「それはバッタじゃなくてキリギリスです!」という言葉/楽しい教材と〈分類〉の見方・考え方/楽しい学習・楽しい学力向上

 子どもの頃から、心動かされるものごとについては本を読んだりすることはあっても、先生に言われたことを真面目に勉強するタイプではなく、植物の名前や昆虫など細かいものを一つ一つ覚えることはしてきませんでした。
 武道にのめり込む様になってさらにその傾向が強くなり、教員試験を受ける頃まで、教科書に出てくる植物は〈ひまわり〉と〈チューリップ〉くらいしか判別できませんでした。
 また都道府県の位置と名前があまり一致せず、大阪と名古屋のどちらが沖縄に近いところにあるのかもよくわかりません。
 どうして私が教員試験に合格できたかというと、あまりにも常識的な問題は出題されることがなかったからです。そして高校レベルの理数系文章読解などは得意だったからです。

 ところで〈ひまわり〉とはどういう植物で〈チューリップ〉とどう違うのか、〈大阪〉はどういうところで〈名古屋〉はどういうところで、それぞれどういう特徴があるのかという様なことは「分類」の問題でもあります。

〈分類〉というのは人間の知的な高まりとともにどんどん複雑になっていきます。

 話は変わるのですけど、全体として繋がりますから安心して読み進めてください、最近、山道に入ってしばらく歩き、車に乗り込むと、こういう生き物が一緒にいました。

 ちょうどバックミラーにくっついたので、背中も腹も一緒に見えておもしろかった、こんな感じ。

 車を停めて植物の枝に戻してあげました、見えますか?
 写真の仲程にいます。

 大きくしてみましょう。

 しばらくするとジャンプして行ってしまったのですけど、それまで、目がこちらを向いているかの様でした。

昆虫の名前

 この昆虫の名前は何か。
 「バッタ」ですか?

 小学校に勤めていた頃、昆虫や植物にとても詳しい年配の先生がいて、こどもたちによく「これは◯◯ではなく◯◯です」と語っていました、たとえば「みなさん、これはチョウチョではなくアゲハチョウです」という様に。

 この昆虫は〈ササキリ〉というのですけど、きっとその先生は
「みなさん、これはバッタに見えるかもしれません。
 でも違いますよ、バッタはこんなに触覚が長くないんです。
 これは実はキリギリスの仲間です」と語ったことでしょう。

 たのしい教育にのめり込んでいく中で、私も都道府県の名前をしっかり覚えたり、植物や虫たちの名前にも興味関心を持つ様になってきました。

 そして広く〈分類〉についてもいろいろ学び考える様になりました。

 分類はとても興味深いテーマです。
 教育の中では先端の分類にもっていくのではなく「人類が獲得してきた科学の歴史・分類の歴史をたどって教えるとよい」というのが、たのしい教育の見方・考え方です。

 はじめのうちはチョウはチョウでよいのです。

 興味関心が高まっていくうちに、アゲハチョウとモンシロチョウとは違うことを学べば良い。
 そしてアゲハチョウの中にも〈シロオビアゲハ〉や〈アオスジアゲハ〉〈ナガサキアゲハ〉という様に分類できるのだということを知ると良い。
 もちろん私たち大人の中にも〈アゲハチョウ〉というのはどういうチョウで〈タテハチョウ〉とどう違うのかわからない人もたくさんいると思います。
 それでもみんな元気に生きています。

 チョウの細かい分類がしっかりできるのは、チョウに興味関心をもってきた人か、テストなどで良い点を取るために頑張った人たちなのです。

 さて〈ササキリ〉は確かに「キリギリスの仲間」です。

 では「ササキリはバッタではなくキリギリスの仲間です」というのは正しいのでしょうか?

 キリギリスは〈バッタ目〉という大きなグループの一つです、だからササキリをバッタと呼んでも間違いではありません。

 だってこんな姿形⬇︎をしている生き物は、チョウでもダンゴムシでもカマキリでもなく、バッタでしょう?

