コタツ記事・パッチワーク記事、偽情報に惑わされないために① 騙されない人になるために・特殊詐欺回避入門

〈コタツ記事・こたつ記事・炬燵記事〉という言葉をご存知でしょうか、私は毎日文章を綴っているので、その言葉を知っているのですけど、学校の先生たちやお母さんたちに聞いた限りでは〈未知100%〉でした。

『三省堂国語辞典』編集委員の 飯間 浩明 さんが文芸春秋のサイトにこう書いています。

【こ】「コタツ記事」に協力 これからは控えることに
                    日本語探偵

「コタツ記事」といわれる安直な記事がインターネット上に増えてきました。記者がまるで取材をせず、ネット情報などをつなぎ合わせて作る記事。こたつに入ったまま書けるのでこう呼ばれます。

 この呼称は、2010年代後半から散見されるようになりました。主要全国紙・地方紙で取り上げられるようになったのはざっと20年以降です。23年上半期の芥川賞を受賞した市川沙央さんの「ハンチバック」は、主人公の女性が書いたコタツ記事から始まります。文学でもこの呼称を捕捉しています。

 一部のいい加減なウェブメディアだけの記事かと思っていたら、スポーツ紙や芸能紙のウェブ版でもお目にかかります。「芸能人がSNSでこのような発言をした」「それに対してネット上ではこんな反応があった」などという記事がそれです。ニュース性があるのかどうか不審でしたが、要するにページビューが稼げればいいらしいんですね。

 まともなメディアが書く記事ではない、と冷ややかに見ていました。ところが、なんと私自身がコタツ記事の生産に協力していたことに気づきました。

https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h7208

 

小学館の「デジタル大辞泉」にはこうあります。

こたつ‐きじ【炬燵記事】

読み方:こたつきじ

独自の調査や取材を行わず、テレビ番組やSNS上の情報などのみで構成される記事。

[補説] 主に、閲覧者数を増やす目的で作成されるインターネット上の記事についていう。自宅で、こたつに入ったままでも作成できるということからの名。https://www.weblio.jp/content/%E7%82%AC%E7%87%B5%E8%A8%98%E4%BA%8B?dictCode=SGKDJ

 この〈コタツ記事〉という言葉の〈コタツ・こたつ・炬燵〉自体がすでに過去のものになっていますから、構成する言葉自体が遠いものになっているのでしょう。

こたつの国内生産量はどれくらい減っているの?

こたつの国内生産量が激減しています。

なんと、平成2年代から国内生産量が激減していっているのです。

平成2年には約178万台の国内生産量だったのにたいし、平成9年には
100万台を割りました。

更に平成15年時点では、平成9年の九割に近い約24万台にまで現象したのです。

平成16年に至っては調査の対象外とみなされ現在に至っています。

こたつの国内生産量が激減!日本家庭の風物詩の危機か?

 私は《独自の調査や取材を行わず、テレビ番組やSNS上の情報などのみで構成される記事》を〈パッチワーク記事〉という言葉で表現した方がよいと思っています。

 さて私がここまで書いたうち  から  までは〈パッチワーク記事〉いわゆる〈コタツ記事〉です、ソファーに深く体をしずめて書いています。

 パッチワーク記事は間違いの危険性を高く含んでいます。

 パッチワーク記事のようなものだけでなくネット上にもテレビにも本には科学的にみて間違ったこと、事実と違うことが乱立しています。

 けれどたくさんの人たちが読んでくれているこの〈たの研/たのしい教育研究所〉のサイトはそういう不確か、間違いの危険性がとても少なくなっています。それが信頼を勝ち得ているということもあるでしょう。

 さっきの   で囲われたパッチワーク記事、いわゆるコタツ記事だけでなく、これまでもいろいろなところから引用してきているのに間違いが少ないのはなぜだと思いますか?

