「ぶれてもいいよ」と言ってもらえるだけで子どもは前を向ける ―ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』が教育・福祉・図書館・子育ての現場に贈るもの(2)

前の記事、ヨシタケシンスケ著『メメンとモリ』KADOKAWA の話の続きです

——本質的な問いへの答えを描きたかったということでしょうか。

ヨシタケ


 今までの価値観が根底から揺さぶられる中で、ひとつの揺るぎない正解を言うことに意味があるとは思えないんです。

 僕が描きたいのは考え方のレパートリー。

 人は楽観的になる日もあれば悲観的になる日もあって、こうと決めたようにだけ生きていけるわけではない。

 だから『メメンとモリ』では「ぶれるよね〜」ということを言いたかったんですよね。

 その時々の周りや自分の状況に応じて、使い勝手のいい現実の受け取り方や切り返し方を準備しておけば、なんとか切り抜けて生きていけるんじゃないか、と。

 そのレパートリーを「なるほどね〜」と一緒に面白がってくれる読者がいたらありがたいです。

——子育ての価値観も大きく変わって、親もあたふたしてしまいます。

ヨシタケ


 人は誰しも楽しく生きていきたいわけです。でも頑張れば必ずしも幸せになれるわけではないし、実際は思うようにいかないことだらけ。前向きになれる人ばかりじゃなくて、僕みたいにくよくよ派の人間もいっぱいいるはずで。

 だからといって楽しくて幸せじゃなければ人生は失敗、というわけにはいかない。だから良くも悪くも「思うようにいかなかったね!」とびっくりするのが今のところの生きる目的といえるんじゃないかと。


 
 でも「がんばっても幸せになれるとは限らないよ」なんて、親は子どもに言えませんよね。だから親は子どものためによかれと思っていることを押し付けたっていいんじゃないかと思います。

 子どもにとっては迷惑かもしれないけれど、そのときに「迷惑なんだよな」と感じることが後々、その子の価値基準になっていくはずなので。

 そして親はぶれるしあたふたするものだということを見せ続けるしかない。「申し訳ないけど、親もぶれるものなんだ。その中で、あなた自身が何を取るかを決めるしかないんだよ」と。大人の言うことが絶対に正しいわけではないということに、早い段階で気付かせてあげたほうがいいですよね。

——子どもの頃のヨシタケさんにとって、学校はどんなところでしたか?
ヨシタケ


 小・中学校、高校は楽しくもつらくもなくて、ただつまらなかったんですよね。でも団体行動が苦手だったし、「楽しくなくて当たり前だよね」と。

 学校は僕を楽しませるためにあるわけではないから、まあ仕方がないだろうと思っていました。

 幸いなことに“言うことを聞く”ということは得意だったので、言われたことはソツなくこなしていました。

 相手が求めた分だけをきっちりやっておこうという処世術みたいなものです。

 でもこれは向上心にはつながらないので、我が子に伝えるわけにはいかないんですよね(笑)

——現在、不登校の子どもが増えていますが、それは「つまらなくて当たり前だよね」と思えないからなのでしょうか。

ヨシタケ


 世代が変わってしまって、今の子どもたちがどう考えているのかは僕には分からないんです。

 でも僕が親として考えたのは「学校に行ってほしいわけじゃなくて、幸せになってほしいんだ」ということ。

 難しい問題だけど、行かないという選択をしたら、子ども本人がそれを背負っていく力を養って、自分自身を認めてあげられるようにする。

 周りはそれをサポートしていく。

 「将来、金銭的な援助はできないけれど、あなたがいいと思うなら、いいんじゃない?」という気持ちを子どもに伝えながら、その後の選択肢を増やしていってあげることが当事者にとっては助けになるんじゃないかと思います。

——いまの学校教育では、子どもたちは常に“求められる以上の何か”を求められているように感じます。

ヨシタケ


 それは僕が子どもの頃にはなかった新しい苦しみかもしれませんね。

 昔は正しい答えがすでにあって、ひとりひとりの意見なんて求められていなかったから。

 でも「自分の意見を出しなさい」「個性を出しなさい」と言われても、自分の意見や個性が確立されている子どもはそれほど多くないと思うんです。

 まだできていないものを出せと言われて、なんとか捻り出したのに「それは違う」なんて言われたら、もうどうしていいか分からないですよね。


 
 僕が言えることは「自分だけの意見がなくてもいいんだよ。むしろあったとしても、言うか言わないかはあなたの自由なんだよ」ということ。

 でも大人も悪気があるわけではないんだ。だから本当のことは言わなくてもいいから、なんとかうまいことお茶を濁しておいてくれないかな、と。

「こうすれば明日から楽に生きられるようになりますよ」なんて即効性のある方法はすぐに役に立たなくなる。

 だからこそ「こうやって考えてもいいよね」「こういう考え方だってあるよね」と、お茶を濁しながら生きていく方法を絵本で提示し続けていきたいですね。

【作家プロフィール】
ヨシタケシンスケ
1973年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。デビュー作『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位を受賞。絵本のほか、児童書の挿絵、装画、イラストエッセイなど多岐にわたり作品を発表している。著書に『しかもフタが無い』(筑摩書房)、『日々憶測』(光村図書出版)、『ぼくはいったい どこにいるんだ』(ブロンズ新社)、『もりあがれ! タイダーン』(白泉社)など。

