たのしい授業「二十四節気:夏至」(1)@楽しい授業@楽しく島言葉

 最も昼が長い日が夏至の日、この記事は今年の夏至の日=2024年6月21日(金)に書いています。

 夏至の日は太陽が最も高い位置に来る日、そして太陽が姿を見せている時間(昼時間)が一年で最も長い日です。この〈太陽が高い位置〉という表現は、子どもたちがうまくイメージできない言葉の一つです、そのことを詳しく書きたいのですけど、サイトのボリームの関係で、今回は先に進みます。

 夏至を島言葉・琉球言葉で「カーチー」と呼んでいます、この「カー」は春夏秋冬の〈夏:か〉から来ているのかもしれません、ご存知の方はご教示ください。

 夏至と真逆、、夜時間が最も長くなる日を「冬至」といいます。太陽が姿を見せている時間が最も短くなる時間です。
 琉球・沖縄の島言葉では「とぅんじー」といって、沖縄の伝統的な食事「じゅ~し~:沖縄風炊き込みご飯」を食べる慣わしがあります。けっこう美味しいですよ。

 地球創生の歴史をみても、そして科学的に研究をすすめても、動物・植物にとって生命維持のよりどころといえるのが「太陽」だというのは間違いないでしょう。
 明日からは太陽がのぼりません、となったら、植物たちが枯れていき、その進行と同じように動物たちの命が失われていきます。しだいに氷の世界になって、菌類たちも滅びていくでしょう。

 沖縄のように、それほど寒くならない地域に住んでいる人たちはそれほど感じていませんし、さらに日差しの強い国々、たとえばイスラム地域、砂漠地方の人々は、太陽より月をありがたく感じてして、国旗にも月のマークを入れています。

 けれど寒い地方では、太陽が上らないと大変です。

 一年で最も大切な日は〈冬至〉つまり「さぁ、これから太陽の日差しが少しずつ長くなっていくぞ」という日でした。

 古代北欧では、冬至の頃に「ユール」という祝祭が行わてたくさんの人たちの大切なお祝いの日でした。その日は太陽の力が最も弱まる日です、つまりこの日を境に太陽の力が復活していくわけです。「太陽復活祭」というお祝いです。
 キリスト教普及の戦略としてイエス・キリストが生まれた日をユール(太陽復活祭・ユール)の日に重ねて庶民にお祝いを広めたのがクリスマスです。

 地球が傾いた状態で太陽の周りを回っているので、私たちの祖先は経験則で、陽の光(熱)のあたり具合を次の四つにわけて大切に伝えてきました。

冬至:北半球では、1年のうち、昼の時間が最も短くなる日
春分:夏にむけて昼と夜の時間の長さがほぼ同じになる日
夏至:北半球では、1年のうち、昼の時間が最も長くなる日
秋分:冬に向けて昼と夜の時間の長さがほぼ同じになる日

 はじめに書きたいことに行きつくまで、けっこう時間がかかりました。
 ここで問題です。

問題1
 今みてきたように、夏至の日は昼が一年で一番長い日、夜が一番短い日です。
 では、どれくらい昼が長いのでしよう。

 何なに「そんなの調べてみたらすぐわかるよ!」ですか。
 いやいやそれはとてももったいない、推理小説の犯人を調べてから続きを読み続けるようなものです。
「え~、あいつだったのかぁ!」
「さすが、わたしの推理は正しかった!」
という感動が激減します。
間違うことは恥ずかしいことではありません、間違ってもたのしく賢くなる、当たってももちろんたのしく賢くなる、それがたのしい教育です。
 さぁ、まず予想を立ててみてください。

 1日は24時間ですから、昼夜の長さがほぼ同じになる〈春分〉〈秋分〉の日は、昼と夜がほぼ12時間ずつです。

 では夏至の日、昼時間が一年で最も長い日はどれくらい昼夜の差があるのでしょう、予想してみてください。
 〈たの研/たのしい教育研究所〉は琉球・沖縄にありますから、沖縄の場合で考えてみましょう。

選択肢
 昼は夜より
 ア.数分長い

 イ.30分くらい長い

 ウ.一時間くらい長い

 エ.2~3時間長い

 オ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?
あなたの考えを聞かせてくだささい。

 もう一つ問題を考えてみてください。

問題2

夏至の昼と夜の長さの違いは、日本中どこでもほぼおなじくらいの差でしょうか?

