ミヒャエル・エンデ「モモ」/たのしいブック・レビュー

 ミヒャエル・エンデの作品にはとてもお世話になりました、エンデの感覚や思想哲学が心の奥深くまで染み入っている気がします。

 最近メルマガの〈映画の章〉で村上春樹に触れた時、本を探している時、エンデの本が目に入り、手に取りました。


 「モモ」は映画化されましたが、それはがっかりする作品で、感動した本を原作にした映画を観るのはさける様になったきっかけにもなりました。

 さてさてみなさんは読んだことがあるでしょうか、「モモ」を。
 少し紹介しましょう。

 ある町のはずれのところに古い円形劇場があります。

 ある時、小さな女の子がそこに住み始めたという噂が立ちます。

 その噂は本当のことでした。

 女の子の名前は「モモ」。

 大人たちは、女の子が一人でこんなところに住むのは危ないと、モモにいろいろな提案をするのですけど、モモはここに住みたいといいます。

 その願いを聞きいれた町の人たちは、モモに食べ物をもっていってあげます。

 モモの得意なことがありました、人の話を聞いてあげることです。モモに聞いてもらうと、なんだか幸せな気持ちになっていくのです。

 そうやって町の人たちとモモはたのしく過ごしていました。

 

 そんな日々の中、町に灰色の男たちが現れるのです。

 灰色の男たちは〈どろぼう〉でした。ただのどろぼうではありません、かけがえのない〈時間〉というものを盗んでいくのです。

 そうしてモモは灰色の男たちとの闘いに入っていくことになるのです・・・

 その時にはモモを助ける〈カシオペア〉というカメがかわいいことかわいいこと。これ以上話すと最後まで途切れない気がするので、とめておきましょう。

クラスの子どもたちへの読み語り本としてもおすすめです。図書館にもあると思います。手頃な文庫もありますから、手に入れておくのもよいと思います。

 まだの方はぜひどうぞ。

 

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〈科学的な真理〉〈噂〉〈マスコミやSNSの扇動〉/立春の話

 物々しいタイトルに見えるかもしれませんけど、いつもの様に中身は中学生から、早い人では小学校高学年から読める内容です。〈科学的な真理と噂とマスコミの扇動〉このことは今回のコロナの流行についても重要なテーマであったことは、この騒動が落ち着いた時にハッキリすると思います。

 コロナウイルスの危険性を冷静に科学的な真実や、科学を元にしたことを的確に伝えることと「大変だ大変だなにしろ大変だ」と煽ることとは違います。あるテレビ関係の人が語っていたのですけど「冷静に伝えるより、大変だ大変だと叫ぶ方が視聴率が上がるんです」とのこと。だからやっていいという説明にはならないと思うのですけど、どうでしょう。
 また一方では〈受け手〉つまり聴衆・視聴者としての私たちのせいにされてしまいそうですけど、ごまかされてはいけません。視聴率が上がるからやっていいという方程式は成り立たないのです。
 こういう話はたのしい教育メールマガジンの発想法などでとりあげるとして、その関わりで思い出す名文がいくつかあります。
 科学者であり文学者 寺田寅彦(てらだ とらひこ)の「流言飛語」のことは以前紹介しました、今回はその弟子 中谷宇吉郎(なかや うきちろう)の「立春の卵」という名文を紹介しましょう。

 これを書いているのは2月4日、立春の日なのでちょうどよい話になるとおもいます。

 我らが青空文庫にボランティアの方たちが文字起こししてくれています、感謝を込めて紹介させていただきます。https://www.aozora.gr.jp/cards/001569/files/53208_49866.html

 普通は卵を机に立てるなんてことはできないけれど、実は立春の時にはそれが立つのだという話がテーマです。

立春の卵
中谷宇吉郎

 

