たのしさの意義- 考えてみましょう②

「たのしい教育」「楽しい教育」で検索すると〈NPO法人たのしい教育研究所〉の公式サイトがトップにでます。みなさんのおかげで「楽しい学習・たのしい学習」や「楽しい教材・たのしい教材」でも1位か2位にランキングされるようになりました。
 それだけに、教育の中で「たのしさ」を語る時の責任を感じなくてはいけないと思っています。

 どうだったでしょう、前回の問いかけについて考えてみていただけたでしょうか?

 私たちが生きて行く時に〈論理的に考え構築してきたもの〉を優先して生きて行った方がよいのか、それとも〈感覚〉を優先した方がよいのか、皆さんの答えはどうなったでしたか?

 楽しい教育研究所の立場はこうです。

 たくさんの人材と予算と時間を投じて構築してきた学校教育システムの中で、主体である〈こども達〉がどんどん離れていくという結果を生むことになりました。

 これは文科省が発表した直近のデータ、昨年2021年度の集計です。

https://www.mext.go.jp/content/20221021-mxt_jidou02-100002753_1.pdf

 私いっきゅうは学校のシステムの中に長年いましたから教育現場にいる先生たち、管理職のみなさん、教育行政の方たちのことをよく知っています。

 一般の方たちは新聞・TVやネット上に流れる問題教師・行政官などのニュースを見ている、こんなダメダメな人たちがたくさんいると思っているかもしれません。
 違います。
 あまりの激務にそういう様子には見えないかもしれません、しかし教育に関わっている人たちは子ども達が大好きで、情熱を持っている人たちがほとんどです。
 本気で「どうにか教育をよくしよう」と考えて新しい方法を考え出し、全力でとりくんでいる人たちがほとんどです。

 しかし結果として、こども達がどんどん離れていく状況を生み出している。

 例えば民間の会社が莫大な予算と人材と時間をかけて取り組んでシステムを構築していった結果、どんどん客離れが進んでいくとしたらどうなるでしょう。

 その取組は何のためのものだったのか、そもそもそういうことを議論する前にその会社は潰れてしまっているでしょう。

 たのしい教育研究所は批判ではなく提案をする組織です。
〈たのしさ〉を指標にして教育を構築していくことによって〈こども達の、先生たち・管理職の方たちの、行政にいる方たちの笑顔とやる気が高まる〉というのがたのしい教育研究所が提唱していることで、その方法についても数々の具体的な提案をしています。そしてその取組は受講者の方たちからとても高い満足度を得ています。

 ところで単に〈たのしさ〉という場合、それは万能ではありません。中学の先生からの相談で〈万引きがたのしい〉と繰り返す人がいるという話を聞いたことがあるのですけど、そういうたのしさを追求されても困ります。

 これまでそういう疑問を投げかけられたことはないのですけど、もちろん、たのしい教育研究所は「たのしければ何でもいい」といっているのではありません。

 実験的な試みの中で〈明らかに学ぶ人たちの目が輝き知的好奇心を高め、もっと学びたいと感じるようになるもの〉それがたのしい教育です。

 その実験的な試みの中で〈論理的な思考〉は不可欠です。

 先生たち・管理職の皆さん、教育行政にいる方たち、つまり教育に関わる全体が、論理的な思考のベクトル(方向と大きさ)に私たちの感覚つまり「たのしさ」に向かっていくことによって教育は明らかに良い方向に変わるというのがたのしい教育の考え方です。

 たとえば〈かけ算〉も「覚えればよい」というものではなく、そこに子どもたちの生き生きとしたたのしさを追求する。そういう教育の中から〈生き生きとした算数・数学的な見方・考え方〉が育っていくことは、これまでの実験で明らかだからです。

 現在の学校教育は〈1872年・明治5年〉の学制以来150年という長い歴史の中で構築されています。そこに〈たのしさ〉という指標がどれだけ入っていたでしょう?
 その長い歴史のほとんどは〈欧米に追いつけ〉という取組でした。

 その取組みは明らかに成功し、日本は世界のトップレベルの成功をおさめました。

 その後〈欧米を追い越せ〉という流れがあったものの、結果的に経済的にも女性の社会進出など社会システムにしてもかなり遅れていることは明らかです。

 停滞した社会の中で明るい未来を作り育てていくことは従来のシステムの中でがんばり続けるだけでは難しいでしょう。
 新たなベクトル、それが〈たのしさ〉です。

〈たのしいことは嫌いだ〉という人には出会ったことがありません、きっと文科省の中枢でがんばっている方たち、教育委員会の中でがんばっている方たち、教育現場で全力をあげている先生たちのほぼ全てが賛同してくれるものだと思います。

