自由研究:雨の日〈花びら〉が透明になっていた…、みまちがいだったのかな?

 以前、黄色い花の花びらが雨の日に〈とうめい〉になっていて驚いたことがあります。知り合いに話すと「透明になる花なんてみたことない」と言われて、それから時が流れてゆきました。
 「あれは何かの間違いだったのか」のかと思い始めていた雨の日、同じ花に出会いました。

 沖縄ではめずらしい花ではないのですけど、私は名前を知らないので調べてみました。

ツルネラ・ウルミフォリア(キバナツルネラ)

 この花が透明(とうめい)になるとは思えませんね・・・

 残念ながら次の予定があって、雨の中をたたずんで待っているゆとりがありません。

 人の家や畑などから生えているものではなかったので、自由研究のために一輪もらうことにしました、実験結果がはっきりしたら挿し芽できるかにも挑戦する予定です。

 まずこうやって表や裏を水に浸しておきます・・・雨に近い水を利用するために天然水を使いました。


 仕事が終わって二時間後、「どうなったかな」と見てみると・・・

 こうなっていました、花びらが透き通って、葉の緑が見えます。

 

 取り出してみましょう、ゆびの形も透けて見えています。

 濡れてない花びらは指が透けて見えることはありません。


 さてここからさらなる自由研究のはじまりです、このキバナツルネラのように、雨で透き通る花は、他にもいろいろあるのでしょうか。

 いやいやそんなことはないでしょう、と考えますか?

 けれど大抵の花びらは雨で透き通ってしまうのに、私たちはそこに注目していなくて、これまで見えなかっただけかもしれませんよ。

 ひまわりの花びらはどうでしょう、私にはキバナツルネラに似たようにみえます・・・

 こういう実験は、とてもたのしいので、またいずれ時間をとって研究してみようと思います。

 簡単にできるので、みなさんも予想をたてて確かめてみませんか。

 自由研究こそ、本物の研究です。
 一緒にたのしみましょう。

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〈歴史は暗く書きたいと思えば暗く書ける、明るく書きたいと思ったら明るく書ける〉板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)の発想法

 発想法について読みたいです、というリクエストが届きました。自由研究をテーマにすることが多かったので、今回は〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章でとりあげた板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)先生の歴史の見方から少し紹介しましょう。歴史の見方考え方についての話です、その考え方は普通の暮らしの何気ない変化の中でも役立つものだと思います。

 出典は仮説実験授業の大会で入手した資料からで、1994.6大阪たのしい授業塾で語った内容の一部です。        

文責 喜友名一(いっきゅう)

板倉
 世の中というのは不思議なものです。いま関西国際空港が問題になっていて、それがもうすぐできます。ある時期までは「空港ができればいいなぁ」という夢がある。それがある時期になると、「空港ができると公害が起こってマイナスばかりだ」という話になって「関西国際空港できるのには反対だ」とか「反対することが良識なんだ」と思ったりする。
 でも出来てしまったら「便利だな、乗ろうか」とか「東京へ行くのなら新幹線で行くより飛行機の方安くていいよ」という話になって、それまで反対していた人たちが便利さを謳歌したりする、なかなか複雑です。
 江戸時代の人たちは自分の物は自分の家で作っていたんです。綿花を自分のところで栽培している農家は自分のところでとれるからいいのですが、栽培していない農家の人たちは綿花を買わなくてはいけません。
 実際には、ほとんど現金収入がありませんから変えません。
 どうするかというと、行商人が来て
「綿花を買いませんか」
「お金がないから買えないよ」
「じゃあ2着分置いていくので2着分糸を紡いでください。今度来たときにその1着分を私にくだされば1着分を差し上げます」
となる。
 つまり1着分を紡いだ労力で1着分の綿花を買うわけです、そしてこれを織る。そうやって現金収入がなくてもいいようになっていたわけです。
 これも悪いように見る人は「木綿資本が農村にまで手をのばして人民を支配した」というようなことを言える。
 けれどそうではない見方もできる。
〈時代の進歩〉というものは全部〈呪う〉ことに決めていたり、逆に〈歓迎する〉ことに決めていたりする人がいます。
 しかし早い頃に〈社会の科学〉を学んだ人は両面のことをちゃんと考えていたと思います。
 そういう流れの中で、たとえば「いろいろな機械が発明されることはとてもいいことなんだ。しかしそれがしばしば社会に不平等や不幸を生み出す。だから不幸を生み出さないように科学や技術の進歩に手心を加え、社会的規制を加えるのも必要だ」という考え方だったりするんです。
 

いっきゅう
 立場による一方的な見方ではなく、両方あるいは三方からの見方をしてみる。そして、より多くの人たちの笑顔につながるところにすすんでいく、それが歴史の発展だと思います。
 ピンポインで見れば〈悪〉であっても巨視的にみると〈善〉であることはたくさんあります、またその逆も。
 この板倉先生の話で小川未明の〈とうげの茶屋〉という物語を思い出しました。
 付録としてつけておきます。
 ちょうど夏休み期間です、自分の休みではなくても教材研究などの時間は多くなったと思います。ぜひ、読んでみてください。
青空文庫に感謝して引用させていただきます

とうげの茶屋
小川未明

https://www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/51624_63351.html

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たのしい教育の発想法〈仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣の歴史の見方・考え方〉歴史を勉強すると、発想が豊かになる