立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。
 二月六日の各新聞は、写真入りで大々的にこの新発見を報道している。もちろんこれはる意味では全紙面をいてもいいくらいの大事件なのである。
 昔から「コロンブスの卵」ということわざがあるくらいで、世界的の問題であったのが、この日に解決されたわけである。というよりも、立春の時刻に卵が立つというのがもし本統ならば、地球の廻転かいてんか何かに今まで知られなかった特異の現象が隠されているのか、あるいは何か卵のもつ生命に秘められた神秘的な力によるということになるであろう。それで人類文化史上の一懸案がこれで解決されたというよりも、現代科学に挑戦する一新奇現象が、突如として原子力時代の人類の眼の前に現出してきたことになる。
 ところで、事実そういう現象が実在することが立証されたのである。『朝日新聞』は、中央気象台の予報室で、新鋭な科学者たちが大勢集って、この実験をしている写真をのせている。七つの卵が滑らかな木の机の上にちゃんと立っている写真である。『毎日新聞』では、日比谷ひびやの或るビルで、タイピスト嬢が、タイプライター台の上に、十個の卵を立てている写真をのせている。札幌の新聞にも、裏返しにしたお盆の上に、五つの卵が立っている写真が出ていた。これではこの現象自身は、どうしても否定することは出来ない。

 大手新聞社が、立春の時にそういう〈新奇現象〉を一斉に書き立てて、しかも科学者たちが確かめている実験の様子も伝えているのです。

 少し飛ばして、こう続きます。

 ラジオ会社の実況放送、各新聞社の記者、カメラマンのいならぶ前で、三日の深夜に実験が行われた。実験は大成功、ランドル記者が昨夜UP支局の床に立てた卵は、四日の朝になっても倒れずに立っているし、またタイプライターの上にも立った。
 四日の英字紙は第一面四段抜きで、この記事をのせ、「ランドル歴史的な実験に成功」と大見出しをかかげている。立春に卵が立つ科学的根拠はわからないが、ランドル記者は「これは魔術でもなく、また卵を強く振ってカラザを切り、黄味を沈下させて立てる方法でもない。ましてやコロンブス流でもない」といっている。みなさん、今年はもう駄目だが、来年の立春にお試しになってはいかが。

 こうはっきりと報道されていると、如何いかに不思議でも信用せざるを得ない。おまけに、この話はあらかじめ米国でも評判になり、紐育ニューヨークでも実験がなされた。ジャン夫人というのが、信頼のおける証人を前にして、三日の午前この実験に成功したのである。

 なんとアメリカN.Y.でも評判になっているという・・・

 どうして普段立つことの無い卵が立春の日に立つのか?

 マスコミ挙げたその話に、名探偵 中谷宇吉郎が挑むという様な一つのミステリーとして読んでもたのしめる掌作です、ゆっくり読んで10分くらいでは読了すると思います。
 学校でも子どもたちに読んであげてほしいエッセイです、おすすめします。
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たのしい読書案内-小学校の国語の本の想い出/教科書的だというのは貶める言葉だけれど私には好きな教科書がいっぱい(子ども達にも伝えたい話)

 数回前の〈高校国語の教科書が愛読書〉という記事の後「注文しました」「高校の教科書を息子から譲ってもらって読んでいます」「古本屋さんに探しに行きましたが置いていないですね」という様な便りが届く様になりました。

「科書的だ」というのは貶める時に使う言葉だけれど私には好きな教科書がいっぱいあります。それに負けず「いい教科書もたくさんある」ことを伝えたいし、特に国語の教科書の内容にはいいものがたくさんあることは何度も書いておきたいと思っています。