いっきゅう
ヨシタケさんがこの本を執筆していたのは
ちょうど新型コロナで上を下への大騒ぎの頃でした。
ロシアが仕掛けたウクライナ戦争も起こった頃です。

この本の持つ先行きの見つからないテーマが生まれたのは
私たちの〈これまでの価値観〉が揺らいだ頃だったといってよいでしょう。

ヨシタケさん自身も揺らいだに違いありません。
生きることの意味を問いたくなったのだと思います。

ヨシタケさんはインタビューのはじめで
「〈あれ? よく分からないぞ〉と
子どもたちはきょとんとするかもしれない」
と答えています。

前述したように
私が読んだ時にも同じように感じました。

『ゆらいでもよい』
『ぶれてもよい』
という見方・考え方は子どもたちに伝えたい
大切なことだと思います。

仮説実験授業の中でもたのしい教育の中でも
立てた予想の変更がないか尋ねます。

一度立てた予想、見方・考え方は
いろいろな人たちの予想や見方・考え方に触れる中で
変えてよいのです。

以前このサイトにも書いたように
「一度、野球部に入ったらずっと続けなさい」
という大人がたくさんいます。

そうでしょうか?

そういうこととも関わるでしょう。

この絵本は〈問いかけ〉だと言える作品です。

ヨシタケさんは数年後
この絵本へのアンサーとしての作品を描くことになるでしょう。
それを楽しみに待ちたいと思います。

それにしてもあれだけ天地をひっくり返したように
騒いだ日々が、二、三年たつと、
まるでそういうことが無かったかのような日常になっています。

良し悪しではなく
人間という生物のもつ超柔軟性
超忘却性が成せる技なのでしょう。

2024年の「ヨシタケシンスケ作品展かもしれない(浦添市)」で見たヨシタケさんの作品たちは、元のヨシタケさんの作風に戻っていました。

 大好きな写真家 星野道夫は
『旅をする木/文春文庫』の冒頭の章をこう綴りました。

新しい旅
 フェアバンクスは新緑の季節も終わり、初夏が近づいています。
 夕暮れの頃、枯れ枝を集め、家の前で焚き火をしていると、アカリスの声があちこちから聞こえてきます。
 残雪が消えた森のカーペットにはコロコロとしたムースの冬の糞が落ちていて、一体あんな大きな生き物がいつ家の近くを通り過ぎていったのだろうと思います。
 頬を撫でてゆく風の感触も甘く、 季節が変わってゆこうとしていることがわかります。 
 アラスカに暮らし始めて十五年がたちましたが、ぼくはページをめくるようにはっきりと変化してゆくこの土地の季節感が好きです。
 人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。
 人の心は、深くて、 そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。

 そのことを思い出しつつ、この話を終わろうと思います。

※〈たのしい教育メールマガジン〉の記事を加筆・再構成しました

 

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「ぶれてもいいよ」と言ってもらえるだけで子どもは前を向ける ―ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』が教育・福祉・図書館・子育ての現場に贈るもの(1)

〈なぜか二~三年 開けなかった本〉

ヨシタケさんの作品は
全てチェックしています。

その中で、ある作品は手にすることなく
2~3年が過ぎていきました。

そんなある日
読者の方からその本を贈って頂きました。

『メメンとモリ』Kadokawa です。
心から感謝しています。

「メメントモリ」というのは
〈死を思え〉
〈今、幸せに生きている自分もいずれ死を迎える。
 それを忘れるな〉
という有名な警句です。

ヨシタケさんの本は『メメンとモリ』です。

〈メメントモリ〉そのものに親しみはあるけれど
ヨシタケさんがそのタイトルをもじって描く
というのはどうしたんだろう?
そう感じて後回しになっていたのだと思います。

初めて読んだとき

いったいヨシタケさんは、
何が表現したかったのだろう
3回くらい読まなくてはわからないかも

というのが正直な感想でした。

今の忙しさを一山越したあたりで
もう一読しようと思います。

三話構成の第一話の半分くらいを
サンプルで読むことができます。
クリック⇨ メメンとモリ

⭐️

ヨシタケさんがKADOKAWAのサイトで
この作品について答えたインタビューがありました。

それを読んでわかったことがあります。

まずヨシタケさんの話を読んでみてください。
※KADOKAWA社に心から感謝して引用

取材・文:村山 京子


この夏大注目の『メメンとモリ』はヨシタケシンスケさん初の長編絵本。

「人は何のために生きるのか」というテーマが、冷静な姉のメメンと情熱家の弟のモリのやりとりで描かれています。

 著者であるヨシタケさんに作品のことや子ども時代のこと、子どもを持つ親としての思いなどを聞きました。

 

——『メメンとモリ』はどんな絵本ですか?