 最新のメルマガに〈仮説実験授業の生みの親〉である 板倉聖宣の発想法を乗せたところ、いくつもお便りをいただきました。 そういえば今年の沖縄県の教員試験の問題にもまた〈板倉聖宣〉が取り上げられていたそうです。何年か越しに取り上げてくれていますから教育行政の中にも注目している人がいるのでしょう、嬉しいことです。

 これは〈たの研〉に掲げられているポスターです、左がたのしい教育研究所を強く応援してくれた師の板倉聖宣です。

 今回は、数回前のメルマガに載せた「板倉聖宣の歴史の見方・考え方」の一部を紹介しましょう。です。出典は1991に開催された板倉発想の会で「組織について考える」というテーマで語った中の一節です。前後を切り取っているので流れが掴みにくいかもしれませんが、メルマガの章をそのまま載せるわけにもいきません、ご了承ください。

 ※

いっきゅう
「記録」という方法は人類が飛躍するきっかけとなった最も重要な〈発明〉です。こうやって師の板倉聖宣が亡くなって後も、しみじみとその発想に浸り、新たな考えに成熟させていけるからです。
 この記録も読者の皆さんの新たな発想や、やる気を生むきっかになることを期しています。

板倉聖宣
 明治のはじめに「東京数学会社」というのがありました。
 何をする会社だと思いますか?
 今でいえば「東京数学学会」のことです。
 そのころは学会(ソサイェティ)という言葉がなかったから、会社といっていました。
 だからこの学会には会長ではなく社長がいました。社長さんがなにか交通事故などで会議に遅れますと、いつまでたっても始まらないということがありましたが、この東京数学会社ができたのは、明治10(1877)年、文明開化の気持ちが新鮮なときでしたから、「社長さんがいないと会が始まらないなんて不合理だ」「社長さんなんて辞めちまえ」と民主化運動が起こりました。社長(会長)制辞任ということで、委員長制にしたんです。
 またこの東京数学会社は、西洋の学会のマネをしたりして、社則なんかもある、おもしろいんです。
「天下国家に向かって、学会を開放し、質問があれば即座に答える」「天下のすべての意見を集めて、これに応えるものとする」という社則が入っているんです。
 世の中が違えば、ずいぶんおもしろい会則があるなあと思います。
 いまの学会の会則にそんなものがあるのかなあ・・・
 この東京数学会社は、のちに発展して、東京数物(数学・物理学)学会となり、それから日本数物学会となり、敗戦後は日本数学学会・日本物理学会・日本天文学会の3つに分かれました。
 私は発想法で重要なことだと思いながらまだ〈発想法かるた〉に入れてないのですけど「歴史を勉強すると発想が豊かになる」というのがあります。
 私が歴史を勉強する理由は、私自身が科学史専門ということもあるのですけど何をはじめるにしても私は歴史を勉強します。

 はじめに歴史を勉強すると何がいいかというと、今と違う時代がわかるんです。とくに今と違ううんと古いときを調べます、そうすると、すごく自由になる。
「ああ、昔はこんなことをやったのか」
「昔はこんな考え方があったのか」にんな考え方もおもしろいなあ」となる。

「歴史を勉強すると今とは違う考え方がたくさん出てくるし、その中には拾えるものもあるかもしれない」という感じがするんです。

 5年前の歴史や10年前の歴史とかはだいたいおもしろくないんですよ。

 少し前の歴史ではなくて、時代が違う歴史を調べると、ずいぶん違います。

 同じことを調べるんでも、時代の違う敗戦直後を調べるとか…

 民主主義というものが日本ですごく高らかにうたわれたころの民主主義の時代、明治のはじめ、大正デモクラシーの時代、あるいは戦争中の天皇制が華やかだったころの時代、そういう時代のことを見ると「今とは違った考え方がある」ということを知ることができます。

ここまで

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押し付けは〈腑に落ちる〉様に説得できないから起こる/たのしい教育の発想法/仮説実験授業研究会代表(初代)板倉聖宣

 かつて仮説実験授業の夏の大会には旅行カバンに入らないほどの大量の資料が出されたものでした。その中から板倉先生が語ったことを選び出して持ち帰っても、かなりの量になります。それが毎年続くと、保存できな量となり、現在の〈デジタル保存方式〉に移行していきました。メルマガで週一回紹介しているのですけど、毎週取り上げても100年では終わらないでしょう。

 以前「押し付けはどうして起こるのか」ということに対する板倉先生の話がとても腑に落ちたので、そこだけカットして保存してあったデータがあります。紹介しましょう。大会で入手した資料ですけど、残念ながら表紙は消えていて、いつのものだかたどることができません。こういう話は板倉先生が何度も語ってくれていたので、古くからの仮説実験授業のメンバーなら、出典をたどることができるかもしれません。ご存知の方はおしらせください。

 板倉

 押しつけということはどうして起こるのか?
 相手を説得することができないからです。
 相手を十分納得がいくように説得できなければ、無理やり押しつけるほかない。

「成績が悪くなりたくなければこれを覚えなさい」
「意味がわからなくても覚えなさい」という形で押しつける。
「これができなければ入学試験が受からないぞ」といって押しつける。
 相手が納得していなくても、そういう形でいく、これが押しつけですね。

 そうやって押しつける必要のあるものは科学ではありません。
 まずそのことを信じなければいけない、そういうものは科学とは言わないのです。
 信じたくなくても、実際そうなってしまうから仕方がない、信用しないわけに行かない、それが科学です。

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