たとえば沖縄では昼と夜の長さは二時間違っているけれど、北海道ではその差は一時間、というようなことがあるでしょうか。

予想

 ア.日本中、その差はほぼ同じ

 イ.場所によって違う
  a)南に行くほど差が広がる
  b)北に行くほど差が広がる

 ウ.その他

 

どうしてそう予想しましたか?
あなたの考えを聞かせてくだささい。

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楽しい教育の発想法@板倉聖宣「この教育の曲がり角は、いつからの曲がり角なのか?」月刊たのしい授業から①

 今からほぼ40年前、板倉聖宣が「せっかく正月なんだらか〈十年先、百年先のこと〉を考えてみよう」と書き始めた話があります。
 長い歴史の流れの中で今の教育を眺めるという意味で、今でも全く古い内容ではありません。
 1984年1月の「月刊たのしい授業」からです。

 今でも古くない話だと思います。それはつまり、日本の教育があいかわらず同じ問題・課題を抱えたままだということ、あるいはその問題・課題がどんどん膨らんでいるということなのでしょう。

 ものの見方・考え方はあまり必要ない、「ノウハウ」を知りたいんだと考える人がいたとしたらもったいないことです。実践力に〈理論〉が加われば、未知の状況へ対応する力も高まるからです。
 読んでみてください。前半部を校正し「楽しい教育の発想方@板倉聖宣「この教育の曲がり角は、いつからの曲がり角なのか?」と題して二回に分けて紹介します。

 個人的な話を加えさせてください、板倉先生のこの話の3ヶ月後、私は自然豊かな小学校に採用されることになりました、個人的にもエポックとなる年です。

追記:『月刊たのしい授業誌』は私が座右にしていた頃とだいぶ違ってきたようですけど、刊行は続いています。興味のある方は手にしてみてください https://amzn.to/4epAXkm

板倉聖宣 1984.1
 1年にいっぺんぐらいは、十年先、百年先のことなども考えてみるといいのではないかと思います。そんな大風呂敷はふだん考えてもしょうがないのですが、せっかく正月というのがあるのですから少しのんびりと考えていただけるといいと思うのです。
「新年だとかなんだとか、そういう行事にとらわれるのはけしからん」という意見もありますが、私は「行事も行動のキッカケとして大いに活用すればよい」と考えているわけです。

 

曲がり角のむこうは……
 最近いろんな所によばれてお話することが多いのですが、そこに集まる人たちの多くが、教育の未来をきわめて暗いものとしてイメージしているように思われます。
 500人とか1000人といった幅広い人たちの集まる集会にもよばれたりするのですが、そういう所の主催者のあいさつなどを聞いていても「教育は今、重大な曲がり角にきている」と考えられていること、そして「曲がったその先は暗い」という感じをいだいていることがわかります。
 みんなが未来を暗いものとしてしか考えられない時に『たのしい授業』なんていう雑誌を出したりするのは馬鹿みたいに思われたりもするでしょうが、しかし「こんな時だからこそ少しは明るい話を聞きたい」という期待もあって、私なんかがよばれるのかもしれません。
 そのせいか「これからの教育」といった題を、しばしば与えられます。
「教育が大きな曲がり角を曲がろうとしている」あるいは「すでに曲がったのかもしれない」ということは、はっきりとではなくとも多くの人が感じていると思います。私もそう思います。しかし多くの人は、「曲がった先が見えない」ということで大きな不安をいだいているように思われます。自分たちが曲がるという心配よりも「子どもたちが曲がらされる」という心配ですね。
 年配の先生たちは「戦後、自分たちが築いてきた民主教育というものが崩されてゆくのではないか」という不安、また若い人も意欲的な人たちは、民主主義の流れを守ろうという気持ちから、同じような不安をもっています。
 そして、現在の不安が深刻なのは〈これまでのような論法では未来を明るく展望することができない〉というところです。いろいろな問題に対して「政治の中枢が悪いのだ。社会全体に問題があるのだ。これらから子どもたちを守るのは、大変だけれどもそれは可能だ。がんばろう」ということで、かろうじて未来に明るさを見出してきました。
 そういう先生も親も「自分たちこそ本当に子どもたちの立場に立っていいことをしてきた」という誇りをもってきたんです。
 ところが最近の情況はちょっと違ってきました。
 子どもたちは、政治や社会に対しての抵抗もあるわけですが、もっと直接的に学校とか先生や親に対して抵抗を示すようになってきた。それが校内暴力とか家庭内暴力とかいわれるものです。
 今まで「いいことをしてきた」と思っていた人々にとって、この問題はショックです。
「それもやっぱり政治や社会のせいだろう」といってもまじめに考えればそれだけではすまない問題だということがわかりますから、それで自信をうしなってしまう人が沢山いるわけです。「どうしていいかわからない」ということになれば、曲がり角の先は一層モヤモヤして、暗いものにならざるを得ないわけです。

 

はじめての大きな曲がり角
 この問題を解くカギは、曲がり角といわれるものが「いつからの〈曲がり角〉なのか」というところにあるように思います。

次回に続く

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一冊の本や雑誌が人生を変えることがある

 来週のメルマガの下準備をしています。先週はたのしい教育創立期に一緒にたのしく学んでいた秀さんの講演を紹介しました。一つ板倉聖宣先生の話を挟んでから、私の恩人の伊良波さんの講演を紹介したいと考えています。

 いらはさんははじめての講演だったの思うのですけど、とてもよくて、やっぱり〈受け手側の評価・感想〉が決定的なんだということを強く感じさせる感動的な内容になっています。

 このサイトでは、講演のはじめの部分、伊良波さんが教師をスタートさせるその年に、板倉聖宣先生が『月刊たのしい授業』を創刊したこと。
 それがその後のいらはさんの授業を大きくかえるきっかけとなったという話を紹介します。
 板倉先生はその後〈たの研/たのしい教育研究所〉を強く応援してくれることとなりましたから、その流れは強くつながっています。