 あまり細々としたことを教えるのではなく、まず「これはチョウとは違ってバッタの仲間です」ということが分かれば良い、〈ゴキブリやテントウムシとは違う〉ことが分かればよいのです。

 繰り返しになるのですけど、そうやって詳しく知りたくなった人たち、あるいはたのしく教えることが可能な場合にもっと詳しく教えていく、それが科学の発展の流れと一致した方法です。

「教科書にあるから教える」とか「正しいことは押し付けてよい」というのではなく「こういう具合に教えていくと子ども達が感動的に学んでいくことができる」という方法をみつけていくことがとても大切なのです。そうでないと「これは◯◯」「あれは◯◯」とどんどん押し付けて教えていくうちに、押し付けられた方は付いて行く気がなくなっていくでしょう。

「コウモリはどうみても〈鳥〉にしか見えないのに、実はねぇ、こうこういう特徴があるでしょう、だから哺乳類の仲間なんだよね、不思議だねぇ」という様に伝えていくいく、そうやって伝えていくことで子ども達が分類に興味を持っていくとしたら素晴らしいことです。

 たのしい分類入門、というプランもできてきそうな予感がしています。

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感謝!〈1日のアクセス数〉が5000回を突破しました/読者の方からの質問「雲はなぜ白い?」

 12月の前半の記事で〈1日のアクセス数(閲覧数)が3000に迫りました〉と書いたのですけど、気づかないうちに〈5000を突破〉していました。
 これがサイトの1日ごとの記録を確認した時のデータです、ちょうど大晦日の日でした。

 特に人気のあるテーマやトレンドワードを探して書いているわけではなく〈たのしい教育〉一本で地道に綴っているこのサイトが、これだけの記録を出せたことに驚いています。
 読んでくださっているみなさんに心から感謝いたします。

 もちろんアクセス数は多い時も少ない時もあります、こういう頂上を描く日だけでなく落ち込む日々も平均的な日々もあります。
〈1日平均1000アクセス〉を越したいというのが当面の目標です。

 このサイトを読んでくださっている皆さんが周りの人たちに「このサイト良いよ!」と知人友人に送ってくださることで広がっていくのだと思います、このアドレスをコピーして何人かに送っていただけると嬉しいです ⇨ https://tanokyo.com/
 これからも応援よろしくお願いします。

 今回は読者の皆さんからの便りに関連した記事です。
 先週書いた〈虹とプリズム〉が気に入って追加の質問をくださった方がいました。
 Rさんはその記事にある、虹の写真と一緒に写っていた〈雲〉が気になったようです。

 要約すると
「〈水蒸気がプリズムの働きをする〉というイメージで考えるとよいというのはイメージできたのだけど、後ろに見えている雲も同じ水〈H2O〉なのに、真っ白に見えているのはなぜなのでしょう?」という質問でした。

たのしい科学 虹とプリズム

 

 透明に見える〈光〉は、いろいろな色がミックスされていて、プリズムや水蒸気などでそれをいろいろな色に分散することができて、それぞれ別れた色が虹として見えるということを、楽しい科学〈虹とプリズム〉に書きました。

 Rさんの質問にインスパイアされて〈虹の色〉にとどめず、広く〈色の見え方〉というたのしい教育の授業書を作成したいと考えはじめていて、そういう感謝の言葉と一緒に「できあがったら連絡いたします」という返事をしておきました。

 授業書は〈予想・実験〉を交えていく構想です、ここでは大きなフレームをイメージしていただける様な話を書かせてください。

リンゴの赤

 りんごはどうして赤く見えるのか?

〈リンゴが赤を吸収しているから〉と考える人も多いかもしれません、子どもの頃の私もそうでした。でも虹の様ないろいろな色のうち〈赤〉以外の色を吸収して、赤色を反射しているからリンゴは赤くみえるのです。

 

 半分にカットすると、果肉が白く見えます。

 どうして白く見えるのか?

