中谷宇吉郎の言葉を読む/たのしい教育の発想法「科学は永遠に進化していくべきもの」

 学生の頃、中谷宇吉郎の「科学の方法」を購入して〈積ん読〉していた。※部屋に積んであるだけ

 その後、板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表/国立教育研究所室長)先生の「科学と方法」という本に感動して、タイトルの似た中谷宇吉郎の本を手にしました、積ん読が役に立つこともあります。分かりやすく書かれた名著でした。

 ところで最近、〈iPS細胞〉研究をとりあげて「科学万能の様に考えてはいけない、中谷宇吉郎もこう言っている」と、その本の中の文章を引用している記事を目にしました。

中谷宇吉郎 科学の方法

「火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできないというところに、科学の偉大さと、その限界とがある」

「なるほど確かに、こういう目の前で起こる現象すらまだハッキリさせることができないんだっちた」と心動かされた言葉です。

 さてその記事は〈科学には限界があるのだから、生命の領域まで科学で突き進むのは疑問である〉ということでの引用なのだけど、こういう言葉の切り取りは誤謬(ごびゅう)を誘導する手法の一つにもなります。※「誤謬:論証の過程に潜むあやまり」、板倉先生の「科学と方法」の言葉をあえて利用しました

 中谷宇吉郎は〈解ける問題 解けない問題〉をテーマに語っていて、前段でこう語っています。

 紙はあるだいたい一定の速度で、もちろん普通の石や木片などを落とす時よりは非常に遅い速度ではあるが、とにかく下に落ちてくる。

 そしてある程度は散らばるが、そう遠いところまでは行かない。 もちろん風のない場合の話であるが、 1メートル四方の間には必ず落ちる。

 何遍もくり返してやってみると、真中に近いところへ落ちる場合が多く、 遠くへ行くものは少ない。 そういうことだけならば、 すぐ分かるのである。

 しかし一枚の紙について、それがひらひらと舞いながら落ちていく落ち方となると、これは非常に困難な問題である。

 いわんやテレビ塔のてっぺんから、 一枚の紙を落とした場合、 それがどこへ飛んでいくかという問題になると、これは現在の科学がいくら進歩しても解けない問題であると言った方が早道である。

 いくら進歩してもと言うのは少し言い過ぎかもしれないが、少なくとも火星へ行ける日が来ても、テレビ塔から落とした紙の行方を予言することができないことは確かである。

 ※下線はいっきゅう

 つまり「〈いずれ人類は火星に行ける日がくるだろう〉ということ、そして少なくともその頃の科学の研究の段階では、まだ〈テレビ塔から落とした紙の行方〉を特定することはできないだろう」と語っているのです。それはつまり〈いずれはそれも解決できる様になるだろう〉とも読めることになります。

『火星に行く頃』というとつまり今の時代です、ロボットならすでに送っていて、NASAもイーロン・マスクも〈人間を火星に送る〉と語っています。
 そして確かに、テレビ塔のてっぺんから落とした一枚の紙が何処に落ちるのかという問題を解くことはできません。

「科学にはまだまだ解けない問題がある」それは当然です、「研究してあることを解決できたら、そこにまた未知の領域が広がっていくのが科学だ」と言ってもよいでしょう。

 しかしいずれは空気の流れの力学を量子コンピュータで読み解き「今の状態で落とせば、この半径4mの円の中に落ちてくる確率は◯◯%」という様に予測することができる様になるでしょう。そして次第にその精度が上がっていくことになるはずです。

 中谷宇吉郎は、この本の最後を感動的な言葉で終えています。

 今日われわれは、科学はその頂点に達したように思いがちである。しかしいつの時代でも、そういう感じはしたのである。その時に、自然の深さと、科学の限界とを知っていた人たちが、つぎつぎと、新しい発見をして科学に新分野を拓いてきたのである。