ヨシタケ


 3つのおはなしを通して「なんのために生きるのか」というテーマについて描いています。

これまでに作ってきた絵本は、読みながら面白がったりほっこりしたりしてもらえる楽しさがあったと思うんです。

今回は最後まで読んだときに

「あれ? よく分からないぞ」

と子どもたちはきょとんとするかもしれない。

でも分からないなりに

「なんだか気になる」

「どういう意味だろう」

と繰り返し読んでもらえたら嬉しいし、大人の読者にもぜひ楽しんでいただきたいです。

 

——なぜ大きなテーマに取り組もうと思ったのでしょうか。

ヨシタケ


 まず、僕は「生きるとはどういうことか」とか「生きる目的は何なのか」ということをぼんやり考えるのが好きなんです。それは自分が生きる意味を見失ったときに備えて、いろいろな答えのレパートリーを貯めておくために日頃からやっている作業です。


 あるとき、「メメントモリ」という言葉を見ているうちに、ふと「真ん中をひらがなにしたら登場人物がふたりいるみたいだな」と思いついたんです。登場人物がふたりになったことで、一人がものごとを断言して、もう一人がそれに対して疑問を投げかけるという新しい物語の形が取れるようになった。そこでこのタイトルで、僕がつらつらと考えている「生きるとはどういうことか」というテーマを描いてみることにしました。


 それに僕が絵本作家になって10年が経ちますが、その直前の東日本大震災にはじまって、新型コロナウイルスのパンデミックや、ウクライナへのロシアの軍事侵攻など、「今って何時代だっけ?」と驚くような出来事が起こっています。世界中で今までの価値観が揺らいでいて、こんなにも大人があたふたしていて頼りない時代はなかったんじゃないかと。誰しもが「生きるとは」とか「幸せとは」という本質的な事柄について考えざるを得ない時代だと思うんですよね。

続く

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板倉聖宣「〈実験するまでもなく正しい〉というのがこれまで教育スタイル」@楽しい福祉&教育@「大地は平面だ」と考える人たち@読者の皆さんに感謝して綴る

 みなさんのおかげでこのサイトの人気は上々です。

 1日いちにち、私にとっては〈Every Day〉というより《Every Single Day》の営みの中、はじめの頃は夢のようだったたくさんの人たちに、文章を読んでいただけるようになりました!

芸能や気になるニュースなどの派手さのない〈教育や福祉〉関係のサイトで毎日数千アクセスあるサイトはなかなかありません、ぜひ周りの方たちにも広めていただけませんか。

 これは今朝早くのアクセス数と昨日のアクセス数です、昨日は10,000アクセスに迫る数字です。今日もたくさんの方たちが見てくれると考えると書いている手にも力がこもります。


 何度も書いているのてすけど、このサイトをはじめた時は一日10アクセスあることに大喜びしていた日々でした。以前利用していた会社のサーバーがダウンして、数ヶ月ほどサイトが消えてしまい、別なサーバー会社に移って一からスタートした時にも一日数十人、数百人というアクセス数になりはじめた時にも、とても喜んでいました。
 それがすでに1日千アクセスが普通になってきました。
 目標は1日一万アクセスです。
 そんな日々でも、はじめの頃の気持ちと、今のようにたくさんの人たちから反響や質問が届く今日この頃の気持ちと、どちらも大切にして書き続けていきたいと思います。
 これからもよろしくお願いいたします。

⭐️

 〈たのラボ〉の前章は40年以上前、伊良波さんとはじめた〈仮説実験授業サークル〉です。今でも伊良波さんからいろいろインスパイアされています。

 これまで分けてもらった資料を整理していると仮説実験授業について触れた内容に「まさに」と膝をうち、同時に「残念なことに今でも変わらない教育の実情」に複雑な思いを抱いています。

 伊良波さんが心に残る部分を書き抜いたファイルです、メモには「2006年6月10日 たのしい障害児教育入門講座 in 東京」とあります。
 校正を加えて少し引用しましょう。