 あなたがいろいろなサイトの記事を集めて文章を作成するとき、間違い記事である危険性を少なくするにはどうしたらよいでしょう。

 そのことは自分自身が周りにだまされない、いろいろな詐欺(特殊詐欺)にひっかからないために大切なことですから、まず自分の頭で考えてみていただけますか。

 そうやって予想してみると「テレビで言っていたから正しい」とか「先生(お母さん)が言っていたから正しい」というのは、はなはだ心許ないことだとわかるでしょう。

 以前「納豆を百回以上まぜてネバネバを増やしてから食べるとやせる」という情報を流したテレビ番組があって、結果的にそれが根拠ない捏造であったことがわかって番組自体が消えたことがありました、関西テレビの「発掘あるある大辞典Ⅱ」ですhttps://www.nhk.or.jp/bunken/summary/research/focus/122.html

「1999年に空から恐怖の大王が降ってくる」というノストラダムスの大予言という情報にたくさんの人たちが騙されました。

 教師だって間違った情報に巻き込まれますから、先生がいうことは全部正しいなんてあり得ません。科学作品展で私が審査した中に

担任の◯◯先生の指導で「牛乳に〈ありがとう〉と書いておくとなかなかくさならない。〈ばかやろう〉と書くとすぐにくさる」という自由研究をまとめました

という子どもがいました、そんなインチキ情報を信じ切っているような先生は一人ではなく、別な学校からも出てきたので「科学教育をしっかりしなくては大変だ」と思いました。
 それは〈たの研/たのしい教育研究所〉にも引き継がれています。

 長くなりました、次に分けてかきましょう。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 〈SNSや口コミ〉でこのサイトを広げ、たのしい教育活動を応援していただければ幸いです!

④可能な方は気軽におたより、記事内の予想などを⬇︎





お名前(ニックネームOK)


メッセージ本文

楽しい国語「〈原稿用紙の使い方〉で作文嫌いを生まないように」/句点( 。)の話

 ある少年と語り合いながら、子どもの頃、先生に原稿用紙の使い方をしつこく指導され、その都度書き直しを命じられるので、ほとほと作文が嫌になったことを思い出しました。あの先生にも指導の理由があったとはいえ、子どもたちが嫌いにさせるような授業を続けたことには今でも納得いかないな。子どもの頃、先生に何度も書き直しさせられたのが句点(  。)と読点(  、)でした。

 たとえば「うみにいるかのたいぐん」という文は読点が無いと二つの意味で読み取れることになりますから読点(  、)はとても大切なのですけど、それはいずれ描くことにして、今回は句点(  。)をテーマに書きましょう。

 まず皆さんの考えを聞かせてください。

質問
文章を書いていく時、句点(  。)と読点(  、)は重要です。その中の句点(  。)はどういう時につけるものでしょうか?

 

句点とは

「ここが文の終わりです」という時につける記号が句点(  。)です。私が書いているこの文章にも句点がついています。

 句点をなくして書き続けていくとどうなるでしょう? 例えば今の文章(青)はこうなります。

「ここが文の終わりです」という時につけるのが句点(  。)です私が書いているこの文章にも句点がついていますねもしもこの句点をなくとて書き続けていくとどうなるでしょう?

 読めないことはないとはいえ、切れ目がはっきりした方がずっと読みやすいですよね。文の終わりには記号をつけた方がよいので、句点(  。)も大事です。ちなみに私の知っている人物に、一つの文章ごと行変えして書いて、全く句点を使わない人物がいます。

 ところで句点(  。)以外にも〈ここが文章のおわりです〉という記号があります。さっきあげた青の文章の中にもありますよ。

⬇︎

⬇︎

はてなマーク( )と止めのカギカッコの記号(  )です。
他にもあります( )や(・・・ )などなど。

 ところで学校では「~といいました。」というように〈句点+カギカッコ〉と指導します。
 私はこれがいやだった。

 だって、止めのカギカッコだけで〈語ったのはここまでです〉を意味しているのに、それにさらに〈文章はここまでです〉という記号をつけるなんておかしくないですか? 《ここで文章の終わりですよ》《ここで文章の終わりですよ》と2回繰り返しているんですから。