 いろいろな色を散り散りにしていろいろな方向に同じ程度に反射すると〈白〉に見えます。

 いろいろな方向に散り散りに反射させるというのはつまり表面がツルツルではなくデコボコだということでもあります。

海の青

 青い海の色は青以外の色を海が吸収し、青は反射してしまうので私たちの目には青がとどく、つまり青に見えるわけです。

 ところがその同じ海の水も、散り散りに乱れて全部の色を均等に反射することがあります、すると白く見えるんです。

 これです。

 

バナナの黄

 では問題、バナナが黄色く見えるのはどうしてでしょう?

  自分で説明してみましょう。

 

 

 バナナの皮をむくと、果肉は白く見えます、どうしてでしょう?

 自分で説明してみましょう。

 

雲の白

 さて、読者の方からの質問。

 雲の色はどうして白いのか?

 太陽の光を雲がいろいろな方向に散り散りに反射させてしまうからです。

 

 ここまで書いてきて、どういう予想実験を取り入れていこうかアイディアがいろいろ浮かんでいます。

 透明なガラスでも細かくくだくと白く見えます。そういう実験の中で安全で簡単なものをいくつか組み合わせて授業書を作っていこうと考えています、ご期待ください。

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マツコデラックスのことばをきっかけに考える

 テレビなどを腰据えて観ない私は、マツコデラックスという名前と顔くらいは知っていても、どうことを語る人物なのかはさっぱりわかりません。
 たのしい教育という視点と関わる様にも思えなかったのですけど、〈たの研〉に届く便りの一つに「ぜひ読んで欲しいです」という言葉と、マツコ・デラックスが語った内容が添えられていました。

タレントのマツコ・デラックス(50)が
日本の教育について自身の考えを語った

「小学校の教育は子どもがより成長できるのは学力でクラスを分けるか、学力関係のクラスか、どっちか」という話題で「私は大反対。つまづいていいじゃん」とバッサリ。

 と始まる記事です、〈あ、50才なんですね〉ということはわかっても、何をいいたいのかわかりません。
 みなさんももう一度読んでみてください、こんな文章が載るくらい校正に力を置いていないのですね。
 でも最後の「つまづいていいじゃん」のあたりからはよくわかります。

 こう続きます。

「勉強でつまづいたときに、勉強以外でやらなきゃいけないことをつくってやるのが本来の(教育の)姿」としたうえで「大学受験のために勉強するシステムは、つまらない人間をつくるシステム」と現在の学校に疑問を呈した。

 さらに、学力別のクラス分けは
「塾と一緒じゃん。教育の意味ある?」と一蹴。

「それならみんな塾に行かせればいい。ワガママ言うやつは私立に行かせればいい」と断固反対する姿勢を見せた。最後には「色々な人生、選択肢があって、分からないなりに子どもに見せてあげることが大事」と教育を変えるための考えも語った。

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/12/05/kiji/20221205s00041000476000c.html

 

「色々な人生、選択肢があって」というのはとても共感します。

 マツコデラックスさんの言葉に感動したというAさんは、私の意見も求めていたので、こういう趣旨のメールを書きました。

 この公式サイトを丁寧に読んでいただければわかると思うのですけど、私いっきゅうは〈この子は特別、その子も特別、そういえばあの子も特別だ〉という様にどんどん特別な人たちを別室に分けていくことには大いに疑問をもっています。

 社会というのはいろいろな人たちがそれぞれの良さを出し合って、それぞれの苦手なところ不具合のあるところを知恵を出してカバーしあって良くなっていくのです。

 ここ数年、電動車椅子で移動して映画を観ている人たちに数々出会う様になりました。以前は「手伝いましょうか」と車椅子を押したこともあるのですけど、もうそういうこともほとんど無くなってきて少し寂しい気持ちがするくらいです。

 電動椅子で自由に移動できる人たちがでてくる、そういう進歩は、事故や病気で歩行が困難な人たちばかりでなく、年齢がすすみ、移動が難しくなっていく人たちにとっても明るい社会を作ってくれます。

