たのしい科学史〈ラプラス〉ーニュートンの神秘性をなくし「神は必要ない」と言い切った知性①=科学者と原紙論者の話/楽しい学習・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 アイザック・ニュートンは、リンゴから木から落ちるのを見て〈万有引力の法則〉を着想したといわれている現代物理学の基礎を作った巨人です。

 wikipediaに感謝して以下引用

アイザック・ニュートン

サー・アイザック・ニュートン: (Sir) Isaac Newtonユリウス暦1642年12月25日1727年3月20日グレゴリオ暦1643年1月4日1727年3月31日)は、イングランド自然哲学者数学者物理学者天文学者神学者

主な業績としてニュートン力学の確立や微積分法の発見がある。1717年に造幣局長としてニュートン比価および兌換率を定めた。ナポレオン戦争による兌換停止を経て、1821年5月イングランド銀行はニュートン兌換率により兌換を再開した。

国際単位系 (SI)における単位であるニュートン: newton、記号: N)は、アイザック・ニュートンに因む。

引用は以上

 ニュートンは現代の科学に偉大な功績を果たした人物でありながら、wikipediaに見る様に〈神学者〉、神様の存在を信じている人物でした。
 神を主体に考えたニュートンには科学的に否定される占星術や錬金術に関する研究を真剣にすすめオカルト的な側面があったことは有名で、ウィキペディアにも一つの項としてまとまっています。以下、引用します。

著名なイギリスの自然哲学者数学者ニュートンオカルトに関する研究について解説する。

科学者という用語や概念が登場してからは、「ニュートンは科学者」とも評されるようになり、自然科学者らによってニュートンの自然科学関連の業績ばかりが恣意的に抽出され、他の活動は無視・隠蔽する形でニュートン像が伝えられてきた(→ホイッグ史観)。

だが実際には、ニュートンは現在ではオカルト研究に分類される分野の著作も多く著しており、年代学・錬金術・聖書解釈(特に黙示録)についても熱心に研究していたのである。

ニュートン自身は、現代人が言うところの”科学的”研究の成果よりも、むしろ古代の神秘的な英知の再発見のほうが重要だと考えていた。これをふまえると、世界を機械論的に考察することを「ニュートン的世界観」と表現することには語弊がある、と指摘する人もいる。たとえば、1942年にニュートンの錬金術研究書を購入し、検討した経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代 (age of reason) の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

 私は学生の頃「どうして科学と神様を同時に信じることができるのか、本当に不思議なことだ」と感じていました。
 神様というのは科学法則を無視して奇跡を行なったり、突然、たくさんの種類の動物たちを登場させたり、絶滅させたりできる存在だというワケですから、科学的な法則と神様の両者が同時に成り立つというのは、それこそ〈矛盾〉だと思えたからです。

 あるとき板倉聖宣先生(元文科省科学研究所室長・元日本科学史学会会長・仮説実験授業研究会初代代表)との対話の本を書くためのインタビューで、その疑問が氷解しました。

わたし
 エピクロスなどの自由な発想を産むほどに民主的な社会になっていった古代ギリシャの社会にも〈奴隷〉が存在していたという事実に驚いてしまうのですけど、板倉先生はどう考えますか?」

 

板倉聖宣
 きゆなくん、今の時代の常識から前の時代を考えて良い悪いを判定するのはカンタンなんだよ。

 でもね、その時代に自分がいたらどういう思考になっていったのかという様に考えてみると、そんな簡単にはいかないよ。

 だって周り中みんながそう考えているわけだからね

 千数百年という長きにわたってキリスト教が支配したヨーロッパでは、生まれ落ちた時から神様の儀式が始まり、言葉を覚える頃には親や周りの人たちから神様の話を聞かされ、教会に行き、卒業、結婚、出産ほか折々の儀式で神様の存在を植え付けられ続けますから、言葉を身に着ける様に神様の存在をインプットされていくのです。そしてその呪縛から抜け出るのはとても難しいことなのです。

 それと比べても、前回触れた〈ラプラス〉はとても興味深い人物です。

 話を少しもどしましょう。
「科学者」という場合、ニュートンの様に神様を信じている人たちをも含むことがあるので、私は意識的に〈原子論者〉という言葉を使う様にしています。
〈原子論者〉というのは「これ以上分割できない原子の存在を元にして科学の研究をすすめていく人々」のことなのですけど、わたしの〈原子論者〉のイメージはこうです。

「原子論者とは、全ての物事・現象を、神その他を元にするのではなく〈原子の存在〉を元にして仮説実験的に研究をすすめていく人々」 いっきゅう

 神の存在を元にしませんから、ニュートンの様に神の存在を元にして科学的な現象を説明していく人たちとは異なるわけです。この〈原子論者〉のイメージはいっきゅうオリジナルですから、ぜひ広めていただけたらと思っています。

