「犬や猫はテレビを見ることができない」という話-子どもの頃からの疑問/情報より〈ものの見方考え方〉の方が大切②-楽しい学習・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 前項からの続きです、未読の方は戻って読んでから続けてください。「犬や猫はテレビを見ることができない」ということについて、〈たの研〉の一員ア~ルの様子で確認してもらいました。
「いや、猫は可能でも犬は無理だよ」という議論の進め方もあるかもしれません、でも初めから「犬や猫は」とまとめて語っているわけですから、その一方の事実で全体を否定できるでしょう。

 さて現在はこういう事実を知ることがとても簡単になりました、子ども達でもインターネットで簡単にできるでしょう。犬や猫は色覚が人間と異なるという研究があるのですけど、犬もテレビを見ることができる事実をネット上で確かめることができるでしょう。

 けれど大切なことは〈情報を得ること〉ではありません、ものの見方・考え方、思考の方法です。

 いろいろな本には「ものごとを疑って見ることが大切だ」という様に書いてあります。〈科学は周りのものごとを疑って見ることからはじまる〉と力説する人たちもいます、「宗教は信じることから始まり、科学は疑うことから始まる」という言葉もたくさんみられます。

 そうでしょうか?

 疑がうことが大切だといっても、明日太陽が東の空から登ってきたり、潮が満ちて後は引いていくものだというのを疑ったりする人はいないでしょう。

 コップを持ち上げて離したら下に落ちてしまうことを疑う人もいませんね、科学上の法則や確かめられてきた事実を疑う人はほとんどいない。

  大切なことは疑うことではなく〈予想を立てて確かめる〉そのことです。

 科学はそうやって真理をみつけてきましたから、他の人が同じ様な実験をしても、同じ結果がでます、もちろん子ども達がやっても。

 誰かが言っていたこと、たとえば〈犬や猫はテレビを見ることができない〉と鵜呑みにするのもよいでしょう、でも時がくると前回書いた様にそれを確かめることもあります。問題は〈犬や猫はテレビを見ることができない〉ということを一つの「予想だ」と認識できるかどうかです。

 予想して確かめてきた総体が〈科学〉です。

 アインシュタインは、10歳の頃、父親から小さな方位磁石を贈られました。父親がいうには「この針はいつも同じ方向を向くのだ」といいます。アインシュタインはそれが信じられず、様々な実験を行いながらそれが本当か確かめました。それがアインシュタインが科学へ興味をもつきっかけになったといいます。

 何でも疑うのではなく、「それは本当のことなのか」と気になったら『もしそうだとするとこうなるだろう』と予想して確かめてみる。

 そういう思考の進め方をぜひたくさんの子ども達に、いや大人たちにも伝えていきたいと思います。
 そうすることが明るくたのしく課題を突破していく社会を創るでしょう。

 ものの見方・考え方については〈たのしい教育メールマガジン〉に毎週こってりと書いています、興味のある方はご購読をお勧めします。

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楽しい・たのしい国語&英語〈無罪と無実〉-楽しい学習・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 ミステリー小説は大好きなのでかなりの数の作品を読んできました。映画のミステリージャンルや犯罪系の作品も、おそらく普通の人たちの何十倍も見ていると思います。

 そういう作品の中で〈無罪〉と〈無実〉という言葉が混同されて使われていることがずっと気になっていました。

 以前から司法試験を受けたいという夢もあるので、法律用語は学んできているので、それもからんで気になっているのかもしれません、でも単に言葉の感覚として、その使われ方に違和感があるのかもしれません。

 最近たまたま見たテレビの中でも完全に間違って使っているのだなと思えたので、少し書かせてください。

 みなさんは〈無罪〉と〈無実〉はどう違うと思いますか?

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まず予想してからね

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まず予想してからね

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まず予想してからね

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〈無罪〉

 無罪というのは法律用語です、〈罪ではない〉〈罪に問えない〉ということです。

 英語でいうと〈not tuilty/ナット・ギルティ〉、「何かやったかどうかわからないが、何かやっていたにしても法的な罪とはいえない」という意味も含んだ言葉です。

 たとえば相手の命を奪った場合でも正当防衛で無罪/ナット・ギルティとなる場合があるわけです。

〈無実〉

 無実は〈法律用語〉ではありません、〈そういう事実そのものがない〉〈罪に問われる様なことは犯していない〉ということです。英語でいうと「innocence/イノセンス」、それには〈純真である〉というイメージも含まれています。

 たまたま見たテレビで「そもそも彼はそういう犯罪など犯してなかったのだ、つまり完全に無罪なのだ」というセリフがありました。
 その時は「無実なのだ」と書いて欲しい。

 逆に刑事裁判に関わる場面で「いろいろな状況からそれは仕方のないことで、それは罪に問えない」と主張する時「彼は無実です」ということもあります。
でもその時は「彼は無罪です」と書いて欲しい。

 そういうシーンは何度か目にしてきました、映画などでは翻訳の力不足なのだなと思うことも多々あります。

 民事裁判で多額の損害賠償の判決を受けた会社役員が「私は無罪です!」と語っていました。
 民事訴訟は〈犯罪性のありなし〉を扱うものではありません、トラブルを解決するための裁判です。
 賠償金支払いの判決が出てもそれは〈犯罪を犯した〉と認定するものではありません、賠償金が課された人が犯罪者だということはないのです。
 あえてここで「私は無罪です!」と語ったのは不当な判決だといいたかったのかもしれません。でも、あえて刑事・民事の違いがはっきりしない人たちを混乱させて自分の正当性をイメージづけようとしたのかもしれません。

