板倉聖宣『科学的とはどういうことか』の紹介②/読者の方の要望に応えて

 設立当初から〈たの研/たのしい教育研究所〉を強く応援してくれていた板倉聖宣先生(仮説実験授業研究会初代代表・元文科省教育研究所室長・元科学史学会会長)が「超能力で行方不明の少女の死体が透視されて発見された」というテレビ番組を取りあげて、科学的な見方・考え方をわかりやすく解説してくれている記事の二回目です。

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板倉

 テレビ局側が警察より先に美和ちゃんの死体を発見したことはたしかですが、その前に本当に透視による予言があったのかどうか、その辺のことについては、騒ぎを大きくしたいテレビ局側の証言しかないのだから、信用しなくてもよいわけです)。
 その日の新聞の朝刊のNETテレビの番組欄には、午後7時30分~8時50分「水曜スペシャル-世界初独占実験生放送! 超能力者クロワゼット東京オランダ1万キロ透視成功の瞬間! 謎の難事件死体発掘」とあります。

 しかし、これは美和ちゃんの死体発見のことではなく、別の行方不明事件のことです。大々的に「透視成功」と報じていますが、実際にはこれは全くの不成功に終わっているのです。
 そのほか、生放送でとりあげた透視はすべてへりくつとこじつけの連続で、全くの失敗でした。その失敗をおぎなうかのように、生放送でない(したがって前後関係については全く保証の限りではない)死体発見のニュースが大々的に報ぜられたというわけです(この事件でテレビ局側は警察の捜査活動を妨害していることもあって、「この事件はテレビ局側または超能力者側の犯罪事件ではないか」と疑う人々もいます)。

 次の文章は、この事件のとき『週刊朝日』(1967年5月24日号)の求めに応じて書かれたものです。もっとも、誌面にのった文章は、誌面の都合とかでところどころカットされたので、ここにのせる文章のほうが少し分量が多くなっています。この文章の中には、本文中にすでにとりあげた話が重複して出てくるところもありますが、それもそのままにしておきます。

「超能力の透視などが的中した」という話は昔からたくさんある。そのときはみんな「すごい」「見事だ」「神秘的だ」などといってさわぐ。しかし、そういうニュースもやがて忘れられていく。
 科学の歴史上でもそれと似た話がたくさんある。

 だれかが「大発見した」というニュースが鳴りものいりで宣伝される。ところが、あとがまるで続かないという類の話である。
 たとえば1908年9月18日には、ロンドン大学留学中の小川正孝が原子番号43番の元素を「発見」し、それをニッポニウム(Np)と名づけたが、追試に成功しなかった。〔113番元素「ニホニウム」(Nh)とは別〕。
 また、1924年9月20日の各新聞は当時日本物理学界の最高権威だった長岡半太郎が「水銀を金に変換することに成功した」と大々的に報じた。しかし、これもあとが続かなかった。長岡はその正しさを主張するために10年以上もその研究をつづけたが、ついに人々を納得させることに成功しなかった。
 科学の世界では、あとが続かないと、その報告者がいくら学会の権威でも、その発見の真実性が否定されるようになっている。

「あのときはたしかにうまくいったんだ」と強弁してもダメである。人々の十分納得のいくような形で繰り返し証明されなければ、それは本当のこととされないのだ。
 科学の大発見の中には超能力めいたものもある。

 電波やX線の発見などはその代表的な例といえるだろう。そんな大発見は話をきいただけではなかなか信じられるものではない。

 当時の人たちが「人間のからだがすけて骨だけ見えるって! そんなばかなことがあるものか」と思ったとしても当然のことである。
 ところが、X線の実験は発見者レントゲンの指示通りやると、だれでも再現できることがわかった。そこで、これはあやしげな超能力の発見とはちがうものであることが承認され、いまでは常識となっている。

 前回「みなさんは透視や予知などという超能力を信じていますか?」と問いかけました。

 ここで二回目の同じ質問をさせてください。

 みなさんは透視能力とか予知能力といった〈超能力〉の存在、そういう力をもった〈超能力者〉の存在を信じますか?

ア.超能力は確かにあると信じている

イ.もしかすると超能力というものがあるかもしれないなぁ、と思っている

ウ.超能力はおそらくないと思う

エ.超能力はぜったいにないと思う

  前回の自分の予想と違ったかたは、その理由を教えてください。

 

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たのしく島言葉の活動の様子@仲良くなる島言葉でたのしむ子どもたち

〈たの研/たのしい教育研究所〉の「たのしくシンプル島言葉」の取り組みは今年度のたのしくスタートしています。

 島言葉といえば、最近のメルマガで、カレーの元祖『マースカレー』が出始めた頃「マースって何なの? 塩カレー?」と思ったという友人がいたという話を書いたら、いろいろな人から「笑いました」というメールが届きました。

島言葉がわからない方には笑えないと思います、興味のある方は調べてみてください⇩ ※「まーす」の項
https://www.kozaweb.jp/featureCategories/show/16