 巨大なシステムが〈たのしさ〉の向きにゆっくり舵を切る、その日がくることをたのしみに、たのしい教育研究所の取組みをすすめていきたいと思います。
 読者の皆さんが応援してくれることが、元気のもとです。

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たのしさの意義- 考えてみましょう①

 たのしい教育研究所を設立して10年目に入りました、おかげさまで着実に活動は前に前にとすすんでいます。とはいえ学校教育という伝統あるシステムは巨大ですから、まだまだ力を入れて進んでいく必要があります。
 学校の中で調子よく過ごしている人は別にして、古いシステムを残す学校は、こども達にとっても保護者にとっても大きな壁に見えることがあるでしょう。

 こういう普通に目にする教室でのワンシーンも長い歴史と巨大なシステムの下で繰り広げられていると言ってよいでしょう。

 〈たの研〉には学校の中で苦しんでいる方たちからの相談もいろいろ届きます。
 そのシステムの中にいる教師にとっても同じです、先日も早期退職しようかという真剣な相談が来ました。
 こども達にとっても保護者の方たちにとっても教師にとっても、笑顔で夢を語ることができるのが〈たのしい教育〉です。

 人間が論理的に「これが正しい」と考えたり、伝えられたりしても、それは苦しくイヤなことである場合があります。

 ここで少し立ち止まって考えてみましょう。

〈苦しい〉とか〈イヤだ〉とか感覚、逆の〈たのしい〉〈もっともっと〉という感覚は、論理的・思考時なものではありません、私たち人間の心の奥の方から湧き出てくるものです。

〈論理的な思考〉と〈自分の感覚〉のどちらに従ったほうがよいのでしょう?

 論理的な思考でしょうか?

 もし論理的に考えていくことでよりよい結果が訪れるとしたら、教育界が大量の人材と予算を投じて思考を重ね構築してきている現在のシステムの下で主人公のこども達がどんどん離れていく状況をどうみたらよいのでしょう?

 よりよくなって来た・成功しているといってよいのでしょうか?

 もし今の状況がより良い状況だとしたら、教育は誰のためのものなのかわからなくなります。

 では感覚に従ったらよいのでしょうか?

 人間の感覚も間違うことがあります、「たのしければ何でもいい」なんていったら、それぞれの人たちの楽しさが相反するときにはどうすればよいのでしょう。
 ボクは小学生だけど車の運転が楽しいから運転させといわれても困ります。

 これをどう考えたら良いのでしょう?

 みなさんはどう考えますか。

 先に進む前に、ここで立ち止まって考えてみてほしいのです。

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子どもたちと仲良くなる/始業式の日、学年お楽しみ会で全クラス合同の〈水中シャトル〉楽しく賢くなる方法

 読者の方たちからいろいろな便りが届きます、今回もとても嬉しい内容でした。以前〈たの研〉に水中シャトルのパーツを大量に注文した先生からのたよりです。
 後期の始業式の日に「学年全体で〈たの研〉の水中シャトルをたのしみました」という内容でした。
 少し抜粋して紹介させてください。

2学期の始業式の日に、学年全クラスで、水中シャトルを作りました…
子どもたちの感想をいくつか紹介させてください。
①水の調整がむずかしかったけれど、何回もやったら、うまく魚を動かすことができるようになりました。
 ペットボトルにマジックで絵をかいたら、本当の海の中のような感じになりました。
 また、家でも作ってみたいです。
②最初は、この材料でどんなふうに作るんだろうと思いましたが、予想と全然ちがって、とてもたのしいおもちゃができました。
 家に帰ったらお母さんや妹に見せて自まんしたい気分でいっぱいです。
家庭学習ノートに、作り方を図入りで、かいてきた子もいました。

 たくさんの写真が添えられていました、なるほどペットボトルそのものにデザインしてたのしんでくれたわけですね。

 魚にデザインした子もいますね。

 たくさんのこどもたちが工夫してたのしんでくれている様子が伝わってきます。

 この子はいかにも超能力で中の魚を沈めている感じですね、すばらしい。

 こども達が「たのしい」感じる教材で先生が仲良くなることは学校がよくなっていくことに繋がります。
 そして人間が「たのしい」と感じることで知的に高まらないことはありません。

 こども達は〈水中シャトルづくり〉からいろいろなことを学んだでしょう。
「水圧は全体に伝わる」ことであったり「中の空気はその水圧によって縮んだり広がったりする」ことであったり「その空気の体積によって浮力が違ってくること」であったりetc.
 もちろん言葉でそういうことを伝えることは難しくても、体感としていろいろなことを感じていくわけです、これが賢くなる大きなステップになることは間違いありません。

