分からないことは「分からないです」と言おう!/記憶する時、脳の中でどういうことが起こっているの?

 いわゆる優等生は、先生がいうことを「はい、その通りですね」と覚えていきます。納得いかなくても、先生がいうことをその通り覚えていける子が優等生で、自分の感情や納得いかないことに素直に従えない子は、そのコースから外れていきます。

 でも納得いかないことは「分からないです」と言った方がいいんです、それが本当の賢さにつながって、その流れの中で社会は発展していくからです。

 今では当たり前になっている「大陸移動」や「進化論」、「地動説」や〈目に見えないとても小さな細菌が病気を起こす〉という説なども、当時の優等生、ほとんどの科学者たちが主張する理論や理屈に「その理屈は納得いかない、こうだと思う」と考え、新しい予想を立てた人たちによって提唱されたものです。

 脳の中には神経細胞(ニューロン)があって、それがつながっていくことで記憶が広がっていくのだといいます。

視覚でとらえるフォトサイエンス 生物図録 数研出版より

たとえば「2」という概念を学ぶ過程はこうだと説明されています。

(1) 感覚的な基盤

赤ん坊の段階では、数字の概念そのものはありませんが、数に関連する基礎的な感覚(「多い」「少ない」のような比較感覚)があります。この段階での脳の働きは次のように進みます:

  • 赤ん坊は目の前の2つのおもちゃと1つのおもちゃを見比べ、「2」の集合が「1」よりも多いことを認識します。これを数量感覚(numerosity)と呼びます。
  • この数量感覚は、頭頂葉の一部(後頭頭頂接合部)が担当しています。

(2) 言語的なラベル付け

成長とともに、赤ん坊は「2」という音や文字を見聞きするようになります。このときの学習プロセスは次のように進行します:

  1. 「2」という音声や文字を、目や耳を通して認識します(視覚野・聴覚野)。
  2. 視覚的な「2」や聴覚的な「ツー」という音と、実際の数量(例えば、2個のおもちゃ)の間に関連付けが行われます。
    • これは海馬や側頭葉の活動によって行われます。

(3) 記憶ネットワークの形成

繰り返し経験することで、「2」というラベルと数量の対応が脳内に強固なネットワークを形成します。

 どうも分からない。

 たとえば私たちが友達の名前と顔を覚える時、脳の中にその記憶の分子が出来上がって、それが脳に残るのではないのか?

 たとえば「4」とか「7」という数の概念がハッキリ私の頭にあるけれど、私の脳の中にそういう分子構造ができあがっているのではないか?

 そういうことなしに、何年も何十年も同じ記憶を残していけるのでしょうか?

 それは私が考えていただけではありません。

 量子力学で重要な〈波動方程式〉を提唱した天才シュレディンガーは『生命とは何か』の中で同じように、生命現象を分子の観点から捉えようとしました。DNAやタンパク質などの分子がどうやって「情報を保存し自己複製するか」という問題です。彼は直接「記憶」について語ったわけではないのですけど、物質の合成によって情報が保持されると考えていたことは間違いないでしょう。

 ところが、記憶の本や資料を読んでみても、そういう説明はありません。

 神経細胞の結びつきによって記憶ができあがるというのです。

 みなさんは、理解できるでしょうか?

 私は理解できません。

 残念ながら私が納得いくように説明した本に出会うことはまだできません。

 A.I.で「脳科学の記憶の理論は確証された理論ですか、仮説の段階ですか」と問うと「確証されているわけではありません」と答えてくれました。

 とするとシュレディンガーや私のように「脳の中に記憶物質が出来上がっているかもしれない」という説も、完全に否定されたわけではないと考えてよいかもしれません。

 私には最新の脳科学が説明している以下の説明に納得できるでしょうか。

脳が記憶を保持する際、分子レベルでの変化が確かに関与しています。ただし、「記憶そのものが物質として保存される」というよりは、神経回路とシナプス(ニューロン同士の接続部)における物理的・化学的変化として保存されるのが一般的な考え方です。

具体的にはシナプスの可塑性が関係しています。
記憶を形成する際、ニューロン間のシナプス結合が強化されたり、弱化されたりします。この現象をシナプス可塑性と呼びます。一つの例が**長期増強(LTP: Long-Term Potentiation)**という現象で、これにより特定の神経回路が強化され、記憶が長期的に保持されやすくなります。

