教員試験に合格する方法➡︎楽しい教師生活につながる合格SV

 〈たの研〉の教員試験合格SVは、合格するだけでなく、そのあとに続くたのしい教師生活も含めて指導しています。そういう力がついていくからこ高い合格率を出すことができるのです。

 これは二次試験合格SVの一コマ、「子どもたちがケンカをしている時、どう声をかけてあげるか」をテーマにレッスンしています。

 〈たの研〉で学んで合格していった先輩たちも、日頃から楽しい教育を実践しているメンバーもコーチに来てくれて、みんなでいろいろなアイディアを出し合っています。

 学校現場に力ある先生たちが増えていくことは、とても大切なことです。

 楽しい教育に強い関心を持っている方は受講可能です、気軽にお問いあわせください。

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PEALカウンセリングはたのしいのか苦しいのか?

 私が学んだいろいろなカウンセラーの中で切れ味鋭かった人物は「カウンセラーはカウンセリングを飄々(ひょうひょう)とすすめていくものだ」という話をしていました。
 また力ある別なカウンセラーは「自分しかこの人を助けてあげられないという気持ちでカウンセリングをすすめることだ。それは生半可な感覚でできるものではない」と語っていました。

 自分のカウンセリングに自信のあるカウンセラーはカウンセリングに対するそれぞれの想いをもっていることでしょう。

 私は弟子たちに「カウンセリングはたのしいものだ」と伝えています。

周りの人たちの笑顔が増える・可能性が伸びていく姿は嬉しいことでなくて何なのか?
自分の力が周りの人たちの悩みの解決に有効に作用することはたのしいことでなくて何なのか?

 だから深刻な相談の時でも、こちらの表情は軽やかでありたい。

「いろいろな悩みに向き合うのだから真剣でなくてはいけない」
確かにそうです。


 ではあなたが病院で治療してもらうとき、深刻な表情をした先生と軽やかな表情の先生と、どちらの先生にみてほしいですか?

 私は軽やかな先生がいい、ほっとする、安心できるから。

 真剣であっても、軽やかで向かい合う、そんなカウンセラーが増えていくことがPEALカウンセリングを広めている目的の一つです。

 〈たの研〉いっきゅうofficeには、軽やかに真剣にクライエントと向き合えるカウンセラーたちがいます。

 不登校、学校嫌い、勉強から遠ざかる、いじめなどの悩み

 仕事上の悩み、対人関係、家族の悩み etc.

 相談したい方は気軽にお問い合わせください。
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楽しい社会:自然法としての基本的人権-たのしい教育の発想法

 メルマガで紹介した板倉聖宣「最後の奴隷制度としての多数決原理」が好評でいろいろな反応が届いています。

 その中の一つの骨子が「人間社会はその時の状況にあわせていろいろな法律を制定するが、憲法を含みそういった法律の上位にある概念として《自然法》がある、基本的人権はその自然法である」という話です。

 メルマガは板倉先生の話を中心にしたので、ここで《自然法》について書きましょう、メルマガ読者の皆さんも読んでくれることを期待しています。

 自然法は英語でNatural Law、「時代が変わっても住んでいる場所が変わっても、人間なら誰でも持っている権利。人間が生まれながらに与えられる法体系」です。

 子どもたち向けのサイトに〈学研のキッズネット〉があります、そこにある説明がわかりやすいと思います。

しぜんほう【自然法】

社会生活の基礎(きそにあって,時代と場所とにかかわらず効力(こうりょくをもつと考えられる(ほう自然法(しぜんほうは,古代には古くからの永遠(えいえん(ほう,中世には人間に啓示(けいじされた神の意志(いし,近代では理性(りせいによって見いだされる人間の自然(しぜん(ほうと考えられた。

自然法(しぜんほう思想は,イギリス革命(かくめい・フランス革命(かくめいなどで,人間の権利(けんりや自由の主張(しゅちょう指導原理(しどうげんりとして大きな役割(やくわりをはたした。

 日本の憲法にもその考え方がはっきりと書かれています、日本国憲法第11条です。

第十一条

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

 基本的人権は憲法が保障するように書かれているのですけど、もちろん憲法が改正されて〈基本的人権は保障されない〉となるのか?