「教科書」の想い出はたくさんあって、私の教師のスタートの時の国語の教科書のこともその一つです。

 国語の時間、子どもたちと一緒に朗読するのが大好きでよく読んでいました、その時強く残っているのが「太郎こおろぎ」です、今も掲載されているといいのだけど。

 いい話でした。

 私が務めることになった学校は少しだけ山側に登り始めた位置にあって、そこから山の頂上を見上げることができました。少し歩くと湧き水がコンコンと流れ出る場所があって、そこに行くと野菜を洗いにきた人たちからいろいろ話を聞かせてもらうこともできました。「太郎こおろぎ」に出てくる校舎は小さくて昔風だったのですけど、私にはまるでその学校が教科書に登場したかのような思いがする作品でした、遠くに見える山際もちょうど挿絵の様な感じがします。子どもたちも、自分の個性を包み隠そうとしない、すてきな子ども達ばかりでした。

 今でも心を澄ませるとあの頃の景色が目に浮かんできます、そして子ども達と朗読した大きな声の響きも聞こえてきます。

 題名の〈たろう〉が主人公といっていいでしょう、そこに〈しのちゃん〉と〈わたし〉が重要な役で登場します。

 最後の「太郎は◯◯になって、学校に立派な、◯◯◯◯」という終わり方は、半分好きで、半分は「もったいないことをしたな」と感じたことも覚えています。

 

 みなさんが心に残っている教科書の話があったら聞かせてくださいね。

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文章技法:偽物にかぎって横文字を使いたがる/敬愛するアウトドア人〈野田知佑〉のことば

  野外での暮らしが好きで活字中毒の私はテントの中でアウトドアの本を読むことを大の楽しみにしていました。そうやって心に残っている作家が何人もいます、その一人が野田知佑(ともすけ)です。彼は彼が名付けた〈カヌー犬 ガク〉と一緒に川下りをたのしむ自由人で、自然保護の活動にも力を注いでいます。

 彼は中学の英語の教師を辞めててカヌーで日本、世界を旅してまわる暮らしをしていると記憶しているのですけど、以前読んだ本には小さな会社勤めをしていてそれを辞めてカヌー旅をしているという様なことを書いていました、どっちも本当なのかもしれません。

 多くの人が「それで、どうやって暮らしが立つの?」という疑問を持つでしょう、旅行紀、エッセイなどを書いて暮らしています。そういう暮らしは私の憧れでもあります、でもそれより今の〈たの研〉の暮らしがたのしいけど。

 彼がある著書の中で

「偽物に限って横文字を使いたがる」

とスラッと言い切っています。確か、読者からの質問に答えた本だと思うのですけど、タイトルがハッキリ思い出せません、思い出したら追記しますね。

 その言葉は文筆家としての私の心にハッキリとクイを打ちつけています。

 たとえば「ルーティーン」という横文字を使う時、それでないと表せないのか考えます。日本語より外国語の方がしっくりくるという時にはそれを使って、その言葉がピンとこない人のために( )で説明を入れたりします。

 ところで、教師の頃は研修などでたくさんの人たちの講演などを聞いてきました。フリーになってからも公的な仕事をしているので、たくさんの人たちの講演などを聞く機会があります。彼の言葉を心に刻んでいる私には、横文字を解説なく使う人たちには違和感が伴います。
 私も参加したあるシンポジウムで「ユビキタス」という言葉を多様する人物がいました、〈いつでもどこでも存在する⇨ネット上で簡単に情報を得られる〉という意味で使われる言葉です。それは私が使わない言葉の一つです、それを使わなくても一向に困らないからです。

 ある学校の校内研修で「総合的な学習」をテーマにおとづれた、ある学校の先生の言葉はその頻度がかなり高かった・・・
 研修会というのは発表会や研究会とは違うことに気づいていなかったのかな。

 人によって言葉の感覚は違うとはいえ、横文字を使うことで自分の存在価値を高く感じてもらえるだろう、自分が専門家と思ってもらえるだろうという気持ちがあったとしたら、自戒した方がいいでしょう。
 特に教育に携わる人たちは、この言葉が子どもたちに伝わっているのだろうか、腑に落ちる説明になっているだろうかと考えることは必須です、それだけに野田さんの言葉を刻んでおくことも大事だと思います。

 野田知佑の本をまた読みたくなりました。

 

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