「教師は授業で勝負する」という言葉ーNewスタイルの講座〈たのしい教育実践ワークショップ〉が始まります①

〈教師は授業で勝負する〉というけれど自分の授業は〈学校〉というフレームに守られなくても勝負できるのだろうか? 
 自分の学校の向かいにトヨタ、三菱という巨大企業が人材をそろえ、サービスの良い、格安の私立学校を作った時に自分の教えている子ども達がこぞって転校してしまうのだろうか、それとも「先生の授業うけたい」と残ってくれるだろうか・・・
 学校に所属していた頃、時々、自分にそう問いかけることがありました。
 そういう問題意識があったので他から依頼された授業を断ったことはほとんどなく、自分たちで企画した授業はたくさんありました。
 10年前〈フリー〉になって自分の腕で勝負することになり、いろいろな教育イベントに呼ばれて全国レベルの知名度の芸能人と前後しての授業などを何度も経験してきました。結果的に私の授業の参加者数や評価が高かったということ、何より、10年間で授業した何万人の方たちから得た評価・感想の結果からも、自分の授業の腕で生きていけることは実証できたと思います。
「統計的にみて新設立の会社は三年持たない」という中で元々の財力があったわけではない〈たの研〉が10年以上続いていることもその確かな証の一つでしょう。


 いろいろなタイミングがよかったことも幸いしているのですけど、「たのしい教育」という枠組みと、それを「いろいろな人たちがたのしく真似ることができる教育方法」という方向性がはっきりしていたことはとても大きかったと思います。
 同じ様にたのしい仮説実験授業を学んでいる人たちの中にもマニアックなところにすすんでいって容易に真似できない様な実験などをみせてくれる人たちもいます、それはそれでいろいろな還元があるのでよいのです。
 私がすすめてきたのはそれではなく「〈子育て中で大変な先生たち〉もむりせず楽にたのしい授業ができる方法」の追求です。

 結果的にそれが成功していることも間違いないと思います。
 そういう中で今回新しい動きが出てきました。

6時間後につづく

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言葉を綴るたのしさ 三省堂「新明解国語辞典」山田 忠雄に心動かされる

 公式サイトの記事はたいてい1日の仕事が終わって日付が変わるギリギリあたりに書いて公開するので、誤字脱字などを丁寧に校正しているゆとりがありません。文字変換ミスがけっこう起こって〈指導要領〉の説明をしている中で〈容量〉と書いてしまったものもありました、すみません。

 心苦しく思いつつ、何事も目標は

〈100%は他人にも自分にも求めない、目標値は85%オーバー〉いっきゅう

です。熱心に読んでくださっている方たちが間違いを指摘してくれるので、感謝しつつ訂正作業しています。読者の皆さんで間違いに気づいたら

○月○日の記事の中段の写真の下あたり〈容量〉は変だと思います

という様に送っていただけると訂正がはかどります、可能な方はご協力よろしくおねがいします。

 ということで、毎日いろいろな文章を綴っている人間の一人として「この人はすごい」とあこがれているのが〈山田 忠雄/ただお〉という人物です、〈たのしい教育メールマガジン〉には詳しく紹介したのですけどこのサイトに書いたのかチェックするゆとりがないまま、すすめます。

 山田忠雄は三省堂〈新明解国語辞典〉の編集代表をつとめた人物です。

※私の愛読書「辞書になった男」文藝春秋社のおびの写真から

 山田忠雄の編んだ「新明解国語辞典」は革命的な辞書です。

 その頃の辞書というのは「できるだけ文句が来ない様に」とまとめていくお役所仕事的なところがあって、別な辞書同士なのに〈似た様な定義〉がいくつもありました、それは今もあります。お互いが影響しあってそうなることもあるでしょう。

 「暮しの手帖」が1971年早春号の「国語の辞書をテストする」という特集で〈別な辞書の定義を真似ているのはハッキリしている、ある辞書の間違いを間違いのまま真似ている辞書がこんなにある〉と明らかにして、辞書づくりに関わる人たちを騒がせたことがありました。

 そんな中で「これが辞書の進むべき姿だ、真似られるなら真似てみろ」とばかりに送り出したのが『新明解国語辞典』でした。

私のもっている「新明解国語辞典」第四版を開くと
たとえば〈新入り〉の説明に

「新しく・仲間(刑務所・留置所など)に入ること。また、入った人」

とあります、なんでまた「刑務所、留置場など」と具体的に例示したのか・・・、〈会社〉でも成り立つのに、笑いました。これは他の辞書では書けないでしょう。

 魚の「鱈/たら」の語釈について、こんな話が残っています。

 編集会議で「鱈」の語釈を巡って辞書界の巨頭〈金田一春彦〉のインタビューにこうあります。※『明解物語』

「タラ」というのが出てきたとき、山田君(引用者注:山田忠雄先生、『新明解国語辞典』主幹)がタラは美味だと書けって言うんです。

 タイならいいけど、ほかの魚に美味と書かないのにタラに美味はおかしいだろうと言ったら、富山県ではタラがいちばんおいしいんだそうです(笑)。「それじゃあ『富山県では』と書こうか」と言ったら、彼、怒り出しましてね。僕はどうも山田君とはしっくりいかなかった(笑)

