学力はマイナスの値を取りうる/学力=重要な知識・技能×意欲 (その3)

沖縄の学力問題を憂いている方たちがたくさんいて、その方たちと話をする機会があります。今回は、私がもう10年以上前に、科学の大会でレポートとして発表したことについて書かせていただきます。

それは
「学力はマイナスの値を取りうる」
という話です。

なんとなく「学力=テストの点数」だというイメージがあるものですから、最低でも「0」という感じがあるかもしれません。

しかしやはり学力はマイナスになりうるのです。

それは学力公式から導き出される結論の一つでもあります。

学力=重要な知識・技能 × 意欲
学力方程式 by たのしい教育研究所
https://tanokyo.com/archives/5913

 

知識や技能を1〜10段階で表してみます。
より重要で基本的な知識・技能を「ポイント10」
重要度が低く、他の知識技能ですぐに代用が効きそうなものを「ポイント1」とします。

次に意欲を段階に分けましょう。
注意しなくてはいけないのは「意欲は、マイナスの値も取りうる」ということです。
やりたくない、つまらない、見るのも嫌だ、という時にマイナスだと判断されるのです。
ですから意欲のポイントは、
「+10 〜 -10」の幅となります。

さて今回子ども達に「英語:初めての人との挨拶」の内容を教えたとしましょう。
その結果を総合すると、Kさんの知識技能の習得は何とか「7ポイント」であった。平均点以上は取れた。

ところがKさんは授業後、「もう英語は勘弁してほしい」という気持ちになった。
つまり「意欲度」でみると「マイナス8ポイント」であった。

すると学力公式 学力=重要な知識・技能 × 意欲 から

7×(-8)= -56 ポイント

となります。

教えないでおけば、知識・技能が0ですから、学力として「0」のままだったのに、意欲度を削ぐ教え方をしてしまったがために、それ以下になってしまったということになるのです。

この例は、わたしの友人の体験です。

知識・技能の体験が高まれば意欲も高まるはずだと思う方は、
https://tanokyo.com/archives/5913
に戻って読んでいただけるとわかるように、国際テストの結果からも、それは否定されるのです。

学力なんてどうでもよい、という人はおそらく誰もいない。
しかし、「学力がマイナスの値を取りうる」ということに気づいていただけたら、点数だけではなく、同時に子ども達の「意欲」を高めてあげなければいけない、ということがわかるとおもいます。

逆に、知識技能のポイントが低くても、意欲をプラスにもっていくことができれば、将来的に上昇していくことは、また項を改めて書かせていただきます。

沖縄の子ども達の「学力」。それはつまり「たのしく元気で賢い学力の向上」がカギです。たのしい実力のある先生方の育成、魅力的な教員採用試験突破講座、実践型カウンセリング、その他、いろいろな形で学力向上に取り組む「たのしい教育研究所」です。

 

偉大なる まど・みちお@たのしい国語

以前、このサイトに「まど・みちお」について書いた(⇨過去の文章)のですけど、それより前、まどさんが生きていた頃に書いた文章が出てきました。

教師をしていた頃、週報にかいていたコラムです。

いろいろな方に読んでもらいたいので、ここに再録したいと思います。

———

私にとって、まど・みちおは「偉大なる人間」です。

ダウンロード2「ぞうさん」

「やぎさんゆうびん」

「ともだち ひゃくにん できるかな」

など、子ども達に親しまれる歌を世に送り出した人物でもあるけれど、それ以上に、年を重ねてもなお創作意欲を失わずに歩き続ける姿に感動するのです。

そして、その作品を生み出す彼の心が、子どものように純真である事に感動するのです。

何より、自らの行動に対しても偽らず、まっすぐに前を向いて生きて行こうとする姿勢に感動するのです。

最近、まど・みちおの訃報が届くのではないかという気がしてなりません。
偉大なる人物と同じ時を生きているうちに、この文章を書いておきたいと思います。
私がまど・みちおを心底尊敬するようになったのは、
「あなたの全作品集を出版したいのです」
と申し出た出版社に対して,彼が語った言葉に触れてからです。

「私は生涯で、戦争に賛成する詩を二編書いてしまいました。
 私がそんな不完全な、弱い、ごまかしをする人間だという事を明らかにする意味
 で、必ずその作品を探り当てて掲載してほしいのです」

 