 これは今月、A小学校にいって「仲良くなる島言葉」をたのしんだときの写真です。
こどもたちはみんな一緒に「ちびらーさん!」といい声を出してくれました。

 子どもたちが持ってくれているのが、たのしい教育研究所が県の助成金を利用してさくせいしたプログラム「仲良くなるしまくとぅば」です。
 一枚ものなので、いろいろなん先生たちが気軽に利用してくれています。


  人間の思考形成の拠り所となるのが〈言葉〉です。

  〈しまくとぅば〉は沖縄で暮らしてきた人たちが大切に残してきた「ものの見方・考え方」をタイムマシンのように届けてくれます、素晴らしい文化遺産だといってよいでしょう。

〈たの研/たのしい教育研究所〉の講座やワークショップはすでに半年先まで入り始めています。

 島言葉のワークショップなどをご希望の方は「たのしい島言葉のワークショップについて」と明記してお問い合わせください。

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自由研究@国語:梅の季節でもないのにどうして〈梅雨〉?/〈芒種〉と紫陽花

 沖縄は梅雨の季節に入りました、今日はしとしとと降っています。教師をしていた頃「先生、どうして梅の花の時期ではないのに梅雨っていうんですか?」と聞かれたことがあります。

 皆さんは不思議に思ったことはありませんか。

 沖縄に梅は少ないとはいえ、桜の前に梅の花が咲くことからすると、二月前後に咲く桜の花をみれば、五月六月が梅の花の季節ではないことはわかります。

 よその県では五、六月に〈梅〉が咲くのか?
 いいえ、北海道でも〈桜〉は五月前半です。温暖化で開花が早まっているとはいえ、教科書的には古くから《桜は四月》ですから、梅の花はその前の三月あたりでしょう。

 すでに雑学本などでどうして「梅の雨」というのか、その理由を知っているかもしれません。

 今回書くのは雑学本の引用ではありません、私がいろいろ調べて、その子に答えた内容を思い出して、再び調べ直して書いています。

         「いらすとや」に感謝して

読み方から不思議

 考えてみると梅雨(つゆ)という文字は発音からして不思議です、音読みでも訓読みでもありません。「ばいう」という

 読み方もあるのですけど、多くの人は普通に「つゆ」と読んでいます。
 梅は〈つ〉とは読まないし、雨を〈ゆ〉とも読みません。

 中国語読みかな、と思ってA.I.で調べてみると梅雨は中国で〈メイユー〉です。中国語の発声はイントネーションが独特とはいえ、雨が〈ユー〉ということですから「つゆ」の〈ゆ〉は中国語からきたのかと考えられないわけではないのですけど、半分だけ中国語読みというのは無理がありそうです。

 梅雨をどうして「つゆ」と読むかに関しては三つくらいの説があって、その二つは

 1.梅の実が熟し潰れる時期だから「潰ゆ(つゆ)」
 2.カビのせいで物がそこなわれる「費ゆ(つひゆ)」

です。
私はその説からとるとすれば3つ目の

 3.露(つゆ)にぬれる時期だから

をとることにしています。
〈梅雨〉という文字に、雨や湿気でしたたる「露」の読み方を〈当て字〉したというわけです。

どうして〈梅雨〉?

 では梅の花の頃ではないのにどうして「梅」と「雨」なのか?

「梅雨」という言葉は中国から入ってきました、遣唐使が持ち帰ったという話です。

 その頃、中国で栄えていた長江下流でした。その中国の長江下流地域で梅の実が熟す初夏の時期の長雨なので梅雨という字になったというのです。

 なるほど『梅の花』ではなくて梅の実か・・・

 それなら日本でも同じです。

 農林水産省のページに、こうあります。

梅干しや梅酒、梅シロップ等様々な料理に使用される梅ですが、梅の旬は5月~7月とまさに今が旬です」https://www.maff.go.jp/j/seisan/tokusan/kansho/kakudai/ume.html

 

 中国から来た五月頃の長雨の〈梅雨〉という言葉は、日本でも〈梅の実の熟する頃の長雨〉ということで受け入れられて、「露」の読み名を被せて『つゆ』と読んだ、というのが、私の理解です。

 一つの言葉でも、その語源をみていくと、いろいろなことに気付かされる。いにしえ(古)の人たちの思いや発想の面白さを味わうことができます。

 みなさんが疑問を感じる言葉があったら、たどってみるとたのしく賢くなりますよ。

 

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五味太郎のものの見方・考え方から@コロナの前は良かったのか?

 コロナの渦(うず)に世界が巻き込まれていた頃、有料メルマガで絵本作家 五味太郎さんが語った「不安との向き合い方」を紹介しました。

 今でも原文を読むことができます。※画像をクリックするとサイト(wish news)にジャンプします

 コロナの前も社会には問題がたくさんありました。

 今もたくさんの社会問題があります。質問者に対して五味さんが真っ先に語ったのが次の言葉です。

五味
それで、まず聞くけど、逆にその前は安定してた?

コロナ禍じゃなかったときは、居心地がよかった?

 

 、今読んでもあせない切れ味です、読んでみませんか。

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