季節の変化にはピッタリなのが太陽暦です。日本など北半球にある国々では太陽の光が斜め下側から差し込む角度の時、下の図で右側の位置にある時は地面の温まりが弱く〈冬〉の季節になります。太陽に顔を向けてたくさんの光の矢が地面に突き刺さると強く温まり〈夏〉の季節になります、下の図の左側の地球です。春夏秋冬の季節をカレンダーで知るには太陰暦がピッタリです。

※NASAのサイトより

太陰暦を続けていくと

 月の満ち欠けの周期は約29.5日です。
 満月から次の満月までを12回繰り返すと〈354日〉、本来の太陰暦でいくと太陽暦より11日短くなります。〈去年の12月は雪が降っていたのに、今年の12月は紅葉の頃だ〉というくらいの季節のズレがなので、まぁそのくらいはいいでしょう、と感じるかもしれません。

 けれどそれが続いていくとどうなるか?

 三年で太陽暦より33日早くすすみます、たとえば〈去年の11月は初雪の頃だったのに、今年は紅葉が始まる頃だ〉、十年で3ヶ月以上早くなるので〈去年の11月はずいぶん寒かったのに今年の11月はとても暑いぞ〉となるでしょう。

 どんどんズレていって、30年で半年程早まります、60年経つと60年前と同じくらいの季節がと一致するでしょう。

 季節の変化は暑い寒いだけでなく〈植物の収穫〉とも強く関わります。
 タンカン(下写真:wikipediaより)の収穫は1月ごろだ、マンゴーの収穫は7月ごろだということも太陽暦なら去年と同じ様に判断できます、月を元にした太陰暦だと無理です。

 動物たちにとっても〈暖かい寒い〉という季節の変化は重要です。

 渡り鳥が来る頃も、セミがなく頃も季節と一致します。「去年と同じ頃にセミが鳴きはじめた」とか「去年より4日早く渡り鳥がやってきた」いうことも太陽暦ならわかります。

 季節の変化にどんかんな生き物たちは絶滅していったでしょう。

 沖縄だと「そろそろ台風に気をつけないといけない季節になるぞ」ということもわかります。

 太陰暦のままだと、月の光の強さや大潮小潮などはわかっても、季節の変化を元にして「去年と同じ◯月◯日頃にはこれこれ」という様なことはわからなくなってしまいます。

 やはり太陽暦がよい。

どっちのよいところもとる

 季節の変化が大事だから太陽暦にしようという中で「それでも月の満ち欠けや潮の満ち引きも知りたいという」欲張りなことを考えた人たちもいました。そしてそういう欲張りが社会を発展させることもあります。

 現在〈太陰暦〉と呼ばれているものは、その両方のよいところをあわせた「太陰太陽暦」がほとんどです。

 太陰暦は太陽暦の一年より11日短いと書きましたが、その11日を〈閏月/うるう月〉としてプラスして一年を13ヶ月にして、できるだけ季節がずれない様に工夫したのです。
 〈季節のズレが大きくなったら閏月を入れる〉という荒削りな方法をとっているので、ある時は春3月の後に閏3月を加えたり、暑い7月に閏7月を加えたりしていました。
 季節の変化にピッタリ合わせた太陽暦に、その点では勝てないのですけど、それでも決定的なズレは生じないようになっています。

 世界には今でも月の動きを元にした太陰暦を利用している国々があります、中国もその一つです。

 けれどそれらの国々でも純粋な太陰暦ではなく季節がずれないように調整した〈太陰太陽暦〉がほとんどです。

さて我が日本のこと…

 日本が太陽暦にしたのは明治6年になってからです、国のシステムをつくる手本にした西洋の国々にならってのことです。

 江戸時代のカレンダーを旧暦と呼ぶことがあります。

 それは純粋な太陰暦(季節がずれていく)だったのでしょうか?

 それとも太陰太陽暦だったのでしょうか?

 みなさんはどうだったと思いますか?

 つづく

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たのしくチャレンジングな先生たちが増えていくことが解決のキー/楽しい学習・楽しい教材・楽しい学力向上

 日本の経済や社会や教育システムがこれほど停滞するとは考えていなかった頃「若い感覚や価値観をもった先生たちがどんどん増えていくことで、古い価値観、日本が明治時代に確立した軍隊系の教育システムはどんどん減っていき、明るくたのしい雰囲気が広がっていくだろう。教育のいろいろな課題を積極的に解決していく活気が学校の中に満ちていくだろう」と楽観していた頃がありました。

 ところがその予想は外れ、相変わらず登校を拒否する子ども達は増加中で、先生たちの精神疾患の数は伸び続けています。
 わが沖縄は教師の精神疾患による病休率が全国一という悲しい現実に直面しています。

 読んでいない方は以前書いた記事でご確認ください。

先生が教室に行くのがたのしくなる それが〈たのしい教育〉/教師の精神疾患による病休と子ども達の不登校/楽しい学習・楽しくチャレンジ・楽しい教材・楽しい学力向上

 「出会ったら きょうだいみたいなものだよ/イチャリバ チョーデー」という素晴らしい島言葉は、少なくとも教育の現場では成り立たなくなっているということでしょう。

 では何をどうしたらよいのか、というのがたのしい教育研究所のテーマです。

もちろん〈たのしい教育〉が広まっていくことがキーです。

 それをもう少し具体的に考えてみたいと思います。

 

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 たのしい教育が広がっていく過程として〈たのしくチャレンジしていく先生たちが増えていく〉ことは必須です。