「おかしくないよ」という人もいるかもしれません、それなら「ムダだという気がしませんか」と質問させてください。

 その後、自分でいろいろな小説などを読む様にうちに、小説家・文筆家の多くが私と同じように、そういう無駄なことはしない人の方が大多数でした。

《ここで文章の終わりですよ》《ここで文章の終わりですよ》と2回繰り返したい人がいてもよいのですけど、私の様に繰り返したくない人を弾圧するのはよくないと思います。

 ちなみに私は「・・・終わりですよ。」というような同じ意味を伝える二重の記号は美しくない、「・・・終わりですよ」の方がスッキリしてずっとよいと感じています。

 みなさんはどうでしょう。

 今年は私も文筆に力を入れようと考えていて、いろいろな小説家の直筆の原稿用紙を眺めています。

 何人か紹介して、終わることにしましょう。私と同じように《句点+カギカッコ》を使わない有名な小説家の方たちの直筆です。もちろん、本になった時にもカギカッコのみで閉じています。今度時間ができたら、その作家の作品を取り上げた〈教科書〉は本人の原稿を無視して《句点+カギカッコ》に変えてしまっているのではないか、というところを検証してみましょう、たのしみです。

 夏目漱石の小説「門」の原稿。

川端康成「篝火」の原稿

 谷崎潤一郎「細雪」

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 〈SNSや口コミ〉でこのサイトを広げ、たのしい教育活動を応援していただければ幸いです!

④可能な方は気軽におたより、記事内の予想などを⬇︎





お名前(ニックネームOK)


メッセージ本文

カウンセリング特訓の様子から〈高校生の娘に赤ちゃんができたようだ〉

※予約設定がうまく作動せず夜のアップになってしまいました、毎日0時の更新をたのしみにしていたみなさん、すみません

 年末から新春にかけて〈PEALカウンセラー養成講座〉が進行中です。今回から私とマンツーマンの特訓を取り入れることにしました。

 私がクライエントになって一人ずつの参加者にカウンセリング事例を2つ(45min×2)を設定して、要所要所で「こういう流れもある」「この流れは難しい」などのアドバイスを挟みながらカウンセリングが進んでいきます。
 もちろん、質問や疑問にも答えていきますし、ポイントがずれていきそうなら軌道修正します。

 
 私はこれまで一流のカウンセラーから教わってきたのですけど、対面マンツーマン特訓や、途中で役割を変えてカウンセリングを進行してみるといった特訓はありませんでした。
 カウンセリング講座は、受講生同士のカウンセリング演習に指導者がポイントなどを解説する、というようなものがほとんどです。指導者自身が対面でクライエントになったりカウンセラーになったりしながら、身体にカウンセリングが染み入るように指導していくというのは異例です。
 しかも一人につき90分連続のマンツーマン特訓がおり込まれながら進めるというのですから、かなり贅沢です。

 実施してきて、力のないカウンセリング指導者では無理でも、一流の技をもつカウンセラーがそうできなかったのかわかりました。
 私のカウンセリング講座のようにごく少数で実施する場合でさえ時間がたりなくなってしまうからです。
 ところが受講者の伸びは確かです、効果が高い方法をみすみす見逃すてはありません。
 そこで受講者の方たちと相談して時間を変更して個人別の特訓の時間を設定することになりました。
 方法を固定化せず予想変更していろいろな選択肢を試していくのはPEALカウンセリングの流れそのものです。

 PEALカウンセリングはハードな事例にも有効です。
 これは「高校生の娘に赤ちゃんができたようでどうしてよいかわからない」という母親からの相談を事例にカウンセリング実習をしているところです。

 PEALカウンセリングの構造は画期的です、それを活用していろいろな人たちの悩みと向き合い効果的な支援ができる人たちをゆっくり着実に育てていきたいと考えています。
 次回は夏に講座を実施できると思います。特別特訓はマンツーマンでも効果のあがることがはっきりしましたから、スケジュールが合えば二、三名からでも特訓講座が可能です、関心のある方はお問合わせください。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 〈SNSや口コミ〉でこのサイトを広げ、たのしい教育活動を応援していただければ幸いです!

④可能な方は気軽におたより、記事内の予想などを⬇︎





お名前(ニックネームOK)


メッセージ本文

行くなという処には行かない、行きなさいという処には行く、そういう子ども達を育てるのが教育の目標か?