 読者の方からのたよりはこう続きます。

家庭学習ノートに、作り方を図入りでかいてきた子もいました。
校長室の前の机に1つ置いて、誰でもさわって遊べるようにしています。
この後、理科で空気や水を押し縮める実験があります。そこにつなげていけそうです。

 大好評のものづくりでした。

 こういう先生が増えていくことが、前回の統計で見てもらった〈不登校〉問題への根本解決になります。
 読者の皆さんも、その取り組みにぜひ加わってください。

 たのしい教育に全力投球の〈たのしい教育研究所〉です。

 最もよいのは講座や〈たの研〉で直接学ぶことですけど、遊び方の資料付きのパーツを準備しています、使いたいという方は気軽にご相談ください。

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不登校と登校拒否は違うの? 野田俊作(元アドラー心理学会会長)先生が語っていたこと

 〈たのしい教育メールマガジン〉に軽く書いた不登校と登校拒否の話が「とても興味深い話でした」という言葉といっしょに資料が届きました。追記してこのサイトでも紹介させてください。

 みなさんは不登校と登校拒否の違いをイメージできるでしょうか?

 読者の方から送られたのは「あるサイトに〈不登校と登校拒否は全然違います〉と書いてあります」と具体的な内容が送られてきました。
 このサイトは批判ではなく提案をするサイトなので、具体的なサイト名などは避け、文章も少し手をいれておきます、ただし内容を曲げる様なことは一切していません。

・不登校…登校したいけれど登校できない子ども
・登校拒否…登校はできるけれど登校しない子ども

  大きな違いは〈登校できるかどうか〉

不登校は〈いじめや何らかの原因で登校できなくなってしまった子ども〉を指し、登校拒否は登校することはできるが〈非行やサボリで登校しない子ども〉のことを指す。

 この説明を読んで、どう思ったでしょう?

 この定義だと遊びまわって学校に行かないこどもたちは不登校児童生徒ではないことになってしまい、文科省が出している〈不登校児童生徒〉の統計には入らないことになってしまいます。

 私は学校で〈不登校に関わる統計〉の世話もしていたのですけど、文科省のそういった説明は聞いたことがありません。
 文科省の定義はこうです。

「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」

文部科学省「不登校の現状に関する認識」より

 病気や経済的な理由以外で年間30日欠席したら、非行やサボリでも不登校です。こういうことは学校の先生たちの常識の一つなので、前述の説明は教師ではない方が書いたものなのかもしれません。とはいえ、こういう定義が一人あるきしてしまうと面倒なことになるので、うちの様な教育の専門機関が〈違っていることは違う〉と書いておくことも大切だと思っています。

 話を冒頭に戻して、メルマガに書いたのはこういう話です。

 アドラー心理学を学んでいた頃、野田先生がこう語っていました。
「最近、文部省(文科省)は不登校という言葉を使うようになってきたけど、医者の立場(野田先生は医師免許を持っている)からみれば、こどもが登校を拒否しているのだから登校拒否だ。

 ところが文部省は〈学校は拒否してはならないところだ〉という立場を鮮明にしてきて、登校拒否という言葉は困ると。

 そこで中和的な〈不登校〉という名前が出てきた。
 だから医療をたばねる厚生省(厚労省)系の集まりでは〈登校拒否の子どもたちをどうするか〉というテーマで話し合い、文部省系の集まりでは〈不登校の子どもたちをどうするか〉というテーマで話し合う。私が行くと、どちらも似たような話をしている」

 私がカウンセラー免状を授かった1990年代のことで、この頃野田先生は「クラスはよみがえる/1989年出版」という本で教育関係者に広く名前が知られるようになり、いろいろな会合に呼ばれていたとのことですから、この発言の趣旨はかなり正しいと思います。

 実際、それ以前は文部省・文科省も〈登校拒否〉という言葉を使っていて、それにかわる言葉として〈不登校〉という言葉に急速に変わっていきました。意味を分けて使ってきたわけではないのです。

 そして厚生省・厚労省は今も〈登校拒否〉という言葉を残しています。
たとえば厚労省のサイトでは下にあるように〈不登校・登校拒否〉と並列して明記しています⇨こちら

 悲しいことに、今年もまた不登校・登校拒否のこども達の数は上昇しました、数日前に文科省が発表したデータをたどってみましょう。

 
令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について   2022年10月27日(木)文部科学省初等中等教育局児童生徒課

https://www.mext.go.jp/content/20221021-mxt_jidou02-100002753_1.pdf

 たのしい教育研究所も、本気で支援検討会をスタートさせました。関心のある皆さんの応援・支援を期待しています。

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