 私はカウンセラーもしているので、苦しんでいる先生たちと関わる機会もたくさんあります。

 苦しむ先生たちは、いい加減なことをしているからだと思う人もいるかもしれません。少なくとも私が関わっている先生たちは真逆で「こうしなくてはならない」とがんばっている先生たちです。

 教師に要求されるものは限りなく増えていきます。

 安全指導一つとってみても、学校から帰って川遊びに行き溺れそうになった子どもが出たら<学校で放課後の過ごし方をちゃんと指導したか、水難に対する安全指導をちゃんとしたか強く問われます。

 休日、近くに住む子どもたち同士がケンカをした。あっちが悪い、自分は悪くないということになった。親を巻き込んで学校で話し合いが持たれることもあります。

 教師でない人たちの中には「まさかそこまでは無いだろう」と思う方がいるかもしれません。でも教師をしていた人たちは、まさにその通りだとわかるでしょう。

 これでもかこれでもかと教師にのしかかったくる「こうしなさい、ああしなさい、これはしたか、あれもしたか」の枠の中で、先生たちは身動きをとるのが難しくなっています。

 今の様に社会が停滞し、教育界も閉塞感に覆われているのではなく、どんどん良くなっている途上なら、今の方法ですすめていくのもよいかもしれません。しかし現在の状況はそうではありません。今と同じことを進めていくと、今と同じ状況が続くというのは当たり前のことです。

「自分のクラスの子ども達は勉強が好きで生き生きとしていて笑顔で、学校に背を向ける子どもはいない」という先生の場合はその方向ですすめていけばよいでしょう。

 とはいえ多くの先生は教育界全体を覆う問題・課題に直面している。

 外側のシステムの改善は必須です。

 それと同時に、教師自身が、自分の感覚でチャレンジングにいろいろなことにとりくんでいくことも必須です。

〈やることになっているシリーズ〉ばかりで「はい今日は先週の続きで教科書の24ページからですね」というものが日々続いていくとしたら、その先生にとっても、その授業を受け続けていく子ども達にとっても不幸なことでしょう。

 人間は自分の可能性を伸ばしていくことに生きがいを感じる生き物です。教師が授業する時のよりどころとする〈指導要領〉は文科省がいう様に「それぞれの教科等の目標や最低限教えるべき教育内容を定めている」のであって、初めは進出語句の練習、次は意味理解という様な進め方が決められているのではありません。

 教師が知恵と工夫を出して「子ども達はこういう授業をするとたのしく賢くなるぞ」という指導方法ですすめてよいのです。

 そうはいっても学年会で主任の先生が進め方を決めているので…
 という先生もいるでしょう。

 ではその主任の先生と同じ授業になっているのでしょうか?

 主任の先生は、大まかな内容は同じでも、今朝の新聞記事から国語の授業をはじめているかもしれませんよ。人間は他の人と同じ授業をすることは不可能です、かならずオリジナルなところがでるものです。

 そのオリジナルな部分を、子ども達の笑顔と賢さの向きに増やしていけばよい。
 それはきっと教師にとってもたのしいことでしょう。

 何かよい方法はないか、たのしく学力向上できる方法はないか、もっとこども達と仲良くなる方法はないか、たのしく覚える方法ないかetc.
 たのしい教育教材はそういう教材に満ちています。
 興味ある方は、お問い合わせください。

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たのしい教育の発想法〈板倉聖宣〉の発想を丁寧にたどる/楽しい学習・楽しい発想法・楽しい教材・楽しい学力向上

 今週の〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章で紹介する内容をいろいろにつくろっています。先週はアドラー心理学の師匠〈野田俊作〉先生が著書で語った内容を紹介しました。

野田

 ときどき私の家へ宗教の勧誘が来ます。
「神様に関心はありますか?」と。
 その人たちの顔を見るとたいてい不幸そうな顔をしている。
 ・・・

 という言葉から始まる内容です。大阪人の野田先生は特有のノリがある刺激的な表現も多用するのですけど、その根幹はシンプルです。

 野田先生の言葉にリンクさせて、もう一人の師〈板倉聖宣〉先生の「願うことで真実には至らない」という話にしようかと考えはじめています。

 板倉先生は東京の下町出身で、語り口は野田先生とかなり違うのですけど、同じ様に言葉の根幹にあるものはシンプルです。
 それを私たちが納得できるように丁寧に言葉を重ねてくれます。

 始まりのところを少し紹介しましょう。

板倉

〈科学の大衆化〉というのは、それを望む人がやると科学の大衆化 ができるとは限らない。

「大衆化を望めば大衆化する」というのであれば非常に簡単な話です。

 「人間性豊かな人間になろう」、そう望んで教育すればそうなるということなら簡単なことです。

 自然科学は「そうではない」ということを教えている。

 このサイトでは始まりの部分を少し紹介しただけなので、野田先生の言葉と板倉先生の言葉がリンクする様には思えないかもしれません。

 祈りや願い、救いという部分で両者が結びついていきます。

 願いや祈りが叶ったり、平和になったり、自分が犯した罪を許してもらえるというのが宗教だとすると、たくさんの人たちが宗教を信じているロシアやウクライナで最も悲惨な戦争が続いているのはどうしてだろう。

 宗教と科学が対立するのではなく、〈宗教が人々の心をおちつけ、科学的に確かめられたものに従って淡々とすすめていくプロセスとして二つが結びついていく〉としたらどんなによいだろう。

 そういうことを考えています。

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