楽しい国語入門ー言葉を大切にするとは②

 前回の〈エビデンス〉の話は読んでいただけたでしょうか、日本語で〈根拠〉でいいのにあえて「エビデンス」を連発することはない、という内容です。今回はそれとセットの話です。

「ルーティーン」という言葉があります、普通に使っている人もいるでしょう。

「朝起きたらコーヒーを呑むのが私のルーティーンです」

「寝る前は、おやすみの挨拶をして布団に入ることが毎晩のルーティーンです」

という様に使うことができます。

 ルーティーンはそれに適した日本語がないから使われたのでしょうか?

〈日課〉でいいですよね、音の数も少なくてすみます。

 学生の頃、いちいちルーティーンという言葉を使う先生がいて、違和感たっぷりだったのですけど、それから何十年経ってみると、自分も違和感なく使っている上に、英語を学ん〈道筋〉を意味するルート(route)が語源だということを知ってからは、さらに使いやすくなりました。

 エビデンスで感じている私の違和感も、ルーティーンで感じた私の違和感も、同じものです。

 方や自分で普通に使う様になっている。

 〈ことばは生きている〉と言われることがあります。

 エビデンス(証拠)という言葉やアジェンダ(議題)、コモディティ(商品)etc.
 いろいろな外来語の中で、しばらくすると消えていくもの、普通に使われる様になるものなどいろいろ分かれていくでしょう。

 つまり「実験」です。

 その言葉が使われる、消えていくということが〈実験結果〉です。

「言葉を大切にする」というのは、やみくもにどんな言葉でも受け入れることではなく、気にいらない言葉を弾圧することでもありません。「言葉も実験である」という視点で付き合っていくことだと思います。

 違和感のある言葉は自分では使わないとはいえ、あえて弾圧しない。
 もちろん私の様に「〈障がい者〉という言葉は使わない方がよい」というはっきりした考えがあるなら主張してよいのです、それはお互いが意見を交わし合うことで、民主的な流れで弾圧ではありません。

「言葉は生きている」と表現されるのは、生きている人間集団の口から発せられ、それが成長したり滅びたり、化学変化の様に形を変えていくからです。

 エビデンス(証拠)、アジェンダ(議題)、コモディティ(商品)などがこれからどうなっていくのか、予想を立てながらみていきましょう。

 今のところ私はそういう言葉を使うことはないのですけど、もしそれを使っている人たちは、子ども達や、あまりその言葉に慣れていない対象に使う時には、その意味がちゃんと伝わる様に工夫してほしいと思います。

 学校に行きたくない、勉強がつまらないという子ども達はどんどん増えています。

 何とかがんばって授業の中で教科書を開いてついていこうとしても、先生が意味のわからない言葉を普通に使っていたら、ますます心はそこから遠ざかっていくでしょう。

 そのことを加えて、今回のテーマを終えたいと思います。

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たのしい体育〈空手の哲学と理論〉②-楽しい武道・楽しいスポーツ

 ※前後してUPされていた時間があります、この記事から先に読んだ方は一つ戻ってお読みください。空手には先手がない、では突き・蹴り・受け・気合いそれらを何のために学ぶのか、子ども達にどう語るのか?

 大会などに出て華々しい成果をあげたいという目標で空手を修行する人もいますから、それはそれで成り立つでしょう。また私の様に道場を開きたいという人にも学ぶ意義はあるでしょう。しかし実生活で何の意味があるのでしょう。
 健康増進、たしかに。
 でもそれを子ども達に伝えて学ぶ意欲が増すでしょうか?

 前回投げかけたのは「蹴りはこう、突きはこう」というような実際の動き・ノウハウとは違います、発想法、哲学の部分です。

 みなさんはどう考えたでしょう。

 空手の有段者として、武道の心得があるものとしての今の私に具体的に役立っているものは何か?

 「空手に先手なし」です。

 私は師の仲里周五郎(無形文化財保持者)から「喧嘩を買っても、買ったものを捨てよ」と言われていました、徹底的に「戦うな」です。

 ではこれだけ学んできたもの、その身体の動きはいつ使えばよいのでしょう?

 それは危機的な状況です。

 目の前で誰かが襲われそうになっているのを見て見ぬふりするのか?

 あり得ません。

 他にも危機的な状況はあるでしょう、その時にはじめて学んだ技を活かす。

 ではそういう機器的な状況がこれまで何度現れたのか?

 ゼロです。

 私は実生活で危機を突破するために空手の技を使ったことがありません。

 これだけ何十年にも渡って修行した技を実生活で使う機会がない・・・

 バレーボールをやっていたら年に一回くらいはヒーローになる機会があるのにね。

 実生活では使わないものを学び続ける意義は何か?

 このサイトにも時々アップしているのですけど、私は一人で山に入ることがあります。野営・キャンプする時なども、あれこれ心配せずゆっくり過ごすことができる、ということです。組手は素手の一対一の流れです。ただし練習では、相手が凶器を持っている想定、また複数の相手と対峙する時の練習も重ねてきました。練習とはいえとてもスリリングです。武道を修行している人たちを三人倒すというのは大変ですけど、普通の人たちを三人倒すというのは本気で空手を学ぶものにはそれほど難しくないと思います。

 万が一のことに対する構えがしっかりできていると、自由度が増えます。

 その自由度はつまり、いろいろなことを心配することが少なくなるということでもあります。

 そしてそのエキサイティングな練習は実にたのしい。
DNAの中に刻まれているハンティング的な心の動きなのかもしれません。
普通の暮らしの中でこういうワクワクドキドキ感は得られないでしょう。

 武道によって、たのしい、そして行動の自由度が増える、それは何らかの決断をすねるときにも大きく影響するでしょう。

 今の時代、日常で使うことのない武道を学ぶ大きな意義はそこにあるでしょう。

 それが武道の哲学です。

では武道の理論・空手の理論とは何か?

 相手が顔を殴ってきたらどう動けばよいのか、という話にもどりましょう。こちらの周りの状況、相手の身体の向き、飛んでくるパンチのスピードなどいろいろなファクターが関わるのですけど、基本は〈飛んでくる力を自分の身体以外の空間に流す〉ことです。空手の受けもサバキも基本はそこです。

 攻撃は千差万別でも基本は千差万別ではありません。

 生き方に哲学や理論がある様に、空手にも哲学や理論があります。

 その基本(理論)を学ぶことによって、実際の動き・ノウハウの部分もしっかりしていくでしょう。

 少々長くなってしまいました、とりあえずここまでにしておきます。

 

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