 さて、神の存在を信じていたニュートンは、著書『プリンキピア-自然哲学の数学的原理』で天体の動きを運動法則に基づいて説明したのですけど、そこにも神の意図が存在するとしました。

 ところがラプラスはプリンキピアで明らかにしたニュートンの運動法則は数学的な計算によって説明できることを示し「そこに〈神の存在〉は必要ない」と結論づけました。神秘的なニュートンの研究を、現代科学として完成させたと評される人物です。

 ニュートンが今も偉大な科学者としての立ち位置を維持しているのは、ラプラスの力によることも大きいでしょう。

 それにしても、ラプラスは一般的にいって知名度がそう高くありません。

 時間ができたら、さらに調べてみたい人物の一人です。

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楽しい算数〈0X9=0〉チコちゃん「 ゼロに何をかけてもゼロだからねぇ」ー楽しい学習・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 好きな番組「チコちゃんにしかられる」でゲストとチコちゃんの会話に「ゼロに何をかけてもゼロだからねぇ~」というセリフがありました。

 以前、小学校教員を目指す先生たちに「どうしてゼロに何をかけてもゼロなんでしょう、説明できますか?」と問いかけたことがあります。

 もしかすると説明できた先生もいかたもしれませんけど、「そう教えられたから」という人がほとんどで、その理由を説明してくれた先生はいませんでした。

 理由はわからなくても計算は可能です。

2X52X4X12X9X4.2X0X22.4 はいくらか?

 たくさんの数字があるので計算が大変だと思う必要はありません、〈0〉です。
 0をかけると、どんな数字がきても0だからです。

 けれど「それはそうなっているから」ではなく、腑に落ちる様に理解できた人たちが、新しい課題を突破していける様になるのです。

 とはいってもそんなに難しいことではありません。

 私が子どもたちにつたえていたのはこういう流れです。

たとえば「リンゴは何個になるだろう」ということで考えてみます。

 リンゴが何個のっている皿であっても、その皿が0枚なら、リンゴは0個です。

リンゴが乗ってない皿(0個)は、何皿あってもリンゴは全体で0個です。

 これが0のかけ算で答えがゼロになる理由です。

 こうやって授業した後、同じ時間内に、子ども達にテストでこういう問題を出してあげましょう。

問題1.
0にどういう数をかけても0になることを、おかしを例にして、絵や図を使って説明してください

 

問題2.
ある数に0をかけると0になることを、ヤサイを例にして、絵や図を使って説明してください

 インプットとアウトプットがセットになることで子どもたちはグンと力を伸ばしてくれます。
 もちろんうまく説明できない子ども達もいるでしょう、説明したい子に前に出てきてもらって黒板に描いて説明してもらってください。

 うまく説明ができなかった子は、それを真似てノートに写して理解する様にしてもらいましょう。

 家庭学習に追加するのもよいですね。

 インプットだけでなく〈アウトプットをセットにすること〉そして〈図で描くことができる力〉がつくと本物です。

 意味はよくわからなくても計算はできます、というのではなく、本物の力をつけてあげることが、たのしい教育の目標です。

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神を否定したラプラスなのに〈ラプラスの悪魔〉/神は信じていないけど悪魔を信じているって変ではない?-楽しい科学史・楽しい学習・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

 ラプラスについては〈熱い冷たいって何?〉の項に少し触れたのですけど、その時書きたかったのは実は今回の内容です。

 まずラプラスさんについて紹介しましょう。

 ピエール=シモン・ラプラスPierre-Simon Laplace, 1749年3月23日 – 1827年3月5日)は、フランスの数学者・物理学者・天文学者。「天体力学概論」(traité intitulé Mécanique Céleste)と「確率論の解析理論」という名著を残した。 1789年にロンドン王立協会フェローに選出された。wikipediaより

〈ラプラス〉 wikipediaに感謝を込めて参照

 ラプラスは18~19世紀に活躍したフランスの科学者・数学者で、彼の卓越した才能は〈ニュートンの運動法則を完成に導いた〉と説明されることもあります。ニュートン力学に基づいて天体の運動を計算するための数学的手法を確立したからです。実際に彼は土星の軌道の計算に成功し、その他にもニュートン力学を応用して流体力学や弾性体力学などの分野においても重要な業績を残しました。

 けれどそれよりも私は次のラプラスのエピソードが大好きです。

 ラプラスの著書『天体力学概論』が評判になった時のこと、フランスの皇帝ナポレオンがラプラスに「お前の書いた本は不朽の大著作だと評判が高いが、神のことがどこにも出てないじゃないか」と語ると、ラプラスは眉根ひとつ動かさず「陛下、私には神という仮説は無用なのです」と語ったという話。

