板倉聖宣『道徳教育を語る』-たのしい教育メールマガジンから

 読者の方からの要望に応えて久しぶりに板倉聖宣の発想法を紹介させていただきます。初期の頃の「たのしい教育メールマガジン」から切り取ってみましょう。

板倉聖宣 沖縄にて きゆな写

生きる知恵としての道徳

板倉聖宣

 道徳教育については問題整理が必要になります。
〈道徳〉というのは生きる上で一番役立つものなのです。
あいまいなイメージのまま議論をしていると問題がどんどんややこしくなる。
 古いタイプの人たちには〈道徳〉の中に 〈徳目〉を習慣化しよう、という考えがある。
自分で考えて正しいと思って行動する人間を育てるのでなく、それをするのが当たり前であるようにしたいのでしょう。
だから〈道徳〉という言葉のイメージは〈修身〉とおなじでおしつけ的な感じがある。

その点からみると〈道徳〉という言葉が適切なのかどうかわからないし、もっと他にふさわしい言い方があるのかもしれない。
要するにボクは〈生きる知恵〉を子ども達にプレゼントしたい。
〈みんなと共に生きる知者〉ととらえ直して
〈他人と一緒に生きる知恵〉を学ぶようにしたいのです。

〈生きる知恵〉ならば、長生きをしている人に知恵があるのは確かだろうし、そういう知恵が正しいのかどうかを若い人だって議論できる。
 つまり〈知恵〉という言葉からは
〈過度の摩擦を起こさずに皆が生きていける方法〉
しかも
〈社会の発展が保証できる〉というカンジがつかめるのです。
 そういう教育を行なう時、
〈集団をあまり重要視しないこと〉と
〈個人を極端に重要視しないこと〉とのバランスを取るのがすごく難しい。
相互に干渉をしないように、どこらへんで切るかを探るには〈仮説・実験〉で限界を探っていくしかないね。

 道徳というのは生きる知恵である、と考えていくと、道徳は押し付けではなく、いろいろなアイディア、見方・考え方が出てくると思います。

 その意味でモラルジレンマ 方式もとても有効なものとなるでしょう、いろいろな見方・考え方があるということを知ることができて、多様な立場の人たちの間で摩擦をなるべく減らすようにしたいという考えも出てくるでしょう。

 おつけにならない道徳、家庭でも学校でも考えてみませんか。

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「誕生日占いはどうして間違いだといえるんですか?」というおたより-楽しい発想法入門

 読者の方たちの増加にともなって、おたよりも増えて来ていることは前に書いたと思います、最近はその全てにこちらの考えを丁寧に綴る時間的なゆとりがなくなってきた感じがして、申し訳なく思っています。以前、熱心に読んでくれている方から「誕生日占いが、とても当たっていました。いっきゅう先生はどうして占いが間違いだと思うのですか?」という質問が届きました。以前、誰かの話で、手相ではなく〈足相〉というのがあって、「足の裏占い」というのがあるというのを聞いてびっくりしたことがあります、それにしてもいろいろな占いを作り出していくものですね。
 占いの話はけっこう書いてきたと思います、それは質問も多いからということもあります。


 その方に「もし、誕生日占いが正しいと思うとしたら〈自分の場合が当たった〉ということ以外に、どうして正しいと考えるか、少し書いてくれませんか。よければ年齢も教えてもらえたらうれしいです」という送ってありました。最近その返事が届きました。公開してまずい内容ではぜんぜんないのですけど、許可をもらっているわけではないので、それに対する私の答えをつづらせていただきます。

 先月あたりかな、書いた記憶があるのですけど、今騒がれている〈特殊詐欺〉などに騙されない思考回路を育てる意味でも、大切なことだと思っています。科学者・原子論者をはじめとして私と同じ様に考える人たちはそれなりにいても、子どもたちとしっかり向き合って語る人は少ないのでしょう。その意味でもこのサイトは貴重だと思っています。いろいろな方たちに広げていただければ幸いです。

 今回は〈誕生日占い〉についての質問ですけど、こういうことは占い全般にも言えることです。占いの種類以上に、その非科学性についてあげられると思うのですけど、時間の関係で、おもいつく順番にいつくつかあげてみます。

⭕️その日その時に生まれた人といってもかなり条件が異なる

何月何日に生まれたということが一致していても
〈男性・女性〉
〈北海道の寒い地方・暖かい沖縄〉
〈双子・そうでない〉
〈健康・ハンディをもっている〉
〈しつけに厳しい家庭・自由奔放な家庭〉
〈経済的に恵まれた家庭・困窮した家庭〉
〈大家族・親一人・親がいない〉
 etc.