「まど・みちお全詩集 伊藤英治編 理論社」の「あとがきにかえて」にこうあります。696ページからです。

まど・みちお全詩集スクリーンショット 2015-06-15 14.34.57

 

 じつは私には戦争協力詩を書いたという記憶が全くなかったのですが、この二編のうちの一編「はるかなこだま」を、昨年三月初めて目にしました。

 梅花女子大の谷悦子さんが、原本とは別の印刷物に転載されているのをみつけて、そのコピーを送って下さったのです。
まぎれもない拙作で、大ショックでした。

 しかし考えてみますと、私はもともと無知でぐうたらで、時流に流されやすい弱い人間です。
こういうのを書いていても不思議ではないと思われてきました。

 

が、にもかかわらず私は戦前から、人間にかぎらず生き物のいのちは、何ものにも優先して守られなくてはならないと考えていました。
戦後も、戦争への反省どころかひどい迷惑をかけた近隣諸国にお詫びも償いもしない政府のやり方に腹を立て続けてきました。
また地元の「核兵器廃絶、軍縮をすすめる区民の会」だけでなく「アムネスティ・インターナショナル」や「キリスト教海外医療協力会」やその他この種のいくつもの会にも、誘われるままに参加しています。
詩作のうえでも身辺の動植物を多くとりあげ、かれらのいのちの美しさをほめ、かれらに対する人間の横暴残虐を憤ってきました。

 つまり、一方で戦争協力詩を書いていながら、臆面もなくその反対の精神活動をしているわけです。
これは私に戦争協力詩を書いたという意識がまるでなかったからですが、それは同時にすべてのことを本気でなく、上の空でやっている証拠になりますし、またそこには自分に大甘でひとさまにだけ厳しいという腐った心根も丸見えです。
そしてとにかく戦争協力詩を書いたという厳然たる事実だけは動かせません。

 動転した頭でどうすべきか考えましたが、昔のあのことの読者であった子供たちにお詫びを言おうにも、もう五十年経っています。
懺悔(ざんげ)も謝罪も何もかも、あまりに手遅れです。慙愧(ざんき)にたえません。
言葉もありません、と私は私の中のはるかなところから、母のように私に注がれている視線に掌を合わせ、心を落ちつけました。

 そして結局この「はるかなこだま」を公表して、私のインチキぶり世にさらすことで、私を恕(じょ)していただこうと考えました。
本当に慙愧(ざんき)しているのなら、詩作の筆も絶って、山にでもこもるところでしょうが、あとで記しますように、私の中にはかすかながら私を庇いたい思いもあって、このような虫のいい対応を考えついた次第です。

 そこで私は、かねて詩稿が揃いしだい詩集に具体化の約束を頂いている童話屋さんに頼んで、「はるかなこだま」を同詩集に収録させてもらう了解をえました。
…続く…

こういう人物が、同じ日本人である事をとても誇りに思います。

まど・みちおは、日本人の良心を代表する人物だと思います。

その意味で、わたしにとってのまど・みちおは「偉大なる人間」なのです。

最近は、よく、まどさんの「百歳日記」を開いています。
名作です。

まどさんの命が、まだまだ続きますように。

———

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プリンタインク折り染めでブックカバー たのしい折染め

 前に紹介した「新染料(プリンタインク)の折り染め」は、おかげさまで好評です。

https://tanokyo.com/archives/5887

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 染めたものをそのまま飾っておくだけでもよいのですけど、工夫すると、いろいろなものに利用できます。 今回は、ブックカバーにしてみました。
 仕上がった折り染め作品を折って表紙をはさみこむだけです。
 わたしは淡いパステル系の色彩が好きなので、とても気に入っています。

スクリーンショット 2015-06-14 23.36.27

〈世界で一つだけの〉という形容は使い古されているとはいえ、間違いなく二度と作ることができないたったひとつのブックカバーです。

スクリーンショット 2015-06-14 23.36.36

 沖縄のこども達の学力が高まったという話をよく聞きます、全国学力テスの点数が上昇してきたそうです。

 それならなお、こういうたのしさ、自分の好みをベースにした偶然的なデザインをたのしんでいく経験をたくさん味わって欲しいと思います。
 たのしい学習、快感としての学習が、テストの点数を補完することは間違い無いでしょう。