 皆さんこんにちは、「いらは」といいます。

 名護の屋部小の理科の専科をやっていて、教師になって三年目です。
 今日は仮説実験授業の資料を持ってきました。

 別にこれは、ボクが書いた資料じゃありません。仮説実験授業というのは、国立教育研究所の板倉聖宣という先生が20~30年くらい前から私立の小学校の先生方と研究してできた授業です。
 この資料は仮説社からでている『月刊 たのしい授業』という本の中からコピーしてきたものです。

 これは仮説を受けた子どもたちに対するメッセージで、板倉先生が特別に書かれたものです。〈仮説実験授業〉の考えていることや、狙っていること、その成果などが全部おりこまれていて、ほんとにすごい内容だと思っています。
 今から3年前、大学を卒業してすぐ小学校に勤めることになりました。

 ボクは教育学部の理科を卒業したのですけど、理科がわからないままでした。それでものすごい劣等感をずっと持ち続けていたので、理科専科を持つことになったら大変だと思って三年生を希望しました。運よく専科からのがれることができて、とてもホッとしました。
 新採で教材研究もあまりできないし、仕事は忙しいし、子どもたちは言うことを聞いてくれなしで、ほんとに大へんでした。
 でもとても運がよかったと思うのは、この『月刊たのしい授業(たの授)』が小学校に勤めるちょうどその年1983年3月に出たことでした…

※いらはさんはその後、勇気を出して仮説実験授業をやってみることにします。その流れもとても面白いのですけど、ここまでにしておきましょう

 

 人それぞれ、いろいろな問題意識をもっています。
 たとえば一つの本が雑誌が、映画が、マンガが、詩が、キャンプの経験etc.が、その人の人生を大きくかえるきっかけになることがあります。同じ問題意識をもっていて、同じ本に感動して、それで変えようとする人と、変えない人との違いは何でしょう。
 その人の置かれている環境など、いろいろなファクターがあるでしょう。でも決定的なのは、チャレンジする元気があるかどうかです。
 その元気を育てるのもたのしい教育&PEALカウンセリングです。

 読者の皆さんが、知人の一人でよいので、このサイトの情報を広げてもらえたら、それが〈たの研〉のパワーにつながります、よろしくお願いします。

 

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板倉聖宣『科学的とはどういうことか』の紹介③/読者の方の要望に答えて

  霊視、透視、予知能力など〈超能力〉についての科学的な見方・考え方〈第三回目〉です、ここで今回の内容は一区切りとします。未読の方は二つ戻って読み始めてください。出典は板倉聖宣著『科学的とはどういうことか』仮説社 です。気に入った方は、ぜひ入手してください。子ども大人を広く対象にした本で、私が学校で子どもたちに紹介した内容の一つです。

⇩クリック

 X線の発見以後、科学界では、じつにたくさんの大発見が報じられた。日本でも、のちに京大教授になった村岡範為馳が「渣蛍線」の発見を報じた。
 蛍の出す光をボール紙で渣すとX線類似の放射線が出るというのである。しかし、その酒蛍線の発見を含めて、大部分の大発見はあとがつづかず、まちがいとされた。そこでレントゲンは、「大発見」のニュースをきくたびに機嫌を悪くするようになったという。
 なぜ、客観性を誇りとする科学者までが、そういうたくさんのまちがった大発見を報ずるのか。それは、たいていの場合、功をあせりすぎるからである。X線発見直後の「大発見」のラッシュがそうである。長岡の水銀還金成功の発表も、ドイツでの水銀還金実験の成功の電報をうけてあせって行なわれたものである。

 昨年の超能力事件で一部の電気通信学者がスプーン曲げ超能力の真実性を支持したのも「外国でそういう研究が進んでいる」という情報にあせった結果と見ることもできるだろう。
 科学者たちも大発見の功をあせりすぎると超能力者同様になるのである。

 19世紀の末、フランスのノーベル賞化学者モアサンは人工ダイヤモンドの製造に成功したと発表したが、これはご本人の没後、そのまちがいのからくりがはっきりした。未亡人の発表によると、「助手がその仕事にうんざりし、先生を喜ばせてやろうと思って実験材料の中にこっそりダイヤモンドの粉をまぜておいた」ことがわかったというのである。科学の世界でも超能力の世界と同じようなインチキの行なわれることもあるわけだ。しかし、だからといって科学は全体としてはごまかされることがない。それは科学には「追試ができなければダメ」という大原則があるからだ。
 ところが「超能力の実験(予言)成功」などという話になると、はじめからまるでそそっかしいから、その真実性をまじめに論じるなんて気にもなれない。
 今度の美和ちゃんの所在透視事件にしてもそうだ。昔から「失せもの占い」というものがいろいろあって、それが見事「当たった」と思われたことが少なくない。

 

 それは、一つには偶然にもよるが、一つには「当たった」と思わせるやり方がうまいからであり、もう一つには下工作があるからである。

 板倉先生の話はここまでにしておきましょう、興味のある方は入手してくださいね。上の本の画像をクリックするとジャンプします。

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