子どもの頃耳にしただけなのに、ずっと記憶に残っていて、野山散歩しながら最近思い出した唄があります。。※沖縄の北のほうに住むAさんから「いっきゅう先生のサイト毎日読んで、子どもたちの朝の話に使っています」という感謝の言葉が届きました。嬉しいことです、どんどん利用してください、お便りもお待ちしています
最近も紹介したのですけど、これはまた別な処でみつけた花です。ミカン(シークヮーサー)の花の季節なんですね。
花も好きですけどハチも好きなので、ついつい接近してみてしまいます。いつもいうのだけど、ミツバチって身体に大して羽が小さすぎると思いませんか? 以前詳しく書いたことがあるので興味のある方はこのサイトの記事を検索してみてください
思い出していたのは、この唄です、2~3番があるとは知らなかったのだけど…
1.みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海お船がとおく かすんでる
2.黒い煙を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう
波に揺られて 島のかげ汽笛がぼうと 鳴りました
3.何時か来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ているとやさしい母さん 思われる
学校で学んだのか、テレビのコマーシャルからの知識なのか「ミカンといえば愛媛」。愛媛の丘に咲いているミカンの花を唄ったもので、青い海に船が遠くかすんでみえる、という唄なのだと思っていました。
作詞者は加藤省吾さん。
調べてみると〈みかんの花咲く岡の碑〉というのが見つかりました、ここからの眺めなのか・・・ ※私はこうやって場所を特定するのが大好きで、好きな映画や本に登場する場所をたずねたりすることもたのしみの一つです
ここから見るとどんな眺めんでしょう。
住所を見ると「埼玉県深谷市仲町11-1」
あれれ、海のない埼玉県だ、「遥かに見える 青い海」って妙ですね。
解説には
昭和20年(1945年)5月に加藤省吾が疎開中に、この『みかんの花咲く丘』を作詩した
https://www.city.fukaya.saitama.jp/soshiki/kyoiku/bunka/digitalmuseum/literary02/1490059593288.html
とあります。
ん~、疎開っていうと小中学生だったということ?
子どもが作詞したものなんだろうか・・・
それとも引率した先生だったとか?
気になって調べていくと「童謡 みかんの花咲く岡 誕生秘話」という記事がありました。https://www.dwc.doshisha.ac.jp/research/faculty_column/14482
そこには「富士市(静岡県)出身の加藤省吾さんが幼い頃を思い出して書いた」とあります。その静岡県にも「みかんの花咲く岡の碑」があります。
Wikipediaをみると、ミカンの花咲く岡を加藤さんが作詞したのは1946年です、とすると「疎開中(戦時中)に作詞」ということとずれてしまいますね。
どちらが正しいのかということについては、興味あるみなさんがそれぞれで考えていただくとして、なんとなく「愛媛県の歌」だと思っていた私の予想ははっきり外れていました。
加藤さんが眺めたミカンの花咲く岡は今も残っているのだろうか・・・
かなり低い確率だと思うのですけど、今度静岡を旅する時は、加藤さんの故郷を尋ねてみたいと思います。
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