おすすめブックレビュー 太田愛著『未明の砦』Kadokawa@メルマガ最新号から

 今回は最新のメルマガから紹介しましょう、社会派の本格ミステリー小説です。単にパズルを解くかのようなミステリーではなく、読みながら今の社会の問題とそれを突破するヒントを見つけることができると思います。
 内容は〈おすすめ映画の章Plus〉の1/4くらいです。

小説仲間からの紹介『未明の砦』

 最近小説仲間のAさん(県外在住)から「これおすすめです」と紹介されたのが『未明の砦』太田愛さんの2023年の作品です。


 Aさんとは映画とミステリ・サスペンス小説好きという点で嗜好が一致しています、今回の作品は私が大好きな社会派ミステリでした。

 一気に読了。
 ラストはメルヘンチックでうまく進みすぎの点が気になったのですけど、おすすめです。

 第26回大藪春彦賞を受賞しています。
 出版社KADOKAWAの紹介には「書き過ぎだ」と思うほど内容がしっかり書き込まれています、引用しましょう。

 その日、共謀罪による初めての容疑者が逮捕されようとしていた。動いたのは警視庁組織犯罪対策部。標的は、大手自動車メーカー〈ユシマ〉の若い非正規工員・矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平。四人は完璧な監視下にあり、身柄確保は確実と思われた。ところが突如発生した火災の混乱に乗じて四人は逃亡する。誰かが彼らに警察の動きを伝えたのだ。
 所轄の刑事・薮下は、この逮捕劇には裏があると読んで独自に捜査を開始。一方、散り散りに逃亡した四人は、ひとつの場所を目指していた。千葉県の笛ヶ浜にある〈夏の家〉だ。
そこで過ごした夏期休暇こそが、すべての発端だった。
 自分の生きる社会はもちろん、自分の人生も自分で思うようにはできない。見知らぬ多くの人々の行為や思惑が作用し合って現実が動いていく。だからこそ、それぞれが最善を尽くすほかないのだ。共謀罪始動の真相を追う薮下。この国をもはや沈みゆく船と考え、超法規的な手段で一変させようと試みるキャリア官僚。心を病んだ小学生時代の友人を見舞っては、噛み合わない会話を続ける日夏康章。怒りと欲望、信頼と打算、野心と矜持。それぞれの思いが交錯する。逃亡のさなか、四人が決意した最後の実力行使の手段とは。最注目作家・太田愛が描く、瑞々しくも切実な希望と成長の社会派青春群像劇。

本の帯より近しい友人からの紹介の方がよい

 本の帯は賞賛にあふれています。

 けれど売りたい側の広報にはあまり左右されない方がよいでしょう。
 映画の広報でもわかるように「全米が涙した」という、すぐにウソだと思える謳い文句はたくさんあります。

 そういう情報より、信頼する小説仲間からの紹介の方がずっと確かだと思います。
 このメルマガも皆さんにとって信頼できる情報源でありたいと思っています。
 読者のみなさんの中で社会派小説に興味があるという方は、だまされたと思って手にしてみることをおすすめします。

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教育は人間的行為である/たのしい教育の発想法@板倉聖宣が遺してくれた言葉たち

 前回の板倉聖宣先生(仮説実験授業研究会初代代表・元文科省教育研究所室長・元科学史学会会長)の講演の続き、メルマガ創刊第2号(2012年)で編集紹介した内容です。

元気な頃の板倉先生

教育は人間的行為である
板倉聖宣
 人聞は、自分自身が自分自身の評価をする権限があると思うのです。

 自分が賢くなったかどうかということを、他人に評価してもらうのではなく、自分自身が評価する権限があります。
 小学校低学年の子どもたちにとって〈字を覚える〉のは大変たのしいことです。算数ができるということは大変たのしいことです。

 自分たちがそういうことを勉強したことによって、たくさんの問題が解けるということを知っています。

 看板の字が読めたり、あるいは新聞に書いてあるいくつかの漢字が読めたり、自分たちの絵本が読めたりする。そうして「自分が賢くなったんだ」という判定を下すことができます。
 こういうふうに、多くの問題は判定を下せると思うんです。


 もちろん全ての問題に判定を下せるかどうかは私もここで断言することはできません。ものによっては、自分がこういう勉強をしていったい役に立つのかどうかもわからない、わからないけれども先生から見れば「それは勉強すれば役に立つよ」ということもないわけではありません。
 でもそれは今日の教育が効果的でないためにそういうことがおこるんだと私は考えています。