 No

「侵すことのできない永久の権利」つまり〈自然法〉だからです。

 絶対権力者だった王様に対して、人々が「人間には本来もっている権利があるのだ」と立ち上がり、その自然法つまり人間が基本的に持っている人権を全面に出して打ち倒したのがイギリス革命やフランス革命です。世界で権力者に対して民衆が立ち上がった時、自然法の考え方が影響していたことは間違いないでしょう。

 ところが現在、民主主義といわれる多数決という手法で、いろいろな人たちが自分の意図と反することを押し付けられることがある。そういった、意に反することを押し付ける行為としての〈多数決〉は『最後の奴隷制』だと教えてくれたのが板倉聖宣でした、社会科の教科書で教えられてきた私には、そう見抜くだけの力はありませんでした。
 月刊 たのしい授業1987-4月号の「最後の奴隷制としての多数決原理」から引用しましょう。

板倉聖宣
 それならどうしたらよいのでしょうか。
 実はそのことは普から問題になっていたのです。そしてそのことを憂えた思想家たちは普から民主主義的な原理に優先するものとして〈基本的人権〉という概念を産み出したのです。
「いかなる社会といえども基本的人権というものは犯してはいけない」
「基本的人権が犯されたら、いかなる法も有効性を失う」と考えて《自然法》という概念を生みだしたのです。
「どんな社会の法も〈自然法〉に反しではならない。〈自然法〉はあらゆる法に優先する」というわけです。
 私のように敗戦後すぐに〈民主主義の素晴らしさ〉を納得した人間は、その民主主義の理解の前提として、そのようなく基本的人権〉や〈自然法〉の理解がありました、それがなかったら民主主義なんていうものは少しも素晴らしいとは思えなかったことでしょう。
 それなのにその基本的人権という思想なしに民主主義がもてはやされたことから問題がおかしくなってきたと思うのです。

「学校で〈多数決に従わない権利〉を認めたら大変なことになる」と考える人も多いかもしれません。そうでしょうか?
 教育という場ほど、そういうことをゆっくり丁寧に伝えてあげられるとおもうのですけど、ここからは長くなるので、いずれメルマガで書かせていただきたいと思います。

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本が多い家の子は学力テストの点数も高い、について考えてみよう(2)-楽しい教育の発想

 前回、家にある本の数と学力テストの結果は関係があって、本がたくさんある家の子は得点が高いというデータを載せました、読んだみなさんはどういうことを考えたでしょうか。

「本があるだけで得点があがるなら買って飾っておこうかな」と考えた人もいるかもしれません。

「本の冊数ではなく、それを読んでいる親が知的なものに興味関心がたかいのだろうから、そういう親の子育てが影響するのだろう」と考えた人もいるでしょう。

 いずれにしても、少し考えてみると、本そのものより、本を読むかどうかが大切だろうということには賛成してくれるのではないでしょうか。

 たとえば塩分をとりすぎると血圧が高くなることは科学的にはっきりしているのですけど、家に塩をたくさん置いていても血圧は高くなりません。塩分をどの程度体内に取り入れるかが問題なのであって、丸一日塩を眺めていても血圧は高くなりません。

 比喩的な表現になるのですけど、本も身体にとりいれるかどうかが重要で、本の表紙をいくらながめていても読解力などはアップしないでしょう。

 100%とはいえなくても、本を読むことは知的な高まりにも人間的な深にみも影響していくでしょう。

 ところで、学ぶということは本来たのしいこと、心動かされることです。ところが点数があがるかどうかを中心にすすめていくと、そういうことは置いていかれるのではないかと心配になります。

 本が大好きになると、いずれ点数が伸びるかもしれません。でも点数をのばすために本を読もう、読みなさいということになると、本の持つすばらしさが置いていかれるのではないか・・・

 そもそも、本が好きになるかどうかは、学力テストの点数よりずっと大きなものだと思うのですけど、どうでしょうか。

 ご意見、ご感想をお待ちしています。① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎クリック

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