どんぐりクラフトの研究@楽しいものづくり・楽しい環境教育

 沖縄よりずっと自然環境豊かなところはいくつもあります。科学系、宇宙系の大会などに参加する時には、大抵そういう場所で自然を味わいます。

 沖縄と違って、どんぐりが見つかる場所はたくさんあって、時間があればいくらでも拾うことができます。

 そういう処の管理所や案内所では、どんぐりクラフトを目にすることもあります。

 多いのはこういうタイプです。

こういうタイプもよく目にしてきました。

〈たの研〉にドングリがたくさんあるので、子ども・先生が「作りたい」と感じてくれるようなクラフトができないか研究中です。

〈たのしい教育メールマガジン〉などで紹介すると多数ではなくても「ほしい」という方たちが出てくるので、いくつかは作成キットとして保存しておこうと考えています。

 これは凄すぎて私自身が引いてしまいます。

 これはもしかして、子どもたちが宝物にしてくれるかもしれない・・・

 一番気に入ったのはこういう系です、ドングリのぼうし(カクト)くらいしか使わないんだけど。

 沖縄でもドングリを拾うことができる季節になりました。

 みなさんは秋をたのしんでいるでしょうか。

 環境教育で頑張っている方たちがたくさんいます。

 自然を楽しむ人たちが増えていくことは決定的に重要な環境教育になります。いろいろな工夫改善と並行して、ぜひ自分がたのしんで、そして周りの人たちに伝えていってください。

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野田俊作先生から学んだこと@「権利」について

 12月からはじまるコース『OPTIONS』のプログラムづくりの過程で、私のカウンセリングの師の野田俊作先生から学んだことをかなり読み返しました。
 次の話はクラスなどのルールづくりのときにベースになるものだと思います。
 とはいえ、教師と子どもは別だ、教師は大人だ、子どもとは違う特権があるというように考える人たちには伝わらないでしょう。

 仮に特権があるのだとしたら子どもたちの側です。子どもたちは学校に来なくても罰則はありません。教師が学校に行かなくなったら処分されるでしょう。

野田
 人間の権利、個人の権利というものは最大限に擁護したい。

 それは生きる権利、集団に所属する権利からはじまって、たとえば自分の好みの服を着る権利、好みの髪型をする権利、それから、閉じ込もって家布団の中にもぐって寝る権利までですね、すべての権利を保証したい。
 その一方で、人間の責任というものやはり考えたい。
 およそ一つの権利を主張すれば、必ずいくつかの責任が伴うと思います。一つの権利を主張することでどれぐらいの責任が伴うかといいますとー
 まず第一に、それと同じ権利、自分が主張しているのと同じ権利を他人にも認める責任があると思いますね。
 私は大きな声で話をする権利がある、あなたは黙っていなければならない、これではとても不平等な人間関係だと思いますし、よい人間関係はとうてい保てないと思います。
「私は黙っている権利がある、けれどもあなたは黙っていてはいけない」というのもいけないと思うんですね。
 自分とまったく同じことを他人が主張できるように、それを認める責任があると思います。
 第二番目に、自分の権利を主張した結果起こるさまざまなことを、ちゃんと自分の行為の結果だと認める責任があると思いますね。
 あることを言った結果、他人を傷つけた。その人が私に対して「あなたの言い方で私はとても傷ついた」と言ったとすると、それは私が意図していなかったとしてもやはり私の責任だと思うのです。

「あなたを傷つける気はありませんでした。けれども、もしあなたが傷ついたのであればそれは申し訳ありません。これからそのようなことを言わないように気をつけます」と言わなければならない。「私はそんなつもりはないんだから、あなたは怒ることはないだろう」と相手を非難してはいけないということですね。
 第三番目に、あらゆる権利主張をするときに、共同体を破壊しないように、もっと具体的にいうと、他者を傷つけないように配慮する責任があるだろうと思います。
「共同体を破壊する、他者を傷つける権利はないのだ」ということです。
 したがって、たとえば殺人の権利というものはないのだと。
  人を殺す権利を主張する…、そのときに「私はこの権利を主張します。あなたにも認めます。あなたもどうぞ他の人を殺して下さい。私を殺して貰っても結構です。お互い殺し合いをして強い方が勝ち残りましょうよ。その結果死刑になってもいいです。その社会的責任をとります」と言われても困る。

 もしもこの権利を認めますと、共同体そのものが存在しなくなりますね。ですから、このような権利は、取り決めによって「ないことにしておこう」というふうに考えます。
 ですから人を殺す権利だとか、人の物を奪う権利、とかいうものは、これはないのだということです。
 もう少し小さなところでは、相手を意図的に傷つけるために、相手を罵倒するとか、相手が傷つくようなものの言い方をするとかいう権利はないのだということです。それは、そういうことをしない責任があるから、それはできないのだというふうに考えていただきたいと思うんです。

『続アドラー心理学トーキングセミナー』より

 たのしい教育研究所の活動は多岐にわたっています。

 カウンセリングやスーパーバイズも実施しています。経済的な事情でカウンセリングを受けるのが難しいという方達へは「たのしい教育基金」からのサポートで無料で受けることができます。

 問題がハードになる前に、ご相談ください。

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ゆで卵のカラがむきにくいのは、その卵が(   )だから/チコちゃんに叱られた

 気に入りの『チコちゃんに叱られる』で私も参加者と同じ予想で間違って叱られました。

 さてみなさん、ゆで卵のカラがむきにくかったり、むきやすかったりしたことがありませんか、ありますよね。

 人によってはここまでひどい状態になることもあるようです・・・

 つるりとむける場合もあります。

 一体何が違うんでしょう?