 しかし基本的には、教育がもう少しまともになれば子どもたち自身、教育を受ける者自身が〈その教育のよしあしを判定することができるようになる〉、そしてそれを一つの大前提として研究を進めることができるんではないかと私は思います。
「子どもたちがたのしく実力がつく」ということの他にもう一つ、教育の研究、授業の研究で重要なのはその教育が先生方にとって「楽にできる」ことです。
「授業が楽にできる」ということは、どうも奉呈ほうてい思想の影響でたいへん悪いことのようにとらえられたりいたします。

 「教職は聖職である」ということに大反対する組合の幹部なども「楽に授業ができるということはよくないんじゃないか」なんていったりします。

 楽にできることは罪悪である、苦しまなければ人間の価値がないというのが日本人的発想であるように思います。
 しかし私たちは「楽に授業ができるということが根本的な原理であること」を出発点として研究を進めたい。

 楽に授業ができて、子どもたちが喜び、子どもたちの実力がつくーーとれが私たちの授業研究の大前提でございます。

 だから私たちは、授業研究をしてAの授業法、あるいは授業内容とBの授業法、あるいは授業内容のどちらがよいかということを決めるときには、その2つの授業をやってみて「先生がどちらが楽か、たのしいか」そして「子どもたちがどちらがたのしいか」「どちらが頭がよくなったと思うか」の3つを聞いて判定することにしています。


 ごの判定の基準は、きわめて主観的なものです。私は、「主観的であるからこそこれは客観的なんだ」と主張します。

 教育は人間的な行為です、「人間」が問題なんです。

 ペーパーテストで何点とれたかというのは、これは教育の問題ではありません、その人間自身がどれだけかしこくなったか、どれだけたのしいか、教える人間も教わる人間もどれだけたのしいかということが、その主観を通して表現されたときにはじめて教育の評価ができるんだと私は思っております。

 板倉聖宣先生のものの見方・考え方に興味をもった方は、まとまった一冊を読むことをおすすめします。
 私がいろいろな子どもたち保護者の方たちにたくさん推薦してきた本『科学的とはどういうことか』です⇨ https://amzn.to/3UT5eza

 

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〈マース〉の謎@A先生の発見 /美味しい「野菜たっぷり無水カレー」の研究すすむ

〈たの研/たのしい教育研究所〉で子どもたち向けの食事やおやつを出すとしたら?
 と考えると、とてもたくさんあって、それはメンバーがみんな食べ物づくりが大好きだからです。
「月刊たのしい授業」にのった〈クイックちんすこう〉や〈きらくカリコリ〉、沖縄県のしまくとぅばプログラムで作成した〈ゆーぬく団子〉、たのしい教育の講座(40年くらい前)からスタートして沖縄中に広まった「べっこうアメ」etc.
 どんどんリストアップされていきます。

 最近はM先生得意の〈野菜たっぷり無水カレー〉づくりに凝っていて、昼食ならこれが最強ではないか、と考えたりしています。※たのしい教育プログラムの時はたいてい「これは◯◯系では最強だな」と感じながら開発をすすめています

 何しろ野菜がとても多い。トマト、ナス、きのこ、にんじんその他 手元にある野菜をなべいっぱい詰めます、もちろん水を加えることはなく、野菜から出てくる水分を利用します。

 一番上に肉系を乗っけます。冷蔵庫に余った食材を中心に利用しますから、バリエーション豊かです。

 仕上げは、市販のルーを利用したりスパイスにしたり、これもバリエーション豊かです。

 さて最近「これは懐かしい」と感じたルーを手に入れました。1962年発売とあます、日本の家庭で簡単にカレーをつくることができるようになったのは、この商品のおかげなのかもしれません。その後、ハウス食品とかSBとかいろいろ会社が似たようなものを出していったのだと記憶しています。

 この「オリエンタル マース カレー」の〈マース〉って、どういう意味なんでしょう?

 沖縄の方言では塩のことを〈まーす〉といいます。
私の友人に「塩カレーって思ってた」という強者がいました。

 わたしは地球を〈アース〉というので、何か天体に関する名称なんだろうと考えていました。

 みなさんはどう思いますか?