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学力=重要な知識・技能×意欲 その1) 学力方程式

「沖縄の子ども達は学力が低い」とか「沖縄の小学生の学力テ

スクリーンショット 2015-06-13 15.23.22ストの順位が昨年急上昇した」という言葉を耳にします。
あるいは「沖縄の子ども達の学力低下の原因は、親が夜型の生活をしているからだ」という様に、「学力」という言葉はいろいろなところで使われています。

たのしい教育研究所のサイトにはあえて
「活きた学力・生きた学力」
という様にしていますが、単に「学力」と言い換えてもよいと思っています。
スクリーンショット 2015-06-13 15.24.23
言葉を添えたのは、「学力」という言葉を「テストの結果」という様に考える人がいるかもしれないと考えてのことです。

テストの結果・テストの得点は「学力」の一部を説明することではあっても、「学力」そのものを説明するものではありません。

いろいろな考え方があって当然だと思いますが、たのしい教育研究所は「学力」をこういう公式で表しています。

 重要な知識・技能 × 意欲 = 学力
  学力方程式 by たのしい教育研究所

 

たとえば、算数の図形の問題をテストで正確に解ける子がいる。

しかしその子は、図形のごちゃごちゃした計算が嫌いである。
そういう子どもは、何か自分の人生の中で起こる課題を、図形的な力を利用して解こうとするでしょうか?

はなはだ疑問です。

自らの人生を切り開く力となるものが「学力」であるはずです。
テストでは解ける、ということだけでは、まだ学力がついたとは判断できないのです。

個人的なことでも、その例を幾つもあげることができますが、その一つ。
わたしは子どもの頃、習字のコンクールで金賞とか銀賞とかをよくもらっていました。
わたしの先生の書道の指導は
「とにかくこう書け、こう払え、ここで1秒止めてから…」
の連続でした。

結果として賞状は増えていっても、わたしは、その書道の時間が苦痛で苦痛でなりません。
ですから悲しいことに、わたしは墨汁のフタを開けた時の、その匂いすら嫌いなまま成長していったのです。

そういうわけですから、何か大きな文字を書くというときにも、筆を持とうという気持ちは全く起こりません。逆に、書道をする場面に直面するのをいかに避けるか、ということが目標であったりします。
つまり「書道」はわたしにとって、何かの課題に立ち向かうための力になりませんでした。

「賞/ほうびを与えればそのうちに好きになる」と考える人もいますが、それは、一部の人たちに当てはまるもので、一般化して考えて良いものとは思えません。

わたしが教師を始めた頃
「できるようになれば、そのうちに好きになるんだ」
と語る教育関係の方達がとてもたくさんいました。
しかし、現実はどうでしょう?

国際的な科学力・数学力を測るテストで、日本はトップクラスです。
しかし、私たちの周りに「理科はかんべんしてほしい」という人たちがどれだけ多いことでしょう。
科学の魅力を伝える活動を展開していると、そういう人たちがとても多いことを肌身で感じます。
勉強してきたであろう教師仲間でさえ、理科嫌いが多いのです。

たとえば「NHKオンラインサイト」にこうあります。

勉強への自信のなさも突出しています。「数学に自信がある」という割合はわずかに2%にとどまり、タイと並んで世界で最も低くなっています。楽しくも、好きでもなく、自信もないのに成績はよいというのは不思議な感じがします。
http://www.nhk.or.jp/school-blog/500/141363.html

 

テストに書きなさい、といえば書けるけれど、それは嫌いなのだ、という子どもたちを育てることは、学力向上にならないのではないか?
逆に、「図形の問題が好きだ」という子どもたちを育てることが、学力向上につながるのではないか? その子は、もしかすると、今はまだテストの得点がふるわないかもしれない。しかしそのうちに上昇してくる可能性は高い。
そして、何か自分の前に出てきた課題を解こうとするとき、きっと図形処理の力をどんどん発揮してくれるのだと思います。

ですから「たのしい教育」は、ゆっくりとではあっても、学力を根底から上げていくことになるだと思っています。

沖縄県の学力の問題は、日本全体の学力の問題とつながっていると思います。
沖縄の子ども達が「算数が好き」「国語が好き」「理科が好き」そういうようになっていくことで、じわじわと、生きた学力・活きた学力がつき、それがいろいろな問題や課題を突破していく力となる。
もちろん、沖縄が抱えている問題、沖縄だけでなく世界が抱える問題を解く力のある人間も、そこから間違いなく育っていくのだと、そう考えています。

Kiraku記

沖縄県の学力向上に全力投球の「たのしい教育研究所」です。