「行っては行けないと言われたら行かない子を育てるのが教育か?」という言葉は最新メルマガの発想法の章の中の言葉です、さっそく反響がいろいろ届いています。

 発想法の一部を加筆して紹介しましょう、章のやや後半の部分です。

 今回の石川県の災害ボランティアのことでも強く考えることがあります。
 SNSなどで流布されている「石川県側がボランティアは迷惑だと言っている」という情報の真偽はすでに書いたのですけど、それとは別に「行くなと言われているところには行かない子を育てるのが教育の目的」なのか考えてみましょう。
 みなさんはどう思いますか?

 小学校で「川や池に近寄らないようにしましょう」という安全指導があって、それを守らないとキケンです。

 けれど中学、高校と進むうちに川へ行き魚釣りしたり、池でザリガニ獲りするようになる人もいます。大人になったら自分の子どもを連れて川や池に行くこともあるでしょう。
 いつまでも小学校の安全指導を守っているという人はほとんどいないでしょう、たぶん。

 成長段階でも違うとはいえ、そもそも「言われたことを守る子どもを育てる」という目標はどれだけ重要なのか考えてみてください。
「行くな」ではなく「行きなさい」はどうでしょう?
「行きなさい」と言われたら行く子を育てるのが教育の目標でしょうか?
 上からあるいは周りから言われたことに従うことが教育の目標だとしたら怖いことです。
 今から数十年前の日本では「戦争に行きなさい」と言われたら従う子ども達を育てることが当たり前のことでした。
 その結果「飛行機で敵軍の戦艦に突っ込みなさい」といわれたら行く人たちがたくさん育ちました。
 私たちはそういう悲惨な社会実験から学ばなくてはいけません。

 上から言われたこと周りから言われることには基本的に反対するということもおかしいのですけど、言われたことに従うということも恐ろしい・・・

 今はボランティアに行ってはいけない、現地に入ってはいけないと言われたら行かない。
 みんなでボランティアに行ってください、と言われたら行く、そういう人間を育てるのが教育だとは思えないのですけど、みなさんはどう考えるでしょうか。

 教育の目標は、誰かの声に従って行動を決める人間を育てることではなく、自分の頭で考えて(予想して)判断する人間を育てることだと、私は考えています。

 今回の石川県の災害ボランティアを起点に考えてきたのですけど、そろそろまとめましょう。

 偽情報に騙されない、見切ることが大切だということと同時に、誰かから言われたことで自分の行動を決めるのではなく、それを〈選択肢〉の一つとして、自分の頭で考え予想を立てて行動していける子ども達を育てることが大切なのだと私は考えています。
 そういう子ども達を育てるためにも、私たち自身がそうあることが大切でしょう。
 とはいってもなかなか難しいかもしれません、特に優等生で育ってきた人たちはそうでしょう。
 そういう中でまず一つ、たとえば〈クラスの平均点を上げること〉が重要なのか〈点数の前に子どもたちの知的好奇心を高めること〉が重要なのか、自分の頭で考えて「こうではないか」と予想を立てる、そして実践(実験)していくことが大切になってくるでしょう。

ここまで

 たのしい教育は〈おもしろおかしい見せ物〉ではありません、子ども達の笑顔と賢さを広げる本格的な教育です、一緒に力を合わせていただけると幸いです。

① 毎日1回の〈いいね〉クリックで「たの研」がもっと元気になる!⬅︎応援クリック

② たのしい教育を本格的に学ぶ〈たのしい教育メールマガジン-週刊有料を購読しませんか! たのしい教育の実践方法から発想法、映画の章ほか充実した内容です。講座・教材等の割引もあります(紹介サイトが開きます)

③ 受講費、教材費、スーパーバイズなどの費用は全て、たくさんの方達へのたのしい教育の普及、ひとり親家庭など困窮した方たちへの支援に利用されています

⭐️ 〈SNSや口コミ〉でこのサイトを広げ、たのしい教育活動を応援していただければ幸いです!

④可能な方は気軽におたより、記事内の予想などを⬇︎





お名前(ニックネームOK)


メッセージ本文