 そうやってもめたからなのか、辞書に〈鱈〉の説明は出てきません。

 山田忠雄、魅力あふれる人物です。これからも後を追っていこうと思います。

 同時に、この辞書を会社の看板として出してくれた〈三省堂〉もすごいと思います。結果的に「新明解国語辞典」は日本でもっとも売れた国語辞典になりました。
 それについては、いずれまとめて書きたいとおもっています。

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たのしいPEALカウンセリングー「困難は分割せよ」デカルトの言葉から-哲学もたのしむ

 デカルトの哲学については学生時代に学んだ知識くらいなので心もとないところがあるけれど、デカルトが「あらゆる存在を疑い、幻想ではないかと否定することはできるけれど、それを考えている自分自身が今ここにあることはどうあがいても否定できない、だから自分がここに存在していることだけは確かである」という存在論を確立したのは、今でもいいセンスだと思っている。

 けれど彼の〈神の存在証明〉については今も自己矛盾だと思っている、こんな証明。

デカルト

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに、『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『神』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である神を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は神から『神の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、神は存在する

      以上、神の存在証明終わり

 自分の考えの中で組み立てた〈完全なる神〉は存在することになるというのなら〈完全なる悪・悪魔〉を想像したら、それも存在することになるし〈完全なる宇宙〉を想像したら、それも存在することになる。

デカルトB

1. 人間は『不完全』な存在である。ゆえに『不完全』な認識しか持たず『不完全なもの』しか知りえない
2. しかし、人間は『完璧なる悪魔』という概念を知っている。不完全な人間が、完全な存在である悪魔を知っているのはおかしい
3. この矛盾を解決するには、人間は悪魔から『悪魔の存在』を何らかの方法で教えてもらったと考えるしかなく、ゆえに、悪魔は存在する     

 以上、悪魔の存在証明終わり

 これは「あらゆるものを疑って疑い尽くしていったけれど、この疑っているという変なことをしている私という存在がここにあるというのは疑いようがないな」という帰納的な帰結とは向きが違って、どんどん〈完全なる○○〉が増えていくではないか、センスがないな。

 その後、師の板倉聖宣に出会って「哲学や論理ではなく〈予想・実験〉によってのみ真理に至る」ということを感動的に学んで以来、論理だけで結論に至った様に主張する人たちには「それは一つの予想ですね」という見方をする様になったのだけど、その予想、考え方には〈おもしろい〉というものがいくつもあります。

 PEALカウンセリングを提唱するあたりに〈これはいいセンスだ〉と感じたデカルトの言葉があって、それがタイトルの

困難は分割せよ!

です。

〈なんでこんなに不幸な人生なんだ〉とか〈私は勉強が苦手だ〉とか〈何をやってもうまくいかな〉という様な時に、まずその困難を分割して小さな部分にして考えていこうというのはPEALカウンセリングの基本前提です。

 私たちの脳が漠然と結論付ける〈全体〉を細かく分割して考える、それは解決方法を探す時のルーティーンです、おすすめします。

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たのしい実験・こどもたちに伝えたい実験/たのしい教育メールマガジンから/たのしい学力向上

 こどもの頃、近くに住んでいる上級生が魚の水槽(すいそう)の水を、その後、名前を知ることになる〈サイフォンの原理〉を利用して、水を下のバケツに移しているのをみて、とても驚いた。何しろ普通のホースを利用しているだけなのに勝手に水が移動しているのだから、何がどうすればこうなるのかワケがわからなかったことと〈これはすばらしい〉という感動とがかけ算になっていたと思います。

 去年書いた〈たのしい教育メールマガジン439号〉でペットボトル二つで見せてあげる実験を紹介しました。

  ペーットボトルを二つと台、そして小さな管があればOKです。

 実はその時に〈紙〉を使うアイディアもあったのですけど、いわゆる〈毛細管現象〉のネーミングに違和感があってパスしました。

 毛細管現象と呼ばれているのは細い管を水面に立てると細ければ細いほど水が上に上がっていく現象のことです。

 それはそれでおもしろいのですけど、紙に水が染み込んでいくものも毛細管現象だと言い切っている人たちが多くて困ります。

 この自然界の現象を小学生から感動してもらえる授業ブックも作成したいと考えています。

 最新号の〈たのしい教育メールマガジン〉は、その第一歩の実験を載せようと考えています。

 特別支援のクラスの子どもたちから、テストの点数がよいと言われている子どもたちまで、みんなが身を乗り出してくれる様な授業が増えていくこと、それが〈たのしい学力向上〉です。

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