 ラプラスも原子論者つまり本物の科学者なのです。

 ところで、その無神論者のラプラスなのに「ラプラスの悪魔」という言葉が広まっています。

 ラプラスは、これから起きるすべての現象はこれまでに起きたことに原因があって、ある特定の時間の宇宙のすべての粒子(原子)の運動状態が分かれば、これから起きるすべての現象はあらかじめ計算できる。つまり人々の行動はすでに決まっているという決定論的な考え方です。
 殺人犯はそれまでの流れで殺人を犯す必然があったということです。

 この〈すべての原子の動きを計算できる存在〉が「ラプラスの悪魔」といわれています、この悪魔はすべての未来とすべての過去を知ることができる。

 その科学論の真偽はいずれ触れるとして、とても気になるのは「私には神という仮説は必要ない」と語ったラプラスが〈悪魔〉と仮定を使っていることはおかしいのではないか、ということです。

 神も必要ないないら悪魔という仮定も必要ないのにね。

 とずっと気になっていたら、ある時その謎が解けました。

ラプラス自身は著書の中でこう書いていたのです。

 もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力がある〈知性〉が存在するとすれば、この知性にとって不確実なことは何もなくなり、その目には未来も、過去同様に全て見えているであろう。

        — 『確率の解析的理論』1812年

 ラプラスは「それらのデータを解析できる〈知性〉が存在するなら」と語っているのであって〈悪魔〉という表現は書いていません。

 明らかにその後の人たちの誇張、間違い、あるいはラプラスを神や悪魔に近づけようという宗教的な意図が含まれた表現だったのでしょう。

 卓越した科学者ラプラスには〈神〉という仮定・仮説も〈悪魔〉という仮定・仮説も必要なかったのです。

 安心しました。

 ラプラスの凄さは、ニュートンが「惑星同士が衝突しないように神様が微調整してくれている」と語ったことすら「そういう調整は必要ない」と証明してしまったことです。それについては項を改めて書きましょう。

 またラプラスのいう、すべてを見通せる〈知性〉は存在するのか、いずれこのサイトでいつか書きたいと思います、おたのしみに。

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心のゆとりを示す指針

「みなさんは〈心のゆとりを示す指針〉があるでしょうか?」と書いたメルマガの項に対する反響がいろいろ届いています、少し手をいれて紹介させてください。

 心のゆとりを示す指針、それを測る測定器があるとよいのですけど、車やコンピュータではないので、人間にはついていませんね。

 でもよく考えてみるとみつかるんですよ。

 私の場合は〈一週間のうちにどれくらいアウトドアをたのしめたか〉がその指針の一つです。
 スマホにはその時こころ動かされた景色の画像が残りますから、その量・枚数によって一週間の〈ゆとり度数〉がわかります。
 もしも一週間遡って、そういう写真が一枚も入ってなかったとしたら
「これはまずいかもしれない、いいのか、このまま突っ走ってて」と自分で気づくことができます。

 人によっては〈仲間と語らう時間〉であったり〈美味しいものを食べにいく回数〉だったりするでしょう、それを写真に撮っておいていくと、自分の心の計測器として利用できます。
 身体に無理させてギリギリまでがんばり通してしまう前に「そろそろ美味しいものを食べに行こう」という様にバランスをとることができると思います。


〈笑った回数〉もそうかもしれません、ただしそれらはなかなか記録に残せませんから、何か意識して分かりやすいものを探しておくとよいと思いますよ。

 私の場合は〈一週間のうちに外の風をどれくらい感じることができたか〉がその一つです。
 スマホにはその時こころ動かされた景色の画像が残りますから、その量によって一週間の〈ゆとり度数〉がわかります、もしも一週間の中でそういうものが一枚も入ってなかったとしたら〈これはまずいかもしれない、いいのか?〉と自分で気づくことになります。

 さて今週も車を走らせてアウトドアでいろいろな写真を撮ることができました。

 これはみずみずしいシダの新芽たちです、寒い中でも輝いていました。

これは葉桜たち、赤く染まったところが目立ちはじめています。
 これからサクランボの時期にはいりますね。 

 ルリハコベもキレイな色をみせてくれました。

 ほのかないい香りにさそわれて近づいていくと、ジャスミンが花ひらいていました。

 数日前からの強い風のせいでしょう、折れた枝が横たわっていたので、もらって〈たの研〉で水につけておきました。
 元気で長持ちしてくれます、香りも漂わせてくれています。

 同じ条件で水につけていても、すぐに萎れてしまうものもあれば、ジャスミンの様にとても長持ちする花もあります。
 自由研究のテーマにしてくれる人が出てきたらいいな。

 ということで、忙しい日々でも、心のゆとりは十分。
 日々たのしく過ごしています。

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