〈セパレート〉つまりあなたはこっち側ではなくあっち側ですよ、と分離していく、別なところに押しやっていくのではなく、いろいろな人たちが一緒に同じ社会を生きていくシステムを作ることで、その社会はよくなっていくことは社会実験済みです。
 もちろん特別な手立てが必要な人たちには特別なシステムを提供することは前提として、みんなが同じ社会で一緒に生きていくシステムを維持することに全力を傾けるということです。

 そういうことを前提とした上で話をすすめると、マツコ・デラックスさんが語っているのは「勉強でつまづいたときに、勉強以外でやらなきゃいけないことをつくってやるのが本来の(教育の)姿」という考え方については疑問です。

 つまづいたくらいで勉強以外の選択肢を提供するというわけです。
 教師はつまづいた子ども達に、たのしく学ぶことができる教育を提供するのが本来の仕事です。
「授業でつまづいている子ども達が、こういう教育プログラムで学ぶと、〈そうなのか〉とわかって、もっと学びたいと感じる様になる」というのが大切で、それがたのしい教育です。

 本質的な価値をもった内容なら、ほとんど全ての子どもたちがたのしくわかるようになるでしょう。
「勉強がわからないなら勉強とは別な選択肢をあげることが本来の教育だ」ではなく、まずその子が「たのしくわかる勉強」となるプログラムを提供するということです。

 もちろん、スポーツや芸術、ものづくりやお笑い的な才能を開花させてあげられることも〈たのしい教育〉の一つです。たのしい教育は、その人の可能性を高める、可能性を開花させるということだからです。

 たのしい教育研究所(RIDE)はまだまだ小さな組織です、だからこそ未来への可能性をたのしみにこれからも全力でとりくんでいこうと思います、みなさんの応援が元気の源です。

 大きな応援の一つは知人友人に向けて「このサイトいいよ」とここのアドレス〈https://tanokyo.com/〉 を転送してくれることです、可能な方はぜひよろしくお願いします。

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楽しい医学 麻薬というのは麻酔薬のこと/アガサ・クリスティー「そして誰もいなくなった」

 現場で教師をしていた頃作った〈薬と毒〉という「たのしい教育プログラム」があります。担任の先生養護教諭の先生に人気のプログラムで、中にこういう一説があります。

 犯罪のニュースで〈まやく〉と聞くと〈悪魔の様な薬⇨魔薬〉とイメージしてしまう人もいるのですけど、正しくは「麻薬」です。麻薬は医学用語で「麻酔作用のある薬」を意味することばです。

 麻酔薬の乱用が問題となり、その乱用を取り締まるうちに、麻酔とは逆の作用をもつ〈向精神薬〉その他もふくめて麻薬と呼ぶ様になっていきました、本来の医学・科学的な意味から外れていったことになります。

 こういう「言葉の問題・言葉の感覚」を研ぎ澄ますこと、言葉を丁寧に使うこと、本来の意味で整理していくことは法律の世界でも大切なことだと思います。

 そのプログラムを作成したあと読んだ小説の一説に驚いたことがありました。

 ミステリーの女王アガサ・クリスティーの小説「そして誰もいなくなった」です。

 この中の重要な登場人物の一人、老婦人がこう語ります。

近頃の若もの達はしまりがなくてみていられない。
眠れないといっては睡眠薬、歯を抜くときには麻酔注射・・・

「え、この老婦人、歯を抜く時に麻酔を使わないでぬくの?」
すごすぎますね。

 この小説が世に出た1939年、今から80年くらい前には登場人物に語らせたそのことと同じ感覚をもっている人、つまり〈虫歯を抜く時に麻酔を使わないままで抜いてもらう人〉は他にもいたわけでしょう。

 実はこの小説、日本語訳がよくなくて、私は途中で投げ出してしまいました。
 今度、我慢して最後まで読んでみようかと考え始めています。

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