「そんな細かいことはどうでもよい」と感じる人たちもいると思います。
 けれど、こういう細かいことが気になってくると、自分の発する言葉を丁寧に考えていくことができる様にもなっていくと思います。
 もちろん自分の認識もシャープになっていくでしょう。

「人は言葉でできている」というのは比喩的な表現で、もちろん物理的には間違いです、タンパク質や金属類などいろいろな原子分子でできているからです。
 けれど人格としての人は、言葉でできているといってもかなり正しいと思っています。もちろん音声としての言葉だけでなく、書く言葉、ボディーランゲージとしての言葉もすべて含んだ上で。
 その意味でも、ことばはたのしく大切に学んでいけるとよいなと思う今日この頃です。

 ということで、以前から気になっていたことを呟いてみました、ご意見ご感想があれば遠慮なくおしらせください。

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たのしいブッレビュー「算私語録」-駐車料金の話-楽しい学習・自由研究ネタ・たのしい授業・楽しい授業・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 以前書いた〈楽しい工学:エンジンとモーター〉の話の時に思い出してメモ書きをたどりました、敬愛する安野光雅さんの本「算私語録」にあった内容です。今回はその話をメインに書いてみたいと思います。

いっきゅう
 東京はよく行くのですけど、駐車料金の高さに驚きます。
 これはその一つ、1時間で3600円になります。
 トラブルも多くて、最近は上限設定されてきたようです。

 安野光雅さんの『算私語録』をご存知でしょうか、このサイトでも何度か紹介してきた大好きな本です。

 その中に、おもしろい話がたくさん載っていて、算私語録は〈そのⅢ〉まで出ていて、それに〈新編〉を加えて四冊もっているのですけど、それがどの本だったのかわかりません。読者のみなさんで、それがわかったら教えてくださいね。

 こういう話です。

 新宿のさる道路上に小型車が1ヵ月余りとめてあったが、しまいにはナンバープレートまで外されていた。

 警察に届けたら「それはもはや車ではなく、ゴミだから市役所の管轄だ」とぃわれて、事実、そのように処置された。

 もっともな話ではある。

 このように長く放置された自動車が、実はずいぶんあると思う。
 Dホテルの駐車場に実に長く取りに来ない車があって、「なぜだろう、持ち主が監獄へでも入ったんだろうか」

と噂していたところ、一度取りにきたが、すでに駐車料が二百万円に達し、新車よりも高くなっていたので、本人は車をそのままにして帰ってしまった。

 今では四百万円近くになっているが、はてどうしたものか、という話を聞いた。

-算私語録-

 こういうものに上限設定はないんだろうか。
 でないと物理的に二千万円とかも請求できてしまうことになるんだけど…

 さて〈算私語録〉の話、以前紹介した時に「早速買ってバッグに入れて読んでいます」という便りがありました。

 まさにそういうスタイルがピッタリです。
 安野さんが心動かされた話を短くまとめてあって、中には数行で読めるものもたくさんあります。

 朝日新聞社刊です、おすすめです。

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本質を学ぶ意義とたのしさー楽しい英語・たのしい学習・自由研究ネタ・たのしい授業・楽しい授業・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 メルマガの発想法の章には、私いっきゅうの前書きが加わるのですけど、その前書きに心動かされて、メールしてくださる方たちがいます。今回もさっそく届きました、私が英語の冠詞〈a〉と〈an〉について書いた内容についてです。その部分を少し書き抜きましょう。

いっきゅう

 今回紹介する板倉先生の〈本質や概念を学ぶ重要性〉は学生の頃から私も気にしていたことで、それを学ぶ様に意識していたから受験数学もイヤにならずに済んだという気がしています。

 逆にいうと私が中学で英語が大嫌いになったは、たとえば私の単純な疑問「なんで米英の人たちは、aとかanとかめんどくさい使い分けをしているの?」にさえ「後ろに続く名詞が子音ならa、母音ならanなの、つべこべいわないで、こう覚えなさい」的な指導を累積されていったためでしょう。

 私が英語の先生なら
「これは先生の仮説なんだけどね、〈ひとつの〉ということを示すのは、はじめ〈aだけ〉だったんだよ。ペラペラ喋っていくとさ、うしろが母音だと、母音(a)→母音で〈ア、ア・・〉とかなって言いにくくて、しだいくっくっついていって発音する様になっていったんだと思う。だから母音(a)→母音の時は自然に〈an〉になっていったんだろう。

 不思議だとおもったらさ、自分で早口で
〈a
apple〉とか〈a orange〉って言葉を繰り返してどんどん言ってみてごらん。

 スラスラ語ろうにも流れがそこで切れちゃっうでしょ、スラスラいうには〈ア、アッポー〉より〈アナポー/an apple〉、〈ア、オレンジ〉より〈アノーレンジ/an orenge〉みたいなっていかない?

 文法上そうです、じゃなくて、スムーズに話していく上でaからanとなった、〈母音→母音〉と続かずに言いやすくなっていったの。

今のところまだ調べてないので〈きゆな仮説〉として頭に入れててね。今度調べて納得いくように説明できると思うからたのしみにしていてね」と伝えます。

 いずれにしても「腑に落ちる様に伝える」というのは、教育の根幹で、学んでいく人たちもたのしめることだと思います。

 今回紹介する、板倉先生の「0の概念・イメージの大切さ」を例にした〈本質や概念を学ぶ意義〉という話は数学にとどまらず、社会科学的なものにも広がる大切なものだと思います。

                             お読みください。

 何度か書いてきたのですけど、私は学校で英語が大嫌いになり、映画で英語の魅力を知りました。

 以前〈たの研〉で「たのしいイングリッシュコースを開催したことがありました。いつかまた開催したいものの一つです。

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