 とてもたくさんの違いがあります。
 そういうことは無関係で「あなたは周りの人たちと比べると、おっとりした性格です」という様なことが言えるのか。

⭕️微妙な表現で信じ込ませている

「あなたは周りの人たちと比べると、おっとりした性格です」という言葉にもあるように、占いというのは、当たり障(さわ)りなく誰にも当てはまりやすい様な表現をすることがたくさんあります。
 マーケティング(どうやって商品やサービスなどをたくさん売れるようにしようかという戦略)でよく利用される「バーナム効果」と呼ばれている現象があります。
 簡単にいうと「多くの人に当てはまることをいわれているにもかかわらず〈これは自分のことを指しているのだ〉と感じてしまう心理的効果」のことです。 ※こういうものをいちいち◯◯効果と呼ばなくてもいいのにね。◯◯効果と呼ぶとありがたく思う人たちも出てくるからでしょう・・・中身はとてもシンプルです

 たとえば「あなたは見た目に気を使って、周りの人に好感を持たれるよう気をつかっていますね」とか「あなたは周りの人たちの気持ちを考えてあげられる人ですね」といわれた時はどうですか?
「いや、自分はそういう人間ではない」と言える人は何人いるでしょう。

⭕️はずれた時のいいわけがちゃんと準備されている

 たとえば誕生日占いで「◯月◯日生まれの人は日本のトップ3の大学に入ることができます」と書いてあったとします、そういうことはきっと書く勇気がないと思うけど。
 当たらなかったら「本当は力があるのに、努力がたりないと落ちることがあります」とか「占いは100%ではないので、いろいろな条件ではずれる場合があります」という様なことがきっと書いてあることでしょう。

⭕️ たいていのことは偶然当たることがある

 たとえばクラス30人の子どもたちに「みなさんは今日の夕食で自分の好きな料理が出るでしょう」と言ったとします。きっと「うちの先生の言ったことが当たった」という子がでるでしょう。

 バーナム効果も作用します。そうでなくても大抵の親は子どもが喜んで食べてくれるものを提供したがるものです。中には嫌いな料理が出た子もいるかもしれません。それでもその後好きなデザートが出るかもしれません、すると「当たった」という子が増えるでしょう。

⭕️ 裏付けがない

〈誕生日占いが正しい〉と仮定します。そうすると、本屋さんに並んでいるいろいろな誕生日占いの本には同じことが書いてあるはずです。でもそういうことはありません、興味のある人は何冊か開いてみてください。

 そしておそらくどの本も「この本はとてもよく当たる」と書いているはずです。それなら何をもって正しいと証明しているのでしょうか?
 そういう証明は書いてないでしょう。
 中には「これは古くから伝わる秘伝だから」とか「これはたくさんの人によって確かめられてきた」と書いてあるかもしれません。秘伝だから正しい、なんて何の証明にもなりません。「たくさんの人によって確かめられてきた」って誰が確かめたのか、いつ、どういう実験によって証明されたのか、書いているはずはありません。

 考えてみてください。

 生まれた日によって運命が決まるというなら、〈◯月◯日生まれと◯月◯日生まれは長生きだ〉とか〈◯月◯日生まれと◯月◯日生まれは寿命が短い〉という占いもできるでしょう。
 大地震や大津波は、誕生日別におそいかかるわけではありません。
 戦争も、生まれた日を選んで、その人に攻撃をしかけてくるわけではありません。

 長く生きるのは、その人がタバコ好きなのかどうかなど健康的な生活や、運動好きなのか、ストレスを溜めやすい人か気晴らしがうまい人か、空気や水がきれいなところに住んでいるか、親や親類が長生きの家系なとかという遺伝的なもの、定期的に健康診断を受けて、悪いところを直そうとしているか、ほったらかしにしているかなどが絡むのであって、子どもの日の5月5日に生まれた人は長生きします、という様なことはありません。

 誕生日占いにかぎらず、あれだけ大変なことになった「コロナ感染症の世界的流行」を事前に占ってくれた人たちはいませんでした。それが科学的に正しいというなら、こんな安上がりなことはありません。その対策を立てられたのにね。
 あの日「ダイヤモンド・プリンセス」に乗ったら危険だと事前に教えてくれたらよかったのに。

 また長くなってしまいました。

 こういうところでどうでしょう、ご意見ご感想があれば、遠慮なくどうぞ。
 そうそう、以前書いた「〈占いを信じやすい人は、特殊詐欺などに騙される率も高いのでは無いか〉という言葉にドキッとしました」という感謝の便りもありました。

以前の様に手早く丁寧な返事はできなくなったのですけど、必ず読んで、短くても返事をする様にしています。時にはこうやってしっかりサイトで返事を書くこともあります!