板倉聖宣
 仮説実験授業というのは言葉通り「実験的に教育を研究する」と書いてあります。

 これまでの教育は 「実験するまでもなく正しいことをやっていこう」ということです。

 「正しいことをやっていく」というのですから「〈何 が正しくて何が正しくないか〉ということは自明のことだ」というのです。

 世の中には悪い教育をする悪い人たちがいる。
 私たちはいい方の人間で、悪い教育をする人たちに抵抗して〈いい教育〉をすすめる」という図式です。

 いいこと悪いことなんていうのは初めから決まっているわけがないんです。

 A さん からすると〈ある考え方〉は正しいに決まっているんだけど、Bさんからすると〈別な考え方が正しい〉に決まってい るということになると思うんです。

 その後、すぐに別な話題に移っていったので、ここまでの文章で止めておきます。

「正しいに決まっているから授業する」
 教師のほぼ全員がそう考えているでしょう。

 逆に「教科書で正しくないことが書かれているのか?」と問いかけたくなる人もいることでしょう。

 それについて書くのはメルマガのボリュームになるので、そこに譲るとして、ここで問いかけたいのは
「正しいに決まっているからちゃんと聞きなさい」というスタイルで授業するスタイルが、どれだけ子どもたちの興味関心を削いでいるか、ということです。

 たとえば、私たちは普通に「地球」という言葉を使っています、それは「この地面が〈球体〉である」という知識を前提にした言葉です。

「フラットアース国際会議(FEIC)」といって地球平面説を信じる人々(フラットアーサー)が世界中から集まる大規模なイベントがアメリカのテキサス州やノースカロライナ州などで定期的に開催され、数百人規模の参加者が集まり科学的常識や宇宙開発を否定する議論を交わしていることをご存知でしょうか。

 地球平面協会(ちきゅうへいめんきょうかい、Flat Earth Society)といって、聖書にある言葉を大切にして「大地が球体ではなく平面体であるという信念を支持する団体」があることをご存知でしょうか。
「カナダ地球平面協会」という団体もあります。

 キリスト教原理主義運動の一環で、地球は丸い形をした平面であると考えています。これはその人たちが描く世界地図です。

wikipediaに感謝して引用

 

 その人たちが「地球」という言葉を耳にしたら「地球は平たい」と反論してくるでしょう。

 もちろん「ほら宇宙から撮った地球の写真をみてごらん、地球って確かに丸いよね」と言ったって「捏造だ」で一蹴されるでしょう。

 その人たちに、一体どうすればこの地球が丸いことを信じてもらえるでしょう。

 そもそも子どもたちにとっても、この大地が「実は球体だ」ということは信じがたいことです。

 そういう中で押し付けなく楽しくすすめられる授業が「たのしい教育」です。

「たのしい教育」は〈これが当たり前だ〉という視点からスタートすることはありません。

 押し付けでなく、ワクワクする構造で授業プログラムを構成していきます。

 今週開催される「自由研究まつり」でも、昔の人たちが〈え、ほんとうなの?〉と驚いた内容をとりあげます。

 早く当日が来ればよいのに、と楽しみにしている日々です。

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沖縄本島最北端〈辺戸岬〉の姿@楽しい環境教育・楽しい理科

 〈たのラボ〉の活動はいよいよ沖縄本島最北端の地まで広がってきました。

これは先日、イベントの調整で尋ねた北部の地で、立ち寄った先端の辺戸岬の写真です。

 沖縄の自然の素晴らしさを実感する、美しい海の彩りです。

 断崖絶壁の様子がこれです。

 険しい色と形の岩石が切り立っています。

 この岩石は何でしょう?

 岩石は大きく〈火と水〉の由来に分けることができます。

 火山成の岩石である「火成岩」と海の底に積もってできた「水成岩」です。

 水成岩は、教科書では「堆積岩」と呼ばれています。

 さてこの切り立った岩石は〈火成岩〉でしょうか、〈水成岩:堆積岩〉でしょうか?

 予想してみてください。

⬇︎

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⬇︎

⬇︎

 琉球・沖縄にも火成岩はあります、けれどそれは多くありません。

 多くは〈水成岩:堆積岩〉である『石灰岩』です。

 では、沖縄本島の先端は何か?

 ・・・

 水成岩である「石灰岩」です。

 国土地理院のサイトから図を引用させていただきます。

https://www.web-gis.jp/GS_Geo100/Document/Geo100_164.html

 「水成岩」である〈石灰岩〉も大きく2種類に分かれます。
 ここからは、興味のある皆さんで調べてみてください。

 そこからたのしい楽しい面白い自由研究が広がっていくと思います。

 今日は中学生レベルの話になったかもしれません。
 みなさんの感想をお待ちしています。

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