 科学は、自然と人間との協同作品であるならば、これは永久に変化しつづけ、かつ進化していくべきものであろう。

 同じ本を、前段で引用した記事の様に〈科学の可能性の否定〉にも使える。人間に知恵があるから、そういう様に導けるわけです。

 そしてそういうことに惑わされない力も、自らの興味関心つまり〈たのしさ〉で学んでいく人たちには身についていくでしょう。

 教育の未来、学力向上の未来も〈たのしい教育〉で切り開いていきたいと考えています。

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自由研究〈咲きまち〉花の開花ーノボタン(2)

 前回からの続き「知識技術を身に着けさせれば〈たのしさ・意欲〉が高まるのだから〈学力向上はテストの点数を上げることに視点を当てた指中心〉でよいと思う」という読者からの便りを起点にした内容です。まだの方は一つ前に戻ってお読み下さい、予想することは賢さのキーポイントです。考えてみると、そのことに関わる内容はたくさんあるので、可能な方はこのサイト全体に目を通していただけると嬉しいです。
※手違いで1時間半ほど〈下書き〉状態で公開してしまいました、すみません。少し手を入れていますので二度目の方もお読みいただければ幸いです

 摘んできた野の植物たちは開花しないのか、するのか。するとしたらそれは何日くらい先だろうかと予想を立てて実験する〈たのしい教育ワークブック〉づくりの途中研究の様子です。

 今回は〈ノボタン〉の実験です。

 ノボタンは草の後ろ側で咲いていたりするので、野山を車で走っているだけではなかなか見つけられないと思います。ゆっくり歩きながら草花に目を慣らしていってください。
 今の沖縄の野山なら、小一時間かからずに見つけることができると思いますよ。

 摘んできたノボタンの枝に芽がついたものがありました(葉が多いと水を大量に使うのである程度カットしてあります)。

 

 3日後、少しツボミが開いて中から紫色がみえはじめました、下側の芽です。

 それからしばらくの間変化があまりみられず、7日目、梅雨の雨に打たれながら初々しい花を見せてくれました。

 

 スタッフ一同、感動。

 その日、新しいタイプの講座の話し合いがあったので飾りました。

 みんなも喜んでくれました。

 ノボタンの枝を摘んできて芽が開くまで今回は〈一週間〉という日数でした。

 これを学校に務めている時に、こどもたちみんなで予想を立てて、教室に飾っておくと、さらに感動も大きいものになったはずです。

 以前の学校では〈一番ザクラ大会〉を開催していました。校庭にある桜の木が開花する日時を予想しておくのです。「こんなに植物をわくわくしながら見つめたことはなかったです」という声が先生たちからもこどもたちからも聞こえてくる盛り上がるイベントです。誰かが「見つけた~」と連絡すると、たくさんのこどもたちがそれを確認しにいって、「ほんとだぁ~」と「すご~い」と声を上げていたのを覚えています。

 ノボタンに限らず、草花の開花は心が弾みます。私たちのDNAに深く刻まれている感覚に違いないでしょう。野の植物に興味関心が高まっていくと、結果として、自然の大切さを感じ、環境問題にも関心をもつこども達が増えるでしょう、自然に対する自分の感覚が以前より高まっていることを感じる様になると思います。

 これからいくつか実験を重ねて、まとまったら、いろいろなこども達、先生たちに紹介したいと思います。それで「いろいろなこども達が喜んでくれる」という結果が揃ってきたら〈たのしい教育ワークブック〉としてまとめようと思います。「生活科」「理科」「総合」「学校行事」「国語で植物がテーマの授業の予備時間」その他、特別支援学級などでも利用できる様にしたいと考えています。
ご期待ください。

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たのしい教育入門-教師10年目の授業研究

 たのしい教育研究所には若手だけでなく中堅の先生たちも学びに来ます。これは教師十数年の先生が授業SVを受けている一コマです。〈たのしい教育授業ブック〉を手に、こども達に問いかける様に、こども達と一緒に不思議さを味わう様に、みるみる授業の腕が高まって来ました。