 納得できないな。

 A.I.にどんどん語りかけても納得いかないので、最新の脳科学研究者の説明そのものが納得いかないということだと思います。

「分からない」

 どなたか、私が納得いくように説明していただけないでしょうか。

 そして私の疑問に答えてくれないでしょうか。

 もしかすると説明にきたその人が逆に「やっぱり脳の中に何らかの記憶分子が作られて、それらの結びつきで記憶が維持される」という説に同調してくれるかもしれません。

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野田俊作先生から学んだこと@「権利」について

 12月からはじまるコース『OPTIONS』のプログラムづくりの過程で、私のカウンセリングの師の野田俊作先生から学んだことをかなり読み返しました。
 次の話はクラスなどのルールづくりのときにベースになるものだと思います。
 とはいえ、教師と子どもは別だ、教師は大人だ、子どもとは違う特権があるというように考える人たちには伝わらないでしょう。

 仮に特権があるのだとしたら子どもたちの側です。子どもたちは学校に来なくても罰則はありません。教師が学校に行かなくなったら処分されるでしょう。

野田
 人間の権利、個人の権利というものは最大限に擁護したい。

 それは生きる権利、集団に所属する権利からはじまって、たとえば自分の好みの服を着る権利、好みの髪型をする権利、それから、閉じ込もって家布団の中にもぐって寝る権利までですね、すべての権利を保証したい。
 その一方で、人間の責任というものやはり考えたい。
 およそ一つの権利を主張すれば、必ずいくつかの責任が伴うと思います。一つの権利を主張することでどれぐらいの責任が伴うかといいますとー
 まず第一に、それと同じ権利、自分が主張しているのと同じ権利を他人にも認める責任があると思いますね。
 私は大きな声で話をする権利がある、あなたは黙っていなければならない、これではとても不平等な人間関係だと思いますし、よい人間関係はとうてい保てないと思います。
「私は黙っている権利がある、けれどもあなたは黙っていてはいけない」というのもいけないと思うんですね。
 自分とまったく同じことを他人が主張できるように、それを認める責任があると思います。
 第二番目に、自分の権利を主張した結果起こるさまざまなことを、ちゃんと自分の行為の結果だと認める責任があると思いますね。
 あることを言った結果、他人を傷つけた。その人が私に対して「あなたの言い方で私はとても傷ついた」と言ったとすると、それは私が意図していなかったとしてもやはり私の責任だと思うのです。

「あなたを傷つける気はありませんでした。けれども、もしあなたが傷ついたのであればそれは申し訳ありません。これからそのようなことを言わないように気をつけます」と言わなければならない。「私はそんなつもりはないんだから、あなたは怒ることはないだろう」と相手を非難してはいけないということですね。
 第三番目に、あらゆる権利主張をするときに、共同体を破壊しないように、もっと具体的にいうと、他者を傷つけないように配慮する責任があるだろうと思います。
「共同体を破壊する、他者を傷つける権利はないのだ」ということです。
 したがって、たとえば殺人の権利というものはないのだと。
  人を殺す権利を主張する…、そのときに「私はこの権利を主張します。あなたにも認めます。あなたもどうぞ他の人を殺して下さい。私を殺して貰っても結構です。お互い殺し合いをして強い方が勝ち残りましょうよ。その結果死刑になってもいいです。その社会的責任をとります」と言われても困る。

 もしもこの権利を認めますと、共同体そのものが存在しなくなりますね。ですから、このような権利は、取り決めによって「ないことにしておこう」というふうに考えます。
 ですから人を殺す権利だとか、人の物を奪う権利、とかいうものは、これはないのだということです。
 もう少し小さなところでは、相手を意図的に傷つけるために、相手を罵倒するとか、相手が傷つくようなものの言い方をするとかいう権利はないのだということです。それは、そういうことをしない責任があるから、それはできないのだというふうに考えていただきたいと思うんです。

『続アドラー心理学トーキングセミナー』より

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楽しい自由研究:「桃と桜の花は似ているんだからどちらでもいいじゃない」という意見になんと答えますか?