 その時の気持ちの持ちようとか手の調子ということは考えづらいですね・・・

 みなさんはどう思いますか。

 

 チコちゃんに叱られるで話していたものを、多重チェックしてみました。

 答えは私にとって意外なものでした。

 

ゆでたまごのカラがむきにくいときがあるのはなぜ?

生みたてのたまごはゆでたまごに向かないといわれます。アメリカには「ゆでたまごは1日おいてから作れ」ということわざがあるそうです。

確かに、生みたてのたまごをすぐにゆでると、白身がバサバサして舌ざわりも歯ごたえも悪く、おいしくありません。また、生みたてのたまごは、カラの内側のうす皮と白身がくっついて、うまくむけないことが多いようです。

これは、生みたてのたまごの白身に「炭酸ガス」が多いためです。この炭酸ガスは、保存しているうちにカラの小さな穴から抜けていき、ある日数がたつとゆでたまごの味もよくなり、カラもむきやすくなります。
その日数は、常温保存なら2日目くらいから、冷蔵庫保存なら8日目くらいからといわれます。たまごにも「食べごろ」があるというわけです。

https://www.tamasin.co.jp/qanda/Q5.html

「古くなってパサついて、美味しくなくなった」とばかり思っていたのに、真逆だったわけです。

 予想が外れると、とってもたのしいですね(´ー`

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〈バナナ=バサ成い=バショウの実〉の研究 続き/予想を立てるから見えてくる

 たのしく島言葉のプログラムを作成する中で、私が子どもの頃から教えられてきた〈芭蕉布の原料のバショウはバナナとは違うとか、実がならない、成っても食べられない〉というのは間違いで、バショウにも実が成るし熟せば食べることができるだろう、と考えました。

 バナナのことを島言葉で「バサナイ」と呼びます。
バサは芭蕉のこと、成いは実のことです。
芭蕉(バショウ)の実をバナナと呼んできたのに、バショウ布のバショウには実が成らないとか、成っても食べられないというのはおかしいのではないか、ということが予想のスタート地点です。

 研究というのは予想を立てて確かめていく過程です、予想しなくては始まりません。
 そして予想するといろいろなものが見えてきます。

 沖縄にいて喜如嘉地区のバショウ布、芭蕉の話は身近です、授業でもいろいろな先生たちから「実がならない説」を聞かされてきました、〈たの研〉に来てくれる方達も私と同じような情報を聞かされて育ってきた人たちがたくさんいます。

 さてそうやって予想を元に調べていくと、いろいろなものが見えてくるようになりました。

 今回はそのワンステップとして書きたいと思います。

「バショウには実が成らない」と子どもの頃、聞かされた情報は正しかったのでしょうか?

 仮説実験授業に『花と実』という授業書があります。

 シダ、コケ、藻、菌類などは別にして、私たちの周りにある普通の植物は花が咲き実に成って、タネを作って広がっていくことをたのしく教えてくれるきます、種子植物と呼びます。

「バショウには実がつかない」というのは、生物学的にみておかしいのです。

 そうやってネット上をみていくと、バショウにもバナナのような実がついているという内容がたくさん見つかります。

 これは喜如嘉の芭蕉布について書いたサイトにたまたま映っていたバショウの実です。※真ん中あたりに見えています

https://chamie.exblog.jp/27989519/

 バナナのような実がついた、という記事もあります。

https://real-tc.com/%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E8%8F%9C%E5%9C%92%E3%80%80%E8%8A%AD%E8%95%89%E3%81%AE%E6%9C%A8/

 食べられるかどうかは次のテーマにして、バショウにも花が咲いて実がなることは間違いないでしょう。

 いろいろな記事を読んでいると、喜如嘉のバショウは〈糸芭蕉〉で私たちが食べているのは〈実芭蕉〉だと説明したものも散見します。
 ところが正式な分類にそういう分け方は見当たりありません。
 きっと誰かがそう呼んだということなのでしょう。

 私は、沖縄のバショウ、芭蕉布のバショウはバナナの原種の一形態なのだと思っています。

 食べられるのか、味はどうかというのは次の話にしましょう。

 いずれにしても「バサナイ」という島言葉から予想を立ててみたから、いろいろなことが見えてきたのは間違いありません。

 まるで推理小説を読むかのようにたのしめます。

 みなさんもいろいろなものに予想を立てることからはじめてみませんか。

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