前回の〈エビデンス〉の話は読んでいただけたでしょうか、日本語で〈根拠〉でいいのにあえて「エビデンス」を連発することはない、という内容です。今回はそれとセットの話です。
「ルーティーン」という言葉があります、普通に使っている人もいるでしょう。
「朝起きたらコーヒーを呑むのが私のルーティーンです」
「寝る前は、おやすみの挨拶をして布団に入ることが毎晩のルーティーンです」
という様に使うことができます。
ルーティーンはそれに適した日本語がないから使われたのでしょうか?
〈日課〉でいいですよね、音の数も少なくてすみます。
学生の頃、いちいちルーティーンという言葉を使う先生がいて、違和感たっぷりだったのですけど、それから何十年経ってみると、自分も違和感なく使っている上に、英語を学ん〈道筋〉を意味するルート(route)が語源だということを知ってからは、さらに使いやすくなりました。
エビデンスで感じている私の違和感も、ルーティーンで感じた私の違和感も、同じものです。
方や自分で普通に使う様になっている。
〈ことばは生きている〉と言われることがあります。
エビデンス(証拠)という言葉やアジェンダ(議題)、コモディティ(商品)etc.
いろいろな外来語の中で、しばらくすると消えていくもの、普通に使われる様になるものなどいろいろ分かれていくでしょう。
つまり「実験」です。
その言葉が使われる、消えていくということが〈実験結果〉です。
「言葉を大切にする」というのは、やみくもにどんな言葉でも受け入れることではなく、気にいらない言葉を弾圧することでもありません。「言葉も実験である」という視点で付き合っていくことだと思います。
違和感のある言葉は自分では使わないとはいえ、あえて弾圧しない。
もちろん私の様に「〈障がい者〉という言葉は使わない方がよい」というはっきりした考えがあるなら主張してよいのです、それはお互いが意見を交わし合うことで、民主的な流れで弾圧ではありません。
「言葉は生きている」と表現されるのは、生きている人間集団の口から発せられ、それが成長したり滅びたり、化学変化の様に形を変えていくからです。
エビデンス(証拠)、アジェンダ(議題)、コモディティ(商品)などがこれからどうなっていくのか、予想を立てながらみていきましょう。
今のところ私はそういう言葉を使うことはないのですけど、もしそれを使っている人たちは、子ども達や、あまりその言葉に慣れていない対象に使う時には、その意味がちゃんと伝わる様に工夫してほしいと思います。
※
学校に行きたくない、勉強がつまらないという子ども達はどんどん増えています。
何とかがんばって授業の中で教科書を開いてついていこうとしても、先生が意味のわからない言葉を普通に使っていたら、ますます心はそこから遠ざかっていくでしょう。
そのことを加えて、今回のテーマを終えたいと思います。
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