教師にとって予想変更はとても大切/板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表)「あきらめる」そして〈新しい方法〉へ/たのしい教育メールマガジン購読のすすめ

 仮説実験授業研究会初代代表〈板倉聖宣〉先生は、たのしい教育研究所を強く応援してくださった一人でした。その発想に、私は教師になったはじめの頃から強く影響を受けました、「これこそ未来の教育だ」と。

wikipediaより82歳の頃の板倉聖宣

 板倉先生の発想の方法を、メルマガの重要な章の一つとして毎回紹介しています。そのメルマガもすでに500号を超えました。


 今回は6年前にとりあげた内容を少し取り出して紹介しましょう。
 メルマガの発想法の章では、その頃に大きなテーマとなっている事象、たとえば頃な感染症や統一教会などの霊感商法についての見方考え方をとりあげたり、質問が多かったものについてとりあげたり、カウンセリングやスーパーバイズなどで紹介した内容などを取り上げています。

 今回の内容はカウンセリングに来て「自分の教育方法を見直す」つまり〈予想変更〉することができた先生に語った内容のエッセンスです。

 この発想でこども達と折り合いをつけ、柔らかく優しく対応できる様になったその先生は、今も元気に学校で活躍しています。

 とりあげた内容は1986年5月28日東大阪の先生方の集まりで語った内容で、仮説実験授業研究会の大会で入手した資料を私が大切にコピーして残していたものです。文意を伝わりやすくするために、私いっきゅうが校正しています。

板倉聖宣

 たのしい授業というものは「やろう!」と思ってできるものではありませんし、「やれ!」と脅したりおだてたりしても、できるものではありません。
 たのしい授業をするためには、それを実現する処方箋、具体的な手立てが必要です。

 こちらに来る前に、ある先生の記録を読ませてもらいました。
 その先生のクラスの一人の子が〈笛が吹けない〉というのです。
 「あの子が笛を吹けるようになったらうれしいだろう」と思って、なんとか笛が吹けるようにしてやろうと一生懸命それこそ〈毎日教えた〉というのです。

 ところが1ヶ月がんばってもついにその子に増えを吹かせることができなかった。

「笛が吹けない子どもを吹けるようにさせよう」というのは〈美しい志〉です。

 でも「今日も吹けない」「今日も吹けない」となったとき〈あきらめるほうが美しいのか、あきらめないほうが美しいのか〉これはなかなか難しいのです。

「理想をもってまっしぐら」というのは、外から見ると美しいことです。
 教えている人は、自分が理想だと思っています。

 でも、教わるほうは悲惨です。
「吹けないに決まっているじゃないか」と思っているのに、毎日毎日ありがた迷惑なことに熱く教えてくれる人がいる。
「あの先生から早く離れたい」と思っているのに、先生は情熱をもっているから始末におえないのです。

 

 板倉聖宣は徹底的に子ども中心主義で考え語る人でした。

 これだけ読むともしかすると「できない子には無理しない」というようにも伝わるかもしれません。

 しかし私はこういう話をベースに「予想変更」して新しい方法、新しい目標に向かうのが重要だとだと伝えるようにしています。

 私いっきゅうの教師のはじめは〈体育〉で、その研究授業をたくさん見せてもらいました。

 私の敬愛するT先生が、鉄棒運動の研究授業の後、授業者の先生に「大柄な男の子が、ずっと逆上がりの練習を一人でしていた子がいました。いつからああいう感じでやっているのですか?」と質問し
「今回が◯回目です」と答えていました、はっきりとした数の記憶はないのですけど、2回目とか3回目だと答えたのは間違いありません。

 それを聞いたA先生は
「我々がこういう授業をしていていいのでしょうか。私はとても疑問です」
というはっきり語っていました。

 終わってから「きゆなくん、あの授業は一体なんなんだ。逆上がりのできない人間はずっと逆上がりばかりやらされなくてはならないのか」と、怒りが収まらないまま話していました。