 A先生もそのマースに注目していた一人だったようです。

 〈たの研〉にあったマースカレーの箱を手にしたA先生が突然
「マースって〈MARS〉って書いて、マンゴ・アップル・レーズンとスパイスの頭文字なんだって」
 と大きな声をあげました。

 コマーシャルの歌詞に出ていたので、マンゴという果物を使っているのだというのは知っていたけれど、考えてみると沖縄でマンゴをよくみるようになったのは20年くらい前とか、そんなころでしょう、子どもの頃はマンゴがどういう果物か知りません。

 何十年も経って「マースの謎」が解けました。

 人生観が変わるくらいの大きな変化ではないけれど、こうやって謎が解かれていくのはたのしいことです。

 ちなみにオリエンタルマースカレーで作ったカレーは、今まで他のルーで作ったカレーに引けをとることはなく、美味しい「野菜たっぷり無水カレー」ができました。

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人間が優しく豊かになっていくと同時に使う言葉も優しく豊かに進化する@楽しい国語

 人間が優しく豊かになっていくと、使う言葉も優しく豊かに進化していきます。言葉は人間の心の中を表現するわけですから当然のことといえば当然のことです。

 わたしが大学で今の特別支援教育の授業は〈特殊教育〉といいました。

〈特殊〉から〈特別な支援〉の教育に変わったわけです。

「それまで〈視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱〉の5つに分かれていた特殊教育が束ねられたという構造に変化したから」というのが教員採用試験レベルの解答なのですけど、それなら「統合特殊」と呼んでもよかったでしょう。

 そこには「特殊」ではない「特別な支援」なのだ、という思いがあったのはまちがいないと思います。

 〈特殊〉という言葉と〈特別支援〉とはそんなに違わないと思う人もいるでしょう。
 けれどそこには〈特殊である〉という名詞的なイメージではなく、ニーズのある子どもたちに〈こちらからスペシャルの支援をする〉という動詞的なイメージが加わっています。言葉だけでなく、その中に込められた想いが変わったのです。

 わたしが大学で学んだ頃の〈特殊教育〉の前は何と呼んでいたか?

 衝撃的な言葉です、心臓にもよくないと思います・・・

 「廃人教育」です、その学校を「廃人学校」と呼んでいました。
 今なら訴えられるくらいの表現ですね。

 メルマガには書いたけれどこのサイトには書いていないかもしれません。
 あ、書いてましたね ⇨ https://tanokyo.com/archives/13485

 現代の学校システムの始まり、明治時代の『学制』に出てくる言葉です ⇨ https://tanokyo.com/archives/13485

 ひどすぎるので教育界の記憶から消し去りたいのでしょう、「かつてそう呼んでいた」ということすら語られていません、知っている人はほとんどいないでしょう。
 私も学生時代の授業の中で聞いたことはなく、その後、特別支援の歴史をたどったときに知って驚きました。

 特別支援教育の歴史をみていくと、《差別されてきた》ものであることがわかり苦しくなります。

 人間は過去の歴史を踏まえて今があります。過去の歴史を消し去るのではなく理解して発展していくことが大切です。
 こんなひどい言葉をつかってしまった歴史を知って、もうそこには戻らないという覚悟が大切です。

 過去の歴史を知らないと困ったことが起こります。
 たとえば「戦前の教育に戻せば子どもたちは礼儀正しくなる、犯罪も減る」と発言する政治家もいました。そういう意見が大きくなると、ここまで登ってきた階段を何百段も降りることになるでしょう。

 廃人教育⇨特殊教育⇨特別支援教育 と進んできた歴史は、日本人全体の心の進化といえるでしょう。

 〈障害児〉の〈障害〉という表現も変えた方がよいと思います。
 たのしい教育研究所では、行政用語などを引用する以外では利用することはなく、「ハンディがある」という表現をしているのですけど、もっと優しい言葉になっていくことでしょう。

「認知症」という言葉があります。
 ごく普通に利用されているので、かなり以前からそう呼んでいたと思う人もいるでしょう、でも2005年頃からです。

 その同じ症状を何と呼んでいたか、覚えている人はいますか?

〈痴呆〉です。

 変わってよかったよかった。

「言葉は時代とともに変わっていく」といいます。

 でも違うと思います、「言葉は人々の心の変化とともに変わっていく」のです。

 豊かな方向に優しい方向に変えていきたいものです。

 

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