 三ヶ月くらい早く桃の花が咲いた、という記事の反響が届いています。「沖縄にも桃があるんですか?」という県内の方からのたよりもありました、ありますよ。

 酸っぱみが特徴的な食べられる小ぶりな実がたくさん成ります。
 桃の原種だと説明したサイトもあります。
 小さな毛がたくさんついているので島言葉で毛桃(キーモモ)と呼ばれています。

 リンゴやマンゴのように〈摘果/てきか:小さなうちに実を摘み取って少ない実で育てる〉すると、スーパーで目にする桃のような大きな実になると聞いたことがあります。

 桜と梅と桃はバラファミリー(科)のとても近い仲間です。

 とてもよく似た花が咲きます。

 時々お世話になる〈ウェザーニュース〉のサイトから引用しましょう。

ウェザーニュース に感謝して

 違いも説明されています。

 これが〈たの研〉の近くにさいた長早咲きのモモの花です。
 花びらの形も説明通りですね。

 とはいえ「ほとんど似ているから別に区別しないでいいんじゃないの」という意見もあるでしょう。

 みなさんはどう思いますか?

 そもそも分類というのは何の役に立つのか?

 人間は同じ人間なんだから、女と男とに分けなくてもいいではないか?

 と言われたら何と答えますか?

 分けなくてよい時もあるでしょう、でも分けた方がよいこともありますね。

 必要に応じて分類できることで、ものごとを正しく予想することができます。

 桃と梅と桜の花を見分けられると、食べられる実が成るのかがわかります。
 どれでも食べることができるんじゃないか、と思う人もいるかもしれません。違います。私が実際に食べた中でいうと、桜の実は渋みがあって、ふつう食べるのに適していません。ミザクラ・セイヨウミザクラの種類のさくらんぼが果物として出回っているくらいです。
 梅の味も香りはよいけど、美味しいと感じる味ではないようです。

 やっぱり食べるなら「桃」ですね。

 そういうように、見分けることができる、分類できると便利なことも多い。

 逆に、見分けられない、分類できなくて危険なことに巻き込まれることも出てきます。

 たのしい分類学入門も〈授業書@たの研〉のテーマの一つです。

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楽しい自由研究:ススキは〈ほうき〉に利用しただけ?

 私いっきゅうは夏休みの自由研究で、祖父が得意気に教えてくれたススキの箒(ほうき)を提出したことがあります。いつも学校で利用している市販のホウキと比べると丈は小さいけれど、隙間に詰まったホコリやゴミもサッと除いてくれる優れものでした。
 こんな感じのホウキです、これほどカールしてはなかったけど⇩

https://www.yaeyamacraft.com/items/87164278

 子どもの頃からものづくり系は好きだったのに、作業そのものがたのしい経験だった記憶はありません。祖父は「使うものをお店で買うんじゃなくて、昔はこうやって自分でつくっていたんだ」と言いながら、ほぼ全ての工程を自分ですすめてしまって、私は不ぞろいのススキの穂をカットするくらいだったので、楽だったのだけれど、

 それでもしっかり記憶に残っているのは、その時、一本ずつはひ弱でも二、三十本束ねると、折れないくらい丈夫になることに驚いたからだと思います。そして「野山にこんなにたくさんあるススキをホウキにするだけというのはもったいないことだ」と感じたことも大きいと思います。

 そのことが何十年の時を経て解決しました。
 ススキにはある重要な利用法があったんです。

 私が無知だっただけで、たいていの人は知っている、ということもあるかもしれません。
 まず質問。

 その昔、ススキは何に利用していたと思いますか?

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ススキの重要な利用法

 ススキはイネ・ファミリー(科)です、米や麦などもイネ・ファミリーです。

 ほとんどのイネ・ファミリーの茎はストローのような中空構造です。

 表面は木目ががびっしりつまっていて、プスチックのようにツルツルになっています。

 そういう性質を利用して屋根の素材に利用していました。
「カヤ(茅)ぶき屋根」という言葉を聞いたことがありませんか、その「かや:茅」というのは〈いね科の植物チガヤ・ススキなどの総称〉です。

 高床式住居も茅(かや)の屋根だと説明されています、だいぶ昔から使われてきたわけです。https://kids-kouko.com/housing/

 日本の白川郷・五箇山など合掌造りの古い住居も茅ぶき屋根です。https://machiyane-kagoshima.com/column/2019-12-25.html

 ススキは人間の住居の歴史の中で重要な役割りを果たしていたわけです、なるほど・・・

 こういうことも自由研究の一つです。自由研究で長年の謎が解け続けている日々です。

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