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ノウハウも大切、原理・哲学・発想法を大切に学ぶことも大切-楽しい教育の発想法

 最近の〈たのしい教育メールマガジン〉に書いた内容の反響が届いています、このサイトを読んでくれていめるまメルマガの読者の方も多いので、少し書かせていただきます。

 こういう時はどうしたらよいのか、というノウハウを学びたい人はたくさんいます。
 子どもたちがいうことを聞いてくれない、という先生から「立って歩いている子になんて言ったらよいですか」という様に。
 私は空手の指導者でもあるので「顔を殴ってきた時はどう受けたらよいですか」という様な質問をたくさん受けてきました。

 ノウハウつまり具体的な対応はとても大切です。

 ところがノウハウというのはある特定の状況で成り立つものがほとんどです。
「立って歩いている子になんて言ったらよいか」という時にも、その子の学年や、勉強が苦手なのかどうか、友達関係はどうかなどいろいろなファクターによって対応に差が出てきます。

 空手の技もそうです、逃げられる状況か、相手が力のある人なのか、防ぐものがあるかないかetc. いくつかのファクターで違いが出てきます。

 そういう時の具体的な対応・ノウハウを学びつつ、たとえば「子どものプライドを傷つけない様に声をかけることが大切です」という様な原理的なものを学ぶ方が応用範囲が広がるでしょう。

 原理的なものはとても大切です。

 最新号の〈たのしい教育メールマガジン〉の発想法の章にこうかきました。

 最近、学校関係の方から相談にのってほしいとたのまれ、いろいろな話をしてきました。巨大な壁を前に、何をどうしていけばよいのか打つ手が描けないとのことでした。確かに巨大な押し付けを前にすると個人としての打つ手はとても限られています。
 学校だけでなくいろいろな組織でも、もしかすると家庭でも〈抵抗できない強い力〉が存在することがあります。自分はそうではないと考える・そうしたくないと考える、けれど「こうしなさい」と押し付けてくる、そういう力です。
 その時、どうしたらよいのでしょう?

 こういうことはノウハウでは解けないでしょう。

 哲学・発想法など原理的なものを学んでいく必要があります。

 巨大な力を前にした時・・・

 みなさんも考えてみませんか。

 そして教育に関わる原理的なものと、実際のたのしい授業の方法とを学びたいと思ったら、ぜひ〈たのしい教育メールマガジン〉を購読してみてください。読者が全国に広がっている人気のメルマガです。

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たのしい発想法〈エイプリルフールの効用〉①/たのしい教育の発想法・楽しい学習・自由研究ネタ・たのしい授業・楽しい授業・楽しい自由研究・楽しい学力・楽しい教材・楽しい学力向上

「たのしい教育のページをこどもたちに読んでいます」という便りが届いています、うれしいことです。今回の内容も、こどもたちに読んであげたくなる様な内容になると思います、ご活用ください。
 4月1日のエイプリルフールが世界的に受け入れられていると思う人もいるかもしれません、しかし中国・ロシア・インド・タイ、イスラム諸国など、好ましくないとされている国はたくさんあります。

 

 子どもの頃から「〈ウソもほうべん〉というのもあるのに、ウソをつくのが4月1日くらいだという国があるのは悲しいことだな」と感じていたのですけど、みなさんはどう思うでしょうか。

 以前、いったいどの国からはじまった習慣なのか調べてみたことがあります、結論は「起源不明」でした。

 wikipediaにこうあります、※感謝して引用

エイプリルフールの起源は全く不明である。

すなわち、いつ、どこでエイプリルフールの習慣が始まったかはわかっていない。有力とされる起源説を以下に挙げるが、いずれも確証がないことから、仮説の域を出ていない。以下に挙げるのは、その例である。

 

その昔、ヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反発した人々が、4月1日を「嘘の新年」とし、馬鹿騒ぎをはじめた。この説を利用し、さらに「嘘の嘘の新年」なる説まで登場したが、これは2006年に意図的に本項目に書き込まれたデマ情報である(嘘の嘘の新年を参照)。

 

インドで悟りの修行は、春分から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節」と呼んでからかったことによるとする説もある。この説によれば、インドの「揶揄節」が西洋に伝わったものがエイプリルフール、中国に伝わったものが「万愚節」になったという

 

イングランドの王政復古の記念祭であるオークアップルデー(en:Oak Apple Day)に由来を求める説がある。

フランスではエイプリルフールを Poisson d’avril(4月の魚)といい、子供達が紙に書いた魚の絵を人の背中にこっそり張り付けるいたずらをする。この『4月の魚』とはサバのことを指すと言われ、ちょうどこの頃にサバがよく釣れるためこう呼ばれるとされる。

日本には大正時代に欧米のエイプリルフールが伝わったが、前述の中国の「万愚節」が江戸時代の日本に伝わり「不義理の日」と呼ばれていたという説もある

 「この日くらいはウソをついてもよいよ」という消極的な発想ではなく、日本の「ウソも方便(ホウベン)」の様に〈ウソに対する積極的な評価〉が外国にもあります。

 どの映画だったのか覚えていないのですけど「It’s white lie./ホワイトライさ」という言葉がありました。他の人を傷つけない、悪意のないウソです。

 調べててみると、ドイツには「緊急のウソ/Notlüge」という言葉がありました。スペインにも「慈悲深いウソ/mentira piadosa」という言葉があります、他の国からもいくつか出てくるでしょう。

 ウソにも良い側面がある、ということです。

 以前にも書いたと思うのですけど、出血多量で危ない人に「あなたはあぶないよ」と正直にいうのではなく多くの人は「大丈夫だ、きっと助かる」というでしょう。

 さて、エイプリルフールで考えてみたいことがあります。たのしい教育の発想と関わる大切なことです。

つづく

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