 こども達を引きつける授業の修行をすることは、自分のこれまでのスタイルに新しいものを加えていくことです、話を聞いたり資料を読んで身につくものではありません。

 私は空手の指導者でもあります、イラスト入りの資料を渡したら強くなるかというと、そんなことはないことは実験済みです。空手が強くなりたい人は、そんな風に空手を指導しようという指導者の元にはあまり近づかない方がよいでしょう。

 授業がうまくなる、こども達を引きつける授業内容は〈たの研〉にたくさんあります、ただし教師側の意欲が必須です。
 そして〈たの研〉には意欲いっぱいの先生たちが何人もいますから、それを見て学ぶことができます。

『初夏の講座』が終わったら〈たのしい教育入門〉をシリーズで実施できる準備が整ってきました。〈たの研〉で育った先生たちがメインで授業します。日程や会場などがはっきりし次第、このサイトでも公開する予定です。

 具体的な質問などにもどんどんこたえていく形式にしたいので15名程度の募集になると思います。興味のある方は、ひんぱんにチェックしていてくださいね。

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子ども達のやる気を高めるのが教師、先生たちのやる気を高めるのが管理職

 4月5月は不登校に関わる相談が多いという話をしたことがあります、保護者の方たちからだけでなく、教師からの相談もあります。※ここで書いている内容は全てRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の強い個人情報保護規定で本人の特定ができないように脚色されています、ただし本質的な内容は伝わる様に書いています
 
 その中でいろいろな先生たちからの相談を受けながら、学校は子ども達だけでなく、先生たちのやる気が高まる方向に変わっていかなくては、変えていかなくてはと強く感じてしまいます。

 転勤し新しいメンバーの中でスタートした日々が、教師にとってやる気を削いでいくものになる、それは不幸なことです。教師本人にとってももちろん、その先生が受け持つこども達にとっても。

 かつて教育行政の重要なポストにいたT先生と語らっていた時「管理職はがんばっているが先生方のやる気が高まらない」という話が出ました。それについて私はこういう話をしたことがあります。

「たとえばA先生が新しく担当したクラスの中で、Bくんのやる気が失われてきたとする。それはもしかするとその子特有の事情があったのかもしれないし二人の相性が悪かったということも考えられます。
 けれどクラスの中のいろいろな子どもたちの〈やる気〉がなくなっていったとしたらどうでしょう。
 まずそのA先生のやり方を変えていく必要があると思うのですけど、どうでしょうか?」

 もちろんT先生は同意です。

「先生では、ある学校が新しい管理職の体制でスタートした。
 そこである先生のやる気が失われてきた、それはもしかするとその先生特有の事情があったり、相性であったりする可能性があるかもしれない。
 しかしその学校のいろいろな先生たちのやる気がなくなってきたら・・・

 それは学校のリーダーである管理職のやり方を変える必要があるのではないでしょうか」

 T先生は「ん~」と言いながら困った顔をしていました。校長、教頭を指導してきているわけですから、管理職が変わらなければという話に対して、簡単に肯定できなかい気持ちが伝わってきます。

 教師はこどもたちの授業に責任をもつ、こども達のやる気を高め、可能性を高めてあげる。

 校長は先生たちのやる気を高め、可能性を高めることに責任がある。

 ある年、新しい校長がやってきて担任の先生たちが次々と病休をとり、とうとう教頭も病休をとっていったという悲惨な学校で勤務したことがあります。結果的に、毎月の様に病休をとる先生たちが続いていく状況は止まりませんでした。今でもその頃のメンバーとはつながっていて語りあうことがあります。

 そういう学校の状況とは逆に「校長が変わって去年より先生たちの活気が高まってきた」という学校が増えていくことが沖縄の教育に限らず日本全体、世界中で求められていることでしょう。学力向上を目指す教育委員会にとっても文科省にとっても切実な問題だと思います。

 その意味でも〈たのしい管理職の日々〉を送る先生たちが増えていく、そのためにできることに力を注いでいこうと思います。

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