 板倉先生と同じことをA先生も語っていたのです。

 私たちは教育のプロです。

 こどもたちの自尊心を育てるのであって、傷つけていく仕事をしているのではありません。

 自分の授業のやり方が正しいと思うのも一つの予想です。

 その中でこども達が傷ついているとしたら〈予想変更〉して新しい方法、あたらしい目標に向かって行くのが教師の仕事だと思います。

 保護者の皆さんも、今回の記事が、我が子にどういう教育をしているのか、見直すチャンスになれば幸いです。

 こういう発想法に救われたという人たちがたくさんいます。
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コロナとカウンセリング/たのしいカウンセリング入門

 ひさしぶにカウンセリングのことを書きましょう。

 直接対面式のカウンセリングしかやらないカウンセラーは、その違いの大きさをあまり知らないと思うのだけど、私は対面式もオンラインも両方引き受けるので、その差が大きいことを何度も体感しています。

 皆さんは直接対面式のカウンセリングとオンラインでの、つまりお互いがパソコンやタブレットなどの画面を通して対面しているカウンセリングのどちらが、よりうまくすすむと思いますか?

予想
ア.直接対面式がうまくすすむ
イ.オンラインカウンセリングがうまくすすむ
ウ.どちらも大差ない
エ.時と場合による

どうしてそう思いましたか?

 

 お話「カウンセリングは言葉を媒介にしているだけではない」

 私が師の野田俊作(日本に実践的アドラー心理学を普及させた医者でありカウンセリングの名人)から強く教えられた一つが「相手の表情、身体の動きに合わせてカウンセリングを組み立てていくこと」でした。
「きゆなさんは長年空手をやっているから、そこがうまい」と何度かほめられたことがあって、確かに、同じ様に学びにきている人たちは、相手の発する言葉一つ一つに反応するあまり、その人全体から出てくる感覚をつかみかねていたのを覚えています。

 時どきカウンセリングの説明に

カウンセリングとは、専門知識やスキルを持ったカウンセラーとの対話によって、クライエント(相談者)が抱える悩みや困りごとを解決できるよう導くプロセスです。

という様な説明があるのだけど、言葉を超えたもっと大きな情報、かくされた意図、本人が気づかない目標といったものがあることを、この人たちは学んでいない、知らないのでしょう。実際「◯◯カウンセラー」というのはかなり多くて、〈◯◯カウンセラー資格3ヶ月〉とかいう広告も目にするので、本当に〈言葉のやり取り〉しか学んでこなかった人たちなのかもしれないなぁ。

 では実際のお医者さんのカウンセリングがよいのかというと、そうでもないらしく、「お医者さんはすぐに薬を使う」ところがあって、私のところには「薬の処方を減らしたい」ということで相談にくる人たちもいます。

 やはり口コミで「このカウンセラーはいい」というのを体験者たちが語っていくのが一番なんだろうと思います。とはいえ、自分が困っていた話をどんどん周りの人たちにする人は少ないので、そういう少ない情報をたどっていくということになるのでしょう。

 さて本題、実はここ二、三年は直接対面式より〈オンライン〉が効果的にカウンセリングがすすむことの方が多くなってきました。

 なぜだと思いますか?

 マスクです。

 もちろんマスクを通しても相手の表情は読み取れますし、身体の動きもあるので、私のカウンセリングで路頭に迷うことはないのですけど、それでも顔全体が見えた方がよいのです。

 PEALカウンセリングは、一緒にいろいろな可能性・選択肢をさがしながら、たのしくすすんでいきます。希望する方はお問い合わせください。三回くらいセットで受けることをおすすめしているのですけど、単発でも可能です。
 別流派の方でPEALカウンセリングを学びたいという方は「自分のカウンセリングをスーパーバイズしてほしい」とご要望ください。

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たのしいPEALカウンセリングー「困難は分割せよ」デカルトの言葉から-哲学もたのしむ

 デカルトの哲学については学生時代に学んだ知識くらいなので心もとないところがあるけれど、デカルトが「あらゆる存在を疑い、幻想ではないかと否定することはできるけれど、それを考えている自分自身が今ここにあることはどうあがいても否定できない、だから自分がここに存在していることだけは確かである」という存在論を確立したのは、今でもいいセンスだと思っている。

 けれど彼の〈神の存在証明〉については今も自己矛盾だと思っている、こんな証明。

デカルト

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに、『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『神』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である神を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は神から『神の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、神は存在する

      以上、神の存在証明終わり

 自分の考えの中で組み立てた〈完全なる神〉は存在することになるというのなら〈完全なる悪・悪魔〉を想像したら、それも存在することになるし〈完全なる宇宙〉を想像したら、それも存在することになる。

デカルトB

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『完璧なる悪魔』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である悪魔を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は悪魔から『悪魔の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、悪魔は存在する     

 以上、悪魔の存在証明終わり

 これは「あらゆるものを疑って疑い尽くしていったけれど、この疑っているという変なことをしている私という存在がここにあるというのは疑いようがないな」という帰納的な帰結とは向きが違って、どんどん〈完全なる○○〉が増えていくではないか、センスがないな。

 その後、師の板倉聖宣に出会って「哲学や論理ではなく〈予想・実験〉によってのみ真理に至る」ということを感動的に学んで以来、論理だけで結論に至った様に主張する人たちには「それは一つの予想ですね」という見方をする様になったのだけど、その予想、考え方には〈おもしろい〉というものがいくつもあります。

 PEALカウンセリングを提唱するあたりに〈これはいいセンスだ〉と感じたデカルトの言葉があって、それがタイトルの

困難は分割せよ!

です。

〈なんでこんなに不幸な人生なんだ〉とか〈私は勉強が苦手だ〉とか〈何をやってもうまくいかな〉という様な時に、まずその困難を分割して小さな部分にして考えていこうというのはPEALカウンセリングの基本前提です。

 私たちの脳が漠然と結論付ける〈全体〉を細かく分割して考える、それは解決方法を探す時のルーティーンです、おすすめします。

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クランボルツのキャリア教育理論〈偶発性学習理論〉2

 画期的な理論であるクランボルツのキャリア教育理論〈偶発性学習理論ーHappenstance Learning Theory〉のことを数回前に紹介したところ、いろいろな反響が届いています。日本では初期の名前である「計画的偶発性理論ーPlanned Happenstance theory」が有名なので、それを聞いたことのある人が多いかもしれませんけど、どちらの名称に関しても私の周りでは「はじめて聞きました」という人たちがほとんどです。

 加えてメルマガにさらに詳しく紹介したところ、さらに反響が広がっています。

 いろいろなメールやお話などを見て聞きながら、注意しなくてはいけないと感じているのは「夢や目標を持つことは意味がないとか悪いという話をしているのではない」ということです。
 クランボルツは「成功したビジネスマン数百人の調査によれば、その80%の人たちは想定外の偶然に成功に導かれたと語ってくれている。その偶発性を〈たまたま〉ということで終わらせず、積極的に自分のキャリアに活かせる人たちを育てよう」というのがクランボルツの主張です。※高橋俊介『キャリア論』東洋経済、2003年
「あまり目標に固執してばかりいると、その偶発性のチャンスを逃してしまう」ということも心しておかなくてはいけません。

 クランボルツは JOURNAL OF COUNSELING & DEVELOPMENT ï SPRING 1 9 9 9  VOLUME 7 7 117 の中でこう語っています。

小さな子どもは好奇心が旺盛です。
景色や音、手触りなどを通して好奇心は子どもに世界を広げます。
しかし子どもが物に手を伸ばすたびに、親が「あなたの目標は何?」と問い続けたらどうなるでしょう?

 子どもが野球部に入ったら〈甲子園〉までやめさせないくらいの勢いの保護者の方たちを何人も知っています。そういう熱意ある人たちが子育てをしていると「キミの目標は何なんだい?」と問うと「甲子園です」と子どもが答えるようにもなるでしょう。

 〈目標は大切〉そして〈偶然性も大切〉だというのは矛盾することではありません。そのことは大人が一度しっかり考えておかなくてはいけないことでしょう。たのしい教育全力疾走RIDE(たのしい教育研究所)、みなさんの応援が元気の源です。一緒にたのしく賢く明るい未来を育てましょう。このクリックで